バッハの前任者達の教会音楽

文:稲庭さん

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■ はじめに

 

 皆様、バロック音楽はよくお聴きになりますか?もちろん、バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデルなどの曲を一曲も聴いたことがないという方は稀だと思いますが、それ以外の作曲家となるとどうでしょう。などと、えらそうに言っている私も、バロック音楽を積極的に聴くようになったのはここ数年のことに過ぎません。

 今回はバロック音楽のCDを紹介してみたいと思います。しかし、一般的に音楽史上バロック時代と呼ばれる時代(1600-1750)の作曲家と作品を包括的に扱う能力も、資料もありませんので、今回はバッハ直前のライプツィヒにおけるカンタータに焦点を絞りたいと思います。

■ 1.バッハは「音楽の父」?

 

 ところで、少なくとも私の年代(1975年生)以上の方は音楽の時間に「バッハは音楽の父」と習わなかったでしょうか?ついでに、「ヘンデルは音楽の母」とか。ヘンデルが男性であることだけを考えても、後者は噴飯ものですし、おそらくこれを考えた人も、「父」がいるのなら「母」も必要だろうくらいののりで考えたのだと思います。ですから、ヘンデルの方は放っておくとしても、バッハは本当に音楽の父なのでしょうか。

 そんな訳はありませんね。先のバロック時代という視点だけで見たとしてもバッハはバロック時代の末期に位置します(1685年生、1750年没)。それ以前に、ルネサンス音楽や中世音楽があることも視野に入れてしまえば、「バッハが音楽の父」であるという言説は相当に歴史を軽視した言説といわざるを得ないでしょう。

 恐らく皆様もこのようなことには既に気がついていらっしゃると思います。ところが、CD店を覗きますと、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ、(それとテレマン)以外のバロック時代の作曲家のCDは極めて少ないというのが(少なくとも日本の)現状です。これは、(少なくとも日本の)バロック音楽受容がある特定の作曲家に偏っていて、それによって、「バッハは音楽の父」のような、常識的に考えればありえない、言説を事実として蔓延させている状況であるとでもいえましょうか。もちろん、私のCD棚もバッハの占める割合が非常に高いですから、人のことをえらそうに批判できるような状況ではありません。しかし、ある学者が言うように、バッハの作品が「独自性と比類ないクオリティから、伝統的な音楽ジャンルや周囲の音楽状況からの刺激とは無関係に成立したと考えられることが少なくない。だが、それは違う」のです。

 

■ 2.バッハのカンタータ

 

 今回取り上げたいと思うのは、バロック時代には様々な作品が書かれながら、古典派以降にはほとんどジャンルとして生き残らなかった「カンタータ」です。バッハのカンタータについての賛辞の一つや二つを耳にしたことがない方はいないと思います。例えば、「ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータは、西洋芸術の最大の遺産の一つです」。

 さて、バッハが現存する200曲あまりのカンタータのほとんどを作曲したのは、1723年5月に、ライプツィヒの聖トマス教会のカントルとして着任してからの数年間でした。なぜこの時期に集中的に作曲を行ったかといいますと、そのような音楽が必要だったからです。当時の教会では、教会暦に従い(四旬節を除いた)毎主日(日曜日)と、特定の教会暦上の祝日の礼拝では必ずカンタータが演奏されていました。バッハが着任したトマスカントルはそのような音楽を提供する任務をその職務の一部としていたのです。この音楽は自作でなくてもよかったのですが、少なくとも最初の数年間は、バッハはなるべく自作のカンタータを演奏したようです。

 ところで、この聖トマス教会のカントルという職はそれまで長い歴史を持った役職でした。そこで、今回紹介したいのは、そのバッハの前任者達の音楽です。

 

■ 3.「バッハの同時代人(Bach’s Contemporaries)」シリーズ

 

 このような音楽を聴くのにうってつけのCDがハイペリオンから発売されています。「バッハの同時代人」と題されたCDがそれで、現在のところ、クニュプファー、シェレ、クーナウ、ゼレンカの4枚が発売されているようです。このうち、ゼレンカを除く3人はバッハと同じ職、すなわち、聖トマス教会のカントル職にあった人々です。

 演奏は、すべてロバート・キング(Robert King)指揮、ザ・キングズ・コンソート(The King’s Consort)です。演奏の水準は、どれも比較的落ち着いた演奏ながら、技術的には高水準のものに仕上がっています。歌手も、近頃続けてバッハ・コレギウム・ジャパンに出演して非常に印象的だったキャロライン・サンプソン(Carolyn Sampson)、同じくバッハ・コレギム・ジャパンの常連であるロビン・ブレイズ(Robin Blaze)など、非常に高水準です。

 

■ 4.バッハのカンタータ再び

 

 バッハのカンタータはどのような構成になっているかをちょっと思い出していただきたいと思います。ライプツィヒ時代以前のカンタータでは例外が多いとはいえ、ライプツィヒ時代のカンタータはほとんど以下のような構成になっています。

 冒頭の合唱曲→レチタティーヴォとアリア(数回の繰り返し)→コラール

 これらの曲は、それぞれ異なった形式と編成を有しています。

 形式はモッテット、コラール変奏曲、フランス序曲風のものなど様々です。合唱曲では、そのカンタータに関わる全ての楽器および声楽が演奏をします。その中で、様々な楽器や声楽が演奏したり、休んだりして、曲想に変化をつけます(もちろん、編成だけではなく素材による変化も存在するのですが)。このような曲を、当時は「コンチェルト(協奏曲)」という概念で把握していたようです。余談ですが、この「コンチェルト」の楽しみ方が分かると、バロック音楽は相当程度面白く聴けるということに最近気がつきました。

 次に、レチタティーヴォとアリアですが、これは例えばモーツァルトのオペラなどをお聞きになった方はお分かりですね。「語り」と「歌」です。演奏時間の面から見ると、このレチタティーヴォとアリアが最も大きな割合を占めます。編成は、ソリスト(声楽)、オブリガート楽器、通奏低音です。

 コラールは、ルター派の賛美歌です。ルター自身が作詞作曲したものもいくつも残されています。旋律と歌詞(コラール詩節)が決められていて、それにどのような伴奏をつけるかは、作曲家の自由でした。

 さて、このようなバッハのカンタータの中で、一番新しい要素は、レチタティーヴォとアリアです。1700年以前の教会音楽の歌詞は、聖句(聖書の言葉そのもの)と、コラール詩節から成り立っているものがほとんどでした。聖書をお読みになった方はお分かりかと思いますが、聖句の中で初めから歌うことを前提として書かれているのは「詩篇」のみです。その他は、あまり歌うのに向いているとは言えません。

 ところが、1700年にノイマイスターというハンブルクの聖職者が、カンタータの歌詞を出版したのですが、それは聖句やコラール詩節を完全に排除した「自由詩」のみから成り立つものでした。これがなぜ革新的なのかと申しますと、作曲家にとっては「歌いやすい歌詞が手に入った」ということと同時に、それまではもっぱら「世俗音楽」の代表格、すなわち「オペラ」もしくは、イタリア風の「世俗カンタータ」の形式であったレチタティーヴォとアリアを「教会カンタータ」に堂々と取り入れることが可能になったからです。そして、それにしたがって、音楽そのものも、よりオペラティックな、感情に訴えかける多くの表現を持つものへと変化していきます。

 バッハのカンタータには、初期のものには聖句とコラール詩節のみを歌詞に持つものが見受けられますが、ライプツィヒ時代には、このノイマイスターによる改革の影響を受け、そのようなことはなくなります。

 

■ 5.バッハの前任者達

 

 さて、先に3人のバッハの前任者達を挙げましたが、時代の順番にしたがって並べますと、クニュプファー(Sebastian Knupfer)(1633-1676、1657-1676)(生没年、トマスカントル在任期間)、シェレ(Johann Schelle)(1648-1701、1677-1701)、クーナウ(Johann Kuhnau)(1660-1722、1701-1722)となります。

 ここでは、バッハから逆に見ていくことにしましょう。

 

5-1.クーナウ

CDジャケット

ヨハン・クーナウ

  • 「あなたの天は上から歓声をあげる(Ihr Himmel jubiliert von oben)」
  • 「心から憂いを消し去れ(Weicht ihr Sorgen aus dem Hertzen)」
  • 「輝く曙の明星のいと美しきかな(Wie schon leuchtet der Morgenstern)」
  • 「神よ、あなたの善きものにより私に恵みを(Gott, sei mir gnadig nach deiner Gute)」(詩篇51)
  • 「私の魂は悲嘆にくれている(Tristis est anima mea)」
  • 「ああ、聖なる時(O heilige Zeit)」

ロバート・キング指揮ザ・キングズ・コンソート

デボラ・ヨーク(ソプラノ)、ロビン・ブレイズ(カウンターテナー)、チャールズ・ダニエルズ(テナー)、ピーター・ハーヴェイ(バス)

録音:1998年
Hyperion(輸入盤 CDA67059)

 

 バッハの前任者のクーナウのカンタータは、その生没年を御覧になるとお分かりのように、前述のノイマイスターの改革の影響を受けている作品が見られます(もっとも、音楽史的には、クーナウはノイマイスターの改革に反抗した人として有名になっていますが)。例えばCDの3曲目に収録されている「輝く曙の明星のいと美しきかな(Wie schon leuchtet der Morgenstern)」は、バッハのカンタータを小型にしたような曲です。(この曲のタイトルは、バッハのBWV1と全く同じです。それは、クーナウもバッハも、同名のコラールを題材としてそれらの曲を書いているからです。このような、作曲家のコラールや歌詞を介した横のつながりを追っていくのは面白そうなのですが…。)冒頭がコラールで、中間に合唱曲が入るところは少し異なりますが、特定のコラールを用いて全曲の統一を図っている点や、レチタティーヴォとアリアの交替などは、共通です。しかし、ここでは、バッハではほとんど遣われたことがない(と思います)テオルボという大型のリュートが通奏低音に使われている点が少し古さを感じさせるかもしれません。とはいえ、シェレやクニュプファーなどと比較すれば、いかにもバッハに近くなったという感想を抱かざるを得ません。

 

5-2.シェレ

CDジャケット

ヨハン・シェレ

  • 「わが魂よ、主を讃えよ(Lobe den Herrn, meine Seele)」(詩篇103)
  • 「幸いかな、主を畏れる者(Wohl dem, der den Herrn furchtet)」(詩篇112)
  • 「深き淵より(Aus der Tiefen)」(詩篇130)
  • 「主よ、我々に知らしめてください(Herr, lehre uns bedenken)」
  • 「神よ、あなたの光を送ってください(Gott, sende dein Licht)」
  • 「来たれ、イエス、来たれ(Komm, Jesu, komm)」
  • 「キリストは私の命(Christus, der ist mein Leben)」
  • 「キリストは律法の終り(Christus ist des Gesetzes Ende)」
  • 「天から天使の群れが来る(Vom Himmel kam der Engel Schar)」

ロバート・キング指揮ザ・キングズ・コンソート

キャロライン・サンプソン(ソプラノ)、ロビン・ブレイズ(カウンターテナー)、チャールズ・ダニエルズ(テナー)、ピーター・ハーヴェイ(バス)

録音:2000年
Hyperion(輸入盤 CDA67260)

 

 クーナウの前任者のシェレの曲を見ますと、様相は少し変わってきます。最初に収録されている「わが魂よ、主を讃えよ(Lobe den Herrn, meine Seele)」を聴きますと、まず、レチタティーヴォとアリアの交替はありません。全曲は、明確な区切りをつけないながらも、徐々に編成を変えることによって変化をつけて進行して行きます。これが、先に申し上げた「コンチェルト」と呼ばれる曲の典型的な形ではないかと思います。分かりにくければ、ヴィヴァルディの「四季」を想像してみてください。曲の冒頭は全員で弾きますが、途中からヴァイオリンのソロになったり、ヴァイオリンの3重奏になったり、という形で編成を変えながら曲が進行します。それと全く同じことを、声楽と器楽の両方を用いて行っているわけです。また、先のクーナウと異なり、歌詞は全て「詩篇103」から取られています(すなわち、聖句のみの歌詞です)。しかし、さらに前任者のクニュプファーと比べますと、何といいますか、リズムや歌詞の歌われる速さなどに起因する、軽さや明るさに向かう傾向のようなものが見える気がいたします。それは、おそらく、クーナウの時代に実現されるオペラとの音楽的な融合の方向、すなわち、「音楽による教え」から「感情を捉える音楽」への移行を作曲家が欲していた証左なのではないかと思います。

 

5-3.クニュプファー

CDジャケット

ゼバスティアン・クニュプファー

  • 「天の高みから、私はここに来る(Vom Himmel hoch, da komm ich her)」
  • 「私の神が望むことは、常になされる(Was mein Gott will, das gescheh allzet)」
  • 「私の時が来たとき(Wenn mein Stundlein vorhanden ist)」
  • 「ああ主よ、あなたの怒りで私を裁かないでください(Ach Herr, strafe mich nicht in deinem Zorn)」(詩篇6)
  • 「鹿が求めるように(Quaemadmodum desiderat cervus)」(詩篇42)
  • 「バビロンの流れのほとりに(Super flumina Babylonis)」(詩篇137)
  • 「イエス・キリスト、我らの救い主(Jesus Christus, unser Heiland)」
  • 「コキジバトの声が聞こえる(Die Turteltaube lasst sich horen)」

ロバート・キング指揮ザ・キングズ・コンソート

キャロライン・サンプソン(ソプラノ)、ロビン・ブレイズ(カウンターテナー)、チャールズ・ダニエルズ(テナー)、ピーター・ハーヴェイ(バス)

録音:1999年
Hyperion(輸入盤 CDA67160)

 

 さて、最後にクニュプファーです。彼がこの世に生を受けたのは1633年ですから、いまだドイツは30年戦争のさなかでした。この時代を乗越えて、ドイツ音楽史に決定的な影響を残した人といえばシュッツ(Heinrich Schutz)をおいて他にいないと思います。シュッツの音楽については感覚でしか語れないのですが、厳しい甘美さ、とでも言いたくなる音楽だと思います。イタリアのバロックのように、沸き立つようなリズムなどはありません。そして、(現在の目から見れば)切り詰められた編成と表現によって、聴く方にも一定の覚悟を求める、しかし、それでいながらイタリアのバロックとは異なる、静謐な甘美さがあるという、不思議な音楽だと思います。クニュプファーですが、当然のことながら、音楽としては、バッハよりはシュッツにかなり近いと思います。例えば、非常に長い音符が多いことがその用に感じる原因の一つにあげられるでしょう。また、リズムそのものが複雑に入り組んではいないという点もそうかもしれません。実は、この点は3人を並べて聴いてみると非常に明らかだと思います。時代が進むにつれて、基本的な拍感が、速く、軽い曲が出現してくるのが分かると思います。また、歌詞の点では、シェレと同様聖句(詩篇)への作曲が目立ちます。

 

■ 6.バッハとの比較

 

6-1.バッハとの共通点

 

 このように、バッハから時代を遡って音楽を聴いていると徐々にバッハから遠ざかっていく状況が手に取るように分かって非常に面白いのですが、一方でバッハとの明らかな共通点にも気がつかないわけにはいきません。それは、カンタータの題材としてコラールを積極的に用いているという点です。この点でも、バッハは(少なくともクニュプファーから続く)伝統の上にあると言えます。バッハのカンタータ、もしくは受難曲を聴きなれた方なら、これらのドイツ・プロテスタント教会音楽において、コラールがいかに用いられてきたかを今日紹介した作曲家の中に発見でき、興味深いのではないかと思います。

 

6-2.バッハの時代への変化

 

 速く、軽い感じの曲が含まれるようになる感じという点では、バッハは、今回挙げた3人の、さらに延長上にあると思います。もちろん、バッハが、折に触れて、冒頭の合唱曲やアリアで見せるあそこまでのスピード感は、今回挙げた3人のなかで最も新しいクーナウにおいてすら実現されていません。しかし、3人を並べてみるとそのように変化しているという傾向は明らかですから、この方向でさらに変化が進んだのであろうと考えてはいけない理由は見当たりません。現に、バッハと同じ頃活躍したテレマンなどには、明らかにあのスピード感が見られます。

 

6-3.バッハの異なる点

 

 音楽史の通常の理解では、バロック音楽はそれまでの対位法的に入り組んで、歌詞もなにを歌っているのか聴き取りにくい「多声音楽」に対して、人間の感情をストレートに、ストレートに表現するために、単独で歌われる歌詞とその伴奏による表現を取ったといわれます(モノディ様式)。このこと自体は、例えば、バロック初期のモンテヴェルディのオペラを聴けば明らかですし、また、モンテヴェルディのマドリガル自体がその変化を雄弁に証言していると思います。しかし、これは、昔から私が疑問に思っていることなのですが、バッハはそのようなバロック時代の末裔でありながら、非常に対位法的に入り組んだ曲を作っているのはなぜなのでしょう。

 とりわけ改めて感じたことは、今回紹介した3人と比べても、バッハのカンタータにおける器楽部分の入り組み方は尋常ではないと感じました。この点では、テレマンなどと比較してもバッハはかなり特殊なように感じるのです。

 

■ おわりに

 

 駆け足でバッハの前任者達の音楽を紹介してまいりました。このように眺めてみますと、「バッハは音楽の父」という言説が相当に相対化されるのではないかと思います。もちろん、それでも「音楽の父」と言わしめる何かがバッハにはあることを認めた上で、やはりバッハも時代の子であったことを確認できるでしょう。また、さらにバッハと同時代に活躍した人々、例えば、テレマンやゼレンカ、などとバッハの音楽を並べてみることによってもこのことは確認できるだろうと思います。

 それにしても、このような企画をこれだけの高水準の演奏で実現させたハイペリオンには頭が下がります。この先、このシリーズが続くかどうかは、ゼレンカ以降新たな発売がないことや、現在のハイペリオンの状況(著作権に関する裁判に敗訴し、相当巨額の罰金を支払わねばならないようです)を考えるとあまり希望は持てないように思います。しかし、いずれにせよ、このような好企画を実現させたハイペリオンに感謝したいと思います。

 

■ 追記

CDジャケット

ゼバスティアン・クニュプファー

  • 「ああ主よ、あなたの怒りで私を裁かないでください(Ach Herr, strafe mich nicht in deinem Zorn)」(詩篇6)
  • 「私には高慢が(Es haben mir die Hoffartigen)」

ヨハン・シェレ

  • 「私の愛する〔主〕(Das ist mir lieb)」(詩篇116)
  • 「ああ、心から愛する私のイエス(Ach, mein herzliebes Jesulein)」
  • 「主は憐れみ深く、恵みに富み(Barmherzig und gnadig ist der Herr)」(詩篇103)
  • 「深き淵より(Aus der Tiefen)」(詩篇130)

ヨハン・クーナウ

  • 「神よ、あなたの善きものにより私に恵みを(Gott, sei mir gnadig nach deiner Gute)」(詩篇51)
  • 「ああ、聖なる時(O heilige Zeit)」
  • コンラート・ユングヘーネル(指揮、リュート)

カントゥス・ケルン

ヨハンナ・コスロフスキー、メフティルト・バッハ(ソプラノ)、アンドレアス・ショル(アルト)、ゲルト・トュルク、ヴィルフリート・ヨッヘンス(テノール)、シュテパン・シュレッケンベルガー(バス)

録音:1992年
Deutsche Harmonia Mundi(輸入盤 74321 935632)

 

 この原稿を書き上げてから後に、その名も「バッハ以前のトマスカントル」というCDが存在することを知りました。このCDで取り上げられているのも、ハイペリオンの企画と同様に、クニュプファー、シェレ、およびクーナウです。演奏は、ユングヘーネル指揮、カントゥス・ケルンの演奏です。実はこちらのCDの方がハイペリオンのものより先に録音されていたのですね。

 このCDがキングの演奏と最も異なるのは、全てのパートを1人で歌っていることです。バロック音楽に関する本を読んでいて、一体バッハの時代に合唱団は何人だったのか、もしくは、声楽の各パートは何人だったのか、という問題についての記述があるのを見かけた方は多いと思います。その問題への解答の最も急進的(?)なものが、各パート1人という回答です。実際、この学説に従ったバッハの有名曲(マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ、クリスマス・オラトリオ、一部のカンタータ)の録音は数多く存在します(リフキン、マクリーシュのものなど)。

 これに対して、いや、やはり合唱は複数の人数だったに違いないという学説も存在するわけでして、現在でも、こちらの方が一般的ではないかと思います(ガーディナー、コープマン、鈴木など)。

 このように、どちらが当時の演奏形態に近いのか、ということについては確定的な結論は出ていないようです。おかげで、私たちはどちらの演奏をも楽しむことができるわけです。私個人としては、合唱は各パートが複数のほうが聞いていて安心します。なぜと問われると困るのですけれども。ただ、本論の中で述べた「コンチェルト」の原理からしても、合唱を複数にして、ソリストと対抗させた方がふさわしい気がするのですが。

 そのような議論は抜きにして、このユングヘーネルの演奏も、キングのものと同様に、水準の高いもので、安心して聞くことができます。さらに、このCDは、1000円強というその価格も魅力です。

 

2005年12月3日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記