「この音を聴いてくれ!」
第5回 MERCURY録音に聴く「火の鳥」
■ ドラティ指揮ロンドン響による「火の鳥」
文:青木さんストラヴィンスキー
バレエ「火の鳥」(全曲版)
〔併録:花火/タンゴ/ロシア風スケルツォ/うぐいすの歌〕
アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団
録音:1959年6月7日 ワトフォード・タウン・ホール、ロンドン
Recording Director:ウィルマ・コザート
Chief Engineer:C.ロバート・ファイン
マーキュリー 432 012-2 (国内盤:日本フォノグラム PHCP-10237)マーキュリー・リヴィング・プレゼンスのシリーズが国内盤で次々に出たとき、当時の発売元レコード会社(日本フォノグラム〜ポリグラム〜マーキュリー・ミュージックエンタテインメントと移行)が作成したパンフレットには次のような惹句が踊っていた。
〔究極の廉価盤! あの名曲が優秀録音でこの価格!〕(第1回発売分)
〔耳から血の出るようなシャープなサウンド!〕(第2回発売分)
〔録音の凄さと名演奏は時代を越えて、感動を呼ぶ!〕(第3回発売分)いずれも“音質”がアピールされており、特に二番目のものは強烈なインパクトがあった。国内盤といっても輸入盤に日本語解説とオビを付けて国内仕様としたもので、ジャケットやカプリングはオリジナルLPを尊重しつつもCD用にリファイン、それが1,500円とくればもうまったく文句なし。次々に聴いてみたところ、演奏面ではポール・パレー指揮のものがいずれも素晴らしく、ドラティ指揮のものもなかなかだ。そしてそのサウンドは、あの調子のいい宣伝文句そのままに、シャープでダイナミックで生々しい優秀録音が目白押しなのだった。
そういうわけで今回の企画で採りあげるべき一枚がなかなか決まらぬまま、日々は過ぎコリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団の来日公演の日を迎えた。そこで聴いたストラヴィンスキーの〔火の鳥〕に大感激して、帰宅してからその曲の手持ちのCDを順に聴き、このマーキュリー盤に至って「これだ!」となった次第。それらのCDの中にはデイヴィス指揮のものもあったのだが、アナログ録音芸術を極めた1970年代末期のフィリップスが収録したコンセルトヘボウ管の演奏というあまりにもスペシャルかつプレシャスなサウンドで、先日のコンサートとは大きく印象が異なるものだ。一方で当マーキュリー盤はその印象がかなり近く、これはオーケストラが同じロンドン響だからというよりは、会場の特性や音響設計の方針の結果が似かよっていたからだろう。
木管や金管をはじめ、各楽器の音が不気味なほどにリアルで生々しい。それぞれの音像は小さく一点に定位し、奥行きさえ感じられる。ほんとうにいい録音というのは、大音響の全合奏よりも静かで繊細な部分において真価を発揮するものであり、この〔火の鳥〕がそれを味わうのにふさわしい曲ということにようやく気づいた。ハルサイやペトルーシュカのような賑やかさに乏しいのであまり好きではなかったのだが、ライヴでこの曲の真価に目覚めてCDをじっくり聴いた結果、当マーキュリーの録音の素晴らしさも堪能できるに至ったというわけ。生演奏の現場にいるような実在感・・・〔リヴィング・プレゼンス〕とはなんと的確なネーミングだろうか。
もちろんダイナミクスにも不足はなく、〔カスチェイの部下全員の凶悪な踊り〕などはまさに耳から血の出そうな凶悪サウンドだ。空気を震わせるティンパニや大太鼓の迫力、シロフォンの鋭い立ち上がりなど打楽器の魅力も十全。マルチマイク方式でないがゆえの独特のバランス感が若干気になるし、最新録音に比べるとヒスノイズの大きさこそ目立つものの、それ以外はまったく引けを取らないのではないか。むしろ、溢れるエネルギーがギュッと圧縮されたようなパワフルな音響は、最近の録音にはないものだ。
演奏の方はいかにもドラティらしく、いたってストレートでスピーディ。もったいぶったり妙な演出をしたりすることなく、といって平板にもならず、オーケストラを鮮やかに鳴らせて全曲わずか41分で駆け抜ける。同じ傾向の〔春の祭典〕ではミネアポリス響がついていけなくなりそうになるスリリングな瞬間もあったけれども、ロンドン響はそのようなこともなくドラティにピタッと付けている。いい演奏だと思うし、録音の傾向とも方向性がうまく合っている。デイヴィス盤とはまるで正反対の個性だが、これはこれでたいへん素晴らしい。趣味で聴く音楽はいろいろなものを楽しむことが醍醐味であり、「○○以外は採りたくない」「△△さえあれば他はいらない」みたいなスタンスはまさに愚鈍の極みといえよう。
さて上記〔春の祭典〕のCDライナーノートの中ではドラティの自伝の一部が引用されている。そこから少し孫引きさせてもらうと、1930年代にドラティがモンテカルロ・バレエ団の〔火の鳥〕を指揮する際にストラヴィンスキーを訪ねたところ、ストラヴィンスキーはどのように演奏して欲しいか、スコアのすべての小節についてドラティに細かく説明したという。その中にはスコアの指示と異なる内容もあったので、なぜ最初からそう書かなかったのかとドラティが尋ねると、ストラヴィンスキーは「そのときはうまく書けなかったんだよ」と答えたそうだ。これは驚くべき話で、この曲に対する作曲家の本来の意図は、スコアにいくら忠実に演奏しても達成できないことになる。その直伝を受けたドラティの録音こそ正統的で貴重なものだといえるかも知れない。
LPはこの曲だけで一枚だったようだが、CDは他のマーキュリー盤と同様に、不自然でない形でフィルアップがなされている。同じ演奏者による1964年の録音セッションから4曲が組み合わされており、そのうち〔タンゴ〕や〔ロシア風スケルツォ〕は小品ながらたいへん魅力的。まったくもって、曲・演奏・録音の三拍子が揃った名盤というべきだろう。国内盤には、原ブックレットの詳細な楽曲解説の対訳が付いている点も高ポイント。〔究極の廉価盤!〕の宣伝コピーにウソはない。
聴いたあとで『200CD クラシックの名録音』(立風書房,1998)のマーキュリー(ウィルマ・コザート)の頁を見ると、採りあげられていたのはこのCDだった。さもありなん。
(2004年4月11日、An die MusikクラシックCD試聴記)