庄司紗矢香《Live at The Louvre》を聴く
文:松本武巳さん
1.
ドヴォルザーク作曲 4つのロマンティックな小品 作品75
2.
シマノフスキ作曲 ヴァイオリンソナタニ短調 作品9
3.
ブラームス作曲 ヴァイオリンソナタ第2番イ長調 作品100
4.
ラヴェル作曲 ツィガーヌ
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
イタマール・ゴラン(ピアノ)
2001年9月、パリ、ルーブル美術館オーディトリアムでのライヴ録音
ドイツグラモフォン(国内盤 UCCG‐1100)■ なぜ2枚目のアルバムを取り上げるのか
彼女はすでに、4枚のCDを発表済みである。なぜここでわざわざ2枚目のアルバム(当時、彼女はまだ18歳である)の試聴記を書こうとしたのか。それは、2007年3月、私は生まれて初めてルーブル美術館を訪れ、録音に使われたルーブル美術館のオーディトリアムを実体験したからに他ならない。今回、パリの多くの美術館を歴訪した経験が、この試聴記の執筆に直結したことをまずはお断りしておきたいと思う。実は、このCDを某所から進呈されたとき(所有するCD本体には見本盤の印字がある)からずっと密かに念願していたことでもあったのである。
■ プログラム雑感
最初にドヴォルザーク(チェコ)、ついでシマノフスキ(ポーランド)、さらにブラームス(ドイツ)、そしてラヴェル(フランス)というプログラムであるが、ライヴ収録自体の順序はこのとおりでは無かったようである。そして彼女自身が発言しているのだが、従来からシマノフスキに興味を持っていたようである。一方、これも彼女自身の発言であるが、ブラームスに関しては伴奏者とも録音技術者とも調整が必要であったようである。また、大きな意味で、全体をロマン派の音楽として貫いた演奏に終始したようでもある。このことは、このCDを聴くにあたって必要な情報であろうと考えるので、あえて先に紹介しておきたい。少なくともこの点は、私がこのCDのプログラムのみを見たときに、通常描くイメージとは異なっていたからである。
■ まずはドヴォルザークについて
担当したドイツグラモフォンのプロデューサーが発言しているのだが、ドヴォルザークの評判は高かったようである。しかし私は、彼女がスラヴ系または中欧の音楽に合った演奏家であるとの、もっぱらの評価には首肯しがたい。確かに楽想が豊かな優れた演奏であると思う。しかし、ドヴォルザークがチェコの音楽家のなかでただ一人汎世界的な音楽を多く書いた、そんな範疇におけるドヴォルザークに合致しているのであり、彼女が例えばスメタナやヤナーチェクに合うことを直接表しているのではないと考える。それらは現段階では依然として未知数なのである。
■ つぎにシマノフスキについて
彼女がシマノフスキとカフカの小説から受ける印象が似ているとの発言には、実は驚いた。彼女の言葉を借りると『私にとってはかなりぴったり世界が当てはまるところがあるんです。実際にはお互いに知っていたかどうかさえ解らないんですが、カフカを読んでいると、何故か頭の中でシマノフスキが鳴ってくるんです。』と発言している(2001年9月13日のインタビューから引用)。私は個人的には、チェコが大好きであり、カフカもまた大好きであるが、チェコ国が本質的に持っている(と信じている)ドイツ的な文化を共有している部分の象徴として、実は私はカフカが好きなのである。カフカにはドイツ語が良く似合う。ところが、私はシマノフスキも大好きであるのだが、ここではポーランドのロシア的側面から捉えた部分において、私はシマノフスキを好んでいるのである。つまり私はドイツ的なるカフカ(しかしチェコ)と、ロシア的なるシマノフスキ(しかしポーランド)を好んでいるのだ。つまり彼女のイメージした世界と、私のイメージした世界は、ともにシマノフスキが好きであると言いながら、ほとんど絶望的なほどに重なりが無いとも言えるのである。これは一体どうしたことなのであろうか。なお細かい演奏評に関しては、現時点では差し控えたいと思う。それはまだまだこの曲をご存じない方が多いことに由来するのであり、彼女の演奏の欠陥をあれこれと指摘することを控えようと言っているのでは全くない。むしろ彼女の名誉のために付言すると、客観的に優れた演奏であろうと言い切れる。
■ ブラームスの第2番のソナタ
さて、プログラムのメインはブラームスの第2ソナタであろう。しかし、この曲の解釈において、彼女はピアニストを『多少オールドな、何と言ったらいいか・・・、すごく落ち着いた・・・。』と評し、プロデューサーは収録前日の彼女の演奏を『昨日演奏会後に大議論になったんですが、私自身としては、昨日の演奏にはまだ問題があると思った。』と、三者バラバラな思いというか、発言を残しているようである。しかし、私には、第1楽章から第3楽章までの一貫した流れは、実に伝統的な範囲にとどまった、あるいはそれらを守った手堅い演奏であると感じた。結果としてロマン的な香りも適度に感じ取れ、晩年に立ち入ったブラームスを、18歳の彼女が瑞々しい感性で弾き切ったように思えてならない。もちろんこれは、彼女が最終的にピアニストとプロデューサーの意見に従った結果かも知れない。しかし、ブラームスの音楽を晦渋なものと感じさせずに聴かせてくれたこの演奏からは、とてもそのような直前の付け焼刃では修正不能な、もとより優れた演奏であったと高く評価したい。
■ ラヴェルのツィガーヌ
このラヴェルに対しては、特に感想を持っていない。フランスにおけるラヴェルという作曲家の置かれた位置づけと、その評価の割りにフランス音楽の典型とは言えない彼の残した楽曲の実態と、その両者を勘案するとこの楽曲で演奏会を終えることに対しては、ルーブル美術館ライヴと銘打ったCDにおいては当然のことであろうと考えるからである。聴衆へのサービスとして考えてももっともであるが、それ以上にこの会場を使用し、かつライヴで収録するという方針が、実は日本側の要請であったという事実も合わせると当然であろうと考える。
■ 最後に思うこと
正直なところ、この演奏に対しての感想は、世評とは異なることになると思う。もっともそれが彼女の評価を低くしているわけでは無いことをお断りしておきたい。あくまでも東欧、中欧の音楽観や音楽を含めた、歴史観の相違としか言えない部分も多いのである。最後に、私にとってもっとも言いたいことであり、また期待したいことは、とても若い彼女には、西洋伝統音楽の本流の世界で生き抜いて欲しいと念願していることに尽きるのである。その意味で、私にはこのCDのブラームスを、世評よりも好意的に捉えて聴けたことをとても幸せに感じているのである。
(2007年3月27日記す)
2007年3月27日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記