ヤナーチェクの「グラゴルミサ」

管理人:稲庭さん

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CDジャケット

指揮者

アンチェル

管弦楽団

チェコフィル

 ソプラノ

L. Domaninska

 アルト

V. Soukupova

 テノール

B. Blachut

 バス

E. Haken

 オルガン

J. Vodrazka

 合唱団

Czech Philharmonic Chorus

録音年

1963

CD情報

Supraphon(輸入盤 11 1930-2 911)
CDジャケット

指揮者

クーベリック

管弦楽団

バイエルン放送響

 ソプラノ

E. Lear

 アルト

H. Roessel-Majdan

 テノール

E. Haefliger

 バス

F. Crass

 オルガン

B. Janacek

 合唱団

Bavarian Radio Chorus

録音年

1964

CD情報

DG(輸入盤 463 672-2)
CDジャケット

指揮者

ケンペ

管弦楽団

ロイヤルフィル

 ソプラノ

T. Kubiak

 アルト

A. Collins

 テノール

R. Tear

 バス

W. Schoene

 オルガン

J. Birch

 合唱団

Brighton Festival Chorus

録音年

1973

CD情報

Decca(輸入盤 470 263-2)
CDジャケット

指揮者

マッケラス

管弦楽団

チェコフィル

 ソプラノ

E. Soederstroem

 アルト

D. Drobkova

 テノール

F. Livora

 バス

R. Novak

 オルガン

J. Hora

 合唱団

Czech Philharmonic Chorus

録音年

1984

CD情報

Supraphon(輸入盤 10 3575-2 231)

CDジャケット

 

指揮者

マズア

管弦楽団

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管

 ソプラノ

V. Hruba

 アルト

R. Lang

 テノール

J. Mitchinson

 バス

T. Adam

 オルガン

M. Shoenhait

 合唱団

Czechoslovak Radio Choir

録音年

1991

CD情報

Philips(輸入盤 432 983-2)
CDジャケット

指揮者

シャイー

管弦楽団

ウィーンフィル

 ソプラノ

E. Urbanova

 アルト

M. Benackova

 テノール

V. Bogachov

 バス

R. Novak

 オルガン

T. Trotter

 合唱団

Slovak Philharmonic Chorus

録音年

1997

CD情報

Decca(輸入盤 460 213-2)
 

1.はじめに

 

 皆様はヤナーチェクがお好きでしょうか?私は、実は苦手なのです。浅学のそしりを免れないと知りつつ、私の感覚でものを申しますと、チェコ音楽といわれて即座に連想するのは、スメタナやドヴォルザークの、言ってみれば「メルヘン」的な音楽なのです。例えば、スメタナの「我が祖国」やドヴォルザークの交響曲や交響詩、とりわけオペラ「ルサルカ」などがチェコ音楽といわれた場合に連想するものなのです。

 これに対して、ヤナーチェクはどうでしょう。確かに、スメタナやドヴォルザーク以上に(ボヘミアとモラヴィアという違いがあるとはいえ)民謡を研究し、そこから多くの物を取り入れたらしいということは分かるのです。しかし、あの暗く、時には不気味な和音と、執拗に繰り返されるそれ自体が繰り返しを含む動機、などを聞くときに、一種の恐怖感と虚無感にとらわれるのは私だけではないと思います。これらが、上記の私のチェコ音楽のイメージからは程遠いということだけはご理解いただけると思います。(ただ、演奏の仕方によっては、晩年のドヴォルザークの作品にはこれと同じような恐怖感を感じることがありますが。)

 さて、これらの事実は、恐らく、ヤナーチェクの作品が演奏に際しては、恐らくスメタナやドヴォルザークの作品の演奏とは全く異なる態度や方法論が必要なのだということを示しているのだと思います。それについてよく分かっていないので、私はいまだにヤナーチェクの音楽を好んでは聴くことができないのかもしれません。

 さらに、日本において、ヤナーチェクの中で最も有名で、頻繁に演奏される作品は「シンフォニエッタ」あると思われます。ここで取り上げる「グラゴル・ミサ」は、イギリスでは「ヤナーチェクのオペラ以外の作品では最も高名なもの」と評価されているようです。しかし、これは伝統的に声楽が日本とは比較にならない高い地位を与えられているヨーロッパでのことであり、日本ではこの曲についてそれほど知られているとも考えられません(これは、自分の無知をさらけ出すことでしかないのですが…)。

 そこで、良くご存知の方には申し訳ありませんが、「グラゴル・ミサ」の曲自体についてまとめ、その後、この曲のCD批評に注目することによって、どのような演奏が望ましいと考えられているのかのヒントを得てみたいと思います。(参考にするのは、Paul Wingfieldの著書”Janacek: Glagolitic Mass” (Cambridge University Press,1992)、およびイギリスの音楽誌”Gramophone”のサイトhttp://www.gramophone.co.uk/から得られた批評です。)そして、その後、チェコ・フィルを含むいくつかの録音を簡単に取り上げてみたいと思います。

 

2.作品について

 

(1)タイトルについて

 

 まず、曲のタイトルから確認してみましょう(尚、以下の曲についての情報は、そのほとんどをWingfieldの前掲書に依拠しています)。「グラゴル・ミサ」は原語表記をすると”Msa glagolskaja”となるそうです。最初のMsaは「ミサ」のことであろうとすぐに分かりますが、つぎのglagolskajaとは何でしょうか?これは「グラゴル語」によるという意味でしょう。では、このグラゴル語とはどのような言語でしょうか。グラゴル語は古代スラヴ語の文字の一種ということになるようです。話は9世紀に遡るのですが、モラヴィアのロスティスラフ王子が862年に、東ローマ帝国の皇帝に、キリスト教についての指導を得るための使節団の派遣を要請しました。それに応えて派遣されたのが、コンスタンチン(もしくは、キュリロス)およびメソディウスでした。彼らは、聖書やその他の聖典をこの地域で用いるために翻訳する必要があったのですが、その際に用いたのが「マケドニア・ブルガリア古代スラヴ語」と呼ばれるものだったそうです。この「マケドニア・ブルガリア古代スラヴ語」は原スラヴ語(Proto-Slavic)と非常に似ていたようです。そして、その言語を標記するために用いられたのが「グラゴル文字」と呼ばれる文字でした(グラゴル文字は煩雑であったため、後に、その点を改良したキリル文字が発明されました)。そして、ヤナーチェクが作曲したがったテキストも「キュリロスとメソディウスの言葉」でした。

 この後、古代スラヴ語は、ラテン語もしくはギリシア語の使用、それぞれの地方方言への拡散、政治的状況などにより1100年頃までには用いられなくなっていったようです。

 

(2)作曲の経緯

 

 次に、作品についてみて見ましょう。

 作曲の経緯を、図に簡単にまとめてみました。

1908年
ラテン語のミサを作曲。
(作曲されたのはKyrie、Credoの2/3、Agnus deiのみ。)

   
       
   

1921年
古代スラヴ語のテキストをマルティーネクから入手し、写す。

   
   

1926年8月(初稿)
上記ミサ曲がそれぞれ、Gospodi、Veruju、Agneceに生かされる。
この辞典での楽章構成は以下の通り。Uvod (導入), Gospodi(キリエ), Slava(グロリア), Intrada(イントラーダ), Veruju(クレド), Svet(サンクトゥス), Agnece(アニュス・デイ)

 
       
   

1926年9月
上記テキストの印刷されたもの、またそれとは別のテキストを手に入れる。

   
   

1926年9月(第二稿)
1908年のミサからの文字通りの引用を削除。
タイトルをMissa slavnija(荘厳ミサ曲)とする。
Intradaを最後にもってくる。

 
       

1926年10月(第三稿)
作曲者自身の清書(10月15日に完成)。
タイトルをMissa glagoljskaja(荘厳ミサ曲)とする。

 
       

12月までのどこかで、オルガンソロの楽章が作曲され、12月初頭に現在の位置に挿入される。

 
       

1926年12月20日
セドラーチェクによるスコアの清書が完成。

 
       

1927年5月〜7月
12月に演奏が計画されたため、再びこの作品に取りかかる。
タイトルをMisa Glagoljskajaとする。
その他の改訂。(例えば、導入のTpのファンファーレにHrを重ねる。)

 
       

クルハーネクによる清書スコアが9月1日に完成したが、その後も初演まで様々な改訂。

 
       

1927年12月5日
ブルノにおける初演。

 

 

出版準備と出版
ワインガルトによるテキストのチェック。(しかし、時間の都合で、このチェックは1928年のヴォーカル・スコアにはほとんど反映されない。)
タイトルをMsa glagolskaja(グラゴル・ミサ)とする。
1929年にフル・スコアの出版。
1930年にヴォーカル・スコアの改訂版の出版。この際に、ワインガルトによるテキストの訂正が一部生かされる。

 

1928年4月8日
プラハにおいて、チェコ・フィルによる演奏。

 

 ほとんど、私が理解するために、作成した表ですので間違い等があるかもしれませんが、大まかな年代等を確認していただければよいと思います。それぞれの過程でどのようなことが行われたかを事細かに確認しておくのは、私の能力を超えますので、Wingfieldに従って、この曲が作られた大雑把な背景をまとめておきたいと思います。

 

(3)作曲の背景

 

 第一点は、ナショナリズムもしくは民族主義です。スメタナがチェコの国民的オペラを作曲しようとし、ドヴォルザークがチェコ(だけではありませんが)の舞曲の様々な要素を取り入れ「スラヴ舞曲」を作曲し、民話に基づく管弦楽曲を作曲しようとしたこと。ヤナーチェク自身も、初期にオペラ「シャールカ」を作曲していることからも分かるように、このような流れとは無関係ではありません。ヤナーチェク自身が「グラゴル・ミサ」について、「この作品において、私は国民の確信に対する忠誠を表したかった」と述べています。また、このような流れは西欧先進諸国以外ではどこでも見られた流れで、音楽史では、周知の通り、国民楽派という概念でまとめられています。

 また、上の表で確認していただけるとおり、この曲は第一次世界大戦の数年後に作曲されています。第一次世界大戦の講和会議の流れを決めたウィルソンの「民族自決」を含む「十四か条の平和原則」が出されたのが1918年ですから、まさにこの曲が作曲された時代は、「民族」という言説が、国際関係を決定する建前としても認められ、その隆盛を誇っていた時期といってもよいでしょう。

 第二に、ナショナリズムとは、ある意味反するのですが、汎スラヴ主義です。ヤナーチェクは、汎スラヴ主義にも惹かれていたようで、ロシア語も相当程度学んでいたようです。また、彼のオペラ「カーチャ・カバノヴァー」はロシアの寒村が舞台ですし、「死者の家から」の原作者はドストエフスキーです。

 第三に、チェチリア運動です。聖チェチリアは、キリスト教初期の殉教者で音楽の守護聖人とされる人ですが、この人物の名を冠したこの20世紀の運動は、教会での賛美をポリフォニックな声楽のみの楽曲に限定しようという運動です(宗教改革の直後にもカトリック側からこんな動きがありましたね)。「グラゴル・ミサ」をご存知の方は、なぜこの運動と、あの騒がしい曲が関係するのかとお思いでしょうが、この運動は、チェコにおいては当初からナショナリズム的な要素を帯びており、それがグラゴル文字についての研究を進展させることになったという意味で関係があります。

 ヤナーチェクが「グラゴル・ミサ」を書いた理由は以下のようにまとめられるように思います。ヤナーチェクは決して宗教的に敬虔な人物でなかっただけではなく、むしろ、神の存在について懐疑的であったようですし、それゆえ、彼には教会音楽作品はそれほど多くありません。ですから、教会音楽そのものを書きたいという純粋に信仰的な動機が「グラゴル・ミサ」を書いた動機ではないと考えられます。それよりも、民族主義的な考えを持っていた(これは、当時の人としては当たり前のことです)ヤナーチェクは自らの民族的な起源に関心を抱いていたのでしょう(これもまた、民族主義の典型的なあり方の一つです)。そして、大方の民族主義において、この関心はまず言語への関心という形で表されるのもどこでも見られる現象です。そこで彼が発見したのが古代スラヴ語(および文字としてのグラゴル文字)でした。そして、この言語は、原スラヴ語に近かったため、彼の汎スラヴ主義をも満足させたということだと思います。

 

(4)歌詞の内容と曲の構成

 

 「グラゴル・ミサ」の歌詞の内容は、いくつかの相違点はあるとはいえ、基本的には、「ミサ曲」の歌詞(Kyrie, Gloria, Credo, Sanctus, Agnus Dei)を古代スラヴ語に訳したものです。

 さて、ヤナーチェクが作曲しようとしたのは「キュリロスとメソディウスの言葉」(9世紀)でした。これに対して、古代スラヴ語のグラゴル文字表記の資料はその後の10世紀の終りくらいからしか存在しないそうです。ですから、Wingfieldによれば、現在においても、「キュリロスとメソディウスの言葉を完全に再現するのは不可能」だそうです。

 また、上の表からも分かるように、作曲の過程でも何度かの改訂が試みられています。これは、ヤナーチェクの採用したテキストが当時の学術水準からしても十全なものとは言い難かったためであるようです。このため、ヤナーチェクの死後もWingfieldを含めて様々な改訂の提案がなされているようです。

 さて、通常のミサ曲は上記のような5つの楽章から成りますが、「グラゴル・ミサ」では、そのキリエの前に「序奏」、アニュス・デイの後ろに「後奏」、「イントラーダ」があり、全部で8楽章構成になっています。

「グラゴル・ミサ」 通常のミサ曲
序奏  
Gospodi pomiluj Kyrie eleison
Slava Gloria
Veruju Credo
Svet Sanctus
Agnece Bozij Agnus dei
後奏  
イントラーダ  
 

3.どのように演奏されるべきか

 

(1)初演当時の批評

 

 さて、これまで確認したように、この曲は「ミサ」という名を有していながら、通常のミサとは全く異なるものであることはお分かりいただけたと思います。ですから、「敬虔な雰囲気」といったようなものは、この曲には必要ではないのかもしれません。プラハで二度目の演奏があった後、ヤナーチェク自身が「それは、荒々しい」と述べているのです。

 この荒々しさは、それについてどのような評価を下すにせよ、早くから認められていたようです。イギリスでの初演に対する批評には「この曲がふさわしい宗教的な機会があるとすれば、恐らく、新しい鉄道駅のオープニングであろう」とか、「好戦的で軍隊的なミサ曲である」などと述べられると同時に、この荒々しさに対して、「これは〔教会などとは全く関係がない〕これまでなかった力を持つミサ曲である。全曲は、ファンファーレを最初と最後に伴う、喜びの賛歌に満ちている」といった肯定的な評価もあったようです。

 ところが、この曲は「ミサ」と名乗っていますから、「荒々しさ」の中にも何とか「宗教的なもの」を読み取ろうとする努力もなされていたようです。例えば、プラハの1928年の演奏の直後には、ヤナーチェクは「今や強固な信仰を持ち、彼と神の関係を表現することが必要であると感じるようになった」が、彼の表現する神は普通の神ではなく「野外で」想像した神であろう云々、という批評あったようです(この批評についてはヤナーチェク自身が「私は全く信仰を持っていない」と反論していますが)。

 その他には、作曲者自身が重要視していた愛国心をこの作品から読み取る批評もあったようです。ヤナーチェク自身が愛国者であったことは疑う余地がありませんし、1920年代から30年代にかけて、この曲を「愛国的である」と評価する人がいたのも不思議ではありません。

 

(2)現在の批評

 

 さて、現在の批評に目を転じてみましょう。ここでは、先述のとおり、Gramophone誌からの批評を参考にしていますので、現在の「イギリスにおける」批評ということになってしまいますが、それ以外の情報ソースを見つけることができなかったのでお許しください。

 現在の批評の特徴は、初演当時の批評と比較した場合、宗教的な雰囲気や愛国的雰囲気を読み取ろうとする傾向は希薄であること、結果として、音楽の特徴そのものをより即物的に判断し、その「荒々しさ」や、ヤナーチェク独特の語法、また、中欧の「文明化された」音楽とは異なる側面を評価するものが目に付くということです。

 例えば、典型的な批評は、シャイーの演奏に対するEdward Seckerson(1999/1)の批評だと思われます。彼は、シャイーの演奏は「ウィーンフィルの豪華な均質性によって」ヤナーチェク特有の響きが幾分か失われているのに対して、アンチェル、クーベリック、マッケラスなどの演奏には「ヤナーチェクの驚くほど率直な色彩が〔中略〕荒削りなままで鳴っている」と評価しています。

 

(3)まとめ

 

 さて、以上からどのようなまとめが可能でしょうか。「グラゴル・ミサ」は、初演当時からその「荒々しさ」を強烈に人々に印象付け、この要素は初演から70年以上が経過した現在でもこの曲の重要な要素であると考えられているというまとめが一応可能だと考えます。

 これに対して、最近では省みられることのない要素が二つありました。

 その一つが愛国心ですが、私は、愛国心が音化(奇妙ないいかがですが音としてどのように表されるかという意味です)されるプロセスと、その一般的な表現がよく分からないのでここについてはコメントを控えたいと思います。もちろん、20世紀初頭のナショナリズムが、自民族の言語、伝統(民話や民謡)といったものを大きな柱として形成され、それが歴史の流れを大きく左右したことはあまりに明らかですが、だからといって、「愛国的音楽」という概念が、例え過去に存在したとしても、一般的に認められているようには思いません。(ヴェルディのナブッコにしても、歌詞があって初めて「愛国的」になりえたと考えられます。音響的に見て、ヴェルディの方がプッチーニよりも愛国的である、と誰が言えるのでしょう?)

 これに対して、宗教的な要素はどうでしょうか。「宗教音楽」という概念は、過去も、現在もその存在が一般的に認められています。では、このジャンルの特徴とは何でしょうか。それは、「荒々しさ」に対して、「平安、敬虔、穏やかさ」などといった言葉で表される音楽でしょう。もし、現在の批評が宗教的な雰囲気を積極的に読み取ろうとはしなくても、このような要素に対しては批判的に対応していることがうえの批評から読み取れると思います。つまり、宗教的な要素とまではいかなくても、宗教音楽に一般に見られる雰囲気は評価に何らかの影響を与えているといっては、深読みしすぎでしょうか。

 

4.いくつかの演奏

 

 ここでは、これまでに見てきたことを参考にしながら、いくつかの演奏について述べてみたいとおもいます。さて、これまでに「荒々しさ」がこの曲の評価の際のキーワードであるように思われるという結果が出ましたが、そのことを念頭に置いて評価が高い二つの演奏を聴いて見ましょう。その二つとは、クーベリックと、マッケラスです。

 

(1)クーベリック盤とマッケラス盤

 

  確かに、評価されるのが分かる演奏です。クーベリック盤は、細かい動機が連続するときのアッチェルランドが実に効果的に用いられていますし、また、Slavaの冒頭から少し進んだプレストの弦楽器の速い3連譜の連続は、対抗配置とそれを良くとらえた録音も手伝って、非常にスリリングです。一方、マッケラスは、クーベリックよりは落ち着いた感じがしますが、様々な場面の開始を告げるトランペットのファンファーレはとりわけ印象的ですし、細かい動機の連続も、曖昧に演奏されることがなく、合唱団の明瞭な発音もこの演奏の大きな長所でしょう。また、両者に共通しているのは、ティンパニです。両者とも、硬い音が出るような撥を選択したものと思われ、非常にドライな音が出ており、それが効果をあげています。

 

(2)マズア盤との比較

 

  しかし、マズア盤を聞いて、私は少し考えてしまったのです。クーベリックとマッケラスに共通するのは「荒々しさ」という側面もあるが、それ以上に印象的なのは「明瞭さとドライな雰囲気」ではないだろうか、と。「明瞭さとドライな雰囲気」があれば、ヤナーチェクスコアが持っている「荒々しさ」を誇張せずに表現することが可能で、それがこの二つの演奏に共通しているのではないのか、と。例えば、ティンパニの音は「荒々しく迫力がある」という意味では、マズア盤のティンパニもそうです。ところが、マズア盤のティンパニは、非常に柔らかいウェットな音がします。それを、非常に強く叩くものですから、迫力は非常にありますが、音の切れは失われています。また、オーケストラ全体のサウンドも、いかにもドイツのオーケストラというウェットな感じがします(マズア自身はそれに反抗するような解釈を色々しているように思われるのですが)。

 

(3)シャイー盤、ケンペ盤との比較

 

  また、クーベリック盤とマッケラス盤の明瞭さは、旋律を横に流さない、つなげない、というところにも共通して見られます。これと全く反対なのが、シャイー盤です。シャイーの演奏は、こういう言い方が許されるのであれば、一番伝統的な宗教音楽に近いアプローチと言えばよいかと思います。とりわけ「序奏」ではその傾向が顕著であり、この曲を壮大で荘厳な曲であると捉えているように思われます。今回比較した演奏の中では「導入部」に一番時間をかけていますし、また、低音に対して高音の楽器を故意に一瞬遅らせて発音させる点などからそれがうかがえます。ケンペ盤も、そこまで宗教音楽的ではないとはいえ、似たような印象を受けます。これには録音の関係かもしれませんが、合唱団が持つ衝撃が表現し切れていないこと、ケンペの解釈が、基本的には、ブラームスに対するときと変わらないように思われる点などが挙げられます。ただ、シャイーと比べた場合に異なるのは、ケンペの演奏は、良い意味で感情任せのところがあるように思われ、それが、例えばイントラーダでは、非常に興奮させる音楽を生み出しているところです。

 

(4)アンチェル盤との比較

 

  では、アンチェル盤はどうでしょうか。これも非常に評判が高い演奏ですし、私も最初に聞いたのはこの演奏でした。彼の音楽の特徴は、どのような曲の場合にも、熱狂的でありながら、ドライであるという両面を持っていることのように思います。ですから、彼演奏するドヴォルザークやスメタナには、ノイマンの演奏が持つような人懐っこさのようなところはありません。また、彼の録音の中で現在でも高く評価されているものに、ストラヴィンスキーの一連の録音があります。ストラヴィンスキーの作品も、感情移入というよりは、ドライに演奏した方がうまく行くものが多いように思われます。というわけで、アンチェルの「グラゴル・ミサ」の演奏は、うまく行っているように思いますし、それは彼の演奏の特徴からすれば、当然なのかもしれません。ただ、「アンチェル好調だな」という感想が先に出てきてしまうのは、アンチェルのほかの曲に対するアプローチもあまり変わらないことを知っているためでしょうか。

 

5.まとめ

 

 さて、長々と書いてきたわりには、一貫しない流れと、月並みな結論に落ち着きそうです。

 まず、この曲は非常に奇妙な曲であることはご理解いただけたかと思います。なぜかといえば、信仰を持たない作曲家が、愛国心を持ちながら、現在ではそれがどんな言葉だったか判然としない面を含む古代の言葉に訳された、普通のミサの典礼文に作曲をした作品だからです。

 ここから、演奏にも大きく分けて二つのタイプが派生するように思われます。主流は、もはやミサの典礼文が持つ宗教性を剥奪して、もしくは、古代の人間の宗教性は我々が想像する宗教性とは異なると考えて、スコアの持つ「荒々しさ」を強調する方向にあり、そのような演奏が高く評価されていることも確認できました。

 ただ、「荒々しさ」そのものを求めるよりは、もっと突き放した、「明瞭でドライな雰囲気」を持つ演奏の方が「荒々しさ」を十全に示すことができる、と私は考えます。おそらく、ヤナーチェクの「荒々しさ」とは、ドイツロマン派の音楽に見られるような「感情的なもの」とは一線を画したもので、人間感情とは無関係に存在する何者かが持つものであるような気がします。(ヤナーチェクは「利口な雌狐の物語」で、人間の愛や恋とはかけ離れた自然を描いていますが、その自然の持つ荒々しさのようなものなのかもしれません。)

 しかし、もう一方で、シャイーの演奏のように、「荒々しさ」に留意しながらも、伝統的な宗教音楽に近づけるような解釈もあるのだろうと考えられます。このような解釈が主流になることはない様に思いますが、このような解釈の方が心に訴えるという聞き手がいても全然おかしくはないと考えます。

 これらのことを頭に入れて、色々演奏を聴いた結果、結局のところ、私が優れていると感じたのは、マッケラス盤とクーベリック盤でした。

 

後書き

 

 「はじめに」でも述べましたように、私はヤナーチェクが苦手です。この文章は、自分がヤナーチェクと付き合うためには、ヤナーチェクの音楽をどのようなものとしてみればよいのか、ということを少しでも理解するために書いたようなところがあります、というより、ほとんどそのために書きました。もし、最後までお付き合いくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

 

(2004年10月17日、An die MusikクラシックCD試聴記)