バッハのリコーダーソナタを聴く
文:たけうちさん
■ バッハの魅力
クリスマスも近くなりますと、バッハの宗教曲が盛んに聴かれるようになります。それらの中には「受難曲」のように、やや近寄り難いとも言える厳粛かつ崇高なものもありますが、バッハの作品の多くは「親しみと安らぎ」を与えてくれます。「バッハを知らない人は幸せである。人類至宝の扉を開ける楽しみを持っているのだから」との名言がありますが、それを触れる者にとっては至上の歓びを得る事が出来るのです。
そこで今回は、第一級の名手達による演奏で、暫しバッハの魅力に浸る事に致します。
J.S.バッハ「リコーダーソナタ集」
- BWV 1030
- BWV 1031
- BWV 1032
- BWV 1033
- BWV 1034
- BWV 1035
リコーダー:ミカラ・ペトリ
ハープシコード:キース・ジャレット
録音:1992年、ニュージャージー
BMG(国内盤 BVCF-2525)この曲についてのデータをライナーノートから引用しますと、オブリガート・チェンバロつきの3つのソナタ(BWV 1030〜BWV 1032) 通奏低音つきの3つのソナタ(BWV 1033〜BWV 1035)とあり、いずれもフラウト・トラヴィルソというフルートの原型となった楽器の為に書かれた曲とあります。従って正確には、今日我々が慣れ親しんでいるリコーダーのためにバッハが残した作品ではありません。またBWV 1031とBWV 1033はバッハの作品ではない可能性もあるとの事。しかし、そんな背景はどうでも良いと思うほどこの曲は魅力的であります。それは、この二人の奏者の素晴らしさに負う所も多いのですが。
■ 美しきヴィルトゥオーゾ
ミカラ・ペトリはデンマーク出身の女流奏者で、リコーダー界の第一人者です。それにこの人すごい美人なんです。そのため一緒にジャケットに収まっているキース・ジャレットもどことなくニヤケテおります。今日、クラシック界は美人奏者が目白押しですが、さしずめペトリはその草分けでしょう。
ここで、批難の声が挙がるのを承知で、ひとこと言わせて頂きますが、中にはその人の「音楽性」より「容貌」が先行しているケースが少なからずあるように思われますが...。しかし、あのアルゲリッチの若い頃は、ジャケットに惹かれてレコードを購入した人も少なくなかったそうです。それで彼女の「演奏家」としての素晴らしさを知る事が出来たなら、それはそれで結構な事です。(しかし、実際にレコードをかけて聴いたら、外見との違いにたまげた人もいたでしょうね)もちろんペトリは、美貌で売出した訳ではなく、リコーダー奏者としてその卓越した才能で高い評価を得てきました。
彼女はかつてネヴィル・マリナーの指揮のもとで「ブランデンブルグ協奏曲」にソリストとして参加しております。ちなみに他の奏者達の主な顔ぶれは、シェリング、ランパル、ホリガー、マルコムという超豪華メンバーです。そこに当時まだ二十歳代前半のペトリがソリストとして招かれたのですから、いかに彼女の実力が高く買われていたかが分かります。こんな時よく言う表現で、天は二物を「与えた」のでしょうか。
■ ペトリとジャレットのインプロビゼーション
さて話を元に戻しまして、ペトリとジャレットの演奏を聴いてみましょう。ライナーノートには二人のインタビューが掲載されておりますが、それによると、レコーディングにあたっては、お互いの即興性を重視しようと合意したそうです。今日のバッハ演奏は、一字一句も疎かにしない厳格なスタイルが多いですが、ジャレットが「バッハは偉大な即興演奏家でした」と賞賛していますように、もともとバッハの時代では、即興演奏が当り前のように行われていたはずです。そうなると「インプロビゼーションならば私に任せなさい」とジャレットがイニシャチブを持つのは自然の成行きです。しかし決して彼の独壇場ではなく、あくまでヒロインのペトリをアシストしながら、ハープシコードによる縦横無尽の即興を随所に散りばめます。
一方、ジャレットに触発されたペトリも躍動感溢れる演奏でバッハの音楽を紡ぎだしていきます。それにしてもあの素朴な楽器1つでこれだけの表現を可能にするとは! そして何と軽やかでチャームな音色でありましょうか。ジャケットではニヤケテいたキース・ジャレットもやはり見事な演奏です。
それにしてもこのジャズピアノの巨匠は、どうしてこうもハープシコード、しかもバッハが上手いのでしょうか。かつてリリースしていた、ハープシコードによる平均律もなかなか良い演奏でしたね。この人の「ケルンコンサート」を聴いた武満徹さんは「バッハのようだ」と感想を述べられたそうですが(あれを聴いてバッハを感じるところは、いかにも武満さんらしいですが)やはり、この人のピアノの根底には、バッハが深く根付いているのでしょう。
この演奏は二人のインプロビゼーションが重きを成しておりますが、結果としてバッハのスタイルは少しも損なわれていません。グールドの演奏にしてもそうですが、元来バッハは、演奏スタイルによって原型を歪められるようなヤワな音楽を書いておりません。この懐の深さ故、バッハはジャズ、ロックなどあらゆるアーティストの心酔を得ているのです。
この二人には、ヘンデルのリコーダーソナタのディクスもあります。こちらもお薦めです。
ヘンデル「リコーダーソナタ集」
- ト短調 作品1の2
- イ短調 作品1の4
- ハ長調 作品1の7
- へ長調 作品1の11
- 変ロ長調 HWV377
- 二短調 HWV367a
リコーダー:ミカラ・ペトリ
ハープシコード:キース・ジャレット
録音:1991年、ニュージャージー
BMG(国内盤 BVCF-2503)以上御紹介した二つのディスクは、単に「バロック奏者とジャズピアニストのコラボレーション」という表面的な興味を遥かに超えた価値を持っています。ペトリの「しなやかなヴィルトゥオジティ」ジャレットの「作曲家への賛辞を込めたインプロビゼーション」この二人の織り成す糸は絶妙に絡み合い、時としてスリリングとも言える魅力を放っているのです。
2005年12月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記