コンセルトヘボウ管のページ
ヨッフム
オイゲン・ヨッフム
ハイティンクの次がヨッフム……これではあまりにラインナップが地味ではないか? しかしこの"An Die Musik"で本来テーマとされている「カペレ」と「ブルックナー」の両方に縁浅からぬ指揮者ですので、やはりシャイーなどよりは先にとり上げられて然るべきでしょう。といっても本格的なヨッフム論などわたしの手に負えるはずもなく、また"An Die Musik"読者の方々はヨッフムの音楽性をある程度はご承知でしょうから、以下ではコンセルトヘボウ管弦楽団との関わりをご紹介する程度にとどまってしまうことをご容赦ください。
ではまずそのあたりを、ヨッフム氏自身に語っていただきましょう。仏ターラ社から発売されている"HOMMAGE A EUGEN JOCHUM"と題されたCDセットのDISC-4が"A Self Portrait"という、「ヨッフム、わが人生を語る」みたいな内容になっています(写真左)。これはもともと独グラモフォンからLPとして出ていた音源を、許可を得てCD復刻したもののようです。10箇所ほどでヨッフム指揮の演奏(フィリップス音源含む)の断片が入る以外はひたすらヨッフムが喋っているという1時間弱のCDで、これはなかなかの珍品と申せましょう。元のDGのLPは何かの付録だったのでしょうか? 失礼ながら単独での商品価値はあまりなさそうなのですが…。
意外なほどの美声で流暢に語られるそのスピーチはドイツ語なので意味はさっぱり理解できぬものの、ブックレットには英語の対訳が付いていますので、コンセルトヘボウ管弦楽団に言及されている部分を直訳いたしました。
1959年、エドゥアルド・ヴァン・ベイヌムの突然の死と同時に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、若いオランダ人指揮者ベルナルト・ハイティンクと指揮者の地位を共有することを私に懇請してきました。私はすでにこのオーケストラを20年前に指揮したことがあり(原註:ヨッフムはコンセルトヘボウ管弦楽団を1941年11月13日に初めて指揮した)、そしてそれ以来、さまざまな機会にそこへ戻っていきました。ウィレム・メンゲルベルクはこのオーケストラを国際的に幅広く認められた第一級の集団へと変化させました。オーケストラの卓越した技能、オランダの聴衆の並外れた偏見のなさ、そしてコンセルトヘボウの例外的な音響効果によって、この活動は私にとって非常に貴重なものとなりました。
例によって途中で構文を把握しきれなくなった箇所があり適当に訳しましたのでそのまま信用はしないでいただきたいのですが、そうやって英語力のなさを露呈してまで苦労して訳した割には、特に目新しい情報は得られませんでした。急逝したベイヌムの後任には伝統に則って自国の指揮者を据えたいが、最適任と思われるハイティンクはキャリア不足で不安が残る。その当局のジレンマを解消できる苦肉の策が「ベテランを補佐役に付けた双頭指揮者制」だったわけですが、ではその補佐役として選ばれたのがなぜヨッフムだったのか。そんな理由は、まあどうでもいいといえばどうでもいいかもしれません。それよりも、そのようなことをしてまでこだわったはずの「自国民主義」を、30年後の1988年になぜあっさりと捨て去ってしまったのか、という点こそ問題です。イタリア人の指揮者。英国のレコード会社。このような〔インターナショナル化〕は、現代においては多かれ少なかれ必要とされる要素ではあるのでしょうが、それによって他方では「大切なものが失われてしまった…」ようで、残念な気がしてなりません。
と、いつの間にか話が逸れてしまいました。ではここでオイゲン・ヨッフムの略歴。
1902年11月バーベンハウゼン生まれ。アウグスブルク音楽院でピアノとオルガンを学び、1922年よりミュンヘン・アカデミーでハウゼッガーに指揮を学ぶ。ベルリン市立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場等を経て、1949年にバイエルン放送交響楽団の設立に関わり、同時に音楽監督を1960年まで務めて同楽団を世界的レベルにまで育てる。1961年から1964年までコンセルトヘボウ管弦楽団の首席を担当した後、1968年から1973年までバンベルク交響楽団の芸術顧問・首席指揮者を務める。その後は各地に客演し、1987年3月に死去。
来日は5回、うちコンセルトヘボウ管弦楽団との来日は1962年と1968年(いずれもハイティンクと)及び1986年(アシュケナージと)の計3回。
ハンブルク市よりブラームス・メダル、国際ブルックナー協会よりブルックナー・メダルを授与されている他、国際ブルックナー協会のドイツ支部長も務めた。著書に『ブルックナー・交響曲第5番の演奏解釈について』他。
以上は主として『LP手帖 1979年4月号』(音楽出版社)のヨッフム特集記事をベースにしていますが、最後のブルックナー三連発はさすがです。ブル5だけをテーマにした本まで書いているとは…。その特集にはヨッフムのディスコグラフィが付いていますが、それを現時点で改訂したヨッフムのブル5録音歴は、こうなりました。
1)ハンブルク国立フィル(1938年,独テレフンケン)
2)バイエルン放送交響楽団(1958年,独グラモフォン)
3)コンセルトヘボウ管弦楽団(1964年,蘭フィリップス)
4)シュターツカペレ・ドレスデン(1980年,英EMI)
5)コンセルトヘボウ管弦楽団(1986年,仏ターラ)他にも放送音源のディスク化がいくつかあったとのことで、こんな指揮者は他にいないでしょう。そしてわたしが所有している3)の国内盤CD(フィリップス・カスタム2000シリーズ)でライナー・ノーツを執筆されておられるのが、なんとあの大木正純先生であります。これがまた素晴らしい内容でして、データの羅列にとどまらず一つのストーリーを構成し、演奏や演奏家への愛情が端々に感じられる、味わい深い名解説となっています。しかしあまり無断で丸写しばかりして訴えられても困りますので、また別の機会にでもご紹介できれば、ということで。→(伊東の判断で掲載することにします。こちらです。大木先生、何卒ご容赦下さい。)
(An die MusikクラシックCD試聴記)