新首席指揮者ヤンソンスとコンセルトヘボウ管のドヴォルザーク「新世界から」を聴く

文:Fosterさん

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CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界から」
マリス・ヤンソンス指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団
録音:2003年6月6日(ライブ)
RCO LIVE(輸入盤 RCO 4002)SACD Hybrid仕様

 

■ はじめに

 

 このCDは、コンセルトヘボウレーベルの日本での第1弾CDとして発売されたものである(実際にはこのレーベルの録音第1弾にはシャイーの指揮でプッチーニが録音されているが現時点では日本には入ってきていないようである)。ヤンソンスとコンセルトヘボウ管のコンビでの公式録音としては1991年にEMIに録音した幻想交響曲以来の実に22年ぶりの録音である。

 

■ ドヴォルザークの交響曲第9番について

 

 誰でも一度は聴いたことがあるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」はこれまでにも多種多様なディスクが出ており、その中で個性を発揮して存在感のあるディスクになることは極めて難しいと言えるだろう。世評ではケルテス指揮のウィーンフィル盤(Decca)が決定盤の評価をほしいままにしているが、この曲に何を望むかで決定盤は人によって大きく異なったものにもなるだろう。

 私の場合、この曲の美しいメロディにどっぷりと浸りたいと感じる時は、ジュリーニ指揮のコンセルトヘボウ管(SONY)の演奏をよく聴くし、もう少し勢いのある演奏を聴きたいと思った時は、バーンスタイン指揮のニューヨークフィル盤(SONY)やコンドラシン指揮のウィーンフィル盤(Decca)を取り出すことが多い。しかし、この曲で私が最も気に入っているのはドラティ指揮コンセルトヘボウ管の演奏である。この演奏は何が素晴らしいかというと、第一にオーケストラの音色の素晴らしさである。特に2楽章のコールアングレのソロをはじめとする木管楽器群の美しさは筆舌に尽くしがたいものがある。金管楽器のブレンドされた音色、弦楽器の美しさ、往年のコンセルトヘボウサウンドがこんなにもよい条件でステレオ録音で残されたことに感謝の念を抱かずにはいられないほどこの録音でのコンセルトヘボウサウンドは素晴らしいといえる。また、ドラティの解釈もがっちりとした構築感のあるものであり、過度にローカル色を強調することなく、勢いにも事欠かない非常に素晴らしい演奏といえる。

 そんなことから、今回ヤンソンスがコンセルトヘボウレーベルでの第1弾録音にドヴォルザークの新世界を録音してくれたことは非常に喜ばしいことであった。それでは、早速ヤンソンスの演奏について感想を述べていきたい。

 

■ 1楽章

 

 アダージョの序奏部はテンポこそ中庸で奏でられているが、ティンパニと低弦のえぐりが効いており、最初から熱気を孕んだ音作りになっている。ホルンで奏でられる第1主題が弦楽器に移ると、ヤンソンスの特徴のひとつであるレガート奏法が駆使され、弦楽器の音色と共に流麗な美しさが感じられる。また、クレッシェンドを行なう前に一度音量を落とすなど強弱の振幅を非常に大きくとっており、いつものヤンソンスとは異なった大胆な解釈を聴く事ができる。さらに、フルートで奏でられる魅惑的な第2主題のところで、ヤンソンスはテンポを思いきり落とし、旋律を共感を持ってたっぷりと歌い尽くすことをやっている。これと似たようなことを実施しているのが世評の高いケルテス盤であるが、ヤンソンスの歌いこみ方はあそこまで感情を剥き出しにしたものではなく、洗練された美しさというようなものを感じさせてくれる。また、いつものヤンソンスのように弦楽器にはアクセントの部分をしっかりと歯切れ良く演奏させ、テヌートをかける部分はしっかりと歌いこませているのでこの楽章が非常にメリハリのよい演奏に仕上がっている。楽章の最後も期待を裏切らない迫力のある終わり方で締めくくってくれる。ヤンソンスの熱気に導かれるようにオケが熱くなっているのが手に取るようにわかる演奏である。

 

■ 2楽章

 

 一番のポイントは当然コールアングレのソロである。きれいではあるし上手でもあるのだが、私の最もお気に入りの演奏であるドラティ盤には及ばなかったのは残念である。しかし、十二分に素晴らしい演奏だといえるだろう。

 この楽章は私自身食傷気味なため、あまりたっぷりとやられてしまうとつい飽きてしまうのだが、ここでのヤンソンスはやや速めのテンポですっきりと歌っている。また、フレーズの終わりに向けて少しだけテンポを上げ、フレーズの終わりでテンポを落とすということをこの楽章を通して何度か聴かせてくれる。また、中間部手前でテンポを速めて聴き手の注意をひき、そのあとのヴァイオリンによるどこかもの悲しいメロディをしっとりと歌わせてくれる。これらのヤンソンスの「聴かせるテクニック」により食傷気味だったメロディ達が新たな魅力を持って聴き手の耳に迫ってくる。また、ファゴットやビオラをはじめとする伴奏楽器のメロディをしっかりと聴かせてくれるのも嬉しい限りである。コンセルトヘボウ管という楽器を手にしたからこそできる解釈だろう。この楽章で特筆すべきは2回目のイングリッシュホルンのメロディである。1回目のソロの時と違って、思い入れたっぷりに歌わせる。この解釈は今までに無かったわけではないが、1回目のソロの部分で早めのテンポで奏でた後だけに効果は抜群である。この楽章最後の弦楽器のトップによるソリの部分も安定しており、最後まで感傷的になりすぎないですっきりと終わらせてくれる。

 

■ 3楽章

 

 この楽章は繰り返しが多いのでいかにうまく聴かせることができるかという点で指揮者の手腕が大きくものを言う。しかし、そこは聴かせ上手のヤンソンスである。同じメロディを繰り返し奏でるところでは2回目の入りをピアノで響かせることで聴き手の注意をうまく引いている。また、全体を通して木管のリズム感の良さと音色の美しさが際立っている。弦楽器群の歯切れのよいリズムも申し分無く、ヤンソンスの面目躍如たる演奏といえるだろう。トリオの部分では一気にスピードダウンし、コンセルトヘボウ管の木管の名手たちの演奏を心行くまで堪能できるという心憎い演出も施している。この演奏を聴いていると現在のコンセルトヘボウ管の木管楽器奏者達のレベルの高さはちょっと他のオケとは次元が違うのではいかと思えるほど、素晴らしい音楽性とテクニックを見せ付けてくれる。終始ティンパニと低弦が存在感を示しており、歯切れがよくかつ音の厚みも十分に感じさせてくれる演奏である。

 

■ 4楽章

 

 冒頭の第1主題前のメロディから生き生きとした熱い音が飛び出してくる。低弦の生かし方のなんとすばらしいことだろうか。この音こそヤンソンスの奏でる音楽の最大の魅力である。続くトランペットとホルンによって奏でられる第1主題も非常に生き生きとしている。第1主題が弦楽器に引き渡されるところではかなりのレガートでメロディを奏でさせるが、それ以降との対比が非常に鮮明になり効果抜群である。クラリネットの第2主題の部分では強弱の振幅を大胆にとって旋律を思い入れたっぷりに歌わせてくれる。このメロディがこんなにも素晴らしいものであったのかと改めて感動させられる瞬間である。

 この楽章で何度も現れるトゥッティの部分では、厚みがあるのに決して濁らない素晴らしい和音を聴く事ができる。これぞコンセルトヘボウサウンドである。終結部間近の最後の盛り上がりを示す個所では、いつものヤンソンスのようにテンポを速めて豪快な一面を見せてくれる。そしてそれと全く対照的な終結部の静謐な部分の美しさはどうだろうか。慈しむかのように旋律を奏で最後は壮大に終わらせていく。

 

■ まとめ

 

 終始緩急強弱の振幅を大きくとるこの演奏を聴くと、これまでEMIに録音していたヤンソンスと同一人物であるのかを疑ってしまいたくなるほどである。たしかにEMI専属時代のヤンソンスは、前回の文章にも書いたが豪快さと洗練された美しさには秀でていたが個性という点では物足りなさを感じないこともないではなかった。しかし、ここでのヤンソンスは全く違う。音の強弱、テンポの緩急がまったく個性的である。ヤンソンスが成熟したことでこのような演奏をすることになったのかもしれないが、最近出たジュリアン・ラクリンとのモーツァルト、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(Warner)でのバックではこんなに大胆な解釈は示していない。とは言ってもあくまで協奏曲のバックであるので正確なところはよくわからない。また、ヤンソンスはこの曲を以前にもEMIに録音しているのだが、残念ながら私は未聴であるため、ヤンソンスのこの曲の解釈が以前からこうであったのかもわからない。ただ、ほぼ同時期に録音したと思われる同じドヴォルザークの7番や8番ではこのような大胆な解釈は行っていない。パワフルではあるが極めてまっとうな解釈である。

 このCDを聴く前の私の勝手な予想では、ライブ録音にありがちなパワフルで勢い重視の演奏を想像していたのだが、その予想はある意味裏切られたといえる。パワフルではあるが、勢いに任せた所は1箇所たりとも見受けられないし、勢いのあまりに曲の構築が崩れるようなことは全くない。また、弱音を効果的に用いた洗練された美しさも見事であるし、意表をつくギアチェンジも効果的に決まっている。全楽章の見通しが非常によく各楽章の主題の描き方が極めて上手であるため、聴きなれたこの曲が新たな魅力を伴って存在しており、数多あるこの曲のCDの中でも十二分に存在感を感じさせてくれる1枚である。

 コンセルトヘボウ管も木管楽器群を筆頭に非常に美しい音色を味わうことができるし、ティンパニの存在感のある音色や低弦の迫力は最近のコンセルトヘボウ管の録音ではあまり感じることのなかった新たな魅力である。また、トゥッティでの和音の厚み、美しさは非常に素晴らしくコンセルトヘボウ管のこれまでの新世界の録音と比較しても十分に遜色ない演奏だといえるだろう。

 

■ 今後の展望

 

 何分レパートリーの広い指揮者ゆえに今後どんな音源をリリースしてくれるのかは予想もつかないのだが、EMIからはショスタコーヴィチの交響曲を1枚は出してくれるのではないだろうか。主だった交響曲は既に録音済みなのが残念ではあるのだが、私個人としては11番や15番でコンセルトヘボウ管を起用してくれることを願っている。また、コンセルトヘボウレーベルが今後もコンスタントに新譜をリリースしてくれそうなのはファンにとっては何よりも朗報である。次回作はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」ということだが、私個人としてはドヴォルザークの続編やラフマニノフあたりを録音してくれたらと期待している。また、これまで録音が少ないコンセルトヘボウ管でのシベリウスも、ヤンソンスの得意曲であるがゆえに是非とも聴いてみたいと思う。そして私が一番望むのはチャイコフスキーの交響曲である。ムラヴィンスキー譲りの厳しくシャープなチャイコフスキーをコンセルトヘボウサウンドで聴きたいと思うのは私だけではないだろう。ヤンソンス自身もChandosに録音した最初の全集から既に20年近く経っているのでもしかしたら再録音を望んでいるかもしれない。今後もこのコンビ、このレーベルの新譜には非常に期待が持てそうである。

 

2004年10月19日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記