コンセルトヘボウ管来日公演
2004年11月13日(文:青木さん)
11月13日(土) 17:00〜19:10 京都コンサートホール大ホール
〔前半〕
- ストラヴィンスキー:バレエ音楽 「ペトルーシュカ」(1947年版)
〔後半〕
- チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 「悲愴」
〔アンコール〕
- シベリウス:悲しきワルツ
- ワーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲
マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
コンサートマスター:アレクサンダー・ケール■ ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ
この日と同じプログラムは、前日と前々日に東京のNHKホールでも演奏されました。そのうち前日の公演がFMで生中継されたので、聴かれた方も多いと思います。ワタシもこの日の京都公演から帰った後、録音しておいたその放送を聴きました。楽器のバランスが少し妙だったのはおそらく放送録音上の技術的制約とホールの音響特性によるものですが(京都での実演は完璧なバランスでした)、演奏そのもののユニークさは実際の通りです。フレージングにダイナミズム、リズムやアクセントの取り方などいろいろな面で変わった「ペトルーシュカ」でした。これが本場ロシア風?なのかヤンソンス自身の音楽性なのか、バレエ音楽ということを特に意識した結果なのか、よく分かりません。
しかしそんなことはもうどうでもよくなるほど、オーケストラの魅力が最大限に発揮された演奏だったので、ワタシはすっかり満足しました。何度も鳥肌が立ったり思わずニヤけたりしたことを覚えています。特に木管群の美しい音色と抜群の雄弁さは、ほとんど悶絶ものでした。これはもう単に演奏技術や表現力が優れているという次元ではありません。フィリップスやデッカの録音でもちょっと聴けないほどの素晴らしさであり、言うなれば「あまりに透徹しきっているのでマイクに入り切らない」…某評論家お得意の迷フレーズをまさか自分が使いたくなるとは…。
金管群の個性も全開です。シャープに鳴り渡る痛快さはなく特別滑らかなわけでもありません。しかし、やや燻ったような独特のその音色にはなんともいえない質感と風格があって、ほんとうに美しくユニークなサウンドです。曲が曲だけに、賑やかな部分ではもうちょっと突出してほしい箇所もあったものの、これは贅沢な望みというものでしょう。
これらの管楽器がシルキーな弦楽器とブレンドされ、えも言われぬ合奏美が生まれます。表面はきめ細かく柔らかい手触りなのに、しっかりとした芯というか核が感じられ、手ごたえのある密実な響き。リズムが少々バタバタしていたり節回しが唐突に粘っこくなったり、不思議な味わいの演奏ではありましたが、とにかくコンセルトヘボウ・サウンドの洪水に溺れることのできた、至福の「ペトルーシュカ」でした。
■ 休憩
さて、ワタシの席はまたもや1階の前から4列目。しかし今回はほぼ中央(正面がコンマス)でしたし、フルートのバイノンなど弦以外の奏者も一部見えるなど、サントリーホールよりは好条件でした。以前にこのホールに来たときの印象では後ろの席でもさほど残響が豊かには感じられなかったので、間接音の少なさもあまりデメリットにならなかったとすれば、音のバランスと臨場感が両立する絶好の席だったと思います。ただし、7日(あるいは2年前)のコンサートに比べるとティンパニの音色の魅力が少し劣って聴こえました。
定員1833名の客席に空きはわずかに散見される程度でほぼ満席。京都という場所柄のせいか着物姿の女性も何人かいましたし、白を基調にきらびやかな照明装置が印象的なホール内装とあいまって、明るく華やかな雰囲気のコンサートでした。
■ チャイコフスキー:悲愴
後半のこの作品は、前半のように音色の魅力だけでも満足できるような曲とは違うので少々不安でしたが、その予感は的中してしまい、個人的にはあまり感動できない結果となりました。深みや凄みなど、心に訴えてくるような手ごたえに乏しく、オーケストラの美音と熱演も空転気味に感じられたのです。特にもの足りなく感じたものは、ずっしりとした重量感でした。
この曲に殊更それを求めてしまうのはワタシの勝手なわがままなのかもしれませんが、異常なまでに深みがあり密度の濃い重量感が説得力を持っているハイティンクのフィリップス盤をあまりに愛聴しすぎたのが悪かったのでしょう。7日のベートーヴェンのように、白紙の気分で臨むべきでした。このオーケストラがシャイー時代にその重厚さを少々失ってしまったのは事実のようですし、ヤンソンスとハイティンクは別人ですので、ないものねだりをしても仕方ないのです。あるいは事前にもっとヤンソンスのCDを聴いて、彼の個性をもう少し把握しておいたほうがよかったのかもしれません。
そのことを別にすればもちろん悪い演奏というわけではなく、むしろ客観的には「好演」というべきでしょう。やや辛口の雰囲気で全体がしっかりコントロールされていましたし、技術面の安定感もさすがの完成度。第1楽章で管と弦がめまぐるしく掛け合いをする部分などはやはり鳥肌ものだったことを書き添えておきます。
■ アンコール
「悲愴」のラストでヤンソンスがまだ棒を振り下ろしていないのに、音が消えると同時に観客の一部が拍手を始めてしまいました。それでもヤンソンスは微動だにせず、中途半端なその拍手が鳴り止んでさらに無音の静寂が何秒か続き、ようやく指揮棒が下ろされて改めて拍手が起こる…という、余韻に欠けた妙な幕切れとなってしまったのは残念です。ブラボーのフライングがなかったのは不幸中の幸いというべきでしょうか。しかしながら、演奏が終わった後のその拍手とブラボーの声は盛大なもので、彼らはアンコールでそれに応えます。
その曲が「悲しきワルツ」というのは、シベリウスを得意とする指揮者が「悲愴」の後に演奏する曲としては、これしかないと思わせるほどの絶妙な選曲だと思いました。でもワタシはこの曲を、デイヴィスとボストン響によるフィリップス盤のゆったりしたテンポで馴染んでいたため、またしてもその刷り込みが邪魔になり、早いテンポによる演奏の方には違和感が残りました。
そんな不運とは無縁だったと思われる他の観客は大喝采です。何人かの奏者を加えて次に演奏されたのは、凄まじい迫力の「ローエングリン」第3幕への前奏曲。短い曲ながらも弦、金管、木管と次々と見せ場が続き、コンセルトヘボウ・サウンドの嵐です。コーダの部分で棒を振るのを止めたヤンソンスはリズムに身を任せながらエネルギーをじっと貯めているかのようで、それがラストの一振りのアクションで大爆発。後半は不完全燃焼だったワタシもこの曲に至ってふたたび興奮し、満足感をもって会場を後にすることができました。
■ ホールのこと
最後に京都コンサートホールをご紹介。最近の外来オケは大阪をパスして京都のこのホールで公演を行うことが多いのですが(コンセルトヘボウ管は初登場)、音響の美しさでは大阪のザ・シンフォニーホールのほうが優れていると個人的には思います。しかし、世界的な建築家である磯崎新の設計ということで、建築界では有名な物件です。京都駅ビルなどと同様に平安建都1200年記念事業の一環として建設され、1995年にオープンしました。
写真1 立地は洛北(中心市街地の北側)に位置する北山通りの少し南。地下鉄北山駅からすぐの場所ですが、敷地の西側は府立植物園、南側は府立大学農学部の農場というのどかな環境です〔写真1〕。
写真2 前面道路から奥の方にアプローチ通路が引き込まれ、これに面してエントランスがあります〔写真2〕。2階のガラス張りの部分がホワイエ。
写真3 この左側(道路寄り)には円筒形のボリュームが立っています〔写真3〕。その1階には外部からも入れるレストランがあります。今日はオランダの国旗が掲げられているな、と一瞬思いましたが、トリコロールの向きが違いますね。これはフランス国旗です。レストランがフランス料理店なのでした。
写真4 道路側は磯崎らしい特徴的な曲線を用いたデザイン〔写真4〕。楽屋口はこの面にあり、その前には団員を乗せてきたバスと楽器類を積んできたらしいトラックが駐車していました〔写真5,6〕。バスはこの後ろにもあと二台停まっています。楽屋口の外では団員が談笑していました。
写真5
写真6
写真7 そろそろ中に入りましょう。ホワイエの下部の入口から入った観客は、さきほどの円筒形のほうに向かいます。上部が小ホールになっているこの円筒は、1階と2階が吹き抜けの空間で、床面はこれも磯崎が多用する幾何学模様、壁沿いは螺旋形のスロープになっています〔写真7〕。ここを歩いて2階レベルのホワイエに至るわけですが、道路からホワイエまでかなりジグザグに行ったり来たり引き回されるこのアプローチによって、観客の心を日常世界から非日常へと移行させる演出がなされているわけです。終演後に帰宅を急ぐ観客にとってはまだるっこしいものとなりますが。
ホワイエは前述の通りガラス張りで、吹き抜けで天井が高く自然光がふんだんに入ります。開放的で気持ちのいい空間であり、さらに平面的にもかなりゆったりしています。今回は開演の1時間前に開場されたものの、リハーサル中ということでしばらく大ホール内部には入れなかったのですが、それでもホワイエが広いので大混雑はしませんでした。ホワイエとホール内部は写真を撮れませんでしたので、興味のある方はホールのサイト等をご覧ください。
大ホールはシューボックス型で、バルコニー席はステージの真横まで伸びています。ステージの背後にも座席があり、その上部は非対称形のデザイン。90ストップのパイプオルガンは右寄りに据えつけられ、余った左側には特別席と思しき小バルコニーが斜めに取り付いていて、アクセントになっています。音響面については、音響設計を請け負った会社のサイトにアップされている過去のニュースレターに詳しくレポート(その1、その2)されており、音楽関係者らの談話も掲載されています。
このホールの設計上の問題点が、終演後に明らかになりました。2階のホワイエレベルにトイレがないため、出口へ向かおうと2階に上る1階席の客と、1階のトイレに寄ろうとする2階席の客とが、狭い階段でバッティングしてしまうことです。空間演出のセンスはさすがですが、基本的な機能面がおろそかになっているのはいただけません。
写真8 その混雑を抜けて螺旋スロープを下り、エントランスから出て振り返ると、ファサードは日中とはまったく違った表情です〔写真8〕。そのまま道路に出ると、早くも団員がバスに乗り込みつつあり、ヤンソンスを待とうとするらしいファンが集まり始めていました。
(2004年11月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)