バーンスタインのベートーヴェン全集を聴く

文:ENOさん

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CDジャケット

ベートーベン 交響曲全集
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー
録音:1977〜1981年
ドイツ・グラモフォン(輸入盤 474 475-2)

なかなか、表記のCDの試聴記に入っていきませんが、単なるムダ話でもないので、我慢して読んでいって下さい。すいません。

 

■ 念願かなっての?「ウィーン・フィル定期」

 

 今年の3月、ウィーンの楽友協会大ホールで、ウィーン・フィルの定期演奏会を聴きました。ズービン・メータの指揮で、曲目はシューベルト「交響曲5番」、ハイドン「トランペット協奏曲」、ベートーベン「交響曲3番」。念願かなって楽友協会でのウィーン・フィルに大感激!と言って嘘にはならないでしょうが、そう言い切ってしまうわけにはいかない、複雑な感想を持った、初のウィーン旅行でした。

 元来、ジャンルにはとらわれずに、様々な音楽や芝居を楽しんできました。四年前にニューヨークに行く機会があり、METで「アイーダ」を観たりもしましたが、いくつか観たブロードウェイのミュージカルに夢中になってしまいました。それ以来、クラシックやオペラよりもミュージカルに関心が移り、実は今回も、当初は再度のブロードウェイ行きを考えて、昨年暮れから「作戦」を練り始めました。が、御存知のとおりの「イラク戦争」の展開で、家族の反対にあって断念。ミュージカルならロンドンという手もあるが、ひょっとしたら、こっちの方がよっぽど危ない。せっかく取れた一週間の休暇をどうしよう? それならば、と捻り出した「奥の手」が中立国ウィーン行きでした。もっとも出発日が、「開戦」の翌日に当たってしまい。女房は気が気でなかったようです。ウィーン・フィルの定期と小沢征爾指揮のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」をメインに、サバリッシュ指揮のウィーン交響楽団の他、ブロードウエイ・ミュージカルの翻訳版「ジキルとハイド」なども鑑賞した「音楽三昧」の四日間でした。高額を要求してくるようなルートでは、チケットを手配していなかったので、ウィーン・フィルの定期はほとんどあきらめていましたが、チケットが取れたとの連絡を出発前日に突然もらいました。きっと、誰かが旅行をとりやめてキャンセルしたんでしょうね。行きはそこそこ乗客がいましたが、返りの便はガラガラでした。

 

■バーンスタインとの「再会」

 

 話はもどって、昨年の暮れ。ウィーン行きを決めて、この機会にクラシックを聞きなおしてみようと思い、近所の図書館でたまたま手に取ったCDが、バーンスタイン指揮のブラームス「交響曲2番」。むろん、ウィーン・フィルとの楽友協会ホールでの、一連のライブ録音のひとつ。ベルリン・フィルとのマーラーの「9番」など、いくつか好きなCDはありましたが、バーンスタインのブラームスなんて「ミス・キャスト」と、聴きもしないで勝手に決めこんでいました。「2番」も、ブラームスの交響曲の中では、実演・CD含めて、ほとんど面白いと思ったことのない曲でした。まあ、いいか、楽友協会ホールの予習(?)だと思って借りたら、実に素晴らしい演奏でした。楽友協会ホールに響くウィーン・フィルの音が(はやり言葉で恐縮ですが)「癒し」そのものです。繊細で、しっかりとした重みもあって、美しい。それだけなら単なる「美演」ですが、そこにバーンスタインが青年のようにストレートな情熱を吹き込み、オケが暖かく、そして最後には熱く燃焼していきます。折しも仕事上のことでかなり落ち込んでいた頃で、ひょっとしたら聴けるかもしれない、楽友協会でのウィーン・フィルの生の響きを想いながら、気がつくと繰り返し繰り返し、この演奏に浸っていました。

 さて、ウィーン旅行も終わり、まだその余韻が残る頃、バーンスタイン指揮「ベートーベン交響曲全集」が再発されました。これも、以前は「食わず嫌い」で素通りしていた演奏。今度は、生で聴いた楽友協会のウィーン・フィルを思い出しつつ聴きました。演奏から受ける全体の印象はブラームスと同様ながら、ブラームスの時の「癒し」よりも、確信に満ちた堂々たる響きで聴く者を包み込む、その「包容力」が圧倒的です。一曲、一曲と聴き進むうちに、楽友協会でウィーン・フィルを聴いた、その当日の率直な感想がはっきりよみがえってきました。本音の部分ではそう思いつつ、「こんなに貴重なコンサートが聴けたんだから」と無意識のうちに忘れようとしていた、こんな気持ちです。

 「この演奏は、………つまらない。」

  楽友協会で聴くウィーン・フィルは、大音量のフォルテでも少しもその美しさをくずさず、透明感をもって鳴り響き、その響きがステージ中央からホール全体に豊かに響いていきます。録音で幾度となく聴いてきた響きが、そのイメージどおり、いや、イメージ以上の美しさで眼前に展開する様は、かえって、くすぐったいような妙な感じさえさせます。シューベルトは、実は「不得意」な方で、私にとっては可もなく不可もないといった演奏。続くハイドンは、珍しく今日は主役のトランペット奏者が照れ気味なのが、微笑ましい。典雅な響きのオーケストラとともに、トランペットも、実に爽快に、そして気品高く鳴り響きます。さて、期待のベートーベン。「英雄」は、私の一番好きな交響曲のひとつです。インテンポで進みながら、盛り上がる所は充分に盛り上がり、実に理想どおりにオーケストラが鳴ります。ああ、何という豊かな響き………。しかし、うんと贅沢を言わせてもらえば、何かが、何か決定的なものが足りない。終演後、この演奏が聴けた幸運に感謝し、思いきり拍手しながらも、心の奥深くにポツリと白けたような部分が残りました。

 

■ 人間、バーンスタイン

 

 何が、少なくとも私にとっては、足りなかったのか。それにハッキリ気づかせてくれたのがバーンスタインの音楽でした。バーンスタインのブラームスやベートーベンにあって、当日の演奏になかったもの。それは、演奏以前に存在しているバーンスタインというひとりの生身の人間と、ベートーベンの音楽との「出会い」です。適切な言い方がなくて、とりおえず「出会い」と書きましたが、もっと極端な言い方をすれば、バーンスタインとベートーベンという巨大な個性の「格闘」でしょう。その「格闘」に立ち会ったウィーン・フィルも、(嬉々として)また「格闘」しています。そこから生まれる音楽は、単なる音響的な再現を超えて、眼前で展開する生々しい「ドラマ」に変貌しています。ちょうど、一回きりの即興の芝居を観るような。

 御存知のとおり、バーンスタインは作曲家でもありました。しかも、「ウエスト・サイド・ストーリー」をはじめとする、多くの「下世話な」ミュージカルの作曲にも、その才能を発揮しました(クラシック好きのあるアメリカ人と話をしたら、ブロードウエイ・ミュージカルについては、単なる娯楽としてハナもひっかけないという態度なので、びっくりしたことがある)。「ウエスト・サイド・ストーリー」は傑作とほめたたえられ、商業的にも成功しましたが、例えば、ポップ音楽を大胆に取り入れた、彼の「ミサ曲」を御存知でしょうか。FM放送で聴いて私は素晴らしいと思いましたが、確か当時、酷評されて、もうほとんどの人の記憶に残っていないでしょう。ひとりの芸術家として、モーツァルトやらベートーベンやらの「お墨付き」音楽の再生産には飽き足らず、現代の(商業的なリスクも負った)最前線の音楽界と関わり、幸福も失望も味わってきたのではと推測します。当人は、後世、自分が指揮者としてだけ記憶されるのではと気をもんでいたそうです。そのバーンスタインが、ベートーベンの音楽の演奏によって、この現代にいま自分が、何を語りかけることができるのかと考えて演奏されたのが、このベートーベンなのだと思います。したがってその音楽は、標本のような冷たさとは無縁の、生きて呼吸する、生身の、暖かいものになっています。

 メータを含めて多くの現代の一流と呼ばれる指揮者たちは、当然のこととして、クラシック音楽の演奏家として忙しく世界中をとびまわり、日々、数え切れない回数のコンサートを指揮し、膨大な量のレコーディングをこなしています。オーケストラの方も同様です。一流、あるいは有名な演奏家であればあるだけ、そのスケジュールは何年も先までつまっていて、多忙でしょう。この現代という時代の中で、演奏家としてはめまぐるしく音楽を「生産」しながら、この現代という時代の中の、あるひとりの人間としては、音楽をとおしては「生きて」いない音楽家が多いのではないか。逆説的なことに、それは、メディアの発達により、一流の音楽家とよばれて多忙であればあるほど音楽に「専念」することができるからこそ、成り立っている(あるいは、おちいっている)事態なのです。

 

■ バーンスタインの残したメッセージ

 

 以上のことはまた、彼らの音楽を共有する聴衆(つまり私たち自身)を含めた「時代」による違いでもあるでしょう。バーンスタインの生きた20世紀後半は、音楽が現実の世界にむかってメッセージを発することができると信じられた時代でもありました。端的な例が、あの「ウッドストック」のコンサートを頂点とするロック音楽です。ブロードウエイ・ミュージカルもまた、「ウエスト・サイド・ストーリー」はむろん、革新的な「ヘアー」、シリアスな現実を下敷きにした「コーラス・ライン」等々で、現実にむかって盛んにメッセージを発していた時代でした。ひるがえって、この現代。ベルリンの壁崩壊後のこの混沌とした時代では、良くも悪くも、そんな明確なメッセージ自体が持ちにくくなりました。ロック歌手やクラシックの音楽家に、世界に共通するようなメッセージを求めようとする人も少数派でしょう。ポップもクラシックもふくめて、音楽は多くの場合「ビジネス」のひとつに過ぎなくなりました。そう考えると、このバーンスタインの演奏は、人々が明確なメッセージを発しながら、時には戦い、時には理解しあった20世紀という時代の残した、最良の遺産のひとつなのかもしれない。ウィーンという町自体も、東西分断の悲劇と、複雑微妙にからみあった場所でした。

 バーンスタインの音楽から、私が受け取ったメッセージを言葉にするならば、こうなるでしょうか。「音楽の力を信じよう」「音楽が人間を高めることを信じよう」「人間の可能性を信じよう」。「9番」の第4楽章の冒頭を聴いてほしい。あの有名な部分。これまでの三つのテーマを、「いやいや、違う。これではない」と否定する、その響きの何と重く、照れもなく、確信に満ちていることか。音楽家が、こういう演奏を説得力をもって展開できる時代は、とっくに去ったのではないか。最近、小沢征爾がサイトウ・キネン・オーケストラを指揮して楽友協会ホールで録音したCDを聴く機会がありました。すっかり長話になってしまったので、まことに失礼ながら一言でかたづけてしまうと、演奏からうけた印象はメータと同様でした。真面目にきちんと「整備」された、十二分に美しい響きの演奏………。小沢がウィーンで指揮したモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」も、オーケストラ・ピットから響くウィーン・フィルには酔いつつ、頭の半分は醒めているような感じでした。この公演で一番強く印象に残ったのは、終演後、係員の制止をふりきって、バシャバシャ小沢の写真を撮りまくる聴衆のマナーの悪さという情けないものでした。そのほとんどは日本人でしょう。

 オペラのついでにふれておくと、ミュージカル「ジキルとハイド」を観たのは、ウィーン産のヒット・ミュージカル「エリザベート」を上演したアン・デア・ウィーン劇場で、ここはモーツァルトが「魔笛」を初演した所としても有名です。ナッシュ・マルクトという市場の向かい側の、活気のある下町の一角に建つ、小ぶりなオペラ・ハウスです。凄い人気で、私の観た土曜の夜にはバスを何台も連ねて地方の客が観劇に来ていて、東京の四季劇場の前の光景を思い出しました。考えてみれば「魔笛」は本式のオペラとは違う、ドイツ語によるやや下世話な「歌芝居」で、ミュージカルの原型と言えなくもないもの。当時のモーツァルトは、むろん「お墨付き」でもなんでもなく、特に、この劇場での上演には、ウィーンの普通の人々が身銭を切って観に来て、やんやの喝采を贈っていたわけです。フォルクス・オーパーでは、現在「ウエスト・サイド・ストーリー」や「アナテフカ(屋根の上のバイオリン弾き)」などのミュージカルがレパートリーになっていますが、こちらの方は日程があわず足を運ぶことができませんでした。

 

■ クラシック音楽の未来

 

  これから、クラシック音楽の演奏(というパフォーマンス)はどんな展開をみせていくのでしょうか。たまたま、バーンスタインや小沢のCDと並行して、ラトルのベートーベン「9番」のCDを聴く機会がありました。ラトルは、10年ほど前にバーミンガム市交響楽団と埼玉のソニックシティ・ホールに来たことがあって、ベートーベンの「ピアノ協奏曲3番」と「交響曲7番」を演奏しました。記憶がはっきりしませんが、大げさなところのない、自分のつかんだ音楽のイメージを率直に伝えてくれる演奏でした。オーケストラも聴衆も、すんなりと演奏にひきこんでいく天性のキャラクターを感じました。今回聴いた「9番」は、誤解をおそれずに言えば、まるでバッハ(!)の音楽を聞いているような不思議な、面白い演奏でした。古楽器の奏法を取り入れたことを言っているのではありません。“objective”という英語があって、普通は「客観的」と訳していますが、これを哲学用語にひきつけて「もの的」あるいは「物体的」と訳せば、この演奏から私が受けた印象を表現できそうです。バーンスタイン(とウィーン・フィル)がベートーベンというアーティストを、自分やヨーロッパの歴史の延長上にとらえているのに対して、ここではベートーベンの音楽が、今現在とはとりあえず直接のつながりのない、遠い過去のある作曲家のある作品としてながめられ、演奏されている。だからといって、冷たい演奏ではなく、透明で風通しのいいものになっている。失礼なたとえかもしれませんが、無邪気な少年が好奇心から時計を分解し組み立ておなして遊んでいる。そんな感じです。ブーレーズのマーラーからも、私は、似たような印象を受けます。

 

■ ウィーン・フィル定期という「体験」

 

 最後に、こうして書き進めながら思い出した、楽友協会で当日私が抱いた、もうひとつの感慨を紹介して、この駄文を終わりといたします。長々とおつきあいありがとうございました。

 私がクラシック好きになるきっかけとなったレコードのひとつは、フルトベングラーの、通称「ウラニアのエロイカ」と呼ばれるベートーベンの「3番」でした。これもまた、1944年に楽友協会でウィーン・フィルと演奏されたものです。ここに展開される音楽は、メッセージどころではなく、むき出しの魂の叫びのようです。フルトベングラーと音楽の関わりついては、私が今更ここで駄弁を弄する必要はないでしょう。1944年という「時代」に音楽が持っていた意味についても。当日、たまたま隣の席に座った日本人と、お話をかわす機会がありました(その方とは馬が合って、ワインケラーに飲みに行ったりしたんですが)。演奏がおわって感想を聴かれた私が「フルトベングラーのエロイカを聞き込みすぎて、つい比較してしまうんですが………」と呟くと、「フルトベングラーを持ち出されてもなア」と呆れ顔で言われてしまいました。私もフルベンと比較されたらメータも困るだろうなと思いましたが、白髪が目立つ「定期会員」たちの何人かはひょっとしたらフルトベングラーを聴いているかもしれないし、その多くは私がCDで聴くしかないベームやらバーンスタインやらの演奏を、まさにこの場所で聴いているのです。その連中を相手にメータも小沢もラトルも奮闘しているわけで、そう考えてみると、やはり、あれは得がたい「体験」だったのかもしれません。

 

2003年8月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記