架空のシューベルティアーデ
選曲・文章/“スケルツォ倶楽部”発起人さん
( 文章の曲順どおりCD-Rに焼くと、ちょうど80分収録可能なディスク2枚に ぴったり!収まるようになっております )
DISC 1
ご想像ください。
今宵も若きフランツ・シューベルトを囲む恒例の音楽の集い(シューベルティアーデ)が、彼の友人の父親である富裕な商人ゾンライトナー家の屋敷のサロンにおいて、開かれようとしています。
しかし、肝心のシューベルト本人が何故か到着していないため、広いサロンに集まった聴衆 − 友人たちや招待客らは、リサイタルの開始を待ち切れない状態です。
「仕方がない、先に始めていようか」
シューベルトの親友で 支持者でもある ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、ピアニストであるヴォルフガング・ガヒーに声をかけ、一緒に待機しているクラリネット奏者へ 静かに 目で合図を送りました。
そして、若く美しい新進のソプラノ歌手に近寄り、予定していたシューベルトの新しい歌曲の演奏から始めるように指示したのでした・・・。
ジャケット写真1 ジャケット写真2 シューベルト
1 歌曲「岩の上の羊飼い」D.965 (11:19)
2 歌曲「泉のほとりの若者」D.300 (01:38)
3 歌曲「春に」D.882 (04:27)
エリー・アーメリング (ソプラノ.)
イエルク・デムス (ハンマーフリューゲル)
ハンス・ダインツァー (クラリネット1にのみ参加)
録音:1965年
原盤:ドイツ・ハルモニア・ムンディ
BVCD-5011 ジャケット写真1
BVCD-38060〜1 ジャケット写真2このレコードは、筆者である私が小学4年生の頃、銀座数寄屋橋S.C. 2階の中古盤店「ハンター(残念ながら数年前、倒産・閉店しました)」で 購入した 個人的な思い出も深い名盤です。当時のテイチクの国内盤で、シューベルト自身の友人でもあった画家モーリツ・フォン・シュヴィントによる シューベルティアーデの様子を描いた あの有名な水彩画が オリジナル・ジャケットでした。
1960年代のエリー・アーメリングの 透明で清らかな声と、F.グルダ、P.スコダと共にウィーンの三羽烏と呼ばれた名ピアニスト イエルク・デムスが奏でる古楽器ハンマーフリューゲル独特の音色とが、見事に溶け合っています。オリジナルLPには、朴訥なデムス独奏による 「12のレントラー」も収録されていて、それが とても良い味を出していたのですが、最初のCD復刻の際には すっぽりと割愛されていたのは 実に残念でした(ジャケット写真1)。しかし数年後には、この愛らしいレントラーだけでなく 同時期録音のシューマンやブラームスの歌曲も押し込んで、2枚組になって国内再々発売されました(ジャケット写真2)。それでも やはりこの名盤は、今でもオリジナル・フォームを 懐かしく思い出すものです。
デムスは、自分の骨董趣味から モーツァルトやシューベルトの時代の鍵盤楽器を収集し、修繕を施し調律をして、企画物のレコーデイングなどに用いていました。それは オランダのグスタフ・レオンハルトやフランス・ブリュッヘンら後の古楽研究者達のオーセンテイックな立場とはやや異なった、独自の(当時の某批評家によれば“独り善がり”な)演奏ではありましたが、良い意味で、古い響きを生かした懐古的な美しい香りも放っていたと 私は思っています。
シューベルト最後の作品のひとつ 1 に於けるアーメリングのソプラノは、自然の奥深さを羊飼いの心情に反映させて語る名曲ですが、後半の華やかなロッシーニ風クラリネットの伴奏を追い風にして、春の到来と希望に満ちた旅立ちをその澄みきった慎ましさで歌い切ります。
2のフォルテピアノの伴奏音型は、こんこんと湧き出でる清水が、朝の陽差しを受けてきらきらと輝いているよう。アーメリングの声は可愛らしく、それでいてたいへんよく伸びます。名曲3とともに、自然な残響を付加した独特の録音も特筆されるべきでしょう。
その後のアーメリングの世界的な活躍は言うまでもありませんが、彼女の声を表現する上で 誰もが口にする「清楚、清純、透明さ」は、この時の録音における瞬間が、その後の評価の原点といっても過言ではないでしょう。ここでの彼女の歌声には 一点の濁りも聴き取れません。
サロンでは、三人の演奏の素晴らしさに、惜しみない拍手が送られています。
ピアニストのガヒーは、歌曲の雰囲気を保持した、小さなピアノ・ソナタを続けて弾くことにしました。シューベルト
ピアノ・ソナタ第13番イ長調D.664
4 第1楽章 (11:41)
5 第2楽章 (04:45)
6 第3楽章 (07:13)
オルガ・トヴェルスカヤ (フォルテピアノ)
録音:1997年5月録音
原盤:フランス・オーパス111幼く遠い記憶の向こうから鳴っている古いピアノの音に耳を澄ますような、そんな美しい曲です。アーメリングとデムスの演奏から続けて聴いていると、なぜソプラノが入ってこないんだろう、と 不思議に思うほど 曲の持つ雰囲気も似ています。
この録音に使われたフォルテピアノは、シューベルト存命中である1820年製のグラーフ製。長調のシューベルト固有の温かみのある旋律を活かし、古楽器の美しさも また充分味わえる演奏です。演奏しているトヴェルスカヤ嬢は1968年ロシア生まれの才媛、主にイギリスで学び、1993年には国際古楽コンクール優勝という経歴を持ち 各国で人気を得ています。
続けて、ガヒーは 再び伴奏に回り、シューベルトの友人のヴァイオリニストと、ソナチネを合わせ始めました。力強い演奏に、サロンが沸きます。
シューベルト
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ニ長調D.384
7 第1楽章 (04:09)
8 第2楽章 (04:23)
9 第3楽章 (03:59)
ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン.)
オルガ・トヴェルスカヤ(フォルテピアノ.)
録音:1995年5月
原盤:フランス・オーパス111主にバロックの古楽演奏で、毎回 目の覚めるような先鋭的表現で知られる ファビオ・ビオンディ、今年2009年にも ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに 手兵エウローパ・ガランテと共に来日し、鮮烈な「四季」を聴かせてくれましたね。これは もう10年以上も前の録音になりますが、この才人がシューベルトを弾いたという事で、発表当時 かなり話題になったレコードでした。ここで使われている楽器は、トヴェルスカヤのは コンラート・グラーフ、ビオンディのヴァイオリンは シューベルト存命中である1820年製のギラルデッリ・モデル(複製)。
これでもビオンディは 努めて抑えながら弾いているように聞こえますが、例えば 第1楽章終結部、第3楽章の速い6連符の経過句などで爆発して、地金を煌めかせてくれています。でも それがとても良いのです。
さて、今度は若きテノール歌手が 友人のギター奏者を伴って、よく知られた「水車小屋の乙女」を歌う という、極めて興味深い趣向です。
サロンは次第に熱気に包まれてきました。シューベルト
歌曲集「美しい水車小屋の娘」D.795(ギター伴奏版)から
10 第1曲「さすらい」(02:53)
11 第11曲「僕のものだ!」(02:28)
12 第13曲「緑色のリュートのリボンをとり」(02:03)
ハンス・イエルク・マムメル (テノール) Hans Jorg Mammel
マティアス・クレーゲル (ギター) Matthias Klager
録音:1999年3月
原盤:アルス・ムジカこの歌曲集をギターで伴奏するという秀逸なアイデアは以前からあり、1980年頃にはペーター・シュライヤーも録音していました。ギターは 曲想にたいへんよく合っており、違和感は まったくありません。10 第1曲の伴奏音型は 水車のゴトゴト回る川縁を 軽快な足取りで進む主人公の姿を髣髴とさせますし、12第13曲などは、もともと原曲のピアノ伴奏自体が ギターを模倣しているものと考えられますから、その効果たるや 抜群です。実際、この曲をギターで演奏されるのを聴いてしまうと、目から鱗の落ちるような気がしますよ、本当ですよ。
次に、シューベルトが卒業したウィーンの音楽学校コンヴィクト(寄宿制神学校)の有志の先生たちによる特別編成の室内楽をお楽しみ頂きましょう。招かれた老先生たちのクインテットは、今宵の目玉のひとつでした。それなのに・・・
『何じゃ、フランツは まだ来ておらんのか。相変わらず時間にルーズな男じゃな』
と、リーダー格である 高名なハインリヒ・ヨーゼフ・ヴァターロート師は不機嫌そうに、しかし とても残念そうにつぶやきました。
シューベルト
13 弦楽五重奏曲ハ長調D.956〜第4楽章(10:14)
パブロ・カザルス(Tチェロ)
シャンドール・ヴェーグ(Tヴァイオリン)
シャンドール・ツェルディ(Uヴァイオリン)
ゲオルク・ヤンツェル(ヴィオラ)
パウル・サボ(Uチェロ)
録音:1961年7月 ライヴ録音(フランス・プラード音楽祭における)
原盤:フィリップスこれは老カザルスが遺した 最晩年期のチェロ演奏が聴ける 貴重な録音のひとつ。音質は今ひとつですが、分離の良いステレオ録音です。既に80歳を超え、技術の衰えは否めませんが、音楽の本質を抉るような個性的な表現と、現代の古楽器演奏も顔負けの激しい気迫と うなり声は 決して他で聴けないものと、多くの識者からも絶賛されている熱情の記録です。
ご存知のとおり この終楽章は 全曲のハイライトと言えるものですが、ここでは カザルスのすさまじい気合いが楽員全員に感染したかのように 絶えず楽器に弓を叩きつけ、擦りつける力強さを込めた 特筆すべき情熱的な演奏です。
さて、今宵のリサイタルは2部構成です。
でも休憩に入る前、ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、まるで先ほどのコンヴィクトの先生たちによる凄演の熱気を冷ますかのように、静かにピアノに近づくと、親友の作曲した短い小品を1曲、さらりと弾いたのでした。
シューベルト
14 楽興の時 第3番D.780(01:48)
オルガ・トヴェルスカヤ(フォルテピアノ)
録音:1995年9月 北イタリア、旧メディチ邸にて
原盤:フランス・オーパス111――――――――― 休 憩 ――――――――― 休憩中、ピアノに近づく髪の長い少女がいます。この娘に面識があるシュパウンは、彼女の身長に合わせて いすの高さを調節してやりました。
彼女の名は テレーゼ・クーペルヴィーザー、12歳。少女の両親が12年前に挙げた結婚式のパーティで 当時19歳だったシューベルトは、ワルツを1曲 即興で演奏し、友人でもあった花婿レオポルトと その頃 彼自身がピアノを教えていた 美しい花嫁の二人に献呈したのでした。
しかし このワルツを シューベルトは楽譜に残しませんでした。そこでクーペルヴィーザー家では、ほどなく授かったテレーゼに、記憶で習い覚えたこのワルツを 教え伝えたのです。
この話は、シューベルティアーデの仲間内では有名でしたので、「テレーゼが休憩中にサロンのピアノで “彼女にしか弾けない”シューベルトのワルツを弾こうとしている」と理解されるや、いっせいに暖かい拍手が起こったのでした。
DISC 2
伝シューベルト
1 「クーペルヴィーザー・ワルツ」(01:34)
イエルク・デムス (ピアノ)
録音:1993年
原盤:プラッツクーペルヴィーザー・ワルツについての物語を筆者である私が初めて知ったのは、新婚旅行でザルツブルクへ行くオーストリア航空の機内誌ででしたから、比較的最近のことです。本当に初めて読んだ話だったので、しかも観光客向けの記事だったため、フィクションだろうと思っていました。
ところが帰国してから その数ヵ月後、お店で何気なく手にとったCDに、何とその曲が収録されているではありませんか。たった1分30秒の、この1曲のために2,500円出して買ってしまいました。
イエルク・デムス自身の解説によると、この小品が成立した経緯は上記のとおりですが、この伝説の曲を最初に採譜したのは、何とリヒャルト・シュトラウス(!)で、1943年マウントナー・マルクホフに於いてテレーゼ・クーペルヴィーザーの孫に頼んで、この家に代々伝わるシューベルトの作品を何度も弾いてもらった上、楽譜に採ったものだそうです。
聴いてみると、同じ変ト長調D.899-3の即興曲に近い雰囲気を持った佳曲で、あっという間の はかないワルツです。曲を成立させた伝説のために、その価値を認める人すべてにとって 価値ある作品である と言えるでしょう。
第2部が始まっても、フランツ・シューベルトは、まだ到着しません。
今宵のシューベルティアーデは、主役を欠いたまま 進行しています。
シュパウンは、次の演奏に入る前、念のため、友人のヒュッテンブレンナーの弟ヨゼフをつかわして シューベルトの下宿へ向かわせました。シューベルトが 以前にも大事な約束をすっぽかして 部屋で作曲に没頭していた、という前科があったことを ヒュッテンブレンナーが思い出してくれたおかげです。シュパウンは 第2部開幕に先立って、ピアニストのガヒーに ヴァイオリニストとチェリストを引き合わせ、ピアノ三重奏曲の演奏を開始させました。
シューベルト
2 ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調D.898 〜 第1楽章(14:12)
ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
ヴェラ・ベス(ヴァイオリン)
アンナー・ビルスマ(チェロ)
録音:1996年4月
原盤:ソニークラシカルこれは 言うまでもない素晴らしい名盤です。フォルテピアノの第一人者インマゼールが、ラルキブデッリのビルスマ、ベスと共演!というシューベルト・イヤーに於ける古楽器界最大の話題を呼んだ一枚でした。
有名な第2番変ホ長調の第2楽章も素晴らしいのですが、ここは個人的な好みで、より雄大な第1番変ロ長調の第1楽章を収録しました。
高橋 昭氏の的確な批評から。「インマゼールの演奏はリズムが明確、表情は豊かである。彼のタッチはウィーン式のアクションを持つライプツィヒのトレンドリン(19世紀初期モデルのフォルテピアノ)から美しい響きを引き出し、いつもと同じ意欲的な解釈に彩りを添えている。推進力も十分である」。ビルスマの潤いある豊かな響きとも精妙に溶け合った名演です。
次は、今ウィーンで話題のイギリスの新人テノール歌手ウィリアム・ノーフォークです。彼はウィーンの宮廷に招かれて、この夏からオーストリアに滞在しているイギリス人です。ガヒーのピアノ伴奏で、シューベルトの歌曲を 数曲歌います。
シューベルト
3 歌曲「音楽に寄せて」D.547 (02:42)
4 歌曲「シルヴィアに」D.891 (02:44)
5 歌曲「魔王」D.328 (04:20)
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
録音:1996年2〜3月録音
原盤:EMI十数年前、イアン・ボストリッジが 次世代を担う英国の新鋭リリック・テナーとして人気急上昇中だった頃にリリースされたディスクです。この当時 すでに名盤「水車小屋の娘(旧 ハイペリオン盤)」、「詩人の恋」、またヘレヴェッヘの「マタイ受難曲」に於けるエヴァンゲリストなどで 既に高い評価を得ていました。彼はケンブリッジ大学とオックスフォード大学とで歴史と哲学を学び、博士号まで取得、学術的な研究姿勢を身につけていながら、その歌唱は常にスリリングで新鮮、解釈の上では言葉を大事にし、何よりその美声で、ほとばしるような感情を 表現出来る才能には特筆すべきものがあり、今日 すでに その名声が確立されていることを 否定する人は 殆どいらっしゃらないでしょう。
音楽芸術の存在に深い感謝を表明する感動的な「楽に寄す」、ボストリッジの母国イギリスが生んだ文豪シェークスピアの歌詞による「シルヴィアに」(特にこのピアノ伴奏=左手ベースラインの弾むような動き! まだ見ぬ乙女シルヴィアの美しさを想像する歌い手が 胸の高鳴りを抑えている様子が見事に表現されています)、そしてシューベルトの最高傑作、ゲーテの詩による「魔王」。これらに於けるボストリッジの歌唱は傾聴すべきものがあります。
「魔王」では(ぜひ歌詞対訳を追って聴いてみてください)特に魔王パートの性格表現が本当に聴きものです。第7節「力づくでも連れ去るぞ!(so brauch’ ich Gewalt!)」の歌い方は、まるで猛禽が獲物を一瞬で捕える時のような素早さが脳裏に浮かぶほどです。
さて、ここでシューベルティアーデのサロンから ちょっと離れて、二つの「魔王」を聴き比べて頂きましょう。
まず、シューベルトより1歳年上で、ほぼ同じ時期にドイツ・リートのバラードを確立したカール・ゴットフリート・レーヴェ(1796〜1869)の「魔王(1817年作曲)」です。
(ちなみに、シューベルトの「魔王」は1815年作曲です)。レーヴェ
6 歌曲「魔王」(03:13)
ヘルマン・プライ(バリトン)
ミヒャエル・エンドレス(ピアノ)
録音:記載なし (1986年以降か?)
レーザーライトシューベルトの「魔王」は、本当の嵐の中で騎乗しながらリアルタイムで進行してゆく現実の臨場感さえ感じますが、このレーヴェの「魔王」は譬えて言うと、舞台上で進行しているドラマを実況しているように、私には感じられます。歌の最後の部分において 子を失った父の喪失感が伝わってくる部分など、決して悪くないとは思いますが、やはり総合点でシューベルト作曲の方が、遥かに新しいサムシングを持っている、と評価したくなります。
次は、シューベルトの「魔王」をベルリオーズがオーケストラにアレンジした版(しかもフランス語訳詞)です。ここでは、さらに語り手と魔王を歌うテノール歌手以外に、父と子の対話の部分を バリトン歌手とボーイソプラノ歌手とが受け持っているという、もはや珍盤に類する録音だと思います。
シューベルト=ベルリオーズ編曲
7 歌曲「魔王」管弦楽伴奏版(フランス語訳詩による)D.328 (03:28)
ジョルジュ・ティル(テノール:語り、魔王)
アンリ・エチェヴェリー(バリトン:父)
C.パスカル(ボーイ・ソプラノ:子)
管弦楽伴奏
録音:1930年
原盤:EMIさて、ここで珍しい楽器アルペジオーネが登場します。
この楽器は、ウィーンの楽器製作者ヨハン・ゲオルク・シュタウファーによって考案されたもので、別名ギタール・ダムール(愛のギター)などというおしゃれなフランス名でも呼ばれています。「アルペジオーネ」という名称が定着したのは、ひとえにシューベルトがこれから演奏されるソナタで用いたおかげ と言ってもよいでしょう。この楽器を普及させることに尽力しているヴィンツェンツ・シュスターが、今宵招かれ、今アルペジオーネを膝にはさみました。シューベルティアーデの一同は、この見慣れぬ楽器の登場に興味津々。ピアノ伴奏は ガヒーです。
シューベルト
8 アルペジオーネ・ソナタ イ短調D.821〜第1楽章(12:02)
クラウス・シュトルク(アルペジオーネ)
アルフォンス・コンタルスキー(フォルテピアノ)
録音:1974年1月
原盤:アルヒーフ現在では殆どチェロによって弾かれている「アルペジオーネ・ソナタ」ですが、実際の本物のアルペジオーネがどんな音色だったのか 一度は 聴いておきたいと思いませんか。お聴きのとおり音量は出ないし、きっと演奏もかなり難しいのでしょう、弾きにくそう、というのが察せられ、聴いていてもどかしいですね。
ただ、徳丸吉彦氏の感想は、的を射た考え方と思われます。すなわち 「もし作品の魅力が(この目新しい楽器の)音色のみに依存しているのであれば、(作品は)構造的に面白くないという理由で、簡単に捨て去られてしまったであろう。この意味で、(敢えてオリジナル楽器を使ってアルペジオーネ・ソナタを録音することは)さまざまな問題に気づかせてくれる試みであるといえる」という解説の文章です。
この演奏で シュトルクが使っている楽器は、アルペジオーネの考案者シュタウファーの弟子のアントン・ミッタイスが製作した19世紀前半の時代のもので、現在ベルリン楽器博物館に所蔵・陳列されているもの。コンタルスキーが弾いているフォルテピアノも、1810年にウィーンのブロートマンの工房が製作したオリジナル楽器です。
さて、ここで再びシューベルティアーデからちょっとはなれて、おもしろい録音を聴いてみてください。歌曲集「冬の旅」を弦楽四重奏で伴奏するという試みです。
シューベルト=イエンス・ヨーゼフ編曲
弦楽四重奏 伴奏版による 歌曲集「冬の旅」から
9 「菩提樹 (04:23)」
10 「郵便馬車 (02:11)」
クリスティアン・エルスナー(テノール)
ヘンシェル弦楽四重奏団
録音:2001年3月
原盤:ドイツCPO語弊があるかもしれませんが ピアノのソロでは 音色は 言わば「一色」ですから、私たち聴き手は 独唱とピアノとの織り合いを通して、自由に楽曲イメージの拡張を 己が耳と想像力とで楽しむことが出来ます。しかし 弦楽四重奏の伴奏で実際に聴いてみると、却って楽曲イメージが制限されてしまう部分もあり、ピアノ伴奏で聴いた場合の時と比べ、期待したほどには 楽しめませんでした。
1997年、ヘルマン・プライが、岩城宏之の指揮するオーケストラ・アンサンブル金沢による管弦楽伴奏(鈴木行一編曲)で、「冬の旅」を録音しております(これは また次の機会に触れたいと思います)これもたいへん面白いことは事実ですが、やはりこのケースも 上記と同様の印象を おぼえたものです。
いよいよ今宵のシューベルティアーデも大詰めです。シューベルトの熱烈な支持者で、年上の親友でもある著名な宮廷歌手ミヒャエル・フォーグルが、「冬の旅」を歌います。
予定ではシューベルト自身のピアノ伴奏のはずでしたが、とうとう間に合わない雲行きです。どうするのでしょう。あ、代わりに シュパウンが ガヒーに楽譜を見せて、「どうだ、弾けるか」と訊いているようです。ガヒーは「任せてください」と言わんばかりに 自分の胸を叩いているのが目撃されました、どうやら大丈夫なようです。
ウィーンでは フォーグルはたいへんな著名人で、彼が歌い出す頃までには、シューベルティアーデの聴衆は、いつのまにか、当初の倍近くにあふれかえっています。
非正規盤につき、CDジャケット写真は掲載しません。シューベルト 歌曲集「冬の旅」から
11 「菩提樹 (04:37)」
12 「かえりみ (02:16)」
13 「春の夢 (04:00)」
14 「郵便馬車 (02:15)」
15 「最後の希望 (02:07)」
16 「ライアー回し (03:51)」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
録音:1978年8月23日ザルツブルク音楽祭ライヴ
音源:非正規盤FKM筆者である私が、中学生の頃には平日NHK-FMの夜8時から海外コンサートの実況録音が、ほぼ毎日放送されていました。特にオーストリア放送協会提供のライヴはメジャーなアーティストによる、しかしレコードとは一味違う演奏を聴くことが出来るので、毎日楽しみにしていたものです。
このF=ディースカウとポリーニの共演による「冬の旅」は、当時かなり話題になり、新聞にも放送の紹介記事が載っていた記憶があります。・・・が、学校で試験でもあったのか、何かの行事で 帰宅が遅かったのか、聴いたという記憶がないのです。覚えているのは、この歴史的なリサイタルを聴けなかったことを後で猛烈に悔やんだということです。
それから20年以上経ち、この時の記憶もすっかり忘却の彼方にある頃、ふと立ち寄った秋葉原の海賊盤コーナーで、このCDに出会ったのでした。
忘れてしまうほど長く待たされた挙句、初めて聴いた演奏は、過剰な期待を裏切ることがない名演でした。超一流の才能が、しかもそのピークにある時期、高いレヴェルでぶつかり合う、その火花を間近に感じる凄演。特にポリーニのピアノは個性的で絶好調。ポリーニのピアノで「菩提樹」が聴けるとは! 音符の一つ一つは、大粒の真珠がきらきら光る如く、また感情が爆発する個所では、鋼のような打鍵を打ち込んでくれます。
感情の爆発といえば「かえりみ」「春の夢」におけるF=ディースカウの歌唱は、コントロールを失ったかのような爆発を記録しています。いえ、天才F=Dのことですから、きっと制御された上での “計算された狂気”“装われた暴発”だ、とは思うものの、巧すぎます。特に「最後の希望」、北風の吹き荒ぶ中で 放心したように冬空を仰ぐ有様は、私には 遂にコントロールを外したかのごとく聴こえてしまいます。凄すぎる! あー、彼らの演奏は「確かに存在した」のに! あー、これが いつか正規音源で発売されたらなあ。。。
ピアノの最後の和音が静かに鳴り終わった後、嵐のような拍手がサロンを埋めました。
招待客や、フォーグルだけを目当てに来た聴衆の中にはシューベルトを知らない人もいて、周囲のシューベルティアーデの常連をつかまえては、この作曲家が何者かを尋ねました。「どの楽曲も何というレベルの高さだろう、感動した。」
「フランツ・シューベルトという人は、まだ30歳そこそこだというが、これほどの才能が今後まだ、どれほど開花するのか、まったく楽しみだね。」これを聞いてシュパウンは、ここぞとばかりにシューベルトを売り込みました。
「フランツは、交響曲やオペラも手がけています。でも、まだ一般に演奏される機会が 殆ど無いのです。」
「それはもったいない。ぜひ聴いてみたいものだ!」
「我々は 昨年 あの偉大なベートーヴェンを失ったが、全能の神は、ここにきちんと後継者を控えさせていたのだな。まるで、かつてモーツァルトの死と入れ代わるように、ベートーヴェンがウィーンに現れた時のごとく」― と、その時です。
シュパウンの要請で シューベルトの下宿先へ様子を見に走っていたヒュッテンブレンナーの弟が、全速力で戻ってきました。彼は なぜか顔面蒼白です。
そして一同に告げたのです、今宵フランツ・シューベルトが サロンに来れなかった本当の理由を・・・。エピローグ
真夜中に、誰もいなくなったシューベルティアーデのサロンのピアノの蓋が 音もなく開き、静かに音楽が鳴り出しました。
それは、フランツの作曲した歌曲の旋律でしたが、この時間には ゾンライトナーの屋敷の内外には 聴く人は もはや誰もおらず、果たして 本当に音楽が鳴ったのかさえ 確かめることは、出来ませんでした − 。シューベルト
17 歌曲「音楽に寄せて」D.547ピアノ独奏版(01:34)
ジェラルド・ムーア( P.)Gerald Moore
録音:1967年2月 ロイヤル・フェスティバル・ホール ライヴ
音源:EMIフィッシャー=ディースカウの自伝「追憶Nachklang(實吉晴夫・田中栄一・五十嵐蕗子=共訳」から、この演奏についてF=D自身が触れている個所があります。殆ど歌曲の伴奏を専門としていたジェラルド・ムーアが、珍しくソロでステージに上がったのを見たというくだりです。
「彼が舞台でソロ演奏するのを見たのは、シューベルトの『音楽に寄せて』の編曲であった。ジェラルドが数年前にBBCの彼の放送シリーズでテーマ曲として選んだ作品であった。彼はそれをロイヤル・フェスティバル・ホールで彼のさよならコンサートの結びに、五万人にものぼる聴衆を前に演奏した。こうしてジェラルド・ムーアは聴衆に別れを告げたのである。エリーザベト・シュヴァルツコプフ、ヴィクトリア・デ・ロサンヘルスそして私がこの晩、歌で彼のお供をしたのである。涙を流さないものは一人としていなかった。総立ちになって拍手の嵐が止むと、ジェラルドは 聴衆にまた腰を下ろすように言った『どうぞお座りください!』と。」
楽に寄す An die Musik
原詩 フランツ・フォン・ショーバー
意訳 山田 誠音楽よ、
現実の つらく 耐え難い時間を、
わたしが もはや 生き続けてゆくことに
心ふさいでしまったとき、
幾度 あなたは 私の心に 灯りをともし、
より良い 別世界に 誘(いざな)ってくれたことでしょうあなたの 竪琴から 湧きだす 吐息によって、
あなたの 甘く清らかな楽の音によって、
私の頭上に 天国の景色が開けたことも しばしばです
音楽よ、
今 わたしは あなたに 心から感謝します!おわります。
なお、この文章のストーリーの部分は、すべてフィクションです。
2009年6月14日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記