現代音楽を少し聴いてみました

文:稲庭さん

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ルイジ・ノーノ

CDジャケット

Variazioni canoniche (1950)
A Carlo Scarpa, architetto, ai suoi infiniti possibili (1984)
No hay caminos, hay que caminar…Andre Tarkovski (1987)
Michael Gielen指揮Sinfonieorchester des Sudwestfunks
録音:1989年9月
CD:ASTREE(輸入盤 E 8741)

 

 

CDジャケット

La lontananza nostalgica utopica futura (1988-89)
“Hay que caminar” sonando (1989)
Gidon Kremer, Tatiana Grindenko(ヴァイオリン)
録音:1990年12月
CD:Deutsche Grammophon(輸入盤 474 326-2)

 

 

Fragmente - stille, an diotima (1979-80)
“Hay que caminar” sonando (1989)
Arditti String Quartet
録音:1990年7月
CD:naive(輸入盤 MO 782172)

 

(1)きっかけは、またしても本

 

 昨年(2005)年の9月に、光文社新書から、宮下誠『20世紀音楽、クラシックの運命』という本が発行されました。多くのCD店で並べられていましたので、ご覧になられた方も、購入なさってお読みになった方も多いかと思います。

 なんにつけ、活字からの情報によって左右されることが多い私ですので、バロック音楽を聴き始めるときも、そして今回も、こういう本に出会ったことが、それらの音楽を聴き始める良いきっかけになりました。そこで、今回は、この本によって「聴いてみよう」と思い、ここ数ヶ月に聴いた音楽から、いくつか印象に残ったものを紹介してみたいと思います。

 ところで、最初に断っておきますが、この本は「現代音楽」の本ではありません。もちろん、「現代音楽」も扱っていますが、著者が「はじめに」で述べているように、この本はいわゆる「現代音楽」だけではなく、20世紀に作曲されたクラシック音楽について扱った本です。ですから、取り上げられている作曲家も、ヴァーグナー、ブラームス、マーラー、ドビュッシーなど、現在のクラシックの演奏会のレパートリーの中心を形成している作曲家から、クルターグ、アダムズ、グラスなど現在でも活躍しており、かつ、我々が通常「現代音楽」と言ったときにイメージするような作曲家まで、幅広いものです。

 決して、ここで私が述べるような音楽だけを扱っているわけではありません。このことを最初にお断りしておきます。

 

(2)最も印象に残った作曲家

 

 さて、上記の宮下さんの著書では80人以上の作曲家が紹介されています。その中には、有名な作曲家も含まれていますし、全然知らなかったような作曲家も含まれています。私の場合は、そのうち26人くらいの人の曲は全く聞いたことがありませんでした(現在でも、結局聞いていない作曲家もまだ相当います)。そして、これら26人のほとんどが、いわゆる「現代音楽」の作曲家でした。

 まず、その作曲家の中から最も印象に残った作曲家を挙げてみたいと思います。それは、なんと言ってもイタリアの作曲家ルイジ・ノーノ(Luigi Nono)(1924〜1990)でした。彼は、マリピエロの下に弟子入りしたようですが、実際に大きな影響を受けたのはマデルナやシェルヘンだったようです。

 しかし、それ以上に、彼について語られる場合、イタリア共産党というか、社会主義との関連が注目されるように思います。すなわち、この人の作品には、1974年作曲のオペラ「愛に満ちた偉大な太陽に向かって(Al gran sole carico d’amore)」を境に、その後の弦楽四重奏曲「断片-静寂、ディオティーマへ(Fragmente - Stille, an Diotima)」(1979〜80年)などから作風の転換が見られるが、これは、その頃までに彼が追い求めていた社会主義の限界を見せ付けられたからではないのか、というものです。プラハの春が1968年、そして、このころイタリアも、ヨーロッパも「政治の季節」であったことは、ある年代以上の方なら、肌身で、私のような年代の者は、書物を通してよく知っているところです。

 このような考えに対しては、賛否両論あるようで、彼の弟子であるラッヘンマンなどは、このような見方を退けているようです。この辺のことについて、およびその他ノーノ音楽については、「ルイジ・ノーノと《プロメテオ》」と題された、ラッヘンマン、磯崎新(建築家)、浅田彰、長木誠司の諸氏の対談がインターネットで入手できますので参照ください。

 素人の気楽さで居直って私の意見を一応述べておきますと、やはり、聞いた感じでは一定程度の「作風の転換」は認められるのではないかと思います。もちろん、その理由が巷間言われているような単純なものだったかどうかは、ノーノ本人のみが知っているか、もしくは本人すら知らないことであるにせよ。

 しかし、そういう難しい議論はさておき、私の場合、印象に残ったのは「作風の転換」が生じた後の作品でした。彼の代表作とされる「力と光の波のように(Coma una ola de fuerza y luz)」(1971〜1972年作曲)は、確かにすごい作品だと思いますし、ノーノの作品のうち最初にこれを聞いて強烈な印象を受けた、というのも事実です。これに対して、晩年の1980年代後半に書いたいくつかの作品、例えば、「進むべき道は無い、だが進まねばならない―アンドレ・タルコフスキー(No hay caminos, hay que caminar - Andre Tarkovsky)」(オーケストラ曲)とか、「ノスタルジー的ユートピア的未来の遠景(La lontanaza nostalgica utopica futura」(ヴァイオリンとライヴ・エレクトロニクスのための曲)などは、最初聞いたときは、「ふーん」と言いますか、それほど強烈な印象は受けませんでした。

 しかし、しばらく他の作曲家の曲を聴いてからこれらの作品に戻ってきますと、以前とは少々異なる印象を受けるようになりました。特に、その印象は、「断片―静寂、ディオティーマへ」を聞いてより明確な像を取る様になっていきました。

 単純に言えば、そして私はそれ以上複雑に言えないのですが、これらの作品は、同じような内容を異なる編成でやっているという感じがします。同じような内容、がどういうものかは上述のリンク先で挙げた文章の中で浅田彰が「インテンシヴ」と称していることだと思います。もしくは、もっとなじみのある言葉で、「内省的」という風に言い換えてしまってもいいのかもしれません。

 このように申し上げますと、例のドイツ音楽の、もしくは日本の批評家が良く使う「音楽の内容」という言葉とかぶってしまいそうなのでこの言葉はあまり使いたくないのですが。

 といいますのは、ノーノの音楽は、緊張感が支配する静寂と、おそらく静寂の中から、そこに現れるその静寂の破壊の繰り返しのような気がいたします。これ自体に「内容」があるかどうかなどを問うてもあまり意味の無い、極めて厳しい音楽(もしくは「音」)がそこにあるような気がします。この音楽(もしくは「音」)は、聴きようによっては、全く無意味な音の連鎖、もしくは全く意味理解不可能な狂人の独り言にしか聞こえないかもしれません。そして、そのように聴かれる方があっても不思議ではありません。この点で、ノーノのこの時期の音楽が、ドイツ音楽のうちでも「内容がある」とされる、ある種のロマンティシズムとは遠く隔たったところにあることは、ご理解いただけるかと思います。

 もう一つ、この作曲家が好きな、少々感傷的な、理由があるのですが、それは後ほど述べてみたいと思います。

 

(3)現代音楽はいつ現代音楽になったのか

 

 さて、これまで私は「現代音楽」という言葉を何度か用いてきました。しかし、それがどういう音楽をさすのかという説明は全くせずにきました。しかし、「現代音楽」という言葉を使うからには、それがどのような音楽なのかを全く説明しないのは少し不親切なように思います。本当は、こういう難しい議論は専門家の知識をお借りしてこなくてはならないのですが、不勉強な私は、今回聴いたCDの中から一応の定義を与えてみたいと思います。

 おそらく、現代音楽を専門に勉強された方には、色々な時期区分の方法があるのでしょうが、あまりにも常識的な線からはじめますと、新ウィーン楽派とか、12音技法による調性の決定的な崩壊というところから現代音楽が始まる、というのが一つの有力な考え方ではないかと思います。私も、数ヶ月前までは、「これ以外の定義の仕方があるのかしら?」と思っておりました。

 しかし、この数ヶ月でこの辺は少し変化しました。そして、その理由はあまりにも主観的なことなので、理由と言えるのかどうかもよく分かりませんが。

 まず、この数ヶ月で現代音楽を色々聴いてみて、一つ自分にとっても意外な感想だったのは、「私にとって最も聞きにくい現代音楽は、ヴェーベルンの一部の作品を除く新ウィーン楽派(とりわけシェーンベルク)である」というものでした。その聞きにくさと似た聞きにくさを持っている作曲家を探してみますと、レーガー、プフィッツナー、さらにはツェムリンスキーなどの作曲家に行き当たるわけです。通常これらの作曲家は、「現代音楽」の作曲家とは言われず、「ロマン派の末裔」(もしくは、「肥大化しすぎたロマン派」、「袋小路にはまったロマン派」)というように理解されていると思います。

 しかし、これらの作曲家の作品が、「現代音楽」の嚆矢とされる新ウィーン楽派の作品と同じような感想を抱かせるとしますと、私にとって、新ウィーン楽派とレーガー達の間にある溝は、「現代音楽」と「ロマン派」を分ける溝としては、ありうる一つの溝だけれども、決定的な溝ではない、ということになります。とりわけ、レーガーの諸作品と、シェーンベルクの諸作品は、ほとんど「ロマン派的」な発想で、道具だけが違った、という「差」しかないのではないかとすら思います。

 それでは、「現代音楽」はどこから始まるのかと言えば、やはり1950年台から、というのが、今のところ私にとって、一番しっくり来る答えです。1945年に第二次世界大戦が終わった後、1950年台に、多くの新しい作曲家の新しい作品が世の中に受け入れられていきます。とりわけ、ダルムシュタットの3人(シュトックハウゼン、ブーレーズ、そしてノーノ)は有名ですね。

 ここ数ヶ月のうちに聴いたこれらの人々のこの時期の作品の中で、最も印象に残ったのは、ブーレーズの「主のない槌」でした。あの、いわゆる「ロマン派的」発想からは全く切り離された「軽さ」、そして、サティ、ヒンデミットなどの「実用音楽」にみられる「人を食ったような態度」からは全く切り離された「真面目さ」、この二つが見事に両立しています。もちろん、ブーレーズがセンセーショナルな形で述べているように、この前史としてヴェーベルンの存在を無視するわけにはいかないのですが…。

 しかし、やはり1950年代から「現代音楽」は始まったのだと思います。

 

(4)その後の現代音楽とノーノ再び

 

 「現代音楽」は、その後、私の本当に個人的な感想ですが、60年代および70年代がもっとも「前衛的」であった時期だと思います。この時期の音楽には、「守りの姿勢」が全く見られない、と言いましょうか、やりたいことをすべてやる、とでも言いたいような「いきのよさ」があるように思います。また、今日でも演奏され、聴かれている音楽が多く書かれた時期ではないでしょうか。(ベリオの「シンフォニア」、リゲティの「アトモスフェール」など。)

 この時期に、現代音楽は最も「現代音楽」だったといえるでしょう。

 しかし、1980年代になると、おそらく社会情勢の変化(社会主義陣営の相対的陥没(?)=ユートピアの喪失(?))に伴って、音楽も、妙に落ち着いたものが多くなるような気がします。これも一般的な意見で申し訳ありませんが、それを象徴するのがペンデレツキではないでしょうか。彼の「ポーランド・レクイエム」などは、その象徴のように思えます。(もっとも、ペンデレツキはすでに60年代に「聖ルカによる主イエス」という、これまた、落ち着き気味の曲を書いてはいるのですが。)

 しかし、これは、逆に言えば、「現代音楽」がそれまで数十年に開発してきた技術を踏まえつつ、過去の音楽の遺産にも目を向けることをはじめた時期と言えるのかもしれません。その意味では、「現代音楽」が本気で後世にまで生き残ろうとする意思を持ち始めた、もしくは持たざるを得なくなった時期、とも言えるのかもしれません。

 過去の遺産を全く無視する、もしくはそれを根底からひっくり返す、ということは、ある意味革新的な行為ですが、ある意味とても野蛮な行為です。おそらく、マルクス主義やなにやらの「革命」という概念は、そういう意味で、野蛮だったのでしょう。もちろん、それがゆえに、ユートピアたりえたわけですが。(人間はもともと野蛮な生き物です。)しかし、結局のところ、いくら概念を精緻化してみたところで現実からどんどん乖離していくばかりで、それがゆえに、「資本主義的な卓球は楽しくないが、社会主義的な卓球は楽しい」みたいな、ほとんど現実にはコミットできない言説が現れるわけです。

 そういう態度を「現代音楽」は捨てた、おそらく。

 そこで、またノーノに戻ります。彼も、おそらく、そういう態度を捨てたのかもしれません。しかし、捨て方が一種独特だったような気がします。先のペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」が、まさに、キリスト教という「それまであった」そして「いまある」ヨーロッパの屋台骨への回帰、だとすれば、ノーノの音楽は、そういうことを拒否しているように思います。

 そういう意味では、過去と切れているように思うのですが、しかし、先の「インテンシヴ」という言葉が示すように、人間そのものと切れていない、感じがいたします。微視的なパースペクティヴでしか見ることができないけれど、現実には頑として、一人ひとりの中に存在するものを見せてくれるような音楽へ向いていったような気がします。

 よくある言説からアナロジーが可能なものを指摘するとすれば、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲の関係が該当するかもしれません。交響曲はショスタコーヴィチの「表の顔」、そして弦楽四重奏曲は「個人的な顔」という言説です。(もっとも、現在の私は、弦楽四重奏曲も含めて、ショスタコーヴィチの作品にほとんど興味が持てませんし、彼の弦楽四重奏曲から「内面的」な何かを聞き取ることもできませんが。)この言説とのアナロジーで申し上げれば、ノーノは(ショスタコーヴィチでいう)交響曲→弦楽四重奏曲という道をたどったのに対して、ペンデレツキ(や他の多くの作曲家)は、交響曲を何とか生かそうとする、すなわち「表の顔」を何とか建て直す、そういう道を採った、と言えるのかもしれません。

 そして、ノーノがおそらく、そういう道を採った、ということが、ノーノが特に印象に残った第二の理由なのだろうと思っています。

 

(5)蛇足

 

 本当に蛇足ですが、ノーノの曲のタイトルってかっこいいと思いませんか? 同じように、曲のタイトルがかっこいい人といえば、武満徹を思い出します。「そしてそれが風であることを知った」なんて、かっこいいですよね。

 

2007年1月9日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記