コンセルトヘボウならではのユニークな「皇帝」を聴く
(文:青木さん)
ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ピアノ:マレイ・ペライア
録音:1986年4月、コンセルトヘボウ
ソニー・クラシカル(国内盤 32DC1070、ただし写真は全集から)1987年の秋頃、ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管のベートーヴェン交響曲シリーズ第一弾として、5番と7番をカプリングしたCDが発売された。その年の春にCDプレーヤーを導入したばかりだったわたしは、もちろんすぐにこれを購入し、恰幅のよい堂々たる演奏と音響を楽しみつつ、来るべき全集購入に向けて資金調達の算段を始めた。当時は学生だったが、そのためにバイトをしたりするのも面倒なので、とりあえず他のCDの購買ペースを落とすという消極策を立案しただけだったが。
ところがその直後(たしか翌月)、今度は彼らの「皇帝」のCDが出た。ピアノはペライア、レーベルはソニー・クラシカルだ。大好きな曲なのでこれもすぐに買ってしまい、聴いてみたところ…期待していたのとずいぶん違う。交響曲で聴くことのできた重厚で堅固なマッシヴさがあまり感じられない。壮大なスケールで威容を誇ったり、堂々たる迫力で聴き手を圧倒したりするタイプではぜんぜんない。それはなんというか、ソフトでライトな印象の「皇帝」だった。
うーんフィリップスがソニーになるとこうなってしまうのか、と当時は悩んだが、いま改めて考えてみるとそういうわけでもなさそうだ。その少し前に録音されたティルソン・トーマスのアイヴスや少し後の録音であるジュリーニのドヴォルザーク等は、フィリップスとは音の傾向は異なるものの、いつもの重量感のあるコンセルトヘボウ・サウンドとなっている。またこれが「皇帝」に対するハイティンク自身の解釈でないことは、アラウやブレンデルとの録音と比べてみればわかる。同時期の録音にもかかわらず、交響曲とピアノ協奏曲とでなぜこんなに違った結果になったのだろうか。
マレイ・ペライアは70年代後半から80年代前半にかけてイギリス室内管の弾き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲全集を録音し、続いて取り組んだのがこのハイティンク指揮コンセルトヘボウ管との顔合わせによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集だった。そのせいか当時は、べートーヴェンのCD評に「まるでモーツァルトのような演奏だ」という類の表現が見られた。だがおそらくペライアは「ひとつベートーヴェンをモーツァルト風に弾いてみようか」などと考えたわけではなく、彼がそもそも志向している音楽の方向性が、たまたまモーツァルトにはぴったりでベートーヴェンにはちょっと異質だった、ということだと思う。しかしベートーヴェンともなると自ら室内管弦楽団を弾き振りするのは難しい…では自分のヴィジョンを実現するにはどの指揮者とオーケストラがもっともふさわしいだろうか…と考えた末、ペライアはハイティンクとコンセルトヘボウに白羽の矢を立てたのであった。と、これはこちらの勝手な想像だが、ハイティンクがソニーに登場した例がそれまでなかったことからしても、なにか特別な事情があったことは十分予想される。だとすればそれはペライア自身の希望だったと考えるのが自然ではなかろうか。
これは「皇帝」らしからぬ演奏だ。ピアノはいかにもデリケートというか、豪快さや力強さよりも、キラキラした美音をていねいに紡ぎだすことに焦点がおかれているようだ。そして管弦楽は、明るいトーンでそれをふわりと包み込むような雰囲気になっている。けっして響きが軽かったり小ぢんまりしていたりするわけではなく、厚みも広がりもたっぷりしている反面、重さや鋭さは抑えられている。そしてリズム感が際立っている。これがペライアのピアノにぴったりなのだが、どうしてこのように「ソフトでライトなシンフォニックさ」という、あまり例のないような表現が達成できたのか。
一つには、レガート奏法というのだろうか、楽器を弾く際のアタックを極力抑えているらしいことが挙げられる。これはたとえば、アシュケナージのバックでショルティがシカゴ交響楽団を指揮した同曲の録音(デッカ)と聴き比べるとよくわかる。シカゴ響はこのアタック感が実に強烈で、ピアノを威圧せんばかりの剛毅なダイナミズムが痛快でさえあるのだが、コンセルトヘボウ管の場合はこれと正反対の、流れるような滑らかさが感じられる。
もうひとつは、コンセルトヘボウ大ホールの豊かな残響がたっぷりと捉えられていることだろう。木管など音が埋没しかかっているほどで、空気感を活かし、各楽器の音の分離よりも溶け合いを優先させたこの音響設計が、ふくよかな響きにおおいに貢献している。
そして、繰り返しになるが、ハイティンクとコンセルトヘボウ管によるベートーヴェンとしても、これは異色の演奏だ。この20年前にアラウと組んだピアノ協奏曲全集、10年前にシェリングやクレバースのバックをつとめたヴァイオリン協奏曲、同時期に録音された交響曲全集、いずれももっと重量感があり深い響きの演奏となっている。このように、独奏者の意向に合わせて柔軟にスタイルを変えることができるというベルナルト・ハイティンクという指揮者の存在も大きかったのだと思う。ハイティンクが「名伴奏者」と言われるゆえんだろう。
単に編成を小さくしたり音を弱めたりするだけでは、「皇帝」に必要なダイナミズムまでが削がれてしまう。重さと鋭さだけを排除し、柔らかいスケール感を創出する。そのためには、たとえソニーにとっては異例の起用だったとしても、ハイティンク&コンセルトヘボウと組むことが、ペライアには必要だったのだろう。これはある意味でコンセルトヘボウならではの、実にユニークな「皇帝」の名録音だと思う。
※現在この録音は、3枚組の全集として、たいへん廉価で販売されています(輸入盤)
(An die MusikクラシックCD試聴記)