ベルナルト・ハイティンク 作曲家別録音歴
■ブラームス篇■(文:青木さん)
1.コンセルトヘボウ管(1970年代)
ハイティンクとコンセルトヘボウ管のブラームス録音には、1969年から1973年にかけての交響曲とピアノ協奏曲の全曲のほか、主要な管弦楽曲や協奏曲があり、協奏曲はちょうど2回ずつ録音しています。
管弦楽曲は、まず交響曲と同時期に「大学祝典」と「悲劇的」の両序曲及び「ハイドン変奏曲」が録音され、その後「セレナード第1番」が録音され、1980年に「セレナード第2番」と「ハンガリー舞曲」の前半10曲が録音されました。1980年の二曲はちょうどLP一枚分ですが、海外では不明ながら少なくとも国内では当時発売されず、ハンガリー舞曲は1989年の廉価CD「グロリア・シリーズ」で初めて登場しています(カプリングはマズア指揮ゲヴァントハウス管によるリストの「ハンガリー狂詩曲」)。
また「セレナード第2番」は、輸入盤ではCD初期に第1番と組み合わされて「シルバー・ライン・シリーズ」で出ていましたが、国内盤は1994年の「交響曲全集」が初出で、意外なことに1972年録音の「大学祝典序曲」もその全集が国内初出だったとのこと。交響曲第4番と同時に録音されたようですが、そのLPにはフィル・アップされなかったのでしょうか。さらにその交響曲全集には、10曲の録音がある「ハンガリー舞曲」のうち第1,3,10番の3曲しか収録されていません。他の7曲はブラームス以外の人が編曲していますので、本人のオーケストレーションによる曲だけが選ばれたものと考えられます。
協奏曲では、交響曲の録音に先立って2曲のピアノ協奏曲をアラウと録音し、交響曲と並行してシェリング及びシュタルケルと二重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲を録音します。次にルービンシュタインとピアノ協奏曲第1番をビデオ収録し(ベートーヴェンの第3番と同時に)、翌月クレバースとヴァイオリン協奏曲を再録音しますが、これはシェリングとの録音のわずか5ヶ月後です。どういう企画意図だったのでしょうか。
続いてブレンデルとピアノ協奏曲の第2番を録音しますが、これは第1番に引き続いてイッセルシュテットが指揮をする予定だったところ、第1番録音の2日後にイッセルシュテットが急逝したためハイティンクが代役に立った、という事情によるもの。クレバースとのヴァイオリン協奏曲もイッセルシュテットの代役だったとすれば中4ヶ月の連続登板も説明がつくのですが、そういう事実はないようです。
ビデオ以外はここまですべてフィリップスで、以後は他社となり、1979年にはEMIに二重協奏曲を再録音します。独奏はパールマンとロストロポーヴィチで、彼らはEMIのアーティストでしたが、ハイティンクとコンセルトヘボウ管はこれがEMI初登場となりました。続いて1981年にはデッカにピアノ協奏曲第1番を再録音(左写真)します。独奏はデッカ専属のアシュケナージ。ハイティンクとコンセルトヘボウ管はこれがデッカ初登場、ではなく前年すでにショスタコーヴィチの交響曲第14番を録音していました。また、翌年にアシュケナージと録音した第2番には、ウィーン・フィルが起用されています。
ちなみにハイティンクとコンセルトヘボウ管の来日公演で演奏されたブラームスですが、1962年4月の第1回公演と1968年9月の第2回公演では同行したヨッフムが交響曲第4番を指揮しただけです。ハイティンクは1974年4〜5月の第3回公演で「ハイドン変奏曲」と「悲劇的序曲」、1977年5月の第4回公演では交響曲第3番を演奏しています。1969年9〜10月のロンドン・フィルとの来日公演では、交響曲第1番が演奏されました。ベートーヴェンは1960年代の来日でもヨッフムと競うようにとりあげていましたが、ブラームスに関しては録音歴と同様、1960年代末から強化されたレパートリーということのなのでしょうか。
【演奏者】
- アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
- クラウディオ・アラウ(p) 〔ピアノ協奏曲(1969)〕
- アルトゥール・ルービンシュタイン(p) 〔ピアノ協奏曲第1番(1973Video)〕
- ウラディーミル・アシュケナージ(p) 〔ピアノ協奏曲第1番(1981)〕
- アルフレッド・ブレンデル(p) 〔ピアノ協奏曲第2番(1973)〕
- ヘンリック・シェリング(vn) 〔ヴァイオリン協奏曲(1973.4)、二重協奏曲(1970)〕
- ヘルマン・クレバース(vn) 〔ヴァイオリン協奏曲(1973.9)〕
- ヤーノシュ・シュタルケル(vc) 〔二重協奏曲(1970)〕
- イツァーク・パールマン(vn)/ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc) 〔二重協奏曲(1979)〕
【レコーディング・リスト】(録音順)
- ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15 1969.10.24-28. Philips
- ピアノ協奏曲第2番変ホ長調Op.83 1969.10.24-28. Philips
- 交響曲第3番ヘ長調Op.90 1970.5.19-20. Philips
- 悲劇的序曲Op.81 1970.5.29. Philips
- ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op.102 1970.9.14-15. Philips
- 交響曲第4番ホ短調Op.98 1972.6. Philips
- 大学祝典序曲Op.80 1972.6. Philips
- 交響曲第1番ハ短調Op.68 1972.12.6-7. Philips
- ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77 1973.4.24-25. Philips
- 交響曲第2番ニ長調Op.73 1973.6.19-20. Philips
- ハイドンの主題による変奏曲Op.56a 1973.6.19-20. Philips
- ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15 1973.8. Unite-Decca (Video)
- ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77 1973.9.11-13. Philips
- ピアノ協奏曲第2番変ホ長調Op.83 1973.12.3-5. Philips
- セレナード第1番ニ長調Op.11 1976.7.1-2. Philips
- ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op.102 1979.6.19-20. EMI
- ハンガリー舞曲集第1番〜第10番 1980.10. Philips
- セレナード第2番イ長調Op.16 1980.10. Philips
- ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15 1981.5. Decca
【国内盤初出】(< >内は発売年月、特記以外はすべてLP)
- 交響曲第3番+悲劇的序曲 日本フォノグラム SFX7885 <1971.8.>
- 交響曲第1番 日本フォノグラム SFX8652 <1974.1.>
- 交響曲第4番 日本フォノグラム SFX8654 <1974.3.>
- ヴァイオリン協奏曲(1973.9.) 日本フォノグラム PL9 <1974.>
- ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(1970) 日本フォノグラム SFX8687 <1975.2.>?
- 交響曲第2番+ハイドンの主題による変奏曲 日本フォノグラム X7531 <1975.7.>
- ピアノ協奏曲第1番(1969) 日本フォノグラム PC1588 <1975.10.>?
- ピアノ協奏曲第2番(1969) 日本フォノグラム PC1562 <1975.11.>?
- ヴァイオリン協奏曲(1973.4.) 日本フォノグラム X8547 <1977.12>?
- セレナード第1番 日本フォノグラム X7763 <1978.4>
- ピアノ協奏曲第2番(1973) 日本フォノグラム X8658 <1978.8.>?
- ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(1979) 東芝EMI EAC90001 <1980.9.>
- ピアノ協奏曲第1番(1981) ロンドン L28C1390 <1982.12.>
- ハンガリー舞曲集 日本フォノグラム 17CD29(CD) <1989.4.>
- 大学祝典序曲 日本フォノグラム PHCP10069-72(CD) <1994.7.>
- セレナード第2番 日本フォノグラム PHCP10069-72(CD) <1994.7.>
〔Video〕
ピアノ協奏曲第1番 LD:W00Z25022 <1989.6.>/VHS:POVL2016 <1999.3.>/DVD:UCBP1009 <2001.7.>2.ウィーン・フィル、バイエルン放送響 (1980年代)
1970年代の終わりから、ハイティンクはウィーン・フィルとの録音を始めます。最初は1979年にデッカで録音したベルリオーズの「幻想交響曲」で、その次は翌年の「ドイツ・レクイエム」。この組み合わせではフィリップス初登場となりました。1982年には再びデッカでピアノ協奏曲第2番をアシュケナージと録音しますが、第1番のときはコンセルトヘボウ管でした。このあたりの一貫性のなさは、理由がよくわかりません。
もっとわからないのは1981年の合唱曲集で、バイエルン放送響・合唱団とオルフェオに録音しているのです。1980年にせっかくコンセルトヘボウ管弦楽団合唱団が設立されているのに、合唱が活躍するこのような曲をウィーンやバイエルンで録音したというのは、どうも不思議な気がします。1988年にウィーン・ウィルとブルックナーの「テ・デウム」を録音した際の合唱にバイエルン放送合唱団を起用しているのも、この謎の一環です。
【演奏者】
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 〔ドイツ・レクイエム、運命の歌、ピアノ協奏曲第2番〕
- ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ) 〔ドイツ・レクイエム、運命の歌〕
- ウラディーミル・アシュケナージ(p)/ロベルト・シャイヴァイン(vc) 〔ピアノ協奏曲第2番〕
- バイエルン放送交響楽団 〔アルト・ラプソディ、埋葬の歌、運命の女神の歌、哀悼の歌〕
- バイエルン放送合唱団(合唱指揮:ゴルドン・ケンバー) 〔アルト・ラプソディ、埋葬の歌、運命の女神の歌、哀悼の歌〕
- グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)/トム・クラウゼ(T) 〔ドイツ・レクイエム〕
アルフレーダ・ホジソン(A) 〔アルト・ラプソディ〕【レコーディング・リスト】(録音順)
- ドイツ・レクイエムOp.45 1980.3.28-4.3. Philips
- 運命の歌Op.54 1980.3.28-4.3. Philips
- アルト・ラプソディOp.53 1981.11.23-27. Orfeo
- 埋葬の歌Op.13 1981.11.23-27. Orfeo
- 運命の女神の歌Op.89 1981.11.23-27. Orfeo
- 哀悼の歌Op.82 1981.11.23-27. Orfeo
- ピアノ協奏曲第2番変ホ長調Op.83 1982.10. Decca
【国内盤初出】(< >内は発売年月、すべてLP)
- ドイツ・レクイエム+運命の歌 日本フォノグラム 28PC7-8 <1981.8.>
- アルト・ラプソディ+埋葬の歌+運命の女神の歌+哀悼の歌 日本フォノグラム 28PC1821 <1984.2.>
- ピアノ協奏曲第2番 ロンドン L28C1717 <1984.4.>
3.ボストン響 (1990年代)
1990年になると、ハイティンクは20年ぶりにブラームスの交響曲全集に取りかかります。すでに彼はウィーン・フィルとブルックナー、ベルリン・フィルとマーラーの再録音を進めていましたが、ブラームス・チクルスにはボストン響が選ばれました。この時点でウィーン・フィルは1989年からジュリーニと、ベルリン・フィルは1988年からアバードと、ブラームスの交響曲全集をいずれもDGに録音している最中だったため、この両オーケストラを避けたのかもしれません。一方その頃ボストン響の小澤征爾はといえば、サイトウ・キネン管とブラームスの交響曲を録音しているところでした。
ハイティンクのブルックナーとマーラーは新全集完成には至りませんでしたが、ブラームスは無事に全曲が録音され、ハイティンクとしてはベートーヴェンに次いで、交響曲全集の再録音を達成したことになります。そしてフィリップスにとっても、1988〜1989年のムーティ指揮フィラデルフィア管、前述した1989〜1991年の小澤指揮サイトウ・キネン管に次いで、同時期に録音された三つ目のブラームス交響曲全集となったのでした。ちなみにデッカでは、1987〜1991年にシャイーがコンセルトヘボウ管と、1990〜1992年にアシュケナージがクリーヴランド管と、全集を録音しています。他社でもこれらと前後して、デイヴィスやバレンボイム、ヴァントにサヴァリッシュらが録音しており、ちょっとしたブラ全ラッシュでした。
さて、ハイティンクとボストン響ですが、録音では1989年のラヴェルの「ダフニスとクロエ」が第一弾だったようです。その次がこのブラームスで、翌1990年から1994年にかけて録音されています。CDは一枚ずつ発売され、それぞれに小曲がフィル・アップされましたが、定番の「大学祝典序曲」はなぜか選ばれず、バイエルン放送響との録音があった「アルト・ラプソディ」と「哀悼の歌」が再録音されました。
第2番の録音には四日間が費やされており、いまどきずいぶん丁寧なことをしているようですが、ライナーノートによるとこの四日間はハイティンクがボストン響の演奏会を指揮していたとのことで、計4回のコンサートの合間を縫ってフィリップスによるスタジオ・セッションが組まれていたわけです。その演奏会のプログラムにはもちろん第2番が入っており、リハーサル等の準備をコンサートと兼用しつつ音楽的充実度を高めることのできる、効率的な録音方法なのでした。
このあと、ハイティンクとボストン響のブラームス・チクルスは、一曲だけですが別の会社で継続されています。ソニー・クラシカルに録音されたピアノ協奏曲第2番がそれで、独奏はアックス。第1番の録音はなく、単発の企画だったようでして、経緯は不明です。ジャケットでは、ハイティンクがアックスを押しのけるようにして前面に出ており、なかなか印象的なものとなっています。なおアックスは第1番を、この14年も前の1983年にレヴァイン指揮シカゴ響とRCAで録音していました。
【演奏者】
- ボストン交響楽団
- エマニュエル・アックス(p) 〔ピアノ協奏曲第2番〕
- タングルウッド音楽祭合唱団(合唱指揮:ジョン・オリヴァー) 〔アルト・ラプソディ、哀悼の歌〕
- ヤルド・ヴァン・ネス(A) 〔アルト・ラプソディ〕
【レコーディング・リスト】(録音順)
- 交響曲第2番ニ長調Op.73 1990.3.31-4.3. Philips
- 悲劇的序曲Op.81 1990.3.31-4.3. Philips
- 交響曲第4番ホ短調Op.98 1992.4.25,27,5.1. Philips
- ハイドンの主題による変奏曲Op.56a 1992.4.25,27,5.1. Philips
- 交響曲第3番ヘ長調Op.90 1993.3.15,20,22. Philips
- アルト・ラプソディOp.53 1993.3.15,20,22. Philips
- 交響曲第1番ハ短調Op.68 1994.4.23,25,30. Philips
- 哀悼の歌(悲歌)Op.82 1994.4.23,25,30. Philips
- ピアノ協奏曲第2番変ホ長調Op.83 1997.4.19,21. Sony Classical
【国内盤初出】(< >内は発売年月、すべてCD)
- 交響曲第2番+悲劇的序曲 日本フォノグラム PHCP5032 <1992.6.>
- 交響曲第4番+ハイドンの主題による変奏曲 日本フォノグラム PHCP5235 <1994.4.>
- 交響曲第3番+アルト・ラプソディ 日本フォノグラム PHCP5275 <1994.10.>
- 交響曲第1番+哀悼の歌 ポリグラム PHCP5381 <1996.12>
- 交響曲全集(上記4枚のセット) ポリグラム PHCP11063-6 <1997.11>
- ピアノ協奏曲第2番 ソニー・ミュージック・エンタテインメント SRCR414 <1999.8.>
(ピアノ協奏曲第2番の余白には、ヨーヨーマとのチェロ・ソナタがフィルアップ)4.まとめ
では最後に、以上の録音を曲目別にまとめ直してみましょう。かなりの数にのぼります。
・交響曲第1番
1. 1972.12. コンセルトヘボウ管
2. 1994.4. ボストン響・交響曲第2番
1. 1973.6. コンセルトヘボウ管
2. 1990.3-4. ボストン響・交響曲第3番
1. 1970.5. コンセルトヘボウ管
2. 1993.3. ボストン響・交響曲第4番
1. 1972.6. コンセルトヘボウ管
2. 1992.4-5. ボストン響・セレナード第1番ニ長調
1. 1976.7. コンセルトヘボウ管・セレナード第2番イ長調
1. 1980.10. コンセルトヘボウ管・ハイドンの主題による変奏曲
1. 1973.6. コンセルトヘボウ管
2. 1992.4-5. ボストン響・大学祝典序曲
1. 1972.6. コンセルトヘボウ管・悲劇的序曲
1. 1970.5. コンセルトヘボウ管
2. 1990.3-4. ボストン響・ハンガリー舞曲集第1番〜第10番
1. 1980.10. コンセルトヘボウ管・ピアノ協奏曲第1番
1. 1969.10. コンセルトヘボウ管(アラウ)
2. 1973.8.(Video) コンセルトヘボウ管(ルービンシュタイン)
3. 1981.5. コンセルトヘボウ管(アシュケナージ)・ピアノ協奏曲第2番
1. 1969.10. コンセルトヘボウ管(アラウ)
2. 1973.12. コンセルトヘボウ管(ブレンデル)
3. 1982.10. ウィーン・フィル(アシュケナージ)
4. 1997.4. ボストン響(アックス)・ヴァイオリン協奏曲
1. 1973.4. コンセルトヘボウ管(シェリング)
2. 1973.9. コンセルトヘボウ管(クレバース)・ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
1. 1970.9. コンセルトヘボウ管(シェリング,シュタルケル)
2. 1979.6. コンセルトヘボウ管(パールマン,ロストロポーヴィチ)・ドイツ・レクイエム
1. 1980.3. ウィーン・フィル・アルト・ラプソディ
1. 1981.11. バイエルン放送交響楽団
2. 1993.3. ボストン響・哀悼の歌
1. 1981.11. バイエルン放送交響楽団
2. 1994.4. ボストン響・運命の歌
1. 1980.3-4. ウィーン・フィル・運命の女神の歌
1. 1981.11. バイエルン放送交響楽団・埋葬の歌
1. 1981.11. バイエルン放送交響楽団なおハイティンクは、2003年7月に日本でスーパーワールドオーケストラを指揮することになっていますが、チョンを迎えるヴァイオリン協奏曲及び交響曲第1番というブラームス・プログラムが予定されています。
(2003年4月30日、An die MusikクラシックCD試聴記)