アシュケナージの指揮によるR.シュトラウスの「家庭交響曲」 初顔合わせが・・・

管理人:稲庭さん

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CDジャケット

R.シュトラウス
家庭交響曲
ドン・ファン
ヴラディミール・アシュケナージ指揮チェコ・フィル
録音:1997年、ドヴォルザーク・ホール、ルドルフィヌム
CANYON Classics(国内盤 PCCL-00408)

 

 アシュケナージとチェコ・フィルのR.シュトラウス

 

 アシュケナージは1998年から2003年までチェコ・フィルの音楽監督を務めました。その間に、決して少ないとはいえない録音を残しましたが、その内容を見ているとあることに気が付きます。というのは、これまでチェコ・フィルがほとんど録音してこなかったレパートリーの録音が多いことです。その中で、最も多いのはR.シュトラウスの曲です。具体的に見てみると、R.シュトラウスのCDは4枚作っています。これに対して、チェコ・フィルのレパートリーの中核をなすドヴォルザークのCDは3枚、また、マーラーのCDも3枚です。

 

 チェコ・フィルのR.シュトラウス

 

 チェコ・フィルそれまでR.シュトラウスをそれほど積極的に録音してきたとは言いがたいと思います。もちろん、全く録音をしなかったわけではなく、例えば、コンヴィチュニーとアンチェルの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や、コシュラーとの「アルプス交響曲」などが存在します。しかし、一人の指揮者の下でこれほど集中的にR.シュトラウスの曲を録音したのは初めてでしょう。

 

■ 再びアシュケナージとチェコ・フィルのR.シュトラウス

 

 そして、アシュケナージのチェコ・フィルとの最初の録音は「家庭交響曲」でした。その後、「アルプス交響曲」(1999年)、「ドン・キホーテ」(1999年)、「英雄の生涯」(2000年)と録音していくわけです。「ドン・キホーテ」と「メタモールフォーゼン」については、なにやら小難しそうな曲で、よく考えるとよくできている曲なのかもしれないな、と思いながら、反面、どこが面白いのかよく分かっていないので、判断を停止しておくことにします(実は、この2曲に関するアシュケナージの演奏は面白いのかもしれないと思っているところもあります)。しかし、その他の演奏は最初に録音した「家庭交響曲」に、はるかに及ばないような気がします。

 

 面白くないと感じる演奏の例、「英雄の生涯」

 

 例えば、「英雄の生涯」では、チェコ・フィルは完全にアシュケナージの望む音楽をやろうとしているのが分かるのですが、それが二つの意味でうまく行っていないような気がします。

 第一点は、アシュケナージの音楽が、リズムの面において、面白みがなさ過ぎること。例えば、この曲の冒頭「英雄」の部分に出てくる弦楽器の刻みがいかに無機質に聞こえることでしょう。

 さらに、第二点として、チェコ・フィルの方も、何となくアシュケナージのテンポについていくのがやっと、という感じが見えます。例えば、再現部の直前、「英雄の戦場」の終わりの方で、英雄の信号動機が決定的な勝利を告げる場面(616小節)があるのですが、そこに至るまでの過程が、いかにもまとまっていない。そして、616小節は合わせやすい部分ですから、そこで、「おー、危なかった。でも、ここでまでくると一安心」という感じが見えてしまうのです。

 また、あれほど歌えるはずのチェコ・フィルが、テンポについていくのがやっとであまり歌えていないという箇所もそこここに見えるような気がします。(議論の軸がいくらかでも明らかになるように、自分の好みに一番あっていると現在考えている「英雄の生涯」の演奏を挙げておきます。それは、プレヴィン・ウィーンフィルのものです。)

 どうしてこういうことになってしまうのかは、一概には言えませんが、私の経験から少なくとも言えることは、練習不足、の一言に尽きます。オーケストラと指揮者がこの曲を合わせた回数が少ないか、オーケストラの方で「この曲はどんな指揮をされようともこうやる」というのがない場合はこうなってしまうのでしょう。こういう場合のチェコ・フィルは本当に、「?」の連続の演奏をしてくれます。そこが、一流になりきれないところなのでしょうね。

 

 本題の「家庭交響曲」

 

 あれ? 本題は「家庭交響曲」のCDでしたね。そうです、「家庭交響曲」の演奏に関しては「英雄の生涯」での演奏のまるっきり逆が当てはまるように思います。例えば、始まった直後の分散和音的な主題(トラック1の0:30近辺、ドーヴァー盤のスコアで練習番号1)に入る直前では、ふっと緊張が緩んだように落ち着いた後、おもむろに、堂々たる歌いまわしでヴァイオリンがメロディを奏でます。しかも、最高音にきちんと適度な重みをおいて。こういうことは、楽典を考えればすぐ理論的には導き出せることなのでしょうが、それを数十人に及ぶ奏者がまとまってやることができるためには、個々の奏者がこれをどう弾くかを体で覚えている必要があるように思います。

 また、このCDを聞いていると、R.シュトラウスの音楽では、旋律に従ったテンポの揺らしが非常に重要な要素であることに気が付かされます。テーマIIの提示(1:00から、練習番号3から)からテーマIII(3:19、練習番号15)の提示直前までの様々な場面における旋律内でのテンポ変化の絶妙さは、指揮者がやりたい音楽を強引に押し付けているのでもなければ、オーケストラがとにかく指揮者についていこうという気構えでやっているのでもなく、両者にどうやったら言いかという了解があるために出来ることだと思います。そして、このような了解を全曲に渡って感じ取ることが出来る演奏がこの演奏なのです。

 なにせ、曲が曲です。日曜の昼下がりにぴったりの曲です(違いますか?)。これほどまでに、陰りがない曲はR.シュトラウスといえども珍しいように思われますし、歌につぐ歌です。チェコ・フィルがうまい具合に演奏すると、それだけで盛り上がってしまいます。例えば、他にも、テーマIIIとスケルツォ的な要素が組み合わされる部分(トラック2、2:06、練習番号29)などの、歌いまわしとHrとVnの重なり方、またホルンセクションの音色など、聴き所満載です。

 

 それにしても

 

 それにしても、こうやって録音の初顔合わせでこれだけ面白い演奏をしておきながら、それ以降の演奏がつまらないのはどうしたわけでしょう。もちろん、これ以降の録音でも、私が面白いと考えているものはいくつかあります。しかし、アシュケナージが力を入れたR.シュトラウスに関しては「家庭交響曲」が頂点であったように思われます。これは、オーケストラのせいでしょうか?指揮者のせいでしょうか?もちろん、正しい答えは「どちらのせいでもある」というものでしょう。

 ちょうどチェコ・フィルの音楽監督は昨年アシュケナージからマーツァルに代わったところです。昨年の来日で聞かせた素晴らしいレベルを今後も維持してくれるかどうか、それを見ていればおのずから答えも出るのかもしれません。

 

(2004年6月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)