「私のモーツァルト」 ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563 文：中村さん

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モーツァルト ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563 ギドン･クレーメル(Vn)、キム･カシュカシアン(Va)、ヨーヨー･マ(Vc) 録音：1984年5月1､2､3日、ニューヨーク　RCAスタディオ SONY(国内盤　32DC　563)   ■　馴染めなかったモーツァルト   　40数年間に渡ってクラシック音楽を聴き続けている私ですが、前半の20年以上はモーツァルトに親しむことは全くと言ってよいほどありませんでした。 　大学に入学して直ぐに京都市交響楽団の定期会員になり、4年間毎月のように定期コンサートに通っていた私は、同オケのコンサートだけでも少なくとも40回は聴いている筈ですが、モーツァルトに関する記憶は全く残っていません。 　1975年には大阪フェスティバルホールで初めて憧れのVPOを聴きましたが(ムーティー指揮)、演奏曲目で覚えているのは、ブラームスの4番とアンコール曲の『運命の力』序曲のみ。モーツァルトの交響曲第25番も演奏されたと、音楽愛好家のHPでつい最近知りましたが、それは記憶の片隅にも残っていません。 　意図的に聴く事を避けていたわけではありません。むしろ古今の大作曲と呼ばれる彼の音楽に親しみたいと思った私は、当時評判の高かったワルターの中･後期の交響曲を始めとして、ピアノ協奏曲やソナタ、室内楽等の名曲の名演と評されていたLPを細々とではありますが購入し、その良さを理解しようとしていました。親しむ契機を求めて、難解だった小林秀雄著の『モオツアルト』を熟読したりもしました。 　ところがスピーカーの前に鎮座して耳を傾けた成果は、良く聴く旋律と曲名が合致するようになったという満足感が得られただけで、曲に心惹かれた記憶は殆どありません。ベートーヴェンからクラシックに馴染み始めた私は、長い間重厚長大な曲を好み、緩急強弱の変化が少ない彼の音楽には、常に物足りなさを感じていたのです。 　そんなクラシックの初期体験に加えて、我家のオーディオ装置では曲の微妙なニュアンスが再現できなかったことも大きな要因だと(後年になってからですが)考えています。CD時代に入り、装置をグレードアップしたのを期にモーツァルトを聴く楽しみを覚えた私は、そういう屁理屈をつけて、我が身の感性の乏しさを取り繕っているのです…。   ■　カラヤンの実演に接して   　でもそんな四半世紀の間にも、モーツァルトに接近する機会は何度かありました。　 　最初は1970年、大阪万博の記念公演で演奏されたカラヤン＝BPOの『アイネ･クライネ･ナハトムジーク』を実演で聴いた時。第3楽章前半のメヌエットが終わり(NHK-BSの『毎日モーツァルト』冒頭に流れる番組のテーマ曲)トリオ部分が奏され始めた時、余りの美しさにホール全体から感嘆の溜め息が洩れたことを今でも鮮明に覚えています。 　ところがそんなかけがえのない感動を体験したにも拘らず、その頃の私はこの演奏に満足しませんでした。理由は、当時モーツァルトはVPOの演奏が最高と言われ、そんな風評を根拠に、私はこれ以上に美しい演奏が可能であると信じ、感動したことを自覚つつも、更に高い次元の美しさを求めました。｢あの時以上の感動を！｣。その後同曲を聴く度に、条件反射の様にトリオ部分に期待を抱くのですが、未だに満足する演奏には出遭えません。　実は私、『毎日モーツァルト』という番組を知ってから毎夕7時前にはBS2にチャンネルを合わせ、番組テーマ曲を聴きながら飽きることもなく1970年のカラヤンを思い出し、(決して流される事のない)トリオ部分の演奏を期待して、胸をときめかせているのです。この演奏が誰のものかは知りませんが、多くの彼の作品の中からこの部分を選ばれた方とは、当日同じ会場で感動を共有したのではないかと密かに思っているのですが…。 　素直に｢至高の演奏だった！｣と認めるまでには、長い年月を要してしまいました。 　　   ■　神々しかったセルのLP   　二度目は私の30歳前後の頃。セル＝クリーヴランドの『ヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲(K364)』の第2楽章を、前述した我家の繊細な表現に乏しいシステムで聴き、神々しいまでの美しさを感じました。 　その事を、当時親交のあった年輩の音楽好きな方々との会合の場でお話したところ、｢君も随分変わっているね。まだまだこれからだね！｣と皆さんから諭されてしまいました。 　私自身も当時はまだまだ自らの意思で新譜を選択する事が出来ず、朝日新聞やレコ藝の月評を頼りにLPを購入している身でしたので、音楽を聴き込んでこられた先輩諸氏のお言葉には正直落ち込んでしまいました。 　LPを処分した今、『神々しさ』を感じたセルの演奏の秘密を探る事は出来ませんし、今も同様な感動が得られるかは分かりませんが、臆することなく1970年の日本公演で評判の高かった同コンビの40番などを聴いていれば、もっと早くモーツァルトに目覚めていたのではないかとも思っています。   ■　レクイエムとの出遭い   　それは思いもかけない形で訪れました。一昨年、山崎豊子原作の『白い巨塔』がTV放映され、結構高い視聴率を獲得していたようですが、28年前にも田宮二郎という俳優の主演で半年余りに渡ってTV放映され、大学病院の実態を暴いたドラマとして原作共々注目を集めていました。 　内容の詳述は控えさせて頂きますが、末期癌に侵された主人公を演ずる為に、田宮二郎はそれに相応しい形相を追求して食事を絶ったとか…。そして撮影終了後、最終回が放映される直前に猟銃自殺し、彼自身も40数年の人生の幕を閉じたのです。撮影に臨む以前から躁と鬱の状態が繰り返し訪れる深刻な病態に陥っていたとは、後日に知ったことです。 　センセーショナルな情況下で放映された最終回は、稀に見る高い視聴率を獲得したと言われています。そのクライマックス、癌に倒れた財前教授の遺体が部下や病院関係者に見守られながら病院から運び出される場面で流された、しゃくりあげるような美しくも悲痛なオーケストラの伴奏にのって歌われる合唱曲に、私は強く心を奪われました。 　この曲がモーツァルトの絶筆『レクイエム』のラクリモーサ(涙の日)と知ったのは、それから1年後の事でした。当時シカゴ交響楽団との第9シリーズで脚光を浴び始めたイタリア人指揮者C.M.ジュリーニに心酔した私は、この時期彼の指揮するLPを片っ端から購入していました。モーツァルトの『レクイエム』は、偶々そんな中に含まれていた1枚だったのです(フィルハーモニア･EMI･78年)。クラシック愛好家を自称して20年近くが経過、感覚的には重厚長大を好む域からは未だ脱し得ませんでしたが、その延長上で初めてモーツァルトの存在の大きさを実感したのです…。 　これを機会に、私は以前より積極的にモーツァルトを聴くようになりました。時代は丁度LPからCDへと移り変わる時期でもあり、我家のオーディオも、CDプレーヤー購入を機会にグレードアップを図りました。その結果、それまで漠然とした演奏の雰囲気(アナログ特有のものかもしれません)と緩急強弱しか認知できなかった我家のスピーカーから、演奏の微細な表情までをも伝えるような音が流れ始めました。機器のお蔭か、或は年齢相応の聴き方に変わってきたのかは判りませんが、重厚長大一辺倒から徐々に脱却しつつ、モーツァルトに限らず、今まで好まなかった室内楽を始めとして、幅広いジャンルの曲を享受することが出来るようになりました。そんな中にあって『レクイエム』は、私にとって至高の美しさをたたえた別格な存在ではありました。   ■　清澄なモーツァルトへ   　今から3年半前のことです。雪道で転んだことが契機で頚椎疾患を患っていることが発覚した私は、妻の反対を押し切って9時間に及ぶ大手術を受けました。 　手術日の4〜5日前から入院前日まで、担当医師を信頼していたことが何より大きな要因だったと思いますが、洒落っ気のつもりで様々な作曲家の『レクイエム（死者の為のミサ曲)』を聴き始めました。手術を控えた人間が不吉な題名の音楽は避けるのが当たり前でしょうが、気持ちの上では既に戦いは始まっており、｢負けてたまるか｣との異常な緊張感が、私を敢えて逆の行動に駆り立てたのだと思います。 　ケルビーニ、ベルリオーズ、ブラームス、ドヴォルザーク、シューマン、ヴェルディ、フォーレ…。退屈で途中居眠りをした曲もありましたが、それでも普段と変わりなく穏やかな気持で曲を楽しむ事が出来ました…。 　そして入院前日、当時私が最も愛聴していたモーツァルトを聴き始めたのですが…。 　冒頭のIntroitusが鳴り始めた途端に気持が動転してイライラし始め、二曲目のKyrieが始まったところでは、耐えきれなくなってディスクを取り出してしまいました。｢至高の美しさ｣の鎧を纏ったこの曲に、自分がその立場に置かれる事によって、初めて死への恐怖と戦うモーツァルトを垣間見たのだと、今も思っています。 　幸い手術は成功し、すっかり健康を取り戻しましたが、未だにこの曲を聴くことに躊躇いを感じ、以降一度もCD棚から取り出すことができません。　 　そんな体験を経て、最近は極めてありきたりですが『ピアノ協奏曲第27番』、『弦楽三重奏によるディヴェルティメントK563』それに『クラリネット五重奏曲』等に聴ける、長調でありながら余りにも清澄なるがゆえに悲しみを感じさせる曲を、とりわけ好むようになりました。特にK563のクレーメル(Vn)、カシュカシアン(Va)、マ(Vc)によるアンサンブルは、Vcの裏方に徹しきった堅固で決して出過ぎない響きを土台に、闊達なVnと少しシャイなVaの語り合いが絶妙の味わいを醸す、稀に聴く名演奏だと思っています。 　労せずしてモーツァルトに親しんだ方には馬鹿らしく思える話でしょうが、たかが趣味とはいえ、試行錯誤しながらその喜びに到達出来たことを、私は幸せに思っています。

（2006年9月30日、An die MusikクラシックCD試聴記）