コンセルトへボウ大ホールの歴史

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ホールとしてのコンセルトへボウについてはすでに頁を設けておりますが、その後に得られた情報をまとめておきます。前半部分は5月頃に当An die Musikのゲストブックに書き込んだ内容です。

2001年4月3日の零時前、コンセルトヘボウ大ホールをテーマにした5分ほどの番組が、NHK−BS2で放送されました(他にも何度か放送されているかもしれません)。ただ、画面での表記は「コンチェルト・ゲボー」となっていましたが。

映像の方は、内観のイラスト(アーノンクール指揮のモーツァルト交響曲シリーズのジャケットにも使用されたもの)が一瞬出てきた以外は、ホールの内部が延々と映されました。そして解説ナレーションにて、興味深い事実が紹介されたのでした。以下に記載しますが、テレビを見ながらあわててとったメモに基づいて書いてますので一部不正確かもしれません。

ということです。世界で最も音のよいホールの一つであるコンセルトヘボウも、当初は音がいいどころかむしろ悪かった!という衝撃的な事実が明らかにされたのでした。そして元々は現状よりずっと高い位置に舞台があったとのことなので、指揮者やソロイストが登場する扉がやたらと高い位置にあり長い階段を延々と降りてこなければならないというあの不思議な現状の謎が、これで少し解けたわけであります。

また、正面のパイプオルガンは1892年に150万円で購入され、100年後の1990年に改修したときの費用は2億円だった、というエピソードも紹介されました。演奏会がほぼ毎日開かれるため、作業が夜間しかできず、1日に1本ずつというペースだったとのことです。

ところで開館当初のコンセルトへボウは、その名に反して高級サロンであり、上流階級の人々が音楽を聴きながら食事を楽しんでいたらしいです。これは、1988年にキングレコードから発売された「コンセルトへボウ100周年記念盤 エドゥアルド・ファン・ベイムヌの芸術」というCDシリーズに掲載された志鳥栄八郎氏の解説「アムステルダム・コンセルトへボウ創設100年に寄せて」に記載されている情報です。オープンから5ヶ月後にオーケストラが組織されて、サロンがコンサートホールに衣替えされたとのこと。そういえば前述しましたアーノンクールのCDジャケットの内観イラストでは、客席がなく大広間のようになっている空間に着飾った人々が点々と描かれていて、最初はコンセルトへボウだとは気づかなかったほどでしたが、これがその高級サロン時代を描いたものだとすれば納得できます。音響改善のための改装も、サロンからホールへの改装と、おそらく連動していたのでしょう。

4月にAUDIOPHILE CLASSICSというオランダのレーベルから発売されたコンセルトヘボウのライヴシリーズのCDの中で、ベイヌム指揮のブルックナー/交響曲第4番のインナースリーヴには、コンセルトへボウのグランドフロアの平面図(部分)が掲載されています。古色蒼然たる雰囲気からすると建設当時のオリジナルとも思えるこの図面には、広間の部分にひどく雑なグリッドが描かれているだけで、これが固定的な座席の配置を示しているようにはとても見えません。だとすれば、これもサロン説の裏づけとなる資料だといえます。

ちなみに同シリーズでベイヌム指揮のシューベルト/交響曲第9番のインナースリーヴには、これも前述しましたパイプオルガンの細密な立面図が掲載されています。他の指揮者のCDではこういった資料ではなく指揮者の写真となっていて、やや残念です。

当An die Musikの読者の方から情報提供のメールをいただきました。ありがとうございます。2月にコンセルトヘボウを訪問され、ホールのロビーにあるコンセルトヘボウ友の会の窓口で、以下の資料を確認されたとのことです。こういうものがあれば、正確な情報が大量に得られるはずなのですが…

またホールのキオスクでは、RCOの歴史を記述した写真入りの小冊子、ロゴ入りの各種グッズ(腕時計、Tシャツ、ペン、手帳、ライター等)、といった商品が販売されているとのこと。うーんこれはもう行くしかないかも?


(An die MusikクラシックCD試聴記)