イギリス音楽事始?

文:稲庭さん

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CDジャケット

ヴォーン=ウィリアムズ
交響曲全集
ハイティンク指揮ロンドン・フィル
録音:1984〜1997年
EMI(輸入盤 5 86026 2)

CDジャケット

ティペット
交響曲第4番
ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
録音:1992年
Chandos(輸入盤 CHAN 9233)

CDジャケット

ティペット
ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロと管弦楽のための協奏曲
コリン・デイヴィス指揮、ロンドン交響楽団
パウク(ヴァイオリン)
今井(ヴィオラ)
キルシュバウム(チェロ)
録音:1981年
Decca(輸入盤 470 196-2)

 

■  はじめに

 

 皆様、ご無沙汰しております。自分が担当しているチェコ・フィルのページの更新を怠ってなにをやっているのかとお思いになられる方もあろうかと思いますが、今回は、全く異なるものについて「こんなのを聞いたけれど、面白かった」というものを書かせていただきたいと思います。

 ここ数ヶ月、チェコ・フィルを放っておいてなにをしていたかといいますと、(近代)イギリス音楽を色々聴いておりました。きっかけとなったのは、実に単純な話なのですが、音楽之友社から出版されております山尾敦史著「英国音楽入門」という本を何気なく手にとったためです。

 イギリス音楽というと、皆様はどのようなものを想像しますでしょうか。恥ずかしながら、最近までの私にとっては、ディーリアスとエルガー。とりわけ、ディーリアスは「はる初めてのカッコウを聞いて」、エルガーは「弦楽セレナーデ」(単に、どちらも弾いた事があるというそれだけの理由なのですが)。印象は?渋い、眠い、つまらない…。

 ところが、他にもいたのですね、作曲家が。こんな風に書くと、知らないのはあなたくらいですよ、と突っ込まれそうですが。その中で、今回は、見直した作曲家を一人、さらに、(一応は知っていたにしても)ほぼ、新たな出会いをしたといえる作曲家を一人、紹介させていただきます。

 

■  見直した作曲家(ヴォーン=ウィリアムズ)

 

 二十世紀の代表的な交響曲の作曲家といえば、誰しもがショスタコーヴィチの名を挙げるのに躊躇しないと思います。でも、ヴォーン=ウィリアムズもほぼ20世紀の人です(1872年生〜1958年没)。最初の交響曲「海の交響曲」を書いたのが1909年ということですから、交響曲に関しては、堂々と20世紀の作曲家といえるでしょう。ショスタコーヴィチとの共通点は、やはり、その保守的な音楽にあるのかと思います(保守的、というとご批判を受けそうですが、12音技法やらのいわゆる「現代音楽」が出現して相当時間がたっても、どう聞いても「現代音楽」には聞こえないものを作ったという程度の意味です)。

 周知のように、交響曲は9曲作っておりますが、今回私にヒットしたのは「ロンドン交響曲」(第2番)と、「田園交響曲」(第3番)です。

 CDは、やはり、イギリス音楽も、ヴォーン=ウィリアムズもメジャーになりきれないためか、イギリス以外では受けないためか、イギリスの指揮者、オーケストラのものが多いですね。その中で、オーケストラはロンドン・フィルでありながら、ハイティンクが振っている全集が最近まとめて再販されました。この全集の「ロンドン交響曲」の演奏と、例えば、プレヴィン、ロイヤル・フィルの同じ曲を比較しますと、ハイティンクの物は「ドイツ的」とでも言いたくなるうねりがあります。クライマックスまでの盛り上げ方、新たなフレーズに入る直前の準備などに、確実に次の音へもって行きたいという意志があらわれている、とでも言いましょうか。これに対して、プレヴィン(あるいは、ハンドリーも)は、フォルテ、と書いてあったらそこからフォルテで演奏しているような印象を受けます。

 この辺が、ハイティンクの演奏の好き嫌いが分かれるところなのでしょうか。私としては、指揮者がオランダ人だからとは言いたくはありませんが、プレヴィンやハンドリーとは毛色が違う全集であり、非常に魅力的だと感じた次第です。このように演奏されると、ヴォーン=ウィリアムズは完全に「ロマン派」の作曲家になりますね。

 

■  新たに知った作曲家(ティペット)

 

 こちらは、完全に20世紀の作曲家です(1905年生〜1998年没)。先の山尾さんの著書によると、ティペットは「硬派」な作曲家であると紹介されていますが、そのとおりだと思いました。しかし、すごいと思うのは、どこからどう聞いても「現代音楽」であることは明らかなのですが、それがすごく落ち着いて聞けるのです。

 例えば、交響曲第4番ですが、もう冒頭から和音はぐちゃぐちゃ、リズムもよく分からないし、とにかく何か小難しそうなことをやっているのです(非常に漠然とした言い方で申し訳ありません)。ところが、これが最後まで、集中して聞きとおせてしまうのです。というか、聞きとおさずにはおれない何か不思議な魅力を持っているのです。一見ぐちゃぐちゃでありながら、収まるものが収まるべきところに収まっているという安心感。

 わたしは、この演奏をヒコックスの演奏で聴いたのですが、演奏そのものがよくできているという可能性も考えられますし、実際、この演奏は例え他の演奏を聞かなくても、優れていると即座に断言できる水準のものに仕上がっていると思います。しかし、ティペットの他の曲、とりわけ印象に残ったもので言えば、「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと管弦楽のための協奏曲」でもこの印象は変わりません。この相反する二つのことを(混乱と秩序)を同時に成し遂げてしまうところが、私にとって素晴らしく魅力的です。

 蛇足ですが、ティペットというと、「入門」としては、「二つの弦楽オーケストラのための協奏曲」など、バロック的な書法を下敷きにしたものが勧められるようです(私も、最初に聞いたのはこの曲でした)。これらの曲も確かに面白いのですが、しかし、この曲を聞いたときの印象よりも、完全に「現代音楽」にしか聞こえない交響曲第4番を聞いたときの方がはるかに強いインパクトがありました。

 

■  おわりに

 

 本当に簡単に印象を述べただけの文章になってしまいましたが、お付き合いくださった方がおられましたら、ありがとうございました。今回、イギリス音楽を色々聴いてみて、他にもハウェルズなど新たに出会った作曲家や、エルガーなど見直した作曲家もいたのですが、とりわけ強い印象を与えられたのが上記の二人の作曲家でした。An die Musikではあまり話題にならない作曲家ですが、もしよろしければ聞いてみてください。

 

2005年2月28日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記