スメタナの『わが祖国』《ピアノ連弾版》を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

スメタナ
わが祖国」全曲(作曲者自身によるピアノ連弾編曲版=1879年編曲)
ペーテル・ジリコフスキ(第1ピアノ)
ダニエル・ヴィエスナー(第2ピアノ)
録音:1994年12月、1995年2月
MATOUS(チェコ国内盤 MK 0021-2 131)(自己所有盤の解説はチェコ語のみ)

 

■ これぞチェコ音楽だ!

 

 若いチェコのピアニストである、ジリコフスキ(1971年生れ)とヴィエスナー(1969年生れ)の共演した、『ピアノ連弾によるわが祖国全曲』を聴いて、驚愕し危うく椅子から落ちそうになった。若い2人の気合十分のピアノに圧倒されたこともある。しかし、大きな感動を呼んだ理由について、2つの視点から考えてみたいと思う。

■ 室内楽の名曲の宝庫であるチェコ国民楽派

 

 国民楽派なる分類の是非はここでは無視させて頂き、単に19世紀から20世紀初頭のチェコ音楽には、室内楽の名曲が数多く排出された事実と合わせて見ると、今回聴いたわが祖国のピアノ連弾版は単なるオーケストラのピアノへのトランスクリプションではなく、むしろこの連弾版こそが、本質的なスメタナの音楽そのものであることに気付き、驚き、嘶き、そして深く感動した。ドヴォルザークやヤナーチェクも含めて、弦楽四重奏曲やピアノ三重奏曲の名曲が泉のようにあふれ、演奏のレベル自体の問題はさておいて、幾多の名四重奏団やピアノトリオを産んだチェコの、もっとも輝かしいスタイルで、この「わが祖国」が作曲されていたことに、私は本当に驚いた。一例を挙げると、曲の冒頭の美しいハープが奏でる旋律があるが、これを元来ハープとやや似た音色も出せるピアノで、しかも4手で分厚く鳴らしたときに、私はクーベリックの「わが祖国」すら頭から一旦消えうせるほどの室内楽的な耽美に近い響きに陶酔し、そして深く感動した。

 

■ 耳の聞こえなくなった作曲家の方向性

 

 このような不幸な運命を背負った作曲家は少なくはないのだが、彼らの共通項は、頭の中でしか決して音楽が鳴らないために、それゆえの大きな感動を呼ぶことがある反面、管弦楽的な書法が実際の音で確認できないために、通常の演奏技法の限界を超えて作曲されることもママあると言えよう。そして、その視点からこの「わが祖国」のピアノ連弾版を聴いてみると、耳の聞こえない作曲家の不幸な事実が全く聴こえてこず、とても安定した音の流れが最後まで維持され継続しているのである。

 

■ 本質的な室内楽志向の楽曲

 

 元来、そうは言っても室内楽に向かない楽曲も、当然ながらチェコ音楽にも数多いことは言えるのだが、私はあまりにもスメタナのこの音楽がピアノのみで奏でることを、視野に入れていなさすぎた過去を悔いる。考えてみれば、『モルダウ』が混声合唱曲として合唱コンクールの課題曲になることもあるのだから、なぜ、私は今日の今日まで、このスメタナの「わが祖国」を《もしもピアノで弾いたなら…》と考えても見なかったのであろうか? それは、私の音楽人生の中で、あまりにもラファエル・クーベリックの存在が大きすぎた弊害−多分クーベリックに対する人生初の弊害−であったと思う。

 

■ 間もなくチェコを訪れます!

 

 私がはじめてチェコの国を訪れるのは、8月4日の夜である。そして8月5日と6日は完全に自由行動日であり、8月5日には何が何でもクーベリック親子の墓地を訪問し、そして6日には「わが祖国」の重要な舞台であるターボルに単独で入ることにしている。その直前に、音楽人生の重要な経験を追加できたのは、結果として私のチェコへの想いの強さのために、見えざる手によって私に与えて下さったものと信じている。8月5日のチェコでの最初の日の出を、私は眼下にヴルタバの流れ、眼上にはプラハ城という絶好のホテルの一室で迎えることになっている。そして、この日は実は私の46歳の誕生日でもあり、「46」は私の最も愛する作曲家であるローベルト・シューマンと、最も愛するピアニストであるサンソン・フランソワが人生を終えた年齢でもある。この年齢に到達した日に、私は人生の分岐点にようやく達することになる。人生長くなれども、学いまだに成らざりし…を地で歩むこのごろであるにも関わらず、私の満たされた感情は、この道はどこから来た道…で、どこへ歩むのか、まだまだじっくりと考える時間を得た気持ちにさせられたCDを幸運にも聴けた喜びに浸っているところである。

(2005年8月1日記す)

 

2005年8月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記