コンセルトヘボウ管来日公演
2004年11月7日

(文:青木さん)

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2004年日本公演プログラム

11月7日(日) 14:00〜16:10 サントリーホール

〔前半〕

  • ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 op.36

〔後半〕

  • R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 op.40

〔アンコール〕

  • ハイドン:セレナーデ
  • R.シュトラウス:「バラの騎士」組曲抜粋

マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
コンサートマスター(ヴァイオリン独奏):アレクサンダー・ケール

 

■ ベートーヴェン 交響曲第2番

 

 オーケストラの音色、技術、表現力、合奏力などを堪能できた演奏でした。指揮者ヤンソンスがどういうベートーヴェンを聴かせたかったのかは正直よく分かりません。しかし、歴史に残る画期的名演奏などを期待していたわけでもなかったため、個人的には満足のいくものでした。

 過去の巨匠指揮者たちの録音と比べたりしても無意味ですので、前回(二年前)の来日公演で聴いたシャイー指揮の第7番と比較してみましょう。編成は今回の第2番が約50名、前回の第7番が約80名。内容や作曲時期の違い等を加味しても、ずいぶん差があります。もし後ろの方の席で聴いていたとしたら「50人では響きが薄い、やはりベートーヴェンは大きめの編成で・・・」などと感じたかもしれません。しかしこの日のワタシの席は1階4列目という場所だったので音量上の不満はなく、小編成としたことの是非は判断できませんでした。シャイーの第7番で聴かれたような暖かくグラマラスな響きもさほど感じられませんでしたが、これは人数の差だけでなく座席位置の関係で今回は間接音があまり届いてこなかったためだと思います。メリハリをはっきりさせた、キビキビして筋肉質の演奏に聴こえました。

 しかし大きな傾向としては、シャイーとヤンソンスのベートーヴェンには共通するものが感じられます。コンセルトヘボウ管に自分の解釈を押し付けて締め付けたりせず、かなり自主的に合奏させていた、という点です。冒頭で書いたようにオーケストラの魅力が充分に伝わってきたのはそのせいでしょう。ヤンソンスの明快な指揮ぶりは自発性を促しているように感じられましたし、その指揮をストップしてしまう箇所さえあったほどです。また弦の奏者が互いの音を聴き合っているらしい様子がしばしば見られました。ワタシの位置からは姿の見えなかった管もその弦にうまく溶け込むことを意識して演奏していたと思われ、舞台に近すぎる席で聴いたにもかかわらず、音のバランスは見事なものでした。それはカペレのときにも感じた、〔まるで全体が一つの楽器のような〕一体感と同質性です。

 かつて朝比奈隆が指揮する大阪フィルの実演でこの第2番を聴いたとき、トランペットの音がやたらと突出して聴こえたのには興ざめでした。ベートーヴェン初期の交響曲はトランペットのパートが中期の曲に比べると単純に書かれているようでして、その合いの手のようなフレーズが必要以上に目立ってしまうと実にマヌケなのです。今回はそのときよりもずっと弦が少ないのに、まろやかな管は突出することなくその弦にきれいに溶け合って、手触りのよさそうな質感のある響きを奏でている。そこに重心が深く芯のある音色のティンパニが打ち込まれ、全体が引き締められる・・・まさにこれがコンセルトヘボウ・サウンドです。それを充分に味わえたベートーヴェンでした。

 

■ R.シュトラウス「英雄の生涯」

 

 休憩の間にDVDを購入したりしてホールに戻ると、既にステージに並び終わっているオーケストラはすごい大編成に拡大されていました。前半が約50名の古典派シンフォニーで後半は倍の人数の「英雄の生涯」という構成は、5月に名古屋で聴いたハイティンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏会とまったく同じです。しかし演奏の内容は、当然ながらかなり異なったものでした。ハイティンクの〔余裕を感じさせる安定感と恰幅のよさ〕とは違って、今回の「英雄の生涯」は〔ダイナミックかつスリリングな熱演〕タイプ。眼前のチェロやコントラバスの奏者がかなり必死な様子で力演しており、すごいライヴ感が伝わってきます。

 その中でたとえばホルン・セクションが大きな音で朗々と鳴り響いても、全体のバランスは崩れません。ソロになるとかなり鋭い音で目立ったフルートなども、合奏の一員となる部分ではちゃんとその役割に戻る。考えてみればあたりまえのことなのでしょうが、それを実践できていない演奏をたくさん聴いてきただけに、高度な技術と魅力的な音色でもってコクのあるそのブレンド感を達成していくこのオーケストラの表現力には、今回もほとほと感心し魅了させられました。

 とはいえかなりの力演だったせいかどうか、つんのめり気味に感じられた箇所やささいなミスもありましたが、全体の興を削ぐほどではありません。ただコンマスのケール氏は、「英雄の伴侶」のソロでちょっとだけ音を外してしまったのを自己批判していたのか、終わった後で脱力気味な様子を一瞬見せておりましたが。しかし曲が進むにつれて全体の集中力も強まっていき、最後の「英雄の引退と完成」の冒頭めくるめくようなオーケストレーションが炸裂する箇所では、ブリリアントな音響がフルパワーで鳴り響きます。その後の展開を経ていよいよコーダを迎え、長く伸ばされた最後の一音が消えても、ヤンソンスの棒は下りません。実際にはほんの一瞬だったのでしょうが、拍手とブラボーが沸き起こるまでには確かな静寂の間が。これも当然こうあるべきことながら、客席からの無神経なフライングでブチ壊しにされる例も多々体験してきたワタシには、最後まで満足のできたコンサートとなったのでした。

 

■ アンコール

 

 いや、これで終わりではありません。盛大な拍手に応えて、アンコールが演奏されました。しかしその曲は「ハイドンのセレナード」という、あまりにも意表を衝かれる曲です。もちろん弦だけの演奏ながら、大曲「英雄の生涯」のフル編成の弦が全員で弾いている光景は、ユーモラスでさえありました。もちろん彼らも、それを承知でやっていたのでしょう。ヤンソンスも多くの奏者も、にこやかな笑みを浮かべています。席からは見えませんでしたが、きっと管楽器や打楽器の奏者たちも楽しげに見守っていたのではないでしょうか。演奏は、そのような大編成にもかかわらずかなり繊細な印象で、底知れない表現力の多様性がアピールされていたかのようでした。

 この意外なサーヴィスにまたまた場内は大拍手。さすがにこれで終わりはしないだろう、という観客の期待もあったのでしょうが、彼らはそれに応え、二曲目のアンコールです。プログラムに掲載されていたルツェルンでのレポートにも書いてあったので予想できたのですが、「バラの騎士」組曲の抜粋でした。ハイドンとはうって変わって、湧き上がるような昂揚感に溢れたパワー全開の演奏で、ラストはヤンソンスのジャンプまがいの大アクションで締めくくられて、実に鮮やかな幕切れとなりました。

 その後も拍手とブラボーは長々と続き、団員がステージを降りはじめてもそれは止まず、観客の一部がステージの周りに集まり始めます。それに応えてもう一度ヤンソンスが登場し、とても嬉しそうな様子で去っていきました。

 ステージに席が近かったため、演奏が終わった後の団員の様子を間近で観察できたわけですが、概ね満足げな表情でした。演奏中の指揮者と奏者のアイ・コンタクトもしばしば確認できましたし、終演後にヤンソンスが舞台に戻ってくるたびに笑顔を輝かせる女性奏者もいたりして、この新しいコンビの関係がうまくいっているらしいことが窺えます。今後への期待も持つことができたコンサートでした。

 

■ 座席位置のこと

 

 演奏会そのものの感想はここまでです。どうも散漫なものになってしまって読みづらかったと思いますので、もうこの後は飛ばしていただいて結構なのですが、伊東さんも言及しておられた「ホールの座席位置」について、個人的な思いを少しまとめさせていただきます。

 今回のワタシの席は前述のように1階4列目、しかもかなり右寄りの位置でした。前半のベートーヴェンでは奏者全員が自分よりも左に集まっていたのでせっかくの対向配置による掛け合いも体験できず、また後半も含めて管楽器や打楽器の奏者の姿がほとんど見えないなど、演奏の間は正直いくつかの不満もありました。その代わり、なにしろ指揮者や奏者たちがすぐ目の前にいるわけですので、「あ、あのコンセルトヘボウがこんなに近くに!」とまずはミーハー的に盛り上がります。次に、自分とほぼ同じ高さの至近距離で演奏が展開されるため、ホールの空間の広大さにもかかわらず自席とステージとの一体感が強くなります。つまり、上の階から見下ろしているのとはまるで異なる臨場感があるわけですが、後々まで記憶に残るものはワタシの場合この「臨場感」であることが多いのです。

 以前にザ・シンフォニーホールの最前列で聴いたフランス国立リヨン管のコンサートもそうでした。今回と違って音のバランスはひどいものでしたし、コンセルトヘボウ管の魅力には到底及ばない演奏だったにもかかわらず、全体としてはたいへん印象に残っています。眼前で展開される「ボレロ」など、奏者たちの緊張感までもがダイレクトに伝わってくるようで、単に音楽を聴くだけに留まらない「強烈な体験」だったのです。ブダペスト祝祭管などもそれに近いケースでした。

 結局のところ、演奏会になにを期待するかによって、席のよしあしは変わってきます。CDを聴くようなバランスでトータルの音響を楽しみたい場合、個々の楽器の直接音を聴きたい場合、指揮者の表情や奏者の仕草を見たい場合。ステージ全体を見渡したいのかできるだけ接近して臨場感を体験したいのか。すべての要求を同時に満たす席などありませんから、「こういう場合はこの席がいい」という評価しかありえません。ただサントリーホールは、ワインヤード形式でいろいろな条件の席があることと、どの席でもある一定水準の条件が達成されている(らしい)ことで、ホールとしての総合評価が高いということなのでしょう。

 問題は、観客側にその座席の選択権が与えられているかどうかという点です。今回ワタシは、招聘元のインターネット予約システムを利用しました。東京公演のチケットを大阪で買う場合、座席表を備えていないプレイガイドでは座席の選択がしにくく、直接ホールに電話をして予約すればちゃんと対応してもらえるのですが、そのインターネット予約システムが一般発売より前の〔先行予約〕だったので、少しでも条件のよい席を押さえられるはずだ・・・と単純に考えたのです。その結果が4列目右寄りでした。もしかすると招聘元は「できるだけ前のほうがいい席に違いない」と本気で考えてわざわざ割り当ててくださったのかもしれません。現にワタシは2階席よりもよかったと思っているほどですが、前述のように価値観は人それぞれです。ある程度の選択権があるような予約システムに改善すべきでしょう。

 

■ 選曲のこと

 

ベートーヴェンの交響曲第2番は、もちろん内容充実した名曲ではあるものの、彼の9曲の交響曲の中ではもっとも地味な印象の曲といえるでしょう。それにヤンソンスの十八番というわけでもなさそうなのに、なぜこの曲を日本公演の冒頭3日間、続けて採り上げたのでしょうか。

 この3回の演奏会の後半で演奏された曲は、いずれもコンセルトヘボウ管に縁の深い作品でした。ブラームスの交響曲は歴代の首席指揮者たちがそろって全集の録音をしているほかにライヴ録音の類がかなり多いことからも主要レパートリーといえますし、「英雄の生涯」に至ってはメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管に献呈されたという由緒正しき曲。まさにヤンソンスとコンセルトヘボウ管の新コンビの日本お披露目にふさわしい選曲がなされたかのようです。

 そう考えるとベートーヴェンの第2番も、ベイヌムとコンセルトヘボウ管が唯一スタジオ録音したベートーヴェン交響曲であり、世界9大楽団を振り分けたクーベリックのベートーヴェン交響曲全集でコンセルトヘボウ管に選ばれた曲であるという事実を、ヤンソンスは意識していたように思われるのです。オランダ人ではないヤンソンスがある時点までは我々と同様に「録音」主体でコンセルトヘボウに馴染んできた、とすればのことですが。

 

■ DVDのこと

 

 会場では、9月4日のヤンソンス就任記念演奏会を収録した「英雄の生涯」のDVDビデオが売られていました。コンセルトヘボウ自主制作のものです。大阪のショップにはいつ並ぶのかわからなかったので、ここで買いました。同じ演奏家によるたった二ヵ月前のコンサート映像を、同じ曲目の来日公演の場で4000円未満で買うことができる…よい時代になったものです。

 ヤンソンス登場場面から何度目かのカーテンコールまでがたっぷり収録されていて、団員の顔ぶれはちょっとだけ違いますが、演奏内容も含めて今回の来日公演を追体験するには充分な内容です。ワタシの場合は、会場で実感した臨場感とマルチカメラの映像に捉えられた全体像とがうまく補完し合い、やはり前方の席でよかったという結果となりました。ありがたいことです。

 

(2004年11月9日、An die MusikクラシックCD試聴記)