ビエロフラーヴェクのマルティヌー(交響曲第3番、第4番)
管理人:稲庭さん
マルティヌー
交響曲第3番
交響曲第4番
ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィル
録音:2003年9月(ドヴォルザーク・ホール、ルドルフィヌム)
Supraphon(輸入盤 SU 3631-2 031)■ はじめに
チェコ・フィルはマルティヌー(1890-1959)を非常に積極的に取り上げています。チェコ・フィルがスメタナ、ドヴォルザークを取り上げる理由は誰でも簡単に想像が付くと思います。チェコ・フィルはマルティヌーも同じ理由で積極的に取り上げているのでしょうか。その辺がよく分からないところです。さて、今回は、そのマルティヌーの交響曲第3番と第4番をビエロフラーヴェクが指揮したCDを取り上げてみたいと思います。
■ マルティヌー
なぜチェコ・フィルがスメタナやドヴォルザークと同じ理由でマルティヌーを取り上げているかはよく分からないと申し上げたかといいますと、マルティヌーはチェコに生まれたのですが一生のほとんどを外国で過ごしているからです(フランス→アメリカ→フランス・イタリア・スイス)。若い頃に(といっても30歳を過ぎてからですが)フランスに行き、その後ナチスを避けてアメリカに渡り、戦争が終わってチェコに戻れるかと思ったところ、共産主義政権が成立して果たせず、その後アメリカで市民権を取得し、晩年はヨーロッパで活躍した、という、ある意味コスモポリタンな人です。
マルティヌーは極めて多作な人で一体作品の総数がどのくらいになるのか私は知りません。交響曲は6曲作曲していますが、そのほとんどがアメリカ滞在中の1940年代に作曲されました(交響曲第6番だけが1950年代の作曲)。ブラームスが生涯に4曲、ベートーヴェンが9曲。それに比べて、ほぼ10年の間に6曲も作曲してしまうマルティヌーは、「天才」とでも呼べばよいのでしょうか。
では、作風はどのようなものかといわれると、フランスに出て「6人組」の影響を受けたためか、「新古典主義」的な作風がその根底に一貫してあるように思います。「新古典主義」とか「6人組」とかいうと、私なんかは、「ああ、あの人を食ったような曲想ね」と反射的に思ってしまい、それだけで敬遠したくなってしまうのです。例えば、ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」などの作品は、最初はその妙にドライで、楽しげな音響にひきつけられるのですが、10分以上付き合っていると、だんだん飽きてきます。マルティヌーの作品に関しても、一部のバレエ音楽や協奏曲などは、正直繰り返し聴きたいとは思いません。私がマルティヌーの音楽を色々聞いているのは、単にチェコ・フィルが取り上げているから、という理由しかないのかもしれません。
しかし、交響曲に関しては少々事情が違います。確かに、ドイツロマン派流の「まじめな」音楽とは言いがたいとは思いますが、それなりの叙情性と、確固とした作曲技法(何て分かったようなことを言ってみます)がうまく連動して、それなりに魅力的な作品を作っているように思います。
■ ビエロフラーヴェク
ビエロフラーヴェクはノイマンの後を継いでチェコ・フィルの首席指揮者となった人です(1990-93年)。首席指揮者の時期にシャンドスやスプラフォンに録音をいくつも残しています。例えば、シャンドスから発売されているドヴォルザークの「スターバト・マーテル」や、「交響曲第8番」などの演奏は私の気に入っているものです。この時代のビエロフラーヴェクの指揮の長所は、非常に丁寧な音楽をやっていることだと思います。しかし、同時に何か煮え切らないところがあり、よく言えばオーケストラの自主性を尊重した、悪く言えば、何もしない、ことが多く、結果として緊張感や主張を欠く演奏が多かったように思われます。その後、1993年に首席指揮者をやめた後、95年くらいまでは録音がありますが、それ以降はチェコ・フィルとの録音はなくなってしまったようです。
ところが、2003年から録音が再開されました(とはいっても、現在のところ今回紹介するCDと、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が存在するくらいですが)。そして、このCDを聞く限り、今後が期待できるのではないかと思います。慢性的に(良い)指揮者不足のチェコ・フィルです。この両者の関係が今後も続いてくれることを願っています。
また、ビエロフラーヴェクはチェコ・フィルの指揮者の中でも最も積極的にマルティヌーを取り上げてきた指揮者だと言って間違いないでしょう。首席指揮者になる以前から「ピアノ協奏曲全曲」(スプラフォン)を録音していますし、首席指揮者に就任した後も、シャンドスにいくつかの交響曲と管弦楽曲を録音しています。また、チェコ・フィル以外のオーケストラともオペラ等を積極的に録音しています。
■ このCDの演奏
さて、このCDの演奏を最初に聞いたとき真っ先に出てきた感想は「ビエロフラーヴェクは変わった」という感想でした。先に述べたとおり、首席指揮者時代の彼の演奏はどこか積極性に欠けるものが多かったのですが、ここでは全く違います。交響曲第3番の冒頭からぐいぐい曲の中に引き込んでいく力を持った演奏をしてくれています。
一体何が変わったのでしょうか?はっきりと分析したわけではないのですが、句読点のつけ方がうまくなったと思います。音楽は、例えば8小節を一単位として、それが集まって、何か一つのまとまりを作り(ここでは、勝手に「場面」と呼んでしまうことにします)、それがまた集まって、提示部・展開部などと呼ばれるまとまりを作り、それが集まって、楽章ができるわけです。そのうち、数十小節くらいのまとまりを持つと考えられる「場面」ごとの切り替えと、その中の処理が非常にうまく行っていると思います。例えば、交響曲第3番の第2楽章では息の長いクレッシェンドが数回見られるのですが、ここで彼は音量を上げるのは当然として、同時に絶妙なテンポの変化をつけ、説得力を持たせながらクライマックスまで音楽を導いています。また、第1楽章では、場面ごとにきちんとしたまとまりを作ることができているように思いますし、また、その転換も、抵抗を感じさせないけれども変化したことがきちんと示す、理にかなったものだと思います。
そんな単純な話でよいのか思われる方も多いかと思います。けれども、やはり、以前のビエロフラーヴェクの指揮と比べて、この点に著しい変化が見られたのが「煮え切らない指揮者」から「ぐいぐい引き込む指揮者」への転換で最も重要な点ではないかと考えてしまうのです。
また、もう一点指摘するとすれば、以前のビエロフラーヴェクのマルティヌーに比べて、聞かせるべき音、最も聞かせたい音、をはっきりさせることによって、音響的にも、音楽的にも、より明快なフォームを描くことに成功していると思います。しかも、それが行き過ぎて「単純にしか聞こえない」とか、「整理されすぎている」といった印象を与えることもありません。
この演奏に見られるこれらの美点は、ビエロフラーヴェクがマルティヌーのスペシャリストであるから実現できたという側面もあるかもしれません。しかし、私には、もう少し何か基本的な部分での彼の音楽の変化を示唆しているように思われるのです。
チェコ・フィルもこのような指揮に対して、万全の対応をしているように思います。ご存知の方はご存知のとおり、チェコ・フィルはやる気を出さないと本当にひどい演奏をするオーケストラです。しかし、この演奏は音そのものからして意欲的ですし、それが空回りすることもなく、音楽のフォームとしても非常に綺麗にまとめられていると思います。
例えば、交響曲第3番の終楽章の終りの方の弦楽器の音色などは、チェコ・フィルの録音を追いかけていて良かったと思わせるものです。言葉で表現するのは難しいのですが、「甘くなりすぎない叙情性」とでも言えばよいのでしょうか。
逆に、マルティヌーの悪戯心が顔をのぞかせるちょっとした合いの手なども、絶妙に決められており、叙情的な部分と非常に明確で、鋭い対照をなす音で演奏されています。
そして、最後に、意外なことに(と言っては失礼ですが)、スプラフォンの録音も非常にうまく行っているように思います。デッカやフィリップスに比べると、個々のパートの分離、低音の明確さなどは劣りますが、以前にも申し上げましたとおり、チェコ・フィルの音そのものがそのようなものではないので、ここでのスプラフォンの録音はチェコ・フィルの音の特徴を非常に良く捕らえていると思います。
現実の音との関連だけでなく、オーディオ的な観点(これをどのような言葉で表現すればよいのか知らないので、曖昧な言い方になってしまって申し訳ありませんが)からも満足できる録音だと思います。
■ おわりに
今後、このCDを嚆矢としてビエロフラーヴェクとチェコ・フィルはマルティヌーの交響曲を全曲スプラフォンに録音するようです。恐らくマルティヌーが好きな方にとっては欠かせない録音となるでしょうし、マルティヌーは聞いたことがないという方にとってはここからマルティヌーの世界に入ってみるのにふさわしいクオリティのCDであると思います。チェコ・フィルがマルティヌーの録音を出すたびに、CDを手にして、しばしたたずみながら「買うべきか、それとも、買わなくても良いか」と悩んでしまうことが多い私ですが、このシリーズは今後も期待したいと思います。
また、ビエロフラーヴェクが、以前とは打って変わった意欲的で魅力的な演奏をしてくれていることは先に述べたとおりですが、それを支えている音楽の語法はマルティヌー以外の作曲家の作品においても生かされるであろうと考えられます。このため、私はこの指揮者とチェコ・フィルの今後の関係に大きな期待を抱いていますし、もしかすると、それが明らかになったことがこのCDの最も大きな収穫かもしれません。
このような魅力的なCDに出会うたびに、それにしても、と思います。チェコ・フィルは毎回このような演奏をしてくれないものだろうか、と。
(2004年10月21日、An die MusikクラシックCD試聴記)