ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」ケンペのブラームスを聴く:交響曲その1
ケンペ生誕100周年記念企画として、私が最初に採り上げるのはブラームスの交響曲です。ケンペのブラームス録音はケンペの没後に発表されたものも含めると何種類か現存しています。ここではまず「全集」としてまとまっている、ベルリン・フィル盤とミュンヘン・フィル盤を採り上げることにいたします。
第1番 第2番 第3番、ハイドン 第4番 ブラームス:交響曲全集
:ハイドンの主題による変奏曲ミュンヘン・フィルハーモニー
1974年11月14、15,17日(第4番)
1975年5月(第1番)
1975年11月13、15日(第3番、ハイドン)
1975年12月12、13,15日(第2番)日JVC (国内盤 JM-XR24212-15(分売))
私がケンペのブラームスを聴いたのが、最後の録音となったミュンヘン・フィル(以下MPO)盤です。没後すぐにケンペファンとなって買い求めたのは4曲発売された後にセットでまとめられた国内盤でした(UPS-3001-4)。このレコードの解説によるとケンペの訃報が日本に届いたときには、ブラームス全集は第2か第3が未録音に終わったらしいという情報もあったようですが、すぐに全曲録音されていたと修正されたそうです。
尾埜善司先生の『指揮者ケンペ』でも言及されているところですが、上記の録音年譜を見ると歴然としているように、第3番までは几帳面に半年ごと、それも(第1番は不明ですが)その月の中旬と決めて(?)録音が行われていたのに、最後の第2番はすぐ1ヶ月後にセッションが組まれていました。中旬という時期は頑なに守りながらも、この「スケジュール変更」は、当時ケンペの健康状態は悪化していたことと考え合わせると容易に仮説を出すことができます。すなわち、第3番の半年後の1976年5月には「自分はこの世にいないかもしれない」とケンペ自身が悟っていた、そのため録音スケジュールを早めた、という仮説です。実際、ケンペは1976年5月12日に没しているのです。
この全集で最初に録音された「第4」は冒頭から激しく起伏に富む演奏です。第一楽章最初の長音は引きずるように始まり、テンポと強弱はどんどん変わっていきます。曲想からみると自然な運びなので、ぼーっと聴いていると何の工夫もない演奏に見えて、聴き込んでみると実に濃厚な演奏であることに驚かされます。展開部に至るまでに一つの大きなうねりを作って全体の形を一つも崩さないというケンペの見通しの良さは見事でしかありません。第二楽章はこの曲で通常想像される寂寥や枯淡とはまったく異なるアプローチで、ケンペは貫徹しています。特に木管パートは凛とした輝きにどこまでも満ちています。チェロによって奏される第二主題も速めのテンポで、それでいて深い変化をもたらしながら広がっていくのです。この第二主題が弦楽器群で演奏される部分は、この楽章の聞かせどころだと思うのですが、ケンペは作為的にテンポや音量、色彩を変えることなく、それでいて情感豊かに響かせているのです。第三楽章は煽るようなテンポではないのですが煮えたぎるような熱さがあり、第四楽章も最後まで真っ赤に燃えるような情感で貫きます。ケンペは「第4」を墨絵のような響きにすることは微塵も考えていなかったことは明らかだと思います。
二番目に録音された「第1」はおそらくケンペのお得意のレパートリーだったと思います。ケンペがミュンヘン・フィルの常任指揮者になった最初の定期演奏会でも「第1」を採り上げています。その「第1」の冒頭を、ケンペはもったいぶらずに、どちらかというとあっさりとしたテンポで始めます。しかし、いわゆる「両翼配置」になった弦楽器の受け渡しは実に洗練されています。合わせないといけない箇所の直前のテンポを自然にゆるめてアンサンブルを整えるのも巧みです。第二楽章でも流れは淀みなく、静かな力強さに満ちています。おそらくコンサートマスターのグントナーによるヴァイオリン独奏もケンペの棒と呼吸がぴたりと一致しているのです。第三楽章は曲想がかわるときの息づかいにいつも聴き惚れてしまいます。音楽は伸びやかに躍動しているのです。終楽章は劇的にすることをケンペは避けており、ちょっと聴くとこぢんまりとした印象なのですが、アルペンホルンの木霊まではややほの暗くゆったりと音楽をすすめ、その後は次第にテンポが速まり弦楽合奏による第1主題からはぐんと音楽が加速していきます。聴かせどころと思われるコラールもテンポは落とさずに一気に押し進めていくあたりから音楽はさらに高揚して、浪漫的に波打つようになります。あとは興奮の終結が約束されているだけです。
それにしてもなんと柔らかいアンサンブルなのでしょうか? 何かがずれているというのではありませんし、アタックが弱いということもないのです。しかしアインザッツは聴き手が切られるような鋭さがありません。ケンペとミュンヘン・フィルが織りなすブラームスは、ベートーヴェンともブルックナーとも違う独特の音づくりがなされていたのです。
「第3」もそうした柔らかく力強いアンサンブルで始まり、合いの手のように弦楽器同士や、弦と管が交流します。テンポはやはり小刻みに動きますが、どのパートも一つの楽器のように呼吸を合わせて演奏していくのは、いつ聴いても素晴らしいと感じます。実にさりげないのですが、前の2曲に比べるとケンペの指揮には力がこもっています。第二楽章は寂寥感より押しとどめようもない情熱があり、第三楽章も甘美に流れることなく厳しさすら感じる演奏です。第四楽章はほとんどやり直しなしで録音したのではないかと思うほど、オーケストラが興奮しているのが伝わります。コーダもCDの楽曲解説にあるような静謐とは無縁の演奏です。「え、もう終わるの? まだ続くのではないの?」と思うようなあっけなさすら感じます。
さて、「第3」のディスクにはハイドンの主題による変奏曲がカップリングされています。オリジナルのLPでは「第3」の後、B面最後に入っていましたが、CDでは最初に配列が変わっています。この「ハイドン」が私にとっては希代の名演であり続けています。ケンペは対位法的な楽曲や変奏曲でのバトン裁きに妙技を発揮する指揮者だったのではないかと、私は思っておりその白眉の一つがこのMPOとの「ハイドン」です。変奏曲間の息継ぎのうまさも特筆すべきものです。第一変奏から第二変奏の間の取り方はいつ聴いても感心するだけです。第八変奏からフィナーレへの華やかな転換は、「ハレ」の高潮をもたらし、まるで大交響曲を聴き終わったかのような満足感が待っています。
最後の録音となった「第2」の冒頭もインテンポのようでテンポが細かく動きます。連綿たる抒情溢れる演奏は、ケンペに貼られた「地味な指揮者」というレッテルがいかに音楽を聴く志がない所作かの証明になります。前の3曲に共通した「柔らかな力強さ」はここでも十二分に発揮されています。「第4」から始まった一連の演奏を聴いてくると、ブラームスの交響曲に「枯淡」「寂寥」「侘び」というような言葉だけで表現していいのかと思わざるを得ません。第二楽章も次々に情念がわき上がる演奏で安穏とは聴いていられませんし、第三楽章も毅然とした流れが続きます。そして第四楽章。ここでケンペは今までの録音とは異なってオーケストラへの統率をゆるめています。木管独奏も自分のやりたいように吹いていますし、全体のアンサンブルも勢いがあって多少の乱れはモノともしない箇所もあります。これが「第2」ならでは、だったのか、それとも「これでブラームスは完結できた。」という込み上げる感情の所作だったのかは分かりません。少なくとも言えることは、MPO盤は録音順に聴いてくると「第2」の位置づけはかなり明確なものになるということです。
最後に音質について触れたいと思います。オーディオは素人なのでCD試聴記では録音のことは触れないのですが、MPO盤については感じるところがあります。今回メインで採り上げたのは日本ビクター制作のxrcdです。もともとMPO盤はドイツの化学メーカーであるBASFが、カセットテープ事業に続いてレコード事業に乗り出し、その企画としてケンペ/MPOでブラームスとブルックナーの交響曲全集が開始されました。日本でもまずBASFレーベルがついた国内盤がリリースされて、それを私が買い求めていたのは冒頭書いた通りです。
ケンペの死去でブルックナー全集は未完に終わり、それと関係があるのかどうかは分かりませんが、BASFはレコード事業から撤退しブラームスも含めた音源はACANTAというレーベルに譲渡されます。私は両レーベルのLPを所有していますが、比較すると見た目が歴然と違います。BASFは光沢のある深い黒のレコードですが、ACANTAはつやがなく灰色がまざったような色合いです。音質もBASFはほの暗く深く重厚なのに対して、ACANTAは明るく華やかさが勝ります。その後ACANTAレーベルも消滅し、ケンペのブラームスとブルックナーの音源はSEVENSEES, OVERSEESなどとレーベルを変えて再発されましたが、音質は劣化の一途でした。その後市場からは完全にMPO盤は消え去ったのです。
上述のBASFとACANTAの音質の差が、盤質だけではなかったことはCD化されたことで分かりました。今回の日本ビクター盤の前に、私が所有している限り以下のディスクがリリースされています。
テイチク盤 PILTZ盤 SCRIBENDUM盤 ARTS MUSIC盤
- 日本テイチク(国内盤 35CT-4, 25CT19,20,21 (分売))
ジャケットは第1番
- 独PILTZ(輸入盤 44 2095-98)
ジャケットは第1番
- 欧SCRIBENDUM(輸入盤 SC002)
- 独ARTS MUSIC(輸入盤 43013-14)
ジャケットは第1、3番テイチク盤はおそらく世界初CD化であったと言われています。しかしオリジナルのマスターテープではないようで音像はややぼんやりしています。PITZ盤はACANTAのロゴも入っていることから分かるようにACANTAの音源を用いていますが、残念ながら音質は冴えないのでケンペの魅力を十分伝えるものではありません。SCRIBENDUM盤はBASFオリジナル音源を使用しているという話で期待しすぎたのか、BASFのオリジナルLPよりは響きが浅い印象でした。そしてARTS盤は交響曲4曲のみ2枚に分けて収めており、おそらくPILTZ/ACANTA音源を用いているようで、PILTZと同程度の音質でした。あの「ハイドン」が、おそらく収録時間の都合でカットされているのは、私としては納得できないとことです。近年でた日本ビクター盤はBASFから送られてきたマスターテープを元にxrcdとしてリマスタリングをしたとのことで、今まで出ていたCDの中でもっともオリジナルLPに近い音質でした。
ブラームス:交響曲全集
:ハイドンの主題による変奏曲
:悲劇的序曲ベルリン・フィルハーモニー
録音: グリュネヴァルト教会、ベルリン
1955年6月23-30日(第2番)
1956年11月29日(ハイドン)
1956年12月1-4日(第4番)
1959年1月2、3,5日(第1番)
1960年1月19-23日(第3番、悲劇的序曲)英TESTAMENT (輸入盤 SBT3054)
さて、一方のベルリン・フィルとの録音(以下、BPO盤)は、モノラルからステレオ初期にかけて行われたものです。したがって第2番から第4番まではモノラル、以後はステレオ録音です。ケンペが亡くなった頃はMPO盤が出そろっていたときであり、BPO盤は市場にはなかったと思います。しばらくしてMPO盤が市場から消えてしまった後に東芝セラフィムレーベルとして出たときも、ステレオ録音の第1と第3/悲劇的序曲の2枚だけであり、モノラル録音も含めた「全集」セットとしての販売は、私の知る限りTESTAMENTがCDボックスとして出すまではなかったと思います。
このBPOとの「全集」はもともと「全集」としていたのかどうかは分かりません。1955-56年と、1959-60年とやや時期が離れていることも引っ掛かりますが、これは1956年にケンペが持病のB型肝炎を悪化させたためとも考えられます。仮にモノラル期にブラームス全集が企画され、ケンペの病気のため延期となっていたのだとしたら、結果的に「第1」と「第3」がステレオで遺されたことは幸運であったとも言えます。
ところでケンペのブラームス録音が始まった1955年というと前年にフルトヴェングラーが死去し、カラヤンがベルリン・フィルの終身常任指揮者に就任したのが同じ年4月のことでした。すなわちケンペ/BPOのブラームスはカラヤン着任直後から録音が始まっていることになります。そこで両者のブラームス録音を表にまとめると以下のようになります。
ケンペ カラヤン 1952 第1(PO) 1955 第2(BPO) 第2、第4、ハイドン(PO) 1956 第4、ハイドン(BPO) 1959 第1(BPO) 第1(VPO) 1960 第3、悲劇的(BPO) 1961 第3、悲劇的(VPO) 1963 第1、第2、第4(BPO) 1964 第3、ハイドン(BPO) 1970 悲劇的(BPO) もちろんそれぞれのレコード会社との契約の問題が大きかったとは思いますが、カラヤンの録音がケンペのそれと似た順番になっているのが興味深いです。
さて、このBPO盤の演奏ですが基本的にはMPO盤とほとんど変わっていません。20年前からケンペのブラームス解釈は完成していたということになります。「第2」も「第4」もモノラル録音としては立派な水準であり演奏も、まだフルトヴェングラー時代の残り香があるBPOの響きと若きケンペのシャープな棒さばきがMPO盤とは別の魅力をもたらしてくれています。
さらにステレオ録音になってからの「第1」と「第3」は、セラフィムから再発されたころにはMPO盤が入手困難になったという事情もあり、さらにはBPOの合奏力の良さが評価されてMPO盤が地味であるという扱いになっていきました。特に「第3」の起伏は半端でないほど大きく、うねり、吐息のように熱い弱音を呈しています。MPO盤にあったような細かいテンポ設計はなく、勢いよく音楽を直進させています。50歳のケンペの貴重な遺産です。そしてMPO盤では録音されなかった「悲劇的序曲」も「第3」と並んで高評価を得た演奏でした。鋭いアインザッツ、ほとばしる情熱、たたみ込む迫力、いずれもが現役の演奏に劣らないものです。ケンペがMPO盤で「悲劇的」や「大学祝典序曲」などを録音する計画があったかどうかは分かりません。しかし少なくともBPO盤で聴く以上、晩年のケンペが演奏した「悲劇的」はどんな演奏になったのだろうと思ってしまいます。
全体を通して比較すれば、熟練した巨匠の技を聴かせてくれるMPO盤が秀でていると思いますが、古き香りを遺したBPOと若きケンペとの幸せな巡り会いが聴けるこの全集も捨てがたい魅力があると考えます。BPO盤が鋼の輝きであるとしたら、MPO盤は木の香りに満ちていると言ってもいいでしょう。
さて、ケンペのブラームスについては他にも興味深い録音がありますが、それは次回に譲りたいと思います。
(2010年6月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)