フィリップスの歴史

文:青木さん

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 昔、主要オーケストラが特定のレコード会社と専属関係を結んでいたという時代がありました。ウィーン・フィルはデッカ、ベルリン・フィルはDG、シカゴ響はRCA、そしてコンセルトヘボウ管弦楽団はもちろんフィリップスです。専属指揮者のバーターに伴う場合のような例外を除き、コンセルトヘボウ管弦楽団のレコードはすべてフィリップスからのリリース、という時代が1970年代の後半まで続きました。例に出した3楽団と比べると、その専属関係は10年ほど長く続いたようです。

 フィリップスは今年(2001年)創立50周年を迎えます。これを記念するCDシリーズのリリースも始まりました。つまり創立は1950年。メンゲルベルクの録音がフィリップスから出ていたりするせいかもっと昔からあるような気がしますが、メジャー・レーベルの中では最も新しいのではないでしょうか。しかし電機メーカーとしてのフィリップスはその以前からあり、そのレコード部門としての設立が1950年だったのです。ではフィリップス本体のルーツはといえば、これがまた例のカタログ「NEW定盤」シリーズの「名門フィリップスが誘う、クラシック深次元。」に、ちゃんと記載されています。さっそく引き写してみましょう。

コンセルトヘボウの照明はガス灯だった。電球は当時まだ開発途上だったのである。コンセルトヘボウが開かれた年、33歳のヘラルド・フィリップスという若い技師が「白熱電球」の製造を志し、南オランダの街アイントホーフェンの鹿皮をなめす古い工場を買い取って、小さな工場をつくる…1世紀後、世界62か国に100あまりの会社を持つ巨大企業「フィリップス白熱電灯製造会社」の始まりである…このフィリップスの始めた仕事とコンセルトヘボウとのつながりは年を追って深まってくる…

 なんともいい話ではありませんか。しかし1950年6月に行われたフィリップスの初レコーディングは、場所こそコンセルトヘボウ大ホールだったものの、オーケストラはハーグ・フィルだったとのこと。当時コンセルトヘボウ管弦楽団は首席指揮者のベイヌム共々デッカの専属だったため、新興レーベルとしては専属関係のないハーグ・フィルを起用せざるを得なかったという事情のようです。

CDジャケット

 そしてコンセルトヘボウ管弦楽団との初レコーディングは1951年5月、パウル・ファン・ケンペンの指揮によるチャイコフスキー「交響曲第6番」で、前述したCD『コンセルトヘボウの名指揮者たち』(3枚組,フィリップス,1992)に収録されている録音がおそらくこれでしょう。なおケンペンは指揮者になる前、1910年頃にコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めていたとのことです。

 1950年にはすでにLPレコードが誕生しており、フィリップスは当初から磁気録音によるLP盤を制作してきました。ステレオ化は1957年でRCAやデッカ等に数年遅れをとりましたが、CDについては先陣を切ったというか、ソニーとともに開発メーカーの栄誉を担ったことは、ご承知の通りです。

 

(An die MusikクラシックCD試聴記)