ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日公演2006

2006年11月25日(土) 17:00
京都コンサートホール 大ホール

文:青木さん

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ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:マリス・ヤンソンス

 

■ 演目

2006年来日公演プログラム

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

アンコール

  • ブラームス:ハンガリー舞曲第6番
  • ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第15番(第2集Op.72〜第7番)
 

■ はじめに

 

 ヘボウ2年ぶりの来日。前回は2公演を聴きましたが、インターネットを通じて予約したチケットはどちらも前から4列目で、臨場感こそあったものの管楽器や打楽器の奏者がほとんど見えない席でした。今回は自分で座席を選ぶべくプレイガイドへ。座席表で示された残席の中に、ステージ背後(オルガン下)の最前列が残っています。1年前にオラモ指揮フィンランド放送響を聴いたときとほぼ同じ位置で、ここはかなり特殊な席。もっとノーマルな席にすべきか・・・でも「新世界」は別の会場でも聴く予定だからこの日は特殊でもいいのではないか・・・ここなら「ステージを一望」と「ステージ間近の臨場感」とが両立するし、指揮者の表情もよく見えるうえ、B席なので12,000円と安価。

 というわけでこの席にしました。ですので今回はいつも以上に超主観的な感想文となってしまい、演奏評という観点からはまったくレポートの態をなしておりませんが、ご容赦を。

 

■ 前半

 

 大名曲「新世界より」は各種のCDで耳タコ状態だけに、後方で聴くことによる特殊なバランスが際立ちました。金管と打楽器がやたらと大きく聴こえ、木管もくっきり。しかし恐るべきことに、それは不自然な突出ではなく、ちゃんと全体の中に溶け合っている。これは衝撃でした。ほぼ同じ位置で聴いたフィンランド放送響は音がバラバラでブレンド感がなく、最後まで違和感をぬぐえなかったのですが、まったく大違いです。そしてティンパニを間近に聴いたことで、赤銅色の古風な本体に黒っぽい本革を張ったこの楽器がコンセルトヘボウ・サウンドの要であることを、改めて認識しました。音が大きくても耳障りなうるささはなく、安っぽい響きとも無縁、深みと重みのある素晴らしい音色です。木管群の濃い音彩もたっぷりと楽しめました。

 演奏の方はどういえばいいのか、音響面の衝撃に慣れてくると少し眠気を覚える場面もあったりして、まあ標準レベルの熱演という印象でしたが、普通の席で聴けば別の感想も持てたかもしれません。

 

■ 後半

 

 拡大された編成によって舞台上は大混雑といった態で、前半は見えていたティンパニも後方に追いやられ、打楽器群のほとんどが死角に入ってしまいました。この最前列の席は舞台上に少し張り出しているようで、大太鼓の轟音が真下から聴こえます。いや、音だけでなく振動がはっきり体に伝わってきて、臨場感満点。全合奏ともなると耳をつんざく凄まじい音量となり、ほとんどロックのライヴをスピーカーの前で聴くようなド迫力。「春の祭典」のバーバリズムを文字どおり体感できました。しかもそれが他ならぬコンセルトヘボウ・サウンドなのですから、もうたまりません。8本のホルンのぶ厚い咆哮も、ティンパニの轟きも、木管やピッコロ・トランペットの鋭い吹奏も、すべて直接音としてダイレクトに耳に飛び込んでくるのです。この圧倒的な体験に、何度も鳥肌が立ちました。この席を選んで大正解です。

 ヤンソンスの表情豊かな指揮ぶりも、真正面から見るとなかなかの迫力。実に雄弁でエネルギッシュ。一部、二部とも幕切れの鮮やかさは、ピタリと決まった彼のアクションとの相乗効果で、大いに印象的なものとなりました。

 

■ アンコール

 

 満席の観衆の拍手に応えてアンコールで演奏された二曲の舞曲では、出番がなくなった特殊楽器の奏者たちが楽しんで聴いている様子が伺えます。演奏に参加しなかった彼らは曲が終わった直後に楽団員が立ち上がるとき着席したままだということも、後ろから見ているとよくわかり、なんとなくユーモラス。  なおこの席からは楽譜台にあらかじめ置かれていた楽譜が丸見えで、アンコール曲がネタバレ状態でした。これも余談ですが、終演後に出口で掲示されたアンコール曲名には「バルトーク 中国の不思議な役人」とかなんとか書かれておりまして、どちらかというとそれを聴きたかったでス。

 

■ おわりに

 

 前から4番目などという席からは見えないような団員の仕草が、今回は手に取るようにわかり、彼らの人間的側面に触れたような気がして、コンセルトヘボウ管弦楽団がグッと身近な存在に感じられました。これが最大の収穫です。第一トランペット(ちなみに楽譜台の表記は”TROMPET 1”)のピーター・マセウスに自分の椅子のクッションを差し出す若いトロンボーン奏者…楽器を持ち替えたり譜面台にミュートを置いて準備をするタイミング…粗悪なコピー紙のようで意外と質素な感じの楽譜…客席にいるらしい知り合いとのアイ・コンタクト…曲が終わった直後、技術的な確認をするかのように隣の奏者に話しかける様子…。

 そしていつも以上に実感したことは、人種も世代も多種多様な音楽家たちが一つの楽器のように同質感のある合奏美を繰りひろげるこのオーケストラの、組織体としての不思議さです。たとえば、「春の祭典」の第二ファゴットの女性は、両隣の奏者の肩ほども背丈がなく大きな楽器が不似合いにさえ思えるほど小柄な人でした。まるで学生のように見えた若い彼女も、伝統と実力を誇るロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の一員なのです。その真後ろに座る御大マセウスは彼女の祖父のような年齢ですが、やはり一員。弦楽セクションに何名も顔が見えた日本人女性たちも、あのバイノンも、ピオラのトップの波木井氏も、入団してまだ間がないコンマス氏も、みな同様にコンセルトヘボウの構成員であり、彼らが合奏をするとあの「コンセルトヘボウ・サウンド」が現出する…。実に興味深いことに思えるのです。

 そういえば、自主制作CDのブックレットやツアーパンフレット(p.17)などで使われている最新の集合写真は、コンセルトヘボウ大ホール客席に勢ぞろいした笑顔の楽団員を2階バルコニーから捉えたものですが、こういうものが公式ポートレートになっているのもちょっとユニーク。音の面でのまとまりのよさをアピールしているかのよう。ちなみに件のファゴット奏者はヤンソンス氏の左後ろに写っております。

 

(2006年11月28日、An die MusikクラシックCD試聴記)