マリナーの「惑星」を聴く

(文:青木さん)

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CDジャケット

ホルスト
組曲「惑星」作品32
ネヴィル・マリナー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
女声合唱:アンブロジアン・シンガーズ
録音:1977年6月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
PHILIPS(国内盤:PHCP-24056,UCCP-9079 他)

 昔、民放FMのクラシック番組で「ショルティの惑星、ついに登場! ダダダダ、ダ、ダダダ!(←火星中間部)」というCMがあったが、この「コンセルトヘボウの名録音」シリーズにおいても「マリナー&コンセルトヘボウの惑星、ついに登場!」といったところ。なにしろデイヴィスのハルサイと並んで、これでヘボウにハマってしまい人生の道を誤った御仁も少なくないという罪な一枚だ(ほんとかね)。それにしてもなぜ指揮がマリナーなのか?

 ハイティンクが1970年にロンドン・フィルとこの曲をフィリップスに録音していたから、このときにはホルストと同じ英国人のマリナーが起用されたのだろうか。それならばやはり英国人で、当時フィリップス専属としてすでにコンセルトヘボウ管との録音経験もあったコリン・デイヴィスに白羽の矢を立てるのが普通だろう。むしろ、マリナーとヘボウでLP2枚分の録音を行うという企画が先にあって、その中の一曲としてこの曲が選ばれた、というのが真相ではないだろうか。

 そんなことはどちらでもいいがとにかくこの演奏、指揮者の個性というものがほとんど感じられない。引き締まった響きで剛球一直線のショルティ&ロンドン・フィル、ダイナミックなビッグ・サウンド全開のレヴァイン&シカゴ響、渋くて質実剛健たるボールト&ロンドン・フィル、あっけらかんと明晰な音響のオーマンディ&フィラデルフィア管、ダークで不気味な迫力に満ちたハイティンク&ロンドン・フィル、メロウな木管とユルめのアンサンブルが猟奇的なマゼール&フランス国立管、グラマラスで勢い溢れるメータ&ロス・フィル等々、実に個性的な名盤群に比べると、当マリナー盤の特徴は「コンセルトヘボウ・サウンドそのもの」。はっきりいえばそれしかない。

 サー・ネヴィル・マリナーという人はカラヤン顔負けの膨大な録音量を誇る(ただしその総売上はカラヤンにまったく及ばぬという…)指揮者で、当方が聴いた録音などそのごく一部に過ぎないが、すっきりした明瞭な演奏でもって曲の持ち味をストレートに再現する人という印象だ。ライト級というイメージもあるけれど、それはほとんどが室内管弦楽団との録音だからだろう。コンセルトヘボウ管との「惑星」は、なかなかの重量級となっている。

 とはいえその音楽作りはやっぱり中庸的かつ最大公約数的、すべてにわたって妥当な表現で、指揮者の際立った主義主張は感じられないのだった。たとえば冒頭の「火星」だが、7分37秒という演奏時間は、超快速のショルティ盤(6:41)と超スローのハイティンク盤(8:29)のちょうど中間で、何の作為も感じさせない自然かつ絶妙のテンポ設定。ダイナミズムも標準的だ。「水星」の軽やかさも「木星」の華やかさも「土星」の重々しさも、すべてが英国的上品さと謙虚さに包まれているかのような、控えめの表現となっている。

 だからといって生気のないつまらぬ演奏かというとそんなことはなく、いきいきとした躍動感に不足はないし、ていねいで格調高い優れた演奏とさえいえるだろう。外面的効果を狙わずにこのような高水準を達成することがいちばん難しいのだとすれば、マリナーはやはり実力者ということになる。そしてこのディスクで最も重要なことは、コンセルトヘボウの美点が充分に発揮されているということだ。

 とにかくこのブラスの素晴らしさはただごとではない。明るすぎず、むしろ黒光りするような渋めのサウンドでもって、美しく溶け合っていく。デッドな響きのホールで朗々と強奏するシカゴ響スタイルの金管セクションも楽しいのだが、やはりこの味わいにはかなわない。コクのある木管の絶妙のニュアンスも同様。そして艶やかで質感に満ちた弦も魅力的で、「木星」中間部の格調と説得力は、英米オーケストラの諸盤では決して聴けないものだ。

 録音がまた抜群で、ホールの残響を活かしたサウンドの美しさは、いつものことながら聴き惚れるのみ。その中で、チェレスタや小音量の打楽器が不自然でない音量でくっきりと定位するあたりなどは、コンサート・プレゼンスの再現に長けたフィリップスのコンセルトヘボウ録音の真骨頂だ。ホルンを中央に置き、トロンボーンとトランペットを後方右寄り、存在感に満ち溢れるティンパニを後方左寄りに配置して立体感を演出する音場構成も最高。

 コンセルトヘボウ唯一の「惑星」のディスクが、このようにオーケストラの魅力を素直に引き出した指揮者によるものだということは、そして全盛期のフィリップスによって録音されたということは、いまとなっては恵まれた結果だと思う。アーノンクールがテルデックにコンセルトヘボウと録音しているレパートリーのほとんどが、すでに誰かがフィリップスに録音していた曲だということを考えあわせると、なかなか興味深いことでもある。

 なお、国内盤CD(PHCP-24056)のライナーノートは初出LPのものが流用されているが、志鳥栄八郎氏によるその解説には「マリナーの<惑星>の録音に立ちあって」という貴重なルポが掲載されており、見逃せない。志鳥氏が立ち会った6月22日の初日は「木星」と「土星」が録音され、午前10時にはもう開始されていたという。夜の演奏会を避けた早い時間帯にレコーディング・セッションが組まれていたのだろうか。録音はぶつ切りではなく通し演奏を主体にしたもので、きわめてスムーズに進行したという。プロデューサー(フィリップスの場合はエンジニアも兼ねる)はヴィットリオ・ネグリで、実際に彼がマイク・セッティングを調整したりしていたとのこと。志鳥氏はたしか、コンセルトヘボウ100周年の1988年4月11日に開催されたガラ・コンサートにも立ち会っていたはず。うらやましい。

  • この録音は6月22日から24日の三日間で行われたが、同月23日から25日にかけてはエルガーのアルバム(エニグマ変奏曲と威風堂々)も録音されている
  • 原ライナーノートによると、この録音には1969年に出版された改訂版スコアが使用されているとのこと
  • 「海王星」女性コーラスのアンブロジアン・シンガーズは、ボールト指揮ニュー・フィルハーモニア管、プレヴィン指揮ロンドン響、ラトル指揮フィルハーモニア管などの録音にも参加しているロンドンの合唱団で、彼女らをわざわざアムスに呼び寄せたという点はマリナーのこだわりだったのかもしれない

 

(2003年2月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)