シューベルト晩年の室内楽2曲
文:稲庭さん
CD
(1)
ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第11番ヘ短調op. 95「セリオーソ」
シューベルト
弦楽四重奏曲第15番ト長調D 887
ハーゲン四重奏団
録音:1996年12月(ベートーヴェン)、1997年6月および1998年2月(シューベルト)
CD:Deutsche Grammophon(輸入盤 457 615-2)(2)
シューベルト
弦楽四重奏曲全集
ウィーン四重奏団
録音:1981年12月(第15番)
CD:Camerata(国内盤 30CM-30/35)(3)
シューベルト
弦楽四重奏曲第15番ト長調D 887
東京四重奏団
録音:1989年5月
CD:RCA(国内盤 BVCC-7)(4)
シューベルト
弦楽五重奏曲ハ長調D 959
弦楽四重奏断章ハ短調D 103
ウィーン四重奏団、ゲルハルト・イーベラー(第2チェロ)
録音:1997年3月
CD:Camerata(国内盤 CMCD-15052)(5)
シューベルト
弦楽五重奏曲ハ長調D 959
アルバン・ベルク四重奏団、ハインリッヒ・シフ(第2チェロ)
録音:1982年12月
CD:EMI(輸入盤 5 66942 2)はじめに
苦手な曲だったのに、ふとその曲に惹かれて仕方がないという経験をしたことはありませんか。その理由は、様々でしょうけれども。例えば、その曲を演奏したとか、数年ぶりにその曲を聴いたとか、現在の自分の心情とか。今おそらくそのような経験をしています。その曲は、シューベルトの弦楽四重奏曲第15番と弦楽五重奏曲です。
1.二つの曲について
この2曲はいずれもシューベルトの晩年に作曲されています。シューベルトは1797年に生まれ1828年に亡くなりました。わずか31歳です。弦楽四重奏曲第15番は死の2年前の1826年に、弦楽五重奏曲はおそらく死の年の1828年に作曲されています。この時期のシューベルトは多くの名曲を作曲しています。ミサ曲第6番(1828年)、ピアノ三重奏曲(2曲)(1828年?)、ピアノ・ソナタ(19〜21番)(1828年)、そして「冬の旅」(1827年)*。いずれも、「鱒」やピアノとヴァイオリンのためのソナチネと同じ作曲家とは思えないような何かを秘めた曲ばかりです。
そのなかでも、弦楽四重奏曲第15番と弦楽五重奏曲は、ちょっと独特のような気します。その独特さとは何なのか、よく分からないのですが、以下のように考えてみました。
2.不在
この2曲を表すキーワードをここ数日考えていたところ「不在」という言葉に行き当たりました。不在は存在の反対、存在しないこと。もちろん、曲そのものは存在しますし、曲が存在するということはある一定の関連を有する連続する音が存在するということです。このことは、他の曲と全く変わりありません。それでは何が存在しないのか。
2−1.「物語」の不在
「絶対音楽」の中に物語を見出すことそのものがけしからぬ、という立場もありましょう。しかし、絶対音楽ですら一定の物語との関連で理解されてきたことも事実です。例えば、有名なところでは、ベートーヴェンの交響曲第5番。「苦悩から勝利へ」というプログラムは、この曲だけではなく、多くの曲に見いだされる物語ではないでしょうか。こういう物語が出てきたのは、究極的には救済を求めざるを得ないキリスト教文化圏の音楽であればある意味当然なのかもしれません。もちろん、このようなことは軽々に言ってはならないのでしょうが。
「苦悩から勝利へ」という物語の逆といいますか、むしろ「苦悩から絶望へ」という物語を演じて見せたのがチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」ではないでしょうか。いやいや、それでは単に「勝利⇔絶望」という二項対立ではないか、と思ったかどうかは知りませんが、「苦悩から救済(浄化)へ」という物語を演じて見せたのがマーラーの交響曲第9番かもしれません。
現代音楽にすら、物語はあります。ただその物語が時間とともに発展していかないという違いはあるにせよ。ヘンツェの「ナターシャ・ウンゲホイエル家へのけわしい道のり」からその時代の反抗的な精神を聴きとらないことは難しいでしょうし、ノーノの「進むべき道はない、だが進まねばならない―アンドレイ・タルコフスキー」からその時代の敗北感を聴きとらないことも難しいでしょう。少なくとも私には難しい。
それでは、シューベルトの先の2曲は何なのでしょうか。私には、延々と語られる独り言に聞こえます。同じような響き、同じ旋律の繰り返し、しかもその旋律自体が同じような音域を行ったり来たり、そしてそれが長時間にわたって繰り返される。とても明るく派手になることもなければ、ひたすら暗くなりすぎることもない。驚くべきことに、それでも、どちらも長調の曲なのですね。弦楽四重奏曲第15番はト長調、弦楽五重奏曲はハ長調です。
2−2.「メロディ」と「構造」の不在
シューベルトとベートーヴェンを比較すると、その構造への意志力の相違に驚きます。しかし、シューベルトにはメロディがあった。例えば、弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」。構造などよく分かりませんが、メロディを聞いていれば何となく聞けてしまいます。
いや、シューベルトだって構造への強靭な意志を見せた作品があります。弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」。この曲は、誰が聞いても、狂気をそのままぶつけてきたようなその強烈な音響と、そのメリハリを利用した確固とした構造の提示により、比較的容易に構造を認識することが可能です。
これに対して、先の2曲は。先に述べた通り、際立ったメロディが存在するわけでもありません。しかも、その曲の長大さは容易に構造を認識することを妨げているように思います。どちらの曲も50分前後の演奏時間を要します。
もちろん、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲も構造という点では、訳が分かりません。しかし、これらの曲の場合、彼が明らかに今までの構造を「壊そうとしている」ことは伝わってきます。これに対して、シューベルトの先の2曲は、おそらく音楽学的にいえば、極めて伝統的な構造にのっとっているのでしょう。ところが、それが認識しにくい。構造があって、ない。
2−3.「時代」の不在
この2曲について何の情報も与えられずに聞いたとすると、どのように聞こえるのでしょうか。幸か不幸かそういう状況は私にはもはや実現しないわけですが、そういう問いを考えてみるのも、趣味としては許されるでしょう。
ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲が時代の枠に収まらないのと同様に、この2曲も時代の枠に収まっていないように思います。延々と続く繰り返しは、ワーグナーでしょうか。それとも、地味で分厚い響きはレーガーでしょうか。弦楽四重奏曲第15番の執拗な3連符の刻みのように病的なところはシューマンでしょうか、それとも一部の現代音楽でしょうか。
確かに、この2曲は1820年代末に作曲されました。しかし、その内容は様々な時代の音楽を先取りし、なおかつシューベルト独自のものとなっているように思います。すなわち、これらの曲はある特定の年代に作曲されたが、その時代に作曲されなくともよかったのかもしれません。
おわりに
結局のところ、ここ数週間、私がなぜこの曲にこんなに惹かれているのか、分かっているようで分かっていません。その「なぜ」を確かめたくてパソコンに向かってみましたが、このような独り言を書くのが精一杯でした。答えはいまだに不在です。
CDについて
CDの紹介です。といっても、これらの曲についてたくさんの演奏を聴いているわけではありませんので、私が今よく聞いている演奏を。
A.弦楽四重奏曲第15番
シューベルトの独り言を構造に押し込める方向での演奏としてはハーゲン四重奏団のものを聞いています。それに対して、シューベルト独り言から物語を引き出そうとしている演奏としてはウィーン四重奏団のものを聞いています。そのちょうど中間で、何とも言えずバランスの良いのが東京四重奏団のものだと思います。
B.弦楽五重奏曲
恥ずかしながら、この曲については以下の二つの演奏しか聞いたことがありません。ウィーン四重奏団+イーベラーのものは弦楽四重奏曲第15番と同様の方向性をもった演奏です。アルバン・ベルク四重奏団+H. シフの演奏は、弦楽四重奏曲のハーゲン四重奏団の演奏と同様の方向をもっていると思いますが、もうすこしさまざまな表情もあります。それは、曲によるものかもしれませんが。
*各作品の作曲年代については、村田千尋『シューベルト』作曲家◎人と作品シリーズ、音楽之友社(2004年)に依拠しています。
2008年2月5日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記