ムターのチャイコフスキー
どちらが良いのか・・・

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CDジャケット

チャイコフスキー
バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
コルンゴルト
バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
バイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター
プレヴィン指揮ウィーンフィル(チャイコフスキー)、ロンドン響(コルンゴルト)
録音:2003年9月、ウィーン(チャイコフスキー)、2003年10月、ロンドン(コルンゴルト)
DG(国内盤 UCCG-1206)

 

 私はムターの新譜が出ると買ってしまう「おじさん」である。グラモフォンもこういうおじさんがCDの購買層だと最初から認識しているらしく、CDの作りを見るとまるでアイドル扱いだ。しかし、私はムターのCDを聴いて感動したことが一度もない。すごいと思ったCDはある。「ツィゴイネルワイゼン」や「カルメン幻想曲」が入ったCDである。その他に思い出せない。

 このところムターの評判は著しく良くないようだ。「崩れてしまってどうにもならない」という意見をときどき耳にする。既に長いキャリアを持ち、同時代の大家の一人のはずなのに、我が国では絶賛されているようには感じられない。気の毒な気がするが、それはこの演奏家自身が選んだ演奏方法に起因することなので、致し方あるまい。

 チャイコフスキーの録音は15年ぶりという。前回は1988年8月にザルツブルクにおいてカラヤン指揮ウィーンフィルの伴奏で録音された。その演奏を、皆さんは覚えているだろうか? 私は恥ずかしながら全く覚えていなかった。覚えていたのはCDジャケットだけである(おじさんなので・・・)。今回は比較のために旧盤を聴いてみたが、最近のムターに比べると端正で、凛々しささえも感じさせる一方、取り澄ましたような印象が残り、私としては煮え切らないものを感じた。端正さや凛々しさを感じたのは、もしかしたらカラヤンの力によるところもあるのかもしれない。

 新盤はどうかというと、これは下品な言い方だが、熟女の濃厚なチャイコフスキーだ。一度聴いたら忘れられない。同じ人が同じ曲を演奏しているとは思えない。浪花節とまではいかないが、むせかえるようなセンチメンタリズムを併せ持った演奏だ。これは好き・嫌いがはっきり分かれるだろう。例えば、私が特に好きな第1楽章の第2主題(69小節〜)。ここから先は肉厚で、脂がのりにのったようなバイオリンが聴ける。この主題が後半で再度現れる252小節目以降はさらにすごい。線の細いチャイコフスキーを私は好まないが、ムターは線が太くて、脂がのっている。これは全体のごく一部でしかなく、ムターの濃厚な表情には驚くばかりだ。

 この演奏に対する私の意見はこうである。好きか・嫌いかと問われれば、好きである。記憶に全くとどまらない演奏ではないし、批判があるのは承知だが、これはこれでひとつのスタイルだ。では、良いか・悪いかと問われた場合、良いとは言いきれない。

 音楽表現とは難しい。濃厚な表情を取らなくても、聞き手を唸らせる演奏はある。そういう方向性こそ大家や巨匠と呼ばれる音楽家が選ぶと私は勝手に想像しているのだが、どうなのだろう。ムターの夫・指揮者プレヴィンは妻に何らかのアドバイスをしているのか、いないのか。

 ムターはこの後どこに行くのだろうか? どこかの節目でチャイコフスキーを再録音するだろうか? 5年後、10年後にこのチャイコフスキーをもう一度比較試聴するときがくるかもしれない。

 

(2004年10月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)