近くて遠いドイツとオランダ ― ドイツ・グラモフォンのコンセルトヘボウ録音を聴く
(文:青木さん)
「ドイツ・グラモフォン111周年記念コレクターズ・エディション」なるボックス・セットが輸入されています。DGを代表する超有名盤が、オリジナル・ジャケットを印刷したペーパースリーヴに一枚ずつ入れられてずらり並んだ55枚組!で10,000円前後!という激安プライス。同一演奏家や同一作曲家の集大成廉価セットには興味を持てないワタシも、さすがにこれは誘惑に勝てず、購入してしまいました。
LP時代からおなじみのジャケットが大半を占め、最近の話題盤も含めた全51タイトルを、わずかLP4枚分の価格で一気に入手できた満足感。デッカやフィリップスと違ってDG盤はふだんほとんど買わないので、手持ちとのダブリは1割程度でした。ふだん聴かないジャンルも多く、一枚ずつじっくり聴き進めるのがまた楽しい。世間がザ・ビートルズのリマスター・ボックスで盛り上がっているとき、こちらはそのビートルズのベスト盤「1」のジャケットを模したデザインのこのDG-BOXに耽っているという次第。
で、この中で半分ほどあるオーケストラ物のうち、シュターツカペレ・ドレスデンとシカゴ交響楽団の出番は伴奏で一〜二曲だけ、コンセルトヘボウ管弦楽団に至ってはまったく登場いたしません(涙)。ドイツとオランダが隣り同士にもかかわらず、DGとコンセルトヘボウはなぜか疎遠な間柄なので、これは仕方ないかも。ではその数少ないDGのヘボウ録音を並べてみようというのが、今回の企画です。自主制作や放送録音でない久々の新譜もDGから出たばかりだし。
■ CD1
マーラー
「大地の歌」(アルト、テノール独唱と大オーケストラのための交響曲)
ナン・メリマン(メゾソプラノ)、エルンスト・ヘフリガー(テノール)
オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1963年3-4月 アムステルダムエグゼクティヴ・プロデューサー:エルザ・シラー
レコーディング・プロデューサー:ヴォルフガング・ローゼ
トーンマイスター(バランス・エンジニア):ハインツ・ヴィルドハーゲンドイツ・グラモフォン(国内盤:UCCG3033)
カラヤン指揮コンセルトヘボウ管による1943年9月のセッションがDGから出ていましたが、元はポリドールのようなのでここでは触れません。とすると、ヘボウDG初録音はたぶんこれ。ヨッフムのマーラーは珍しく、商業録音はこれだけでは? ハイティンクと共同で首席指揮者を務めていた時期なので、あえて「マーラー・オケ」のヘボウが起用されたのでしょうか。フィリップスには6年ほど前にベイヌム先生が入れている曲だし。そのベイヌム盤とは、独唱者が二人とも共通。経緯がよく分からない録音です。
ライナーノートでフランツペーター・メスマーは「ヨッフムはスター指揮者として自分を目立たせることはなく、むしろ彼が解釈した作品や背後で演奏する楽団員をアピールした」と述べ、ヴィリ・ライヒの批評における次のような賞賛点を引用しています。
- 第2楽章のオーボエとフルートの、第5楽章のヴァイオリンとピッコロの素晴らしい独奏
- 第3、第4、第6楽章の、とりわけ特定の室内楽パートにおいて発揮されるアウトラインの優れた表現力
こういったことを鵜呑みにし確認することが目的化してしまうのは危険な聴き方だけど傾聴ポイントに加える程度ならよかろう・・・と思いつつ聴いたんですが、やがてそんなことはどうでもよくなってきました。とにかくこのマーラーくささ満点のサウンドにただ浸りながら「あ゛〜」とか「う゛〜」とか唸るだけ、という温泉入浴状態。たまりません。
フィリップスからエンジニアを招いたりしたわけではもちろんなく、このヴィルドハーゲンはDG-BOXでいえばベルリンでクーベリックの「新世界」、ミュンヘンでポリー二のショパン「24の前奏曲」、ワルシャワでリヒテルのラフマニノフP協の録音を担当。そういうスタッフなのにこのサウンドですから、当時のコンセルトヘボウ管の濃ゆい音彩と名技はどえらいレベルにあって、それをヨッフムが最大限に引き出しDG技術陣が細大漏らさず収録した、としか考えられない。貴重な遺産です。こういうのをDG-BOXに収録せんかい! と思ったけど常識的にはやっぱり「カルミナ・ブラーナ」だろうなぁ。
■ CD2
ベートーヴェン
交響曲第2番ニ長調op.36
ラファエル・クーベリック指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1974年2月 アムステルダムエグゼクティヴ・プロデューサー:ルドルフ・ヴェルナー
レコーディング・プロデューサー:ハンス・ヴェーバー
トーンマイスター(バランス・エンジニア):ハインツ・ヴィルドハーゲンドイツ・グラモフォン(国内盤全集:POCG90498-503)
全曲すべて異なるオーケストラを起用した交響曲全集。「ベートーヴェン」「クーベリック」「DG」のいずれにも縁遠そうな珍企画ながら、イロモノキワモノに終わるどころか第一級の作品集に仕立てあげた関係者の御尽力には、マキシマム・リスペクトを捧げたい。シカゴ響が入ってないので「(当時の)世界九大楽団」という表現には抵抗ありますが。
ヘボウの担当は第2番。これはベイヌム先生が唯一スタジオ録音を残した曲、と点において意味ありげなチョイスなんですが、曲想に合っているかどうかは微妙。クーベリックとコンセルトヘボウ管は、この5年前にこの曲(とレオノーレ序曲第3番)の映像作品を制作しているので、その縁かも。国内盤全集のブックレットに掲載されているインタビューで、もし5番がパリ管で田園がボストン響だとしたら異なる結果になるかと訊かれたクーベリックは「その相違はきっと目立つでしょう。(中略)オーケストラのプレイヤーたちもその作品について個人的なアプローチをもっています」と回答。ほかにも「指揮者が変えることができないものはオーケストラの音色です」「私たち(註:クーベリックと九楽団)は旧知、旧友なんですよ」という発言もあり、やはりクーベリック自身が各曲にふさわしいオーケストラを選択したということのようです。
演奏の感想は・・・特にありません。個性的なベートーヴェンをいろいろ経験してきたいま、手堅くオーソドックス、というコトバしか浮かんでこない。「オーケストラの違いを楽しむ全集」というコンセプトに沿って、楽曲解釈上の個性をあえて薄めているのでしょうか。ヘボウの特徴は、上記のマーラーには遠く及びませんけど、それなりに味わえます。やはり木管の音色と全体のブレンド感が際立っている、という感じ。
サウンドはちょっと硬めに聴こえますが、国内盤にありがちな傾向なので、リマスタリングのせいかも。エンジニアはこれもヴィルドハーゲン。足掛け5年に及ぶ世界8ヶ所での録音をすべて彼が担当しています。
■ CD3
ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
キリル・コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1979年11月3日 コンセルトヘボウ、アムステルダム(ライヴ)
ドイツ・グラモフォン(輸入盤:419 054-2)これはNOSによる放送録音ですが、有名盤なので採りあげておきます。NOSやVARAによるコンドラシンとヘボウの放送録音はフィリップスからたくさん出ましたが、ソロイストのツィマーマンがDG専属だったので、これだけがDGになったんでしょう。初出は1986年で、このガレリア・シリーズ(当時はLP)がオリジナル・ジャケットのようです。
コンドラシンのヘボウ録音にほぼ共通する、力強くコワモテの演奏。ショパンには異質です。しかしそのせいで、管弦楽法が凡庸で魅力に乏しいとされるオケ・パートがやけに充実して聴こえ、キリリとしたピアノとダイナミックに絡み合うという独特の世界観が形成されている。ショパンが苦手なワタシにも、おもしろく聴くことができました。
これもコンドラシンが指揮した録音によくあることですが、コンセルトヘボウの個性はかなり弱められています。ラジオ局による放送録音の限界もあるんでしょうが。
■ バーンスタインの一連のライヴ録音
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、マーラーの交響曲第1・4・9番と「子供の不思議な角笛」、シューベルトの交響曲第5・8・9番。いずれもライヴ録音。いずれもよく知られたものなので、すみません割愛させていただいてもいいですかね。もともと演奏も音もあまり好きではなかったうえ、”ANTHOLOGY OF THE ROYAL CONCERTGEBOUW ORCHESTRA VOLUME 5:1980-1990”に含まれているマーラー1番とシューベルト5番を聴いてしまった今となっては・・・。これは放送局による録音なのでDGの音源そのものではないんでしょうけど、編集加工前のフレッシュな音楽がそのまま真空パックされたかのようで、たいへん聴きごたえのあるリアルなサウンドなのです。それにくらべてDGの方は(以下自粛)。
■ CD4
プロコフィエフ
ロミオとジュリエット(組曲第1番、第2番、第3番からの抜粋)
チョン・ミュンフン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1993年1-2月 コンセルトヘボウ、アムステルダムエグゼクティヴ・プロデューサー:ロジャー・ライト
レコーディング・プロデューサー:レナード・デーン
トーンマイスター(バランス・エンジニア):ヴォルフガング・ミットレーナー
レコーディング・エンジニア:ラインハルト・ラーゲマンドイツ・グラモフォン(国内盤:POCG1776)
チョン・ミュンフンとコンセルトヘボウ管とは珍しい組み合わせ。サン=サーンス「オルガン」の2005年ライヴ録音がネットで無料配信されたりしましたが、商業録音はこれだけ。彼もDG専属ぽい人なので、その縁でヘボウ久々のDG登場となったのでしょう。しかしこの曲になぜあえてコンセルトヘボウ管を起用したのか? CDを聴いても、その答えはわかりませんでした。悪い演奏ではないんですが、問題はサウンド。コンセルトヘボウ大ホールの空気感がうまり捉えられていないので、ホールのみならずオーケストラの個性までもが台無しになっている、というと少し大げさですけど、そんな感じ。小奇麗にまとまりクリアではあるものの何だか実在感に欠けているという、“4D AUDIO RECORDING”の欠点が露呈した悪例か。スケール大きめの演奏はていねいだし曲の選択と配列にも工夫があるので、ヘボウへのコダワリを捨てれば、よいCDだとは思います。念のため。
■ CD5
シェーンベルク
歌劇「モーゼとアロン」
デイヴィッド・ピットマン=ジェニングス、クリス・メリット、ガブリエーレ・フォンターナ ほか
ネーデルランド・オペラ合唱団、ツァンス少年合唱団
ピエール・ブーレーズ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1995年10月 コンセルトヘボウ、アムステルダムエグゼクティヴ・プロデューサー:ジョン・フィッシャー、ロジャー・ライト
レコーディング・プロデューサー:カール・アウグスト・ネーグラー
トーンマイスター(バランス・エンジニア):ライナー・メイラート
レコーディング・エンジニア:ヨーブスト・エーベルハルト、シュテファン・フロックドイツ・グラモフォン(国内盤:POCG1988-9)
これはお手上げですねぇ。シェーンベルクには好きな曲もあるし、ベルクの「ヴォツェック」はいまのところフェイヴァリット・オペラなんですが、この曲はいけません。今回久々に再聴しましたが、またもひたすら退屈な100分を過ごす結果に終りました。プロコフィエフとは違って音はいいんですけど。
ネーデルランド・オペラでの上演の機会にコンセルトヘボウでセッション録音されたとのことで、安易にライヴ収録で済まさぬあたり手間がかかっているわけですが、リハーサルを演奏会側に負担させられる効率的なオペラ録音法(カラヤン方式?)ともいえます。トーンマイスターのメイラートは、DG-BOXの中ではネトレプコやビリャソンのデビュー・アリア集を担当している人。
■ CD6
ショパン
ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調op.21
ラファウ・ブレハッチ(ピアノ)
イェジー・セムコフ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:2009年7月 コンセルトヘボウ、アムステルダム(ライヴ)エグゼクティヴ・プロデューサー:クリスティアン・ラインス
プロデューサー:アーレント・ブローマン
レコーディング・エンジニア(トーンマイスター):ライナー・メイラートドイツ・グラモフォン(国内盤:UCCG1472)
最後は、わずか四ヶ月前の最新録音。DGどころかメジャー・レーベルから出るのも久々となるコンセルトヘボウ管のニューアルバムは、ショパンのコンチェルトの伴奏・・・オーケストラ好きにとってもっとも興味をそそられぬプログラム、しかもライヴ録音です。ほとんど無視しかけたものの、本稿のために仕方なく購入。
ところが、これが意外にもよいCDでした。オーケストラの繊細さと美音が効果を発揮し、ツィマーマン盤のようなハードさとは別の方向性で、ピアノとうまく協奏している。これはポーランドの大ベテランだというセムコフの功績なのでしょうか。来年のショパン生誕200年アニバーサリーの露払いにふさわしい名盤といってよいでしょう。
木管やティンパニのコクのあるサウンドも弦のシルキーな合奏美もいちおう味わえ、録音もなかなかです。あいかわらず芯がなくきれいに整いすぎている感じはするものの、まあこれなら合格点。というか、ショパンのこの曲には違和感がありません。トーンマイスターはこれもメイラート。ブレハッチのDG録音はこれ以前にピアノ独奏のものが二枚あり、プロデューサーは今回と同じですがエンジニアだけメイラートに交代。彼がオーケストラを伴う録音を担当しているのでしょうか。
■ その他
DGの“ORIGINAL MASTERS”シリーズで出ているハンス・ロスバウトの5枚組ボックスには、コンセルトヘボウ管を指揮したベートーヴェン「皇帝」(カサドシュ独奏)とストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」が収録されていますが、これはDGではなくフィリップス録音。というか、データ欄にフィリップスLP番号(おそらく初出盤のもの)がクレジットされていて、そのうち「皇帝」の録音は“AVRO-Radio”と書いてある。LP時代にフォンタナ・レーベルの「グロリア」シリーズに入っていたし、CD初期にもフィリップスの「レジェンダリー」シリーズで出ていたものなので、当然フィリップスの商業録音だと思っていましたが、そうでもないらしい。また同じくDG“ORIGINAL MASTERS”シリーズのベール・ベーム「モーツァルト&R.シュトラウス集」にも、フィリップス音源のコンセルトヘボウ録音が含まれているようです。
以下は余談ですけど、このロスバウトやベームのボックスが編集された時点ではユニバーサル内での音源流用でしたが、その後フィリップスはデッカに吸収されて正式に消滅。9月に出た「ベルナルト・ハイティンクの芸術」シリーズのジャケットではフィリップス・マークがあった場所にデッカのマークが付いており、大いに違和感をおぼえました。そしてこのたび国内盤が値下げリニューアルされた「ザ・オリジナルス」、傾いてはいるもののジャケットではレーベル・マークまでオリジナルにこだわっていたシリーズです。コンドラシンのシェエラザード、ブレンデルのバッハや「ます」など数点セレクトされているフィリップス名盤のジャケットはと見てみれば、デッカ・マークこそないものの、2007年2月発売時にはさん然と輝いていたフィリップス・マークが今回はきれいに消去されている。なんという愚挙! 往年の大映映画でいえば、(株)角川大映を経て角川映画(株)となったいまでも、冒頭の大映マークを誰が消そうとするでしょうか? 伝統ある歴史を改ざんしてまで「なかったこと」にされてしまったフィリップス・・・淋しすぎるぜ!
(2009年11月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)