トゥーランガリーラ交響曲を聴く
文:松本武巳さん
オリヴィエ・メシアン(1908-1992)作曲
トゥーランガリーラ交響曲(1946-48作曲、1990改訂)(初演:1949年、バーンスタイン指揮ボストン交響楽団=以前発売のボストン交響楽団自主制作盤に、第6楽章のリハーサルが収録されています。
日本初演:1962年、小澤征爾指揮NHK交響楽団)1.ハンス・ロスバウト指揮
(ピアノ:Yvonne Loriod,オンド・マルトノ:Ginette Martenot)
南西ドイツ放送交響楽団
録音:1951年12月23、24日
wergo(輸入盤wer64012)2.ジャン・フルネ指揮
(Yvonne Loriod,Jeanne Loriod)
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年4月
Q Disc(輸入盤97019)3.小澤征爾指揮
(Yvonne Loriod,Jeanne Loriod)
トロント交響楽団
録音:1967年12月
BMG(国内盤BVCC-5523)4.アンドレ・プレヴィン指揮
(Michel Beroff,Jeanne Loriod)
ロンドン交響楽団
録音:1977年7月
EMI(輸入盤CDM4 79375 2)5.エサ・ペッカ・サロネン指揮
(Paul Crossley,Tristan Murail)
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1986年
CBS Sony(輸入盤M2K 42271)6.サイモン・ラトル指揮
(Peter Donohoe,Tristan Murail)
バーミンガム市交響楽団
録音:1986年2月
東芝EMI(国内盤TOCE-6696/7)7.チョン・ミュン・フン指揮
(Yvonne Loriod,Jeanne Loriod)
バスティーユ管弦楽団
録音:1990年10月
DG(輸入盤431 781-2)8.リッカルド・シャイー指揮
(Jean-Yves Thibaudet,Takashi Harada)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1992年5月
Decca(輸入盤436 626-2)9.マレク・ヤノフスキ指揮
(Roger Muraro,Valerie Hartmann-Claverie)
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
録音:1992年9月
BMG(国内盤BVCC-8891/2)10.ヤン・パスカル・トルトリエ指揮
(Howard Shelley,Valerie Hartmann-Claverie)
BBCフィルハーモニー管弦楽団
録音:1998年1月
Chandos(輸入盤CHAN-9678)11.アントニ・ヴィト指揮
(Francois Weigel,Thomas Bloch)
ポーランド国立放送交響楽団
録音:1998年12月
Naxos(輸入盤8.554478/9)12.ケント・ナガノ指揮
(Pierre-Laurent Aimard,Dominique Kim)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:2000年5月
Teldec(輸入盤8573-82043-2)(ホームページ等を参照したところ、現在までに16種類のディスクが発売された模様です。) ■ メシアン生誕100周年
いろいろな記念行事とか、記念発売ディスクが多数出されている今年(2008年)ですが、An die Musik掲示板でもわずかながらですが、話題の俎上に上ることもあるようです。しかし、何十枚セットのメシアン集を購入する勇気は、そんなにないのでは無かろうかとも思っております。個人的にはワーナー・クラシックスのボックスセットを購入し、ユニヴァーサル・ミュージックの全集も予約したところです。一方、個人的に、メシアンは非常に好みの作曲家で、当該交響曲をナマで6回聴いたことがあり、みどり児イエスに注ぐ20の眼差しに至っては、本当に20種類の全集を所有している始末です。そこで、今回は、食わず嫌いの方を含めて、この交響曲にご縁の少ない方への、楽曲紹介として、試聴記を書かせて頂きたいと存じます。
■ メシアンの人となり
オリヴィエ・メシアンは1908年12月10日、南仏アヴィニョンに生まれました。フランス政府観光局公式サイトによりますと、この歴史的な街を以下のように紹介しています。『紀元前6世紀頃、交易のためにマルセイユからローヌ川上流を目指したギリシャ人たちが拠点としたことからアヴィニョンの町の歴史は始まる。そして14世紀には法王庁がアヴィニョンに移転し、以後1377年にグレゴリウス11世がローマに戻るまで1世紀にわたってローマ法王領として栄華を誇った。アヴィニョンには法王庁宮殿や現在はプティ・パレ美術館として利用されている大司教館などの史跡が数多く残り、華やかな歴史を感じることができる。』メシアンの生地から分かるように、彼の内心にカトリック信仰が深く根ざしていたのは明らかで、彼の音楽の根本を理解するためには、ゲンダイオンガクに加えて、厳格なカトリック信仰への理解も、同時に少なくとも必要であろうと思うのです。
メシアンは、詩人セシル・ソヴァージュと、シェイクスピア翻訳者ピエール・メシアンの息子で、すでに8歳の頃から作曲を始め、10歳のときに聴いたドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》はメシアンの音楽的成長に決定的な影響を与えました。11歳でパリ音楽院に入学。1931年、パリの聖トリニテ教会のオルガニストとなり、この教会の大オルガンのために書かれた《主の降誕》を皮切りに、数々の大オルガン曲を書きます。1936年、ジョリヴェ、ダニエル=ルジュール、ボードリエと作曲家グループ「若きフランス」を結成。このグループ結成は,メシアンの音楽的立場をはっきりと示すものでした。なぜなら「若きフランス」は30年代の新古典主義の風潮とは一線を画していたからです。1942年、パリ音楽院の和声学の教授となり、一方でメシアンは学生の頃からリズムの問題にとり組み、インド古典音楽のリズム周期ターラやギリシャの拍節法も研究しました。ストラヴィンスキーの《春の祭典》を詳細に分析,それが「ペルソナージュ・リトミック」の理論を展開するきっかけとなりました。《4つのリズム・エチュード》や《オルガンの書》などをはじめとする彼の多くの作品が、リズム的な観点から構想されたのも不思議ではありません。メシアンの重要なインスピレーションは鳥であり、何千もの鳥の鳴き声を採譜しました。自然界にある素材の研究がほぼ全作品に影響を与え、《鳥のカタログ》では全編が鳥の鳴き声の精緻な書き換えから成り立っています。
メシアンは、敬虔なカトリック信者でした。彼の作品にはほとんど教会音楽は含まれませんが、多くの作品でキリスト教の信仰上の真理をテーマにしており、《みどり児イエスに注ぐ20のまなざし》や《神の現存の3つの小典礼(1945年4月21日の初演の際のスキャンダルは、俗に「メシアン事件」と呼ばれ、典礼論争が巻き起こりました)》でもその傾向はみられます。ところが、宗教性を帯びた作品と《トゥーランガリーラ交響曲》のような世俗的な作品との間に、スタイル上の大きな違いはみられません。すべての作品に特徴的なのは、新しい時間秩序の在り方であり、これは過去の西洋音楽とは、ほとんど共有しない特異な特徴でした。同じく重要な意味をもつのはメシアンの音楽の持つ、豊かで独特な色彩感です。この2つの要素が、若い世代の音楽家を魅了し、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスらがメシアンの門下生でした。
■ メシアンと日本
メシアンの先妻は1959年に闘病の末に亡くなっています。3年後の1962年に、メシアンは日本でトゥーランガリーラ交響曲その他を初演するために、初来日していますが、これは再婚相手のイヴォンヌ・ロリオ(メシアンよりも16歳年下)との新婚旅行でもあったのです。メシアンとイヴォンヌ・ロリオはともに親日家である上に、メシアンに教えを受けた作曲家は、別宮貞雄を最初として、矢代秋雄、丹羽明、宍戸睦郎、加古隆、藤井一興など、多数存在します。また、日本旅行の産物として、7つの俳諧という作品も残しています。第1曲「導入部」、第2曲「奈良公園と石灯籠」、第3曲「山中湖」、第4曲「雅楽」、第5曲「宮島と海中の鳥居」、第6曲「軽井沢の鳥たち」、第7曲「コーダ」という内容となっています。演奏するための楽器として、笙や篳篥を用いています。
■ メシアンとカトリック
再婚後、メシアンの作風や題材は、再びカトリックに傾斜して行くことになります。そして、彼の最大の大作で、パリ・オペラ座の委嘱作品でもあるオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」は、想像を絶する巨大な作品で、1983年11月のパリ・オペラ座での初演は、小澤征爾が指揮を務めた歴史的な公演となりました。13世紀の聖人である聖フランチェスコを題材にしたこのオペラは、作品の性格的な面を合わせますと、マーラーの交響曲8番を上回る猛烈なスケールの作品となっています。初演の際の音源も映像も残されています。
■ 所有ディスクの寸評−楽章ごとに−
第1楽章「序章」
ゆったりと余裕を持って歌っている、サロネンの指揮に強く惹かれます。一方で、この交響曲の初ディスクであるロスバウトは、きわめて淡白にあっさりと楽曲を進めており、少々不満が残ります。フルネと小澤は、若干遅めですがそつ無くまとめています。プレヴィンは、私には多少靠れて聴こえます。ラトルは引き締まった演奏で、チョンは余裕を感じる好演です。
第2楽章「愛の歌T」
ここでヤノフスキの盤について特記しておこうと思います。彼の指揮は余りにも特異であると謂わざるを得ません。テンポも表情も解釈も、すべてが他とは大きく異なっており、しかも、その演奏に独自性や創造性を感じません。どの楽章も極端なテンポ設定で、正直なところ、自分がお気に入りとなった盤が出来たときに、その盤のすばらしさを実感するための、参考盤としての価値があることは認めますが、アプローチも含めて、凡そ現代音楽と思えない仕上がりとなっています。この1点に寄りかかって、この盤の価値を認める方がいることは理解できますが、現代音楽を許容する立場から捉えると、価値が減じてしまいます。なお、この愛の歌をもっとも耽溺するかのようにたっぷりと歌っているのは、意外にもラトルの盤です。また、小澤とトルトリエの盤は、非常に冷静さが際立っており、それはそれで聴き応えがあります。
第3楽章「トゥーランガリーラT」
解釈の余地が少ないせいか、全楽章中で、最も演奏が似通っている楽章だと思います。録音の良し悪しで、好みの盤を決めても良いと思います。ただし、シャイーの指揮は、歌おうという意識が強すぎたのか、若干靠れた演奏になってしまっています。
第4楽章「愛の歌U」
小澤とシャイーとヴィトの3名が上手く歌っていますが、ここでもラトルは耽溺するような歌い方をしており、個人としては好みの範疇から外れています。もっとも、ナガノの指揮で聴きますと、さすがに淡白に感じます。
第5楽章「星たちの血の喜悦」
ここも似通った演奏が多い中で、フルネとチョンの2人が、他のディスクよりも上手く楽曲を捉えているように感じます。一方で、淡白さが目立つロスバウトの真価は、この楽章に表れているように見受けます。キビキビと進行させていく指揮振りのお陰で、聴き手がダレてしまうのを防いでくれています。
第6楽章「愛のまどろみの庭」
プレヴィンがきわめてロマンティックに振っています。また、ここでもラトルが耽溺しそうになっています。またチョンも、少々指揮棒を引き伸ばしすぎです。むしろあっさりした中に、ほのかなロマンが漂ってくるフルネとサロネンが優れた演奏になっています。ここではトルトリエも十分に聴かせてくれ、満足感が残ります。
第7楽章「トゥーランガリーラU」
短いこの楽章の指揮振りで、指揮者のこの楽曲の根本的な姿勢が見えてくるように思えてなりません。ロマンティックな楽曲と捉える方向性を有しているプレヴィンやラトルのこの楽章は、不満が残ります。一方で小澤の処理の上手さが際立っており、当時の小澤が、すでにこの長大な交響曲の全容を捉えていた証だと思います。この楽章を聴いただけでも、小澤の盤は歴史的名盤であると思います。
第8楽章「愛の敷衍」
長大な楽章です。フルネ、チョン、ナガノの3名の演奏が、いずれも粘りすぎず、落ち着いた演奏ながら、楽曲の構造を崩さない指揮振りで、とても好感が持てます。一方、サロネンとヴィトは、価値観の共有の点で、多少劣るように思えます。テンポその他が、若干自然観を損なった作為的なものに感じられてしまいます。
第9楽章「トゥーランガリーラV」
小澤、サロネン、ラトルの3名が優れています。特にラトルの演奏の中で、この楽章が最も優れた演奏になっていると思います。若いラトルの手に少々余った録音であるような印象を、全体的には持たざるを得ないのですが、この楽章でのラトルは、ここまで彼の指揮で聴いてきた時間が無駄でなかったことを確信できるので、まさに神に救済された感じがします。一方で、シャイーとヴィトは、多少靠れます。また、ナガノは速すぎて、この楽章の真意をきちんと聴き取れないように思えます。
第10楽章「終曲」
終曲は、チョンとトルトリエが安心して浸れる演奏です。また、少々趣旨が異なってはおりますが、サロネンの指揮も優れています。一方で、フルネとヴィトは、最後でコケたように思えてしまい、とても残念です。小澤とシャイーは、最後の盛り上がりを否定した指揮に思えますが、そのこと自体は、この曲と相反する解釈では無いと考えます。ただ、80分にも及ぶ作品ですから、最後に盛り上がって欲しい心理が、聴き手に働くことも事実ではないでしょうか。最後はロスバウトとラトルが意外に似ており、少々びっくりします。また、第2楽章で悪口を書いたヤノフスキですが、最終楽章は極めて優れた中庸な演奏であり、この盤を聴いてきた者を救済してくれます。
■ 総合的な名盤はどれか
小澤の演奏が最も優れていると思える側面が多く感じられます。ただ、小澤の弱点は、あまりにも整っていることに尽きると思います。かつ、今となっては録音が劣りますし、オーケストラの技量も、若干不安定な部分が散見されます。一方で、現代音楽を聴くというスタンスならば、サロネンが最も優れているかも知れません。また、トゥーランガリーラ交響曲をアジアの音楽と捉えた場合は、チョンの演奏が傑出しているように見受けます。さらに、フランス音楽、あるいはカトリックに傾斜した聴き方をするならば、トルトリエとヴィトの指揮は想像以上に、心に訴えてくるものがあります。また、ロスバウトとフルネとシャイーとナガノの指揮にも、惹かれる部分が多々ありましたが、残りのプレヴィンとラトルとヤノフスキは、好感を持つ部分とかはもちろんあるものの、全体を通じた密度の点で、他の盤よりも劣るように感じました。もちろん、これらはすべて個人的な雑駁な感想に過ぎません。
■ 個人的に思うこと
オリヴィエ・メシアンの音楽は、独特の音構造と色彩を聴き手に連想させてくれます。彼は確かに、12音技法を推進し、ゲンダイオンガクの旗手の一人であったと思います。しかし、私にとって、彼の音楽や旋律は、心の安らぎを与えてくれるのです。その色彩や響きから、私はゾクッとするような美しさを感じ、ウットリすることも多々あります。このことを、無理に理屈をつけると以下のようになると思います。彼の用いた音素材は、あくまでも自然環境や鳥の鳴き声などの、自然界の素材であり、このことは俗にゲンダイオンガクの実験音楽的側面を、メシアンは技法として用いていないことに尽きるのではないでしょうか。そのために、メシアンの音楽は不協和音の嵐でありながら、彼の生誕100年を多数のクラシック音楽ファンが祝福している現実が存在しているのではないのでしょうか。私は、メシアンをそのように評価していますし、彼の音楽は私にとって、とても好きな部類の音楽となっているのです。
※参考文献:DAS GROSSE METZLER MUSIKLEXIKON(Verlag J.B.Metzler, Stuttgart/Germany 2006)
(2008年10月15日記す)
2008年10月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記