シャイー指揮のマーラー交響曲第6番を聴く
(文:青木さん)
マーラー
交響曲第6番イ短調
リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1989年10月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
DECCA(国内盤 ポリドール POCL1035/6 2枚組)
〔カプリング:ツェムリンスキー/「メーテルランクの詩による5つの歌曲」〕シャイーとコンセルトヘボウ管が録音を進めているマーラーの交響曲シリーズ、これはその第一弾。録音された1989年はシャイーのへボウ就任の翌年(二シーズンめ)にあたる。このマーラー・チクルスは、結果的に彼のコンセルトヘボウ時代のほぼ全期間に渡るプロジェクトとなった。
と過去形のように書いたが、これはまだ完結していない。予定を含めた全容を録音順にまとめてみよう。
曲目 録音年 第6番 1989年10月 第7番 1994年4月 第1番 1995年5月 第5番 1997年10月 第4番 1999年9月 第8番「千人」 2000年1月 第2番「復活」 2001年11月 第3番 (02/03年シーズンに録音の予定) 第9番 (03/04年シーズンに録音の予定) 交響曲以外 交響詩「葬礼」(交響曲第2番第1楽章初稿) 1999年1月 歌曲集「子供の不思議な角笛」全曲 2001〔2003年1月発売予定〕 進行ペースは平均すると2年に一曲で、かなりゆっくりしている。順序としては声楽付きの曲を後半に回し、さらに第9番には最後まで手をつけない。慎重に、じっくり取り組まれているといえるだろう。そして、最初の録音であるこの第6番の第1楽章も、じっくりと構えた遅いテンポで貫かれているのだ。
その演奏時間は25分35秒。聴きなれていたショルティ盤は21分、ハイティンク盤は22分だったので、このスローなテンポにはギョッとした。そして実に多彩な楽器の音が聴こえてくるのにも驚いた。だがいかにもマルチマイク録音ぽい細部拡大的な不自然さはない(ショルティ盤にはそれが少しある)。テンポに対する違和感も、聴き進むうちにやがて消えてしまった。
この演奏を先日の来日公演の3番と比較すれば、彼らの基本的なスタイルが13年前にすでに確立されていたことに気づく。この分ではさぞ統一感のある全集になることだろう。そのスタイルとは何か。もうご承知の方も多いだろうがいちおう列挙してみると、
- 概して遅めのテンポが設定されており、一音もゆるがせにせずスコアを丁寧に再現することと、消えゆく音に余韻を持たせることが、重視されている
- 旋律は多くの場合たっぷりと歌われ、おおらかな枠組みとグラマラスな重量感で、スケール感豊かに構成されている
- 「悲劇的」というタイトルを持つ第6番でさえ、暗く重く激しい印象は感じさせず、明るめの色彩的な響きでもって、オーケストラに備わる美音が徹底的に追求されている
だがそれだけでよいのか、という意見もあるだろう。マーラー演奏を語る上で多用される慣用句の「濃厚な情念」「退廃的な雰囲気」「ユダヤ人としての苦悩」「熱っぽい感情移入」、さらには「身をよじるような苦しみ」「死に対する恐怖」といったものは、この演奏からはほとんど感じられない。
だからダメだ、というのはあまりに単純で一面的な極論で、演奏の良し悪しの判断基準はそんなことだけではないと思う。苦悩や情念を体感したいときにはバーンスタイン盤やテンシュテット盤など他の選択をすればいいのであり、洋食屋に入って「鴨南蛮はないのか」と文句を言ってもどうにもならない。
そのこととも関連するが、「指揮者の主張が伝わってこない」という批評もある。たしかに作品をデフォルメしたりオーケストラの個性を殺したりしてまで何かをアピールしたい、という意味での主張はないし、そんなことはシャイーの視野にないのだろう。
マーラー演奏に一家言を持つコンセルトヘボウ管弦楽団を相手にする彼のスタンスは、(作曲者やメンゲルベルクの書き込みもあるという)ヘボウ伝統のスコアに忠誠を尽くし、オーケストラの個性的な響きを最大限に活かすこと、なのだ。それ自体が明確な主張であり、それがみごとに音化されている。このことを見逃してはならないと思う。
録音が最高に素晴らしいことも、このディスクの価値を大いに高めている。演奏には好意的ではない評論でさえ、録音に関しては絶賛している例も多かった。大編成の曲で特に真価を発揮するデッカの技術と、コンセルトヘボウ大ホールの音響特性とがうまく結びつき、自然で広大な音場が形成される中で、クリアな分離のよさと楽器同士のブレンド感とが絶妙に両立している。
とはいえシャイーとヘボウのすべての録音がこのように上出来というわけではない。デッカとしてもこのシリーズを重要なプロジェクトと位置づけて持てる総力を結集しているのだろうか。
ともかく、この第6番で録音がスタートしたシャイーのマーラーは、コンセルトヘボウの魅力がこの上なく活かされた、ある意味で究極的な交響曲全集となりそうだ。
(An die MusikクラシックCD試聴記)