チェコフィルの録音を聴き較べる

文:稲庭さん

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 What's Newの2002年12月4日のチェコフィルの演奏会の感想で、管理人の伊東さんは以下のように述べています。

 「今日聴いたチェコフィルの音は今年相次いで発売されたアンチェル指揮チェコフィルの録音を彷彿とさせるものでした。その類似性は驚くべきものがあります。〔中略〕
さらに、このところ大評判になっているEXTONの録音と今日のチェコフィルの音はまるで違って聞こえたのです。」

 数年前から、チェコフィルの隠れ(隠れです。あくまでも…)ファンを自称し、演奏会に通い、CDを買って、言っちゃ悪いが、その半分以上に失望して、その一部に怒り狂い、そして、その一部にこの上なく感心している私は、上記の感想を読んで、「あー、やっぱり、似たようなこと考える人がいるんだ!」と思い、嬉しくなって日ごろ考えていることで一文したためてみようかなと、僭越にも、思ったわけです。

 結論から先に言ってしまいますと、伊東さんの感想のうち、EXTONの録音とかなり違う、というのはその通りだと思います。では、最近のチェコフィルの音に一番近い録音はアンチェル時代の録音であるかどうかについては、一定の留保をしたいと思っています。

 というわけで、この文章のテーマは、最近のチェコフィルの音と録音から聞かれる音の関係を少し考えてみることによって、伊東さんの感想に対してそのように考えた理由の説明を試みることです。

 で、まずはじめに、最近の現実のチェコフィルの音について考えると。
現実のチェコフィルの音の作り方の特徴は、例えば、ベルリンフィル、ウィーンフィル、シュターツカペレ・ドレスデンと比べて、低弦から高弦までがかなり均質な音を出すことにあるのではないかと思われます。それも、低弦がどちらかといえば高弦のような音を出すことによって(たとえば、最近のチェコフィルの演奏評や録音評で「厚みのある低弦」とか、「豪快な低弦」などという言葉を見ることがあるでしょうか? 逆に、ベルリンフィルは、低弦よりの高弦ですよね)。こういってしまうと、ロンドン響やボストン響と大差ないように聞こえてしまうのですが、この二つの楽団は、音にチェコフィルよりももう少し贅肉がついている感じがします。(=低弦も高弦も均質ではあるのですが、どちらもチェコフィルよりは厚い音がする)。このため、チェコフィルは聞く人によっては「音の薄いオーケストラ(友人談)」なのでしょう。しかし、私としては、このある種の音の薄さは、繊細さにつながるものだと考えているので、決して否定されるべき対象ではないと思っています。

 こういうと、近頃のコンセルトヘボウとどう違うのか?という気になりますが、あそこまで、無機質な音ではないといったらよいのでしょうか。もしくは、チェコフィルのほうは、コンセルトヘボウほど、個々の音の輪郭がはっきりしていないというか。コンセルトヘボウの繊細さは、触れたら壊れてしまいそうな繊細さですが、チェコフィルのほうは、そこから鋭さを差し引いた繊細さといえばよいのでしょうか。

 もちろん、この他にも様々な特徴(音色、音程、ヴィヴラートなど)があるのですが、ここから先の展開にあまり関係ないので、省略します。

 それでは、このような特徴を持つチェコフィルの音が、最近のEXTONの音作りと異なるところはどこか? 例えば、アシュケナージとチェコフィルがEXTONに録音した「英雄の生涯」(OVCL-00064)を聞いてみてください。ここでの録音の特徴は、各パートが非常に分離されて録音されていること、低弦が高弦とはかなり異なる音質で取られていること、さらに、低弦がバランスとして大きな比重を占めるようになっていることだと思います。もし上記の現実の音の特徴が正しいとすれば、EXTONの音が、現実のチェコフィルとかなり異なることは、1.全体のハーモニー、2.音の均質性、3.低弦と高弦のバランス、の三点で、現実から乖離しているということは、容易に想像できると思います。

 CD製作者の名誉のために、急ぎ書き加えておきますが、PONY CANYON時代からずっとチェコフィルを録り続けている江崎氏は、音作りの方法として、客席で聞いた音ではなく、指揮台で聞いた音を目指しているそうなので(どこかの記事でこれを読んだのを覚えているのですが、正確な典拠がわかりません。申し訳ありません)、生の音(当然、客席で聞きますよね)とCDの音が違うのは当然なのかもしれません(聞くほうとしては、悩ましいところですが、私は、あまり好きではありません)。

 それでも、江崎氏の録音も、年々変わってきていると思います。例えば、ノイマンとチェコフィルがPONY CANYONに92年に録音したマーラーの交響曲1番(PCCL-00177)は、最近のCDよりは(客席で聞いた)生の音に近い音で取れているかと思います。

 では、客席で聞いた音に一番近い録音はアンチェル時代の録音だろうか? という二番目の論点に移りたいと思います。チェコフィルの録音が全部でどれくらいになるのかは、見当がつきませんが、現在市場で手に入るCDを出しているレーベルには以下のようなところがあります(当然、すべてを知っているわけではないので、漏れがあることは、お許しください)。上記の、PONY CANYON、EXTONの他、Supraphon、CHANDOS、Orfeo、Teldec、Nymbus、Deutsche Grammophon、Decca、Philips、Pragaなどです。

 このうち、EXTONとPONY CANYON以外で点数が多いのは、Supraphon、CHANDOSではないかと思います。

 CHANDOSは、ビエロフラーヴェク時代(90年代前半)にドヴォルザークを含めいくつかの音を録りました。ここでの音は、低弦がエクストンほど独立しているということはないのですが、故意に、低音の音量を増加させたような感じがする録音が多いと思います。例えば、ビエロフラーヴェク指揮のドヴォルザークの7番などがそういう感じです(CHAN 9391)。また、そうしたいがためにかどうかは分かりませんが、低音の輪郭があまりにはっきりしすぎて不自然な感じがするときがあります。つまり、1.低弦と高弦のバランス、2.音の輪郭の明瞭さ、という二点において、上記の現実の音から乖離する部分があるのではないかと考えるわけです。

 というわけで、悲しいかな、一番現実の音に近いのは、Supraphonの成功した録音ということになると思います。「成功した」というのは、Supraphonの録音は、あまりにもお粗末だと感じられるものがあまりにも多い、という悲しい現実があるのでそういうのですが。このように、当たり外れ、というより、外れ当たり?が多いという事実は、おそらく、Supraphonがそれほど高い技術を持っていなかった(いない?)ことを示しているように思われるのですが、悲しいかな、そのために、奇妙なデフォルメを加えることすら出来なかった結果、最も客席で聞いた時に近い音が再現できることになってしまったのではないでしょうか?

 Pragaの放送音源はあまり聞いたことがないのですが、ノイマン指揮のヤナーチェクの「利口な雌狐」などを収めたCD(PR 250 100)は、Supraphonの音に近いと感じるのも、同じ理由によるのでは?と思うのですが。

 それでは、Supraphonの中でもアンチェル時代のものと近いのか?と問われれば、むしろノイマン時代以降ののいくつかの録音のほうが近いのではないかと思っています。その理由は、アンチェル時代のSupraphonの録音は、技術的な問題ですが、高弦と低弦のバランスが、逆に、低弦があまりにも引っ込みすぎていること(例外はいくつかあります。例えばヤナーチェクのグラゴティック・ミサ(SU 3667-2 911))、また、高弦の音色が取りきれていないこと、などがネックになると思います。

 というわけで、最後に、これが演奏も録音も成功だと思うCDの中であまり聞かれていないと考えられるSupraphonのCDを何点か挙げてみたいと思います(有名曲については、様々なところで紹介があるでしょうから)。

  • ノイマン指揮、スメタナ 「リチャード3世」、「ヴァレンシュタインの陣営」、「ハコン・ヤール」など(SU 0198-2 001、74年録音)

   曲がマイナー? 確かに。でも、でも。。。90年代のノイマンとは違うよさがあります。

  • マッケラス指揮、ヤナーチェク オペラ「シャールカ」 (SU 3485-2 631、2000年録音)

 信じられないことに、一箇所音が割れているところがあったと記憶しています。が、それ以外は、大丈夫です。

  • サヴァリッシュ指揮、ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」 (10 3561-2 232、82年録音)

 80年代のSupraphonの録音は納得できないものがあまりにも多いのですが、例外です。曲と演奏は?私は溺愛してます。

  • ノイマン指揮、スク 「アスラエル交響曲」(83年録音、現在は「人生の実り」と「エピローグ」の三部作まとめてCD二枚で出ていると思います。)

 チェコの作曲家の中でも少しマイナーなスク、私もむちゃくちゃ好きな作曲家というわけではないのですが、ここでのノイマンやる気です。

 

2003年1月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記