ハイドシェックで聴くモーツァルトのピアノ協奏曲第27番

文:たけうちさん

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モーツアルト
ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
ピアノ:エリック・ハイドシェック
アンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団
録音:1962年
セラフィム(TC-003B)

 

 ハイドシェックは、かなり年月を隔ててこの曲を2回録音しておりますが、私のお勧めは、ヴァンデルノートと共演した旧盤の方です。ちなみに、このCDは BOOK OFFで2枚組みで600円で手に入れました。しかも一方のディスクには、ルービンシュタインのソロで20番、21番が収録さている掘出し物でした。私はこの曲が大変好きでして、CDもバックハウス、内田光子、ペライア、バレンボイム、ガーゾン、ハスキル、グルダと所有しております。

 私がなぜこの曲が好きかと問われたならば、一寸気取った言い方ですが、「ほとんど音が無いから」と答えます。加えて言うなら「モーツアルトが晩年に到達した透明な境地」と言うのでしょうか。とにかくこんなに澄みきって純粋な音楽は、後にも先にも無かったのではないでしょうか?(あえて言うなら、同じく晩年のクラリネット協奏曲でしょうか)ハイドシェックはそれを、何とも言えぬ玉を転がすような軽やかさで演奏しています。モーツアルト生涯最後のピアノ協奏曲だからといって、決して深刻になっていません。

 ハイドシェックは、フランスのシャンパン会社の御曹司だそうで、だからと言う訳ではないでしょうが、この人の奏でるピアノはあのゴッホが安息の地として求めた、アルルの太陽と空気に例えるのは大げさでしょうか?これに比べると、名盤の評価が高いグルダの録音は、一見グルダ特有のエレガントさで弾ききっているようですが、モーツアルトを弾く時のあのグルダ特有の遊び心は影を潜めています。ハイドシェックが明るいパステルカラーならば、グルダはセピア色の演奏と言えましょうか。加えて、グルダと共演した、アバドとウィーンフィルもいまいち暗い。同じ伴奏でも、ヴァンデルノートはハイドシェックに劣らず、エレガントで明るい事。この人「ワルターの後継者」とまで言われた事もあるそうで、これほどの実力ならば、もっとモーツアルトの交響曲、オペラ等の録音が残されていてもいいはずですが、残念ながらスター街道を歩む事なく、ややマイナーな存在で終わってしまったのは残念です。

 ハイドシェックも、デビュー当時はその才能と、毛並みの良さでピアノ界の貴公子として将来を嘱望されておりましたが、後から来たポリーニ、アシュケナージなどの秀才達の影にかくれて、一時期目立った活動は、聞かれなかったのですが、その才能を惜しんだ日本の某評論家(あえて名前は挙げなくとも御分かりですね)は、日本まで呼んでコンサートを開いたりしており、その真価を日本の音楽ファンも再認識させられました。

 「モーツアルトを演奏するのは易しい。
 しかし音楽として聴かせるのは難しい」

とはよく言われておりますが、ハイドシェックほどモーツアルトの「音」と戯れ一体化して奏でているピアニストはそういないのではないでしょうか?

 

2005年12月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記