コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会アーカイヴとヨッフムのオットーボイレン・ライヴ

文:管理人の青木さん

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 図書館で『レコード芸術』を読んでいると、記事の中でコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会データベースに言及があるのを見つけました。公式サイトで指揮者別の検索ができるようなのです。ほんまかいな、知らなんだがな。さっそくアクセスしてみると、“Concert Archive”というページが確かにありました。

 “User's manual”を見なくても使い方は一目瞭然。指揮者/独奏者/作曲家/作品、そして年月日や場所別に全演奏会をクロス検索できるという、たいへんな優れものです。英語で操作をしていても結果はオランダ語でしか表示されませんが、ほぼ問題ないでしょう。あとは興味のおもむくままにひたすら検索するのみ。その過程で、以前から気になっていた個人的疑問のいくつかが解決しましたので、ご紹介します。

 

(1)1961年2月のデッカ録音は、演奏会に連動していたのか?

 

 英デッカによるコンセルトヘボウ録音は、モノラル期の1953年9月をもっていったん途切れデジタル期に入った1980年11月に再開されますが、その間の1961年2月20〜23日に単発的な録音セッションが組まれています。前半二日間がゲオルグ・ショルティ指揮によるマーラーの交響曲第4番、後半二日間がアナトール・フィストラーリ指揮によるチャイコフスキー「白鳥の湖」抜粋、の二曲です。このレコーディングが演奏会とセットの抱き合わせ企画だったのかどうかを確認すべく、アーカイヴで1961年2〜3月を調べました。

 検索結果は、20日から26日までが空白になっていて、その前後の演奏会はハンス・ロスバウトやオイゲン・ヨッフムによるものばかり。念のため指揮者で検索してみると、ショルティは1955年12月から1991年9月まで登場しておらず、フィストラーリはゼロです。このレコーディングは演奏会とは無関係な、商業録音のためだけに組まれたセッションらしいということがわかりました。カサドシュとベイヌムの時のように、デッカ専属の演奏家がフィリップスで録音したことのバーターだったのでしょうか。

 ちなみにデッカの再開レコーディング第一弾はヴラディーミル・アシュケナージが指揮するラフマニノフの交響曲第3番で、ケネス・ウィルキンソンによって1980年11月7日と10日に録音されています。その前後の演奏会を検索すると、その曲をメイン(後半)に置いたコンセルトヘボウ大ホールでの演奏会をアシュケナージが5〜7日の三夜にわたって指揮しているので、それを受けての収録だったということがわかります。

 

(2)1977年6月のマリナー録音は、演奏会に連動していたのか?

 

 同趣旨です。ネヴィル・マリナー指揮コンセルトヘボウ管の録音はホルスト「惑星」とエルガー「エニグマ変奏曲」「威風堂々第1,2,4番」しかなく、いずれも1977年6月22〜25日に収録されています。アーカイヴによると、マリナーもコンセルトヘボウ管の演奏会をまったく指揮しておらず、またこの月のコンセルトヘボウ管の演奏会は20日で終わっているので、マリナーとのセッションはフィリップス録音のためだけに組まれたようです。ちなみに「惑星」の演奏会歴を調べるとモントゥーやオッテルローの名があり、少々意外な思いがします。

 さて、指揮者リストでMarrinerがあるはずの位置の近くにMarkevitchがあったのでついでに検索してみると、別の発見がありました。彼のリストの最後は1964年9月2日(スヘフェニンゲン)と14日(アムステルダム)で、いずれもブリテン「青少年のための管弦楽入門」とフランク「交響的変奏曲」、休憩をはさんでベルリオーズ「幻想交響曲」という魅力的なプログラムの演奏会。この月の15〜17日にフィリップスに録音されたロシア物の管弦楽曲集は、マルケヴィッチのアムステルダム滞在時に組まれたセッションということになるようです。ところがマルケヴィッチのそのひとつ前の演奏会は、1949年2月となっている。ワタシの手元に次のようにクレジットされたArchipelレーベルのCDがあるのですが、そういう演奏会はなかったということになるのです。

CDジャケット

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番
クラウディオ・アラウ/イーゴリ・マルケヴィッチ/コンセルトヘボウ管弦楽団
1956年9月25日モントルー録音

 このCDは二枚組で、ブラームスのピアノ協奏曲第1番も収録され、そのクレジットはアラウ/クレツキ/フランス国立管(1959年9月13日モントルー録音)。もしやと思ってコンセルトヘボウ管のアーカイヴを検索すると、1959年9月13日のモントルーではブラームスのピアノ協奏曲第2番が演奏されていて、ピアノはアラウ、指揮はパウル・クレツキです。件のCDは、どうやら正しい指揮者名と年月日が第1番のほうに誤記されている模様。うーむヘボウ本のディスコグラフィに間違いを書いてしまったではないか。では第1番は? 逆に指揮がマルケヴィッチで年月日は1956年9月25日なのか? 解明不能であります。

 

(3)ハイティンクの放送録音集に収録されている「ノヴェンバー・ステップス」はいつの演奏か?

 

 かつて「コンセルトヘボウの名録音」で武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」を採りあげたときにも触れましたが、ベルナルト・ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管の放送録音を集めたボックスセット(Q Disc)で、この曲だけ録音年月日の記載がありません。ハイティンク指揮のこの曲はフィリップスからもリリースされていて(メシアンとカプリングされたライヴ盤)、録音は1969年17〜19,21日とクレジットされていました。聴きくらべると同一音源とは違うようなのですが、ボックスの解説書の記載から、おそらくこれと同時期の録音だろうと推測していたのです。今回アーカイヴで「ノヴェンバー・ステップス」を検索すると、コンセルトヘボウ管が同曲を採りあげたのは1969年17,18,21日の三日間しかないので、推測が裏付けられました。

 なおその演奏会は「現代音楽の夕べ」的なものではなく、ヘンデル「水上の音楽」に続いて「ノヴェンバー・ステップス」、休憩後はクリフォード・カーゾンの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番、最後がR.シュトラウス「ドン・ファン」という、なんだか妙なプログラム。こういうことを手軽に知ることができるのはなんとも楽しくありがたく、まったくよい時代になったものです。

 

(4)ヨッフムのオットーボイレンはどういうプログラムだったのか?

 

 有名なブルックナーの第5番のライヴ盤です。初出LPは二枚組の第4面にオルガン独奏曲がカプリングされていたそうで、その組み合わせを再現したSACDが出たばかり。ジャケットに“1200 Jahre Benediktinerabtei Ottobeuren”とあるように特別な記念演奏会だったようなので、交響曲とオルガンとがセットのプログラムだったのか。という疑問を持っていたのですが、結果的にはよくわかりませんでした。

 アーカイヴによると、5月26日にアムステルダムでの一連のコンサートを終えたコンセルトヘボウ管は、ヨッフムとドイツへの短いツアーに出て、まず5月28日にハイデルベルクで演奏会を開いています。曲はハイドンの第94番とブルックナーの第5番。続いて30日と31日がオットーボイレンですが、記載されている曲はブルックナーだけ。そういう演奏会だったのか、コンセルトヘボウ管のアーカイヴなのでオルガン・コンサートには触れていないだけなのか。SACDではそのあたりが解説されているかもしれません。

 

(5)コンセルトヘボウ管を指揮した日本人指揮者は?

 

 ざっと見たところ、小澤征爾、小林研一郎、広上淳一の各氏の名がありました。ブル5でシカゴ響を指揮した朝比奈隆氏も、コンセルトヘボウには縁がなかったようです。

 ではせっかくなので、ここで(4)のブル5のCDを改めて採りあげましょう。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第5番 変ロ長調
オイゲン・ヨッフム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1964年5月30,31日 オットーボイレン、ベネディクト修道院(ライヴ)
フィリップス→デッカ(国内盤CD ユニバーサル UCCP-9510)


 巨大で堅牢な建築物に例えられることが多いブルックナーの交響曲の中でも、この第5番は最右翼であり、とりわけその感の強いディスクがこのヨッフムの1964年盤である。という個人的印象は、ジャケットのデザイン――修道院のアクソメトリック図面――の視覚イメージが大きく影響していることは自覚しておりますが、その先入観にできるだけ囚われぬよう意識をして聴いても、やはりこの演奏はどっしりと聳え立ち堂々たる威容を誇る大建造物を思わせます。その要因は、終楽章でクライマックスを築くという全体構成、それを具現化するテンポ設定や個々の楽器の奏で方・重ね方などの演奏面の特徴であると同時に、サウンドそれ自体の個性に拠るところも大きいと感じます。オーケストラの音色、修道院(の中のバジリカ聖堂)の音響特性、マイクのセッティングやミキシングといった技術面の要素などが混然一体となって形成されるトータルサウンド。それを前提として演奏者側の音楽づくりがなされているとすれば、個別要因をいくら分析しても、それらの有機的な関連性を解明することは不可能であり無意味でもあるでしょう。

 要するにこの大聖堂の空間と、記念演奏会というおそらくは非日常的な雰囲気があってこその名演奏ということであり、その意味でこれは特別な存在のディスクです。適度な残響と立体感を伴った重厚なオーケストラ・サウンドをみごとに収録したフィリップスの録音技術と、そもそもこの演奏会を正式にライヴ録音して商品化しようとした企画性こそを、まず評価しなければならないでしょう。

 演奏内容については、その素晴らしさを具体的に表現できる語彙を持ちあわせておりません。国内盤CDに掲載されていた大木正純氏の名解説を、かつて「コンセルトヘボウ管弦楽団のページ」のヨッフムの頁でご紹介しましたが、その表題を再掲しておきたいと思います。
「ヨッフムの指揮術の真骨頂を示す もっとも得意としたブルックナーの感動的なライヴ 」

 以下は余談です。ヨッフムはブルックナーの交響曲の演奏解釈に関する論文を発表しているそうで、全体としてどういう内容・体裁なのかは承知しておりませんが、「第5交響曲の解釈について」が『音楽の手帖 ブルックナー』(青土社,1981)に掲載されています。原著は1964年とクレジットされているので、ちょうどオットーボイレンと同時期なのですが、この論文では上記の「オーケストラや会場と演奏との関係」については特に触れられていません。たとえばコンセルトヘボウ管の1962年と1968年の来日ツアー(指揮はハイティンクとヨッフム)では会場の多くが〇〇公会堂や□□市民会館などで、それらの音響はおそらく最近の音楽専用ホールにはとても及ばない貧弱なものだったと思われます。そのような会場、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール、そして大聖堂。どこであろうと同じような演奏をしていればよい、ということはないと思うのですが。基本的にアコースティック・サウンドであるクラシック音楽の場合、「音」が生まれる場所の個性・特性と演奏との関係、さらには録音の手法や技術の影響について、もっと論じられてもよいのではないかと、個人的には思っております。

 

(2018年12月9日、An die MusikクラシックCD試聴記)