ロック・イン・コンセルトへボウ

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ロック・イン・コンセルトへボウ

コンセルトへボウ大ホールはコンセルトへボウ管弦楽団が独占して使用しているわけではありません。他のオーケストラがアムステルダムに来ればここで演奏会が開かれます。ただ、そのようなものも含めて他のオーケストラの録音は、初期のハーグ管やブリュッヘンの21世紀管ライヴを除けば、少なくとも公式に市販されているものの中にはないようです。またコンセルトへボウ室内管弦楽団や一部の室内楽、器楽曲のフィリップス録音に、録音場所がコンセルトへボウである旨がクレジットされたものがありますが、それが大ホールか小ホールかはわかりません。

またコンセルトへボウ大ホールは、クラシック以外のコンサートに使用されることもあります。ここではロックの例をいくつかご紹介。意外なものばかりです。

ボタン1969年9月29日 THE WHO

英国のロック・バンドであるザ・フーは、欧米においては「世界三大ロック・バンド」の一つとして認識されているビッグ・ネームなのですが、なぜか日本での人気は驚くほど地味です。これはまるでコンセルトへボウ管弦楽団のようではありませんか。すなわちビートルズがウィーン・フィル、ローリング・ストーンズがベルリン・フィルというわけです。

このロック界のコンセルトへボウ管ともいうべきザ・フーがコンセルトへボウに何回登場したのかはわからないものの、少なくとも1969年9月29日午後9時から彼らのライヴが行われたという事実は、その歴史的な重要性のために、広く知られています。それは、彼らの代表的レパートリーでありその後2年に渡ってライヴで演奏され続けたといわれる、ロック・オペラ「トミー」全曲の世界初演だったからです。ロック・オペラだからあえてコンセルトへボウを選んだのか、単なる偶然なのかも不明です。このライヴは何度もLPやCDとなっていますが、すべて非正規盤ですのでここではこれ以上触れません。

ボタン1973年11月23日 KING CRIMSON

キング・クリムゾンは、「21世紀の精神異常者」「クリムゾン・キングの宮殿」といった曲で有名な、英国のプログレッシヴ・ロックのバンドです。彼らが1974年に発表したアルバム「暗黒の世界」は、当初は普通のスタジオ録音で制作されたものだと思われていたのですが、実はその大半にライヴの音源が使用されていたことが後に明らかにされ、ファンに大きな衝撃を与えました。そのライヴがコンセルトへボウで行なわれたものだったという事実には、衝撃を受けた人はあまりいなかったでしょうが。このコンサートの録音は大部分がBBCのラジオでオンエアされたため各種の非正規盤が出回り、それらを一掃すべく、1997年に二枚組CD「ナイトウオッチ」として正規リリースされています。そのブックレットにメンバーの一人が書いているライナーノーツには、次のような一文があります。

「確か当日は僕たちの前にクラシックのコンサートがあって、僕たちは深夜にショーをやることになり、それでいつもより待ち時間が長かった」
そんな無理をしてまでコンセルトへボウを使用しなければならないほど、アムステルダムにはコンサート会場が少なかったのでしょうか。ブックレットにはライヴ光景の写真も掲載されていて、ステージが高くてコンセルトへボウぽいものの、暗いのでよくわかりません。音のほうも、なにしろほとんどエレクトリック楽器ですので、別にコンセルトへボウらしさを聴き取れるわけではありません。

ボタン1968年10月20日、1970年12月6日 FRANK ZAPPA & THE MOTHERS OF INVENTION

フランク・ザッパというと、奇人だの変態だのといった誤解がまだ残っているようですが、この上なくまっとうな音楽家でありまして、彼の曲は独立した作品として現代音楽系やジャズ系の演奏家によく採り上げられ、「ザッパ作品集」のCDもたくさんあるほどです。またザッパは、自分のアルバムでケント・ナガノ指揮ロンドン交響楽団やピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンテムポランを起用したり、アンサンブル・モデルンを指揮したりもしており、ヴァレーズ作品集を作る予定もあったとのことで、ロックの枠を越えた「現代音楽家の第一人者」というべき人物なのです。

そんな彼に関する文献の一つとして、"FRANK ZAPPA - A VISUAL DOCUMENTARY BY MILES"という本があり、これはディスコグラフィを含む活動記録兼写真集なのですが、その中にはほぼすべてのライヴの記録も含まれています。これによると、1968年10月20日と1970年12月6日、彼の率いるマザーズ・オブ・インベンションのライヴがコンセルトへボウで行われています。これらのライヴの非正規盤が出ているかどうかは不明ですが、ザッパはある時期以降の全ライヴを録音していたらしいので、彼のスタジオの倉庫にはコンセルトへボウ公演のテープも眠っているはずです。

以上の例はいずれも、各バンドの当時の人気からして、小ホールでの公演ということはありえません。そしてこれらはたまたま当方に音源や資料のあるものを拾っただけなので、ほんの一例に過ぎないと思われます。それにしても、コンセルトへボウほどのホールがロックのライヴに対しても門戸を開放していたというのは意外です。たとえば前掲のザッパの本で、他都市の公演場所を調べても、クラシック系の著名ホールは出てきません(ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールは何度も使用されていますが)。

また未確認ですが、ジャズのマイルス・デイヴィスもコンセルトへボウで演奏会をしたことがあったようです。こういったことも、コンセルトへボウというホールの知られざる一面であることには違いないといえるでしょう。こんなことに興味を持つ人はあまりいないかも知れませんが。

ボタンネット検索による他のライヴ例


(An die MusikクラシックCD試聴記)