「私のモーツァルト」
シカゴ響のモーツァルトを聴く

文:青木さん

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 シカゴ響が演奏するモーツァルト。「なんだかミスマッチだな」というのが大方の感想ではないでしょうか。シカゴ交響楽団というオーケストラは強い個性を持っておりますが、その中でも定評のある特徴は「合奏・独奏の技術面の完璧さ」と「大音響・ダイナミズム」であり、特に優秀なのがブラス・セクションとくれば、確かにモーツァルトの音楽にとってあまり大事ではなさそうな要素ばかり。しかし、だからといって「シカゴ響のモーツァルトはダメ」と決めつけるのは早計というものでしょう。

 というわけで、たとえアニヴァーサリー・イヤーであってもだれも試みないような迷企画「シカゴ響のモーツァルト」。指揮者別に聴いていきましょう。

 

■ クーベリック指揮 《瑞々しい佳演》

CDジャケット

・交響曲第38番 K.504「プラハ」
ラファエル・クーベリック指揮シカゴ交響楽団
録音:1953年4月3日 オーケストラ・ホール、シカゴ
CD:マーキュリー(国内盤:ポリグラム PHCP10414)

 これは素直にいいモーツァルトです。溌剌とした響きが気持ちよく、曲の姿が明晰に再現されているという印象。そしてこれがシカゴ響?と思わず疑ってしまうほど、まろやかなサウンドに驚かされます。録音が古いせいではありません。マーキュリー・リヴィング・プレゼンスですから、モノラルながらバランスのよいシャープでクリアな音質なのです。

 クーベリックがシカゴ響の音楽監督を務めたのは1950年から1953年、ライナーに鍛えられる前のことです。現在でもアメリカのオーケストラの中ではもっともドイツ風のサウンドと言われるシカゴ響ですが、当時はその特徴がもっと色濃く出ていたのでしょう。その理由として、シカゴ響創設から50年間の音楽監督(初代のセオドア・トマスと二代目のフレデリック・ストックの二人)が共にドイツ出身だったことと、シカゴやその周辺にはドイツや東欧からの移民が多かったことが、『名門オーケストラを聴く!』(1999,音楽之友社)に記されていました。

 CDは「新世界より」とのカプリング。もともとのLPは同時に録音された第34番と裏表だったようで、その組み合わせのCDもかつて出ましたが、まだ入手できておりません。

 

■ ライナー指揮 《硬派の風格》

CDジャケット
RCA盤
CDジャケット
TESTAMENT盤

・交響曲第36番 K.425「リンツ」
・交響曲第39番 K.543
・交響曲第40番 K.550
・ディヴェルティメント第17番 K.334
・セレナード第13番 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団
録音:1954年4月26日(K.425),12月4日(K.525), 1955年4月23日(K.543),25日(K.550),26日(K.334) オーケストラ・ホール、シカゴ(mono)
CD:RCA(K.425:IMG Artists 7243 5 62866 2 7,K.334&K.525:TESTAMENT SBT1379,K.525&K.543&K.550:RCA 09026-62585-2)

 本国アメリカでこれらの録音は、モーツァルト生誕200年の記念盤として1956年にまとめてリリースされたそうです。いまからちょうど50年前、シカゴ響はライナー時代になってまだ3年目でした。当時のRCAはモノラルからステレオへの過渡期で、これらはすべてモノラル録音。LPレコード自体もまだ目新しかった時代でしょう。50年の間にテクノロジー面は大きく進歩したわけです。

 しかしこのモーツァルト演奏は時代を感じさせません。速めのテンポと歯切れのいいフレージング、カッチリした造型で古典的フォルムを打ち出した辛口の表現で、聴いていてさほど楽しくはないものの大いに感銘を受けるタイプ。ビシッと統制がとれたシカゴ響のアンサンブルがそのスタイルに貢献していますが、重心が低めのサウンドはやはり渋めで、固い威圧感などありません。テスタメントのCDの最後に入っているNBC交響楽団とのディヴェルティメント第11番は、これらに比べるともう少し軽く乾いた響きになっています。

 もちろん同じオーケストラでも人数によって音は変ってくるわけで、ライナーが同時期に録音したR.シュトラウスなどに比べると、セレナード等は当然として交響曲でも編成が小さくなっているようです。「アイネ・クライネ〜」はベートーヴェンの「英雄」との組み合わせで国内盤が出ていて、そのライナーノートに「ライナー=シカゴのRCA初期録音」というヒュー・コンラッド氏の解説の邦訳が掲載されています。その中で、モーツァルト録音で弦の編成を減らしていることも当時としては進んだ美意識だったと書かれており、例えば1955年の録音では13-12-8-6-4という人数だったとのこと。弦だけで43名は決して少なくないものの、当時はもっと大きな編成が一般的だったのでしょう。第39番については1953年の映像版がDVDで出ておりまして、これを観てもたしかにその程度の編成になっていました。それにしてもモノクロの映像で観るライナーとシカゴ響にはハードボイルドでいかついオーラが充満していて、まるでギャング団のボスと手下どものようですが、CDで音だけを聴いていた時のイメージにピッタリすぎて笑えます。

 そんなことはさておき、ほかにも第41番「ジュピター」やピアノ協奏曲などの録音もあるというライナー=シカゴ響のモーツァルト。生誕200年に出た録音を生誕250年にCD復刻、といった粋な企画が実現されないものでしょうか。

以上、 2006年6月11日掲載分

 

【2006.12.追記】

 

  と記して半年後、なんとその企画が実現されました。「RCAレッド・シール・モーツァルト名盤撰」というシリーズに、ライナー指揮シカゴ響の全モーツァルト録音がラインナップ。しかもオリジナル・ジャケットで、当時の解説も復刻。BMG JAPAN社の快挙に敬意を表し、ここに追記いたします。

CDジャケット

 まず、上記の5曲に交響曲第41番「ジュピター」を加えたLP3枚分の6曲を収めた二枚組〔BVCC38395〜96〕。録音データが以前と少し違っていて、K.543とK.550が1955年ではなく1954年となっており、K.334は26日だけでなく23日も追加。またK.551「ジュピター」はK.425と同日の録音ながら、これだけがステレオとなっています。「他の曲のステレオ・テイクは未発見」とありますので、モノラルと同時にステレオでも録音されていたようです。その「ジュピター」ですが、超快速テンポの第1楽章が圧巻。終楽章も一気呵成といった感じで、しかし単調に陥ることなく立体的なフーガが形づくられていきます。オーケストラの機能性と表現力とがうまく効いているようで、シカゴ響ならではの名演といえましょう。音の方は鮮明ながらかなりステレオ感が強調された音場設計で、同時期に録音されているR.シュトラウスのような大編成ではないためか、ややスカスカに聴こえます。にもかかわらず、同じようなスピード演奏のレヴァイン盤より遥かに密度の高い音楽に聴こえるのが凄い。モーツァルト演奏の魅力と怖さを痛感します。

CDジャケット

 もう一枚は、アンドレ・チャイコフスキーがピアノ独奏を務めるピアノ協奏曲第25番K.503(1958.2.15.録音)と「ドン・ジョヴァンニ」序曲(1959.3.14.録音)を収めた一枚〔BVCC38397〕で、J.S.バッハのピアノ協奏曲第5番がフィル・アップされています。うってかわってどっしりしたテンポに貫かれたピアノ協奏曲は、曲がどうにもつまらないせいか、あまり感銘を受けるには至りませんでした。その点「ドン・ジョヴァンニ」序曲は名曲だけに、高めのテンションでドラマチックに描かれる演奏はたいへんな聴きものとなっています。まさに「硬派の風格」。ただこの2曲は、高域がきつめで聴きにくい音質なのが残念です。これはリマスタリングのせいなのでしょうか。

追記終了。以下は2006年6月11日掲載分

 

■ レヴァイン指揮 《単調で機械的…》

CDジャケット

・交響曲第40番 K.550
・交響曲第41番 K.551「ジュピター」
ジェームズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団
録音:1981年7月13日 メディナ・テンプル、シカゴ
CD:RCA(輸入盤:09026-61397-2 国内盤:BMG BVCC38355)

 ウィーン・フィルと交響曲全集を完成するという偉業をなし遂げる以前のレヴァインに、モーツァルト指揮者というイメージはあまりなかったのですが、オーケストラがシカゴ響だったことも加わってか世間ではあまりマトモに扱われなかった録音がこれです。なにしろ当時のレコード会社は「デジタル録音」と「すべてのリピートを実践」をウリに宣伝していたほどで、演奏面では期待できないだろうなと先入観を持ってしまうのですが、いざ実際にじっくり聴いてみますと、やっぱり面白くないのでした。

 恐ろしく速いテンポでスイスイ進む無表情な演奏には、味わいというか含蓄というか、うまく言葉では言えないもののモーツァルトに必要な「なにか」がまったく欠けている、という印象です。シカゴ響の演奏も、その速いテンポの中でくっきりメリハリをつけているようでいながら明晰さが逆にそっけなさにつながっていて、技術的完成度は高いのですが逆にコンピュータにプログラムされた自動演奏を連想してしまいます。それが律儀にリピートされていくので、聴いていて集中力が途切れがちになるほど。これは指揮者の音楽作りとオーケストラの個性(と潤いの乏しい録音)がマイナス方向に重なってしまった悪例、と言い切ってしまいましょう。初出時の批評に「さすがはジョージ・セルの弟子だ」という主旨の褒め言葉があったのですが、当時からすでにセルが好きでなかったワタシは、ますますセルに対する印象を悪くしたものでした(いまだに直ってません…)。

 レヴァインは、ラヴィニア音楽祭(シカゴ響が主催する夏の音楽祭)の音楽監督を1978年まで務めた後もしばしば同音楽祭に出演し、これもその辞任後の録音。コンサートと前後してスタジオ録音するというRCAの伝統(?)に則ったもので、一日で一気にレコーディングされています。CD国内盤は2006年5月24日に再発予定です。

 

■ ショルティ指揮 《意外とスタンダードな良演》

CDジャケット

・交響曲第38番 K.504「プラハ」
・交響曲第39番 K.543
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団
録音:1982年4月 オーケストラ・ホール、シカゴ
CD:デッカ(国内盤:ポリドール F00L-23059)

 ショルティ/シカゴのモーツァルト・・・レヴァイン以上に「だいじょうぶか」と危惧してしまいました。ほとんど怖いもの見たさのような気分で聴きますと、さすがはショルティというべきか、まことに常識的なモーツァルトになっております。とにかく各楽章のテンポが抜群で、溌剌とした明るさを感じさせる程度に速く、レヴァインのようなセカセカ感が出ない程度に遅く、もう絶妙としか言えません。しかし全体としてはやはり何かが足りなくて、強い感銘を受けるには至りませんでした。

 編成をある程度まで刈り込んでいるらしく、厚みがありながらもすっきりした響きのオーケストラは、技術面の完璧さが嫌味にならず、適度に「歌って」いるのがいい感じです。ほぼ同時期に録音されたレヴァイン盤とは別のオーケストラのようでさえあり、この柔軟性はさすがというべきでしょう。強い個性がない分、モダン・オケによる模範的演奏といえるかも知れません。

 しかし、これならオーケストラがシカゴ響である必要はあまりないのではないか?と思ってしまうのも事実。ショルティ自身もそう感じたのか、この二年後に録音した40番と41番ではヨーロッパ室内管を起用しています。CDは、これら4曲を収めた「ダブル・デッカ」シリーズのものが入手しやすいでしょう。あと、彼らのモーツァルトは1986年の来日公演における交響曲第35番「ハフナー」のライヴ映像がビデオやLDで出ていました。

 

■ アバード指揮 《シカゴ響ならではの趣向》

CDジャケット

・ファゴット協奏曲 K.191
・オーボエ協奏曲 K.314
・ホルン協奏曲第3番 K.447
ウィラード・エリオット(ファゴット),レイ・スティル(オーボエ),デイル・クレヴェンジャー(ホルン)
クラウディオ・アバード指揮シカゴ交響楽団
録音:1981年2月21,23日(K.191&K.447),1983年3月1,5日(K.314) オーケストラ・ホール、シカゴ
CD:ドイツ・グラモフォン(国内盤:ポリドール F35G50185)

 このCDにはハーセスの独奏によるハイドンのトランペット協奏曲(1984年録音)も収められており、これらの4曲はアバードが他の曲のレコーディング・セッションの際に少しずつ録りためてきたものだそうです。独奏者はいずれもシカゴ響の首席奏者。こういう経緯からしてアフター・アワーズ的なリラックス・ムードの演奏だと想像してしまいますが、確かに厳格なタイプでこそないものの、手抜きもありません。カデンツァも各独奏者らが自ら手掛けたものだとのこと。

 次々と披露される素晴らしい名人芸。しかもそれらはテクニックを誇示するような演奏ではなく、曲想にうまく嵌ったものになっています。それが顕著なのはホルンのクレヴェンジャーで、こんなに柔らかく多彩な音色を奏でられるのかと驚きました。第1楽章カデンツァのラストで得意のパワフルな咆哮をちょっと聴かせてくれるのも、かえって微笑ましいほど。

 こんな奏者たちが首席の位置にいるのですから、シカゴ響が優秀なオーケストラなのも当然でしょう。「オーケストラは、100人の奏者からではなく各セクションを引っ張る15人の奏者から成り立っている。15人の奏者が一流なら他のメンバーも刺激されていい演奏をする」というのは、他ならぬショルティの説。シカゴはその自説を実証する最高の例、だそうです(自伝より)。

CDジャケット

  これらの録音は、輸入盤で2003年に出た”THE CHICAGO PRINCIPAL”と題された二枚組CDに全曲が入っていました(左ジャケット写真)。ちなみに、同様にシカゴ響の首席奏者たちがソロを担当した協奏曲集としては、バレンボイム指揮のR.シュトラウスがあります。

 

■ シカゴ響自主制作盤 《貴重な記録集》

CDジャケット

 シカゴ響のモーツァルト、商業録音はおおむね以上で終わりです。もともとモーツァルトが主要レパートリーではなさそうなマルティノンや小澤やブーレーズに加えて、ジュリーニやバレンボイムもシカゴ響とはモーツァルトを録音していません。やはりレコード会社にとって魅力の少ない商品企画ということなのでしょうか。マーラーやバルトークの場合とは大違いですね。

 しかし実演の現場では当然そういうことはないわけです。シカゴ響の演奏会は地元の放送局WFMTがよくオンエアしているようでして、その音源を使った自主制作盤が、LPの時代から年一枚のペースで出されています。最近の流行のいわばハシリとなったものですが、旧譜を入手しにくいのと超高価なのが難。

 それらの中にはずばり”MOZART”と題された二枚組CD(写真)もあり、1991年の発表ということでモーツァルト没後200年の記念盤だったのでしょう。そのブックレットの解説文の中に「シカゴ響は常にモーツァルトを演奏してきた」とわざわざ書いてありました。

 他には、「アダージョとフーガ」が入っているらしい1989年の”A Tribute to SOLTI(vol.4)”が入手できていないものの、それ以外のCD(下記)はいつの間にかすべて手元に揃っておりました。これらに対する総投資額はあまり思い出したくないのですが、シカゴ響の運営に対する貢献ということで自らを納得させております。

  • vol.5:Guests in the House, From the Archives: Volume 5 (1990)
  • vol.6:Mozart, From the Archives: Volume 6 (1991)
  • vol.13:Chicago Symphony Chorus, From the Archives: Volume 13 (1998)
  • vol.14:The Solti Years, From the Archives: Volume 14 (1999)
  • vol.15:Soloists from the Orchestra II, From the Archives: Volume 15 (2001)
  • vol.16:A Tribute to Rafael Kubel?k II, From the Archives: Volume 16 (2002)
  • vol.20:A Tribute to Daniel Barenboim, From the Archives: Volume 20 (2006)
  • box1:The First 100 Years (1991)
  • box2:Collector's Choice  In the Twentieth Century (2000)

1)

 

ホルン協奏曲第3番 K.447〜第3楽章
フィリップ・ファーカス(ホルン)
ラファエル・クーベリック指揮
(録音:1950年9月27日,mono)【vol.6】

2)

 

交響曲第28番 K.200
ブルーノ・ワルター指揮
(録音:1957年1月23日,mono)【vol.6】

3)

 

レクイエム K.626〜ラクリモーザ
シカゴ交響合唱団
ブルーノ・ワルター指揮
(録音:1958年3月13日,mono)【vol.13】

4)

 

交響曲第31番 K.297「パリ」
フリッツ・ライナー指揮
(録音:1961年4月15日,mono)【vol.6】

5)

 

歌劇「魔笛」K.620〜序曲
ハンス・ロスバウト指揮
(録音:1962年11月4日,mono)【vol.6】

6)

 

ディヴェルティメント第11番 K.251より
レイ・スティル(オーボエ)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
(録音:1967年3月2,3日)【box2】

7)

 

セレナード第13番 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
(録音:1967年3月3日)【vol.5】

8)

 

歌劇「フィガロの結婚」K.492〜自分で自分がわからない
リタ・シュトライヒ(ソプラノ)
イシュトヴァン・ケルテス指揮
(録音:1967年7月22日)【vol.6】

9)

 

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527〜奥様、これが愛のカタログです
ドナルド・グラム(バス)
サラ・カルドウェル指揮
(録音:1976年8月3日)【vol.6】

10)

 

協奏交響曲 K.297
レイ・スティル(オーボエ),クラーク・ブロディ(クラリネット),ウィリアム・エリオット(バズーン),デイル・クレヴェンジャー(ホルン)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
(録音:1977年3月31日,4月1日)【vol.15】

11)

 

交響曲第41番 K.551「ジュピター」
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
(録音:1978年5月18日)【vol.6】

12)

 

戴冠ミサ曲 K.317
ルチア・ポップ(ソプラノ),ミラ・ザカイ(メゾソプラノ),アレクサンダー・オリヴァー(テノール),マルコム・キング(バス),シカゴ交響合唱団
ラファエル・クーベリック指揮(録音:1980年3月15日)【vol.13】

13)

 

フリーメーソンの音楽 K.477
ラファエル・クーベリック指揮
(録音:1980年3月15日)【vol.16】

14)

 

交響曲第25番 K.183
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
(録音:1984年4月26-28日)【box1】

15)

 

セレナード第10番 K.361「グラン・パルティータ」
エーリヒ・ラインスドルフ指揮
(録音:1985年5月18日)【vol.6】

16)

 

ミサ曲 K.427
マーヴィス・マーティン(ソプラノ),アンネ・ソフィ・フォン・オッター(メゾソプラノ),ジェリー・ハードリー(テノール),マルコム・キング(バス),シカゴ交響合唱団
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
(録音:1985年10月10,12日)【vol.14】

17)

 

歌劇「フィガロの結婚」K.492〜最終場面
クベッリ、バルトリ、フルラネット、ペルトゥージ
ダニエル・バレンボイム指揮(録音:1992年2月)【vol.20】

18)

 

歌劇「後宮からの逃走」K.384〜序曲(ブゾーニ編曲)
ダニエル・バレンボイム指揮
(録音:1996年2月8日)【box2】

 

※8)と9)はラヴィニア音楽祭、他はオーケストラ・ホールでのライヴ録音

 簡単に感想をコメントしておきますと、まずワルター指揮シカゴ響というのがインパクトある組み合わせです。ワルターのモーツァルトといえば、いわゆる「ロマンティックな」演奏としてライナーやトスカニーニと対照的に評されるのが定番になっており、2)でそれが少し窺えますが、ワルターの商業録音をまったく聴かないワタシにはそれ以上の感想を持てませんでした。ライナー指揮の4)「パリ」交響曲は、RCAへのスタジオ録音群と同傾向の名演。ジュリーニの7)「アイネ・クライネ〜」はけっこうゴツゴツした演奏で、シカゴ響の弦楽らしさが出ています。これに対してショルティの11)「ジュピター」はえらく滑らかに開始され、ほんとにショルティかと疑ってしまうほどですが、徐々に本領を発揮し始めて終楽章は息詰まるフーガが見事に構築される、という尻上がりの演奏。強奏していないのにやたらと目立つ金管が楽しい。一方、木管の素晴らしさを堪能できるのはラインズドルフ指揮の15)「グラン・パルティータ」。これはたいへんな聴きものです。

 シカゴ響といえば併設の合唱団もまた優秀との評価が高く、それをテーマにしたvol.13のCDにはクーベリック指揮の12)「戴冠ミサ」が収録されています。合唱の良し悪しなどあまり解らぬワタシでも「いい演奏だ・・・」としみじみ感じる演奏。ショルティの16)はそうでもなく、ちょっと単調でした。でもそれはワタシの理解力が足りないのでしょう。山ほどあると思われるショルティの放送録音の中から、それも別の年(1978年)の音源を一部パンチインしてまで、わざわざこのCDに選ばれているのですから。あと、歌劇の一場面もいくつか選ばれていますが、これらも特に感想はありません。

 忘れるところでした、ジュリーニ指揮の10)協奏交響曲はたまらなくいいです。首席奏者たちの名技を楽しめるのはアバードのDG盤と同様ですが、さすがにジュリーニの方がずっと役者が上だと感じさせます。前記の「アイネ・クライネ〜」ほどではありませんが、シカゴ響らしさもちゃんと活かしつつ、典雅で美しいモーツァルトになっていて、絶妙です。

 なおライナーの項で触れた映像ものはVAIレーベルから出ている”Historic Telecasts”シリーズですが、そのジョージ・セル篇のうち1961年12月10日分には「フィガロの結婚」序曲とヴァイオリン協奏曲第5番が入っており、VHSで出ていました。現在は、国内盤DVD化された12月17日分(ベト5など)と組み合わされた輸入盤DVDが出ています。取り寄せ中で、まだ観ておりません。

 

■ まとめ

 

 剛毅で威圧的なショルティ指揮のベートーヴェン、金管群をフル回転させたバレンボイム指揮のブルックナー、グラマラスな響きのレヴァイン指揮のシューベルト。シカゴ交響楽団の個性をそれぞれ目いっぱい引き出したこれらの録音が決して嫌いではない、というより大好きなワタシでも、ことモーツァルトに関してはそんな演奏は願い下げです。

 しかしさすがにシカゴ響、一部の例外を別にすればいたってまっとうなモーツァルトになっていて、優れた柔軟性と音楽性を感じさせます。音色の魅力に関してはコンセルトヘボウ管やシュターツカペレ・ドレスデンなどに及びませんが、硬めの響きの合奏美が楽曲の古典的造形美によく似合い、これはこれで別のよさがあります。今回は木管楽器の優秀さも堪能できました。アメリカのオーケストラによるモーツァルトやベートーヴェンに対する偏見は、少なくともシカゴ響には当てはまらないといえましょう。

 他のオーケストラ同様に商業録音が激減してしまったシカゴ響。この先モーツァルトの新録音が登場することはないかもしれませんが、放送音源の発掘でもなんでもいいので、もっといろいろ聴いてみたいところです。首席指揮者になるというハイティンクとともに来日しモーツァルトを演奏してくれれば、世間の認識も改まりそうなのですけれど。

 

(2006年6月11日掲載、12月19日追記 An die MusikクラシックCD試聴記)