メシアン生誕100年記念 「鳥のカタログ」
文:青木さん
オリヴィエ・メシアン
鳥のカタログ
ピアノ:アナトール・ウゴルスキ
録音:1993年3,4,11月 ベルリン
ドイツ・グラモフォン(国内盤:ポリドール POCG1751〜3)■ カタログの音楽とは?
鳥の鳴き声を音符に置きかえ、それをもとに構成したピアノ曲。おもしろそうなコンセプトではあるものの、いわゆる民俗音楽などにありがちな単調さ・退屈さも予想してしまいます。たとえば第7番「ヨーロッパヨシキリ」は30分近くあり、その鳴き声でどうやって半時間を飽きずに聴かせることができるのか。それもオーケストラならともかく、たったピアノ一台だけで…。
といった先入観は、うれしい形で裏切られました。それどころか、とてつもなくすばらしい、グレイトな音楽だったのです。
最初の誤解は曲名でして、全13曲それぞれの標題になっているのは各曲の代表者にすぎないのでした。実際には全曲を通じて70を超える鳥の声が盛りこまれているとのこと。また鳥だけでなくカエルやセミといった他の動物も登場、さらに波や川や岩や花、日の出や夜など自然を構成する要素もたくさん出てくるのです。そして各曲ごとに具体的な場所や時間の経過という状況・環境が設定され、「鳥を主役とした自然絵巻」とでもいうべき多彩なストーリーが与えられている。単なるカタログ=羅列ではないその構成の妙に、まず惹かれました。
で、これをピアノで描写しているところがミソ。その大胆かつ緻密な「抽象化」によって、まったくユニークで魅力的な世界観が形成されているわけです。まばゆいばかりに変化する音色とダイナミズム。ピアノという楽器の表現力に圧倒されます。これを管弦楽でリアルに描写したりすると、かえって陳腐な標題音楽になってしまうかもしれません。
■ 聴きかたの手引き
しかしながらその抽象化の結果、各曲で描かれている内容を聴きとろうにも、音だけではなかなかイメージできないというのが正直なところです。鳥の鳴き声を聞き分けられる人は別かもしれませんけど、ワタシにとっては声どころか存在さえ見知らぬ鳥ばかり。鳥以外の動物や自然要素についても、たとえばリヒャルト・シュトラウスのようなストレートな描写ではありません。
ところがところが、秒単位で詳細に内容を解説する「テキスト」を見ながら聴くと、たちまちに映像が浮かんでくるのです。これは大きな驚きでした。そのテキストは、たとえばこんな具合です。(第1番「キバシガラス」の冒頭部分)
時間経過 小節鳥・風景 状況 形式構造 0’00 1ラ・メージュの氷河への登り ドーフィネ・アルプス、オワザン地区。
ラ・メージュとその3つの氷河への登り道。ストロフ シャンセル小屋近辺:ピュイ・ヴァシェ湖。
素晴らしい山景。深淵と絶壁。クープレ1 0’58 28キバシガラス 叫び声をあげながら一羽横切っていく。 1’22 36イヌワシの飛翔 静かで威風堂々とした滑翔。 1’53 38ワタリガラス 高山の領主たるワタリガラスのしゃがれた獰猛な鳴き声。 1’59 43ワタリガラス 2’12 51キバシガラスの飛翔 2’17 52キバシガラス 様々な叫び声。 もともとメシアン自身が「各曲のプログラム」という解説文を残しており、このテキストはそれを時系列に当てはめる形で作られたものです。抽象化の度合が高いので、こういった手がかりはきわめて有効。しかしテキストを追いながら聴くのは一、二回でOKでして、次からはいちいち細かく読まなくてもなんとなくイメージが浮かびます。勝手な映像を想像しながら聴くのもまた楽しいもので。
■ CDのこと
さてその「テキスト」は、ウゴルスキの国内盤ブックレットに載っているものです。それにはほかにも、登場する鳥の分類や検索、ウゴルスキ自身による示唆に富んだ解説なども掲載され、まさに価千金。「鳥のカタログ」を聴くうえで、この解説書があるとないでは大違いなので、できれば国内盤を入手すべきでしょう。バカみたいに高価ではありますが、中古ショップでしばしば見かけるCDでもありまして、ワタシは幸いにも安く買えました。この国内盤にはさらに、各曲の標題になっている鳥のイラストとメシアンによる「各曲のプログラム」の訳をまとめた小冊子も付いていて、CDのオビにはその特典のことだけが謳われています。ま、これはこれで価値あるものですけど。
こんな曲をつくったメシアンもまったくすごいですが、どう聴いても超難曲としか思えぬこの大作を暗譜で弾いてしまうというウゴルスキも人間離れしています。演奏の良し悪しの判断などワタシの及ぶところではなく、作品と演奏の巨大なパワーや魅力にただただ圧倒されるだけ、です。
3枚組のこのCD、生誕100年記念で再発売されたばかり。同じコンセプトによる続編ともいうべき「ニワムシクイ」もお付けして、いまなら税込価格7646円でご奉仕、お買い求めはお早めに(たぶんすぐ廃盤)。
■ 自然描写について
最後に。鳥たちを主人公とするこの自然絵巻の世界観にどこまで共感できるか、その度合いによってこの楽曲に対する印象がまったく変わってくると思います。ワタシの場合、アウトドア・レジャーにまるで無縁だった頃であれば、この曲をたいして楽しめなかったに相違ありません。ところが10年近く前に自転車が趣味となり、やがて「坂バカ」となって、峠越えだけのために山道へ遠出することもしばしば。クルマさえろくに通わぬ細い県道などを延々と登っていると、視界に入る人工物はアスファルト舗装とガードレールだけ。ヒルクライムモードに入った脳は思考が停止してしまい、そのぶん敏感になった五感は風や涼気、雲や空の色の変化、樹々のざわめきや匂い、鳥や動物の声や気配までも感じたりして、「自然との対話、一体感」みたいな世界に突入。あるいは海沿いの道をひたすら走っているときも似たような状況です。「鳥のカタログ」は舞台こそフランスの海辺や野山ですが、自然環境のかもし出す雰囲気や「人間や人工物のちっぽけさ」といった感覚に、そういった日常体験と大いに共通するものを感じてしまうのです。
一方では、かつてのワタシならきっとそうであったような、買って聴いてはみたもののぜんぜんつまらん、金返せ、という人もたくさんいるはず。マイナーなこの曲の中古盤をしばしば見かけるのも、それが理由ではないかと思うほど。
で、逆にすっかりハマってしまったワタシはといえば、鳥たちの実際の声や小冊子に描かれていない鳥の姿はどんなものか・・・舞台となっている場所はフランスのどのへんにあってどんな風景なのか・・・鳥たちが出てくるメシアンの他の作品はどんな曲なのか・・・興味は果てしなく広がり、このうち「他の曲」部門については、生誕100年ということで次々にリリースされるメシアンのディスクがわがCD棚にも増殖中。しばらくはこのメシアン中毒から抜けられないでしょう。シャイー指揮コンセルトヘボウ管のDECCA未発表音源「異国の鳥たち」が収録されるというボックスセットも、きっと買ってしまうでしょう。しかし、「鳥」と並んでメシアン作品のもうひとつのキーワードである「カトリックの世界」は永遠に理解できないままでしょう。
2008年10月30日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記