ノイマン指揮のドヴォルザーク「交響曲第9番」

管理人:稲庭さん

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CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第9番
交響的変奏曲
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル
録音:1995年、ドヴォルザーク・ホール、ルドルフィヌム
CANYON Classics(国内盤 PCCL-00273)

 

 はじめに

 

 ドヴォルザークの交響曲第9番というのは、おそらく、古今東西の作品の中でも録音の数が最も多い作品の一つと考えて間違いないでしょう。ですから、このノイマンの演奏が一番良いと主張するつもりはありません。ちょっと見渡しただけでも、例えば、カラヤンの晩年のウィーンフィルとの録音、また、端正な造形でいつ聞いても「ほう」と思わせるセルとクリーヴランド管弦楽団の演奏、アイデアが面白いだけではなく、演奏のレヴェルも相当に高いアーノンクールとコンセルトヘボウの演奏や、同じコンセルトヘボウでもテンポはかなり個性的ながら、解釈としては王道からそうは外れていない落ち着いたジュリーニの演奏など、いくらでも名演が思い浮かびますね。そうそう、ノイマンと同じチェコ・フィルが演奏した、クーベリックとの、ライブ特有の熱気を放つ演奏もあります。おそらく、この曲は人それぞれに、また、同じ人でもそのときの気分によって聴きたい演奏が違うし、またそれに応じて異なった演奏を選べるだけの録音がある曲です。

 

 ノイマンの演奏は?

 

 ところで、このノイマンの演奏は、そういう数多くの演奏の中で、ファーストチョイスとまではいかないにしても、チョイスされる資格を持った演奏でしょうか。しかも、大概の輸入盤なら2千数百円、再発ものなら千円台で買えるこのご時世にあって、キャニオンのCDは相変わらず3千円以上です(近頃、スヴェトラーノフやフェドセーエフのCDが廉価で再発売されましたが、ノイマンの物はやってくれないのでしょうかねえ?)。

 さらに、このCD、よく中古CD屋で見かけるのです。ということは、それだけ買った人がいた、けれども、この演奏は「もう聴かなくていいや」という人もそれだけいた、ということを示しています。

 これでも、本当に買って聞いてみる価値のあるCDでしょうか?

 

■ 答え

 

 私の答えは、「カラヤンの1987年のニューイヤーコンサートが好きな人は是非聞いてみてください」というものです。は?何だか分からない。そりゃそうですよね。

 私が大学の学部生の頃でした。ある夜、飲み会で酔っ払った先輩と二人私の寓居になだれ込み、そこでいくつかのCDを聞いたのです。その先輩は、私などより様々な演奏を聴いており、また、様々な極端な演奏(例えば、シェルヘンのベートーヴェンとか)についても「とにかく聞いてみないことには分からない」という態度をとる人でしたから、その人がカラヤンのニューイヤーコンサートを聞いたときに「もう、こうなったら終わりだね」一言言ったのが強烈に印象に残っています。

 そして、恐らく彼がそのときこのノイマンの演奏を聴いても「もう、こうなったら終わりだね」と言ったと思います。なぜか。それは、この演奏も、カラヤンの演奏も、それぞれの壮年時代の覇気のある演奏からはほど遠い位置にあるからだと思います。聴きようによっては「おとろえた」とも取れますし、「諦念」が感じられると言われても、私はあえて反対しないでしょう。

 

 最初は

 

 正直に言うと、私も大学生当時、カラヤンのニューイヤーコンサートが今ほど好きではありませんでしたし、とりわけ「こうもり」序曲は、いかに何でも重い、と思っていました。また、ノイマンのCDを買ったときも、最初は、「うむ、非常に綺麗でチェコ・フィルの良い面がたくさん出ているが、少々かったるい」と思ったのも事実です。

 

 聞き方の問題?

 

 しかし、人間、365回寝て起きれば一つ年齢が加算されます。そして、恐らく、皆様も、私も、それだけ「音楽聴取時間」も加算されるでしょう。その中で、最初は何だか分からないけれど強烈な主張を持つ演奏に惹かれていたのが、あるとき、ふと、「こういう演奏にはもう疲れた」と思った経験はありませんか。私なんぞ、最初は、「オリジナリティが強い演奏が良い演奏である」というようなよく分からない考えに取り付かれていましたから、強烈な主張をもつ演奏に目がありませんでした。まあ、クラシックを聞き始めたときお世話になったのが宇野氏の著書でしたから、無理もないのかもしれませんが。

 以下に少し長くなりますが、そういったところから始まった私の体験から、何となく形成されてきた、私の考える演奏のタイプをいくつか挙げてみたいと思います。

 

■ 演奏のタイプその1

 

 さて、ご存知の方はご存知だと思いますが、宇野氏はブラームスの1番に関してミュンシュ、パリ管弦楽団の演奏を痛く気に入られているようでした。人から影響を受けやすいこと人一倍の私は、まずその演奏に飛びついたのは言うまでもありません。正直、何だか分かりませんでした。よく整理されない、とにかくテンションだけは高い音の塊が40分以上にわたって延々と鳴り響く、そんな演奏のように思いました。ところが、その当時(高校生です)の私は、「これこそが名演であって、それを名演と感じられない私が悪いのである」と思ってしまったわけです。これは疲れます。だって、自分が好きでもないものを「素晴らしいはず」であると無理に考えて、何度も聞くわけですから。

 それからしばらくして、どうしてかは忘れましたが、カラヤン、ベルリン・フィルの最後のブラームス全集の1番を買って聞いてみたのです。目から鱗、棚から牡丹餅(えっ、違う?)、まあ、何でもいいのですが、とにかく「あ、ブラームスの1番とはこういう曲だったのね。」と思いました。と同時に、ずっこけましたね。だって、今まである演奏が良いか悪いか自分の耳では判定できてなかったことが明らかになってしまったわけですから。

 

■ 演奏のタイプ2

 

 つまり、ここで私は一つ学んだわけです。強烈な個性がある演奏も良いのかもしれないが、曲の方が何だか分からないような演奏では困る、ということです。

 ところが、まだ先があるのですが、私の高校の管弦楽部の先生は「シューマン好きかつクレンペラー好き」という少々ディープな(?)先生でした。そして、またですが、人一倍人からの影響を受けやすい私です。先生が「クレンペラーのベートーヴェンが良い」と言うのだから「良いはずである」と思い、早速聴いてみました。「???。うむ、遅い」。感想終わり(全く発展してませんね)。で、しばらくクレンペラーの演奏は放っておきました(そこは発展したのかしら?)。あるとき、曲をもっと知ってから、クレンペラーの演奏を聴くと、「あら、面白い。徹底的にやっているのね」、という感想に変わりました。

 つまり、演奏によっては、曲について多少なりとも分かってないと、全然面白くない演奏もある、ということを学んだわけです。

 

■ 演奏のタイプ3

 

 ところが、今はその中間の演奏もあるのではないかと考えています。つまり、「確かに主張はそれほどないかもしれないけれど、曲がよく分からなくても面白いし、曲が分かれば分かった分だけもう少し面白い」演奏です。

 実は、この3については、聴取体験よりも、モーツァルトという作曲家に対する評価を基にそのように考えています。モーツァルトって、最初から面白いし、何年経ってもさらに面白いですよね。

 この3に分類される演奏は、聞き手が聞きたいものを演奏の中に聞き取ることができる幅が広い演奏といってよいかもしれません。

 念のために申し添えておきますが、これらの区分は本当に相対的なものです。なにも、クレンペラーの演奏は聞き始めの人には全く面白くないはずである、と主張したいわけではありません。同時に、強烈な主張を持った演奏が百戦錬磨の方には受けるはずがない、と主張したいわけでもありません。どの演奏も、どこの極にもいないし、完全に中央にもいないというだけの話です。

 

■ ノイマンの演奏は?

 

 そして、もうお分かりだと思いますが、カラヤンのニューイヤーコンサートも、ノイマンの演奏も、3に分類されるものだと思います。例えば、クライバーのワルツは、あのリズム感に血沸き肉踊りますが、もう少し微妙な感情表現をそこに読み込むのは、カラヤンの演奏より難しいと思います。同様に、ノイマンの演奏についても、若い頃の演奏は、その行き着く先を常に見つめたような力強さに惹かれますが、曲のそこここにある様々な仕掛けをじっくり味わいながら、ゆっくり終点に向かっていく楽しみは晩年の演奏の方にこそ求められるでしょう。

 ところが、この二つの演奏に共通の欠点として、強烈な主張を持った演奏ほどは、面白くない、ということがあります。でも、恐らくここで躓いても、何かしら別の音楽を聴くことによってそれが解決されることがあるのかもしれませんし、恐らく、そういう可能性の方が高いのでしょう。なぜって、どちらの演奏も、若い頃の覇気からはほど遠いと同時に、いい加減な演奏、下手な演奏からはもっと遠いからです。

 

■ 結論

 

 というわけで、最初の問に戻ってみましょう。このCDは買ってまで聞く価値があるのか。答えは、私にとっては、「イエス」でしかありえません。そして、皆様にとっても「イエス」であろうと思います。確かに、この演奏にはファーストチョイスに押したくなるような強烈な何かは欠けているかもしれません。ですから、初めて聞いたときに「?」と思うかもしれません。しかし、数ヶ月、数年放っておいて、忘れた頃に聞きなおしてみてください。もしくは、「なにか、落ち着く演奏が聞きたい」とか、「何か精神的負担が少ない演奏が聞きたい」と思うときに聴いてみてください。そうすると、この演奏は、おそらく、「そうだねえ…」と朴訥に物語を紡いでくれて、何かしら肯定的な感想をもたらしてくれると思います。

 

(2004年6月19日、An die MusikクラシックCD試聴記)