アシュケナージとハイティンクによるロシア物の最高峰
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴く

(文:青木さん)

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CDジャケット

ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ピアノ:ヴラディーミル・アシュケナージ
録音:1984年9月 アムステルダム、コンセルトヘボウ
DECCA(国内盤 ポリドール POCL5153)

 この「コンセルトヘボウの名録音」シリーズは、第1回で伊東さんがお書きの通り、「コンセルトヘボウ管の豊かなサウンドを堪能できるCDを勝手に選んでレポートする」という懐の広いコンセプトなのだが、ちょっとばかり広すぎて毎回のテーマがなかなか決まらない。とにかくご紹介したいCDが多くて、今回もどれにすべきか悩んだ挙句、思いついたのは〔世間において「コンセルトヘボウの代表盤」とされているCDを採り上げてみればどうだろう…〕という名案。というより迷案で、この「世間」とはいったい何を指すのかでまた行き詰まってしまい、とりあえずは『ONTOMO MOOK 世界のオーケストラ123』に従うことにした。1993年に出版された本なのでここ10年の録音は対象外ということになるが、とにかく10タイトルが選ばれている。

 ところがそれらは、個人的にまだ手が回らないメンゲルベルクの古い録音(べト全とマタイ)、すでに当シリーズに登場しているショルティのマーラーやベイヌムのブラームス(ただしフィリップス盤)、番号違いだがやはり登場済みのハイティンクのブルックナーやマーラー(ともに7番新録音)、あまり好きではないバーンスタインの「ミサ・ソレムニス」など、どうも適当なものがない。アシュケナージ指揮の「ラフマニノフ交響曲全集」もちょっと…と考えたところで、ピアノ協奏曲の方を思い出した。アシュケナージはピアノで、指揮はハイティンクなのだが、この中の第2番などは「コンセルトヘボウの名録音」にふさわしい決定盤だ。というわけで当初の方針から逸れてしまったが、今回は「ラフマニノフ作曲 ピアノ協奏曲第2番」を採りあげることにする。

 この演奏を一言で表現すれば、「シンフォニック」ということになるだろう。ぶ厚い響きのオーケストラの物凄いダイナミズムが圧倒的で、ピアノの存在感を吹き飛ばしてしまうほど。コンセルトヘボウ大ホール内の空気がビリビリと震えているようにも感じられる。オーケストラがホールいっぱいに鳴りきっていて、この豪快さの虜になってしまうと他の演奏がすべてもの足りなくなってしまう。特にうねるような弦が朗々と歌う部分と、唐突に全合奏が炸裂する部分が最高だ。憂いと激情が交錯するこの曲にとっては理想的な演奏ではないだろうか。ほの暗い音色も曲想にマッチしている。もちろんピアノも圧倒されっ放しというわけでは決してなく、概ね管弦楽と程よいバランスで協調しているので、念のため。

 そして、コリン・ムアフットによる素晴らしい録音が大いに効を奏している。これはアシュケナージ指揮のラフマニノフ(交響曲や管弦楽曲)、ハイティンク指揮のショスタコーヴィチについてもいえることだが、シャープな生々しさとずっしりした重量感が、豊かな残響を活かした広大な音場の中で絶妙にバランスしていて、フィリップスやシャイー時代のデッカとは違った独特の魅力に満ち溢れている。素晴らしい。

 ところで以下は蛇足だが、本題よりも長かった前置きの中で触れた「世間の評価」云々に関連するのであえて言及しておくと、本盤は例えばレコ芸では「特選」で、要約された月評(当時は1月号付録の「レコード・イヤーブック」にそれが掲載されていた)でもピアノよりオーケストラの方が褒められているほどだし、『ONTOMO MOOK 名曲名盤300』(1999)では本盤が5人の評論家中の3人に高得点を付けられて第2位となっている。

 ところがこの名盤を非常に偏った視点で推薦している評論家がいるのだ。その御仁は前記レコ芸月評で本盤を推薦していた二人のうちの一人だが、自著の中でこの曲の推薦盤としてリヒテル/ヴィスロッキ/ワルシャワ国立フィルのDG盤(上記ムックでは第1位)とルビンシュタイン/オーマンディ/フィラデルフィア管のRCA盤を挙げた後、

「もっと新しい録音で聴きたいという人には一般に評価の高い次の盤を挙げておこう」

として本盤を挙げている。そして

「前二盤に比べるとオーケストラも含め、いちばんおとなしい」

と書きながら

「クライマックスにおける光彩陸離たる豪華な迫力は、オーケストラの実力、録音の優秀さも手伝って、見事だ」

とも書いており、何が言いたいのかよくわからない。最後に

「芸術の高度な表現などというようなものにあまり関心がなく、耳に快ければそれでよし、という人にはベストのCDといえよう」

と決めつけている。換言すれば本盤は芸術的に低度だと言っているも同然だが、この演奏を聴いた上でそのような意見に賛同する人はあまりいないと思うし、そもそもレコ芸で推薦しておきながらのこの暴言…。どうも困った評論家だ。批評の的確な表現などというようなものにあまり関心がなく、読んで面白ければそれでよし、という人にはベストの評論家といえよう。

 さらに蛇足。ことほどさように音楽評論家の批評などはアテにならない。それに騙されたという不満などもよく聞くが、僕に言わせればたった一言で終わりである。「評論家の言うことなど信用する方が悪い」。知らなかった、とは言ってほしくない。音楽を愛するものは、そのくらいは知らなくてはだめだ(さっきの評論家の有名な一文を、ちょっと変えて引用しました。ほんとに傲慢ですねぇ)。

 

(2003年1月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)