ワルター指揮の『大地の歌』

ワルターが指揮する『大地の歌』を聴きたくなったのでウィーン・フィル盤とニューヨーク・フィル盤を図書館で借りてきました。さすがに戦前の録音は図書館では架蔵していませんでした。残念。

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マーラー
交響曲『大地の歌』
『リュッケルトの詩による5つの歌曲』から3曲
コントラルト:カスリーン・フェリアー
テノール:ユリウス・パツァーク
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952年5月15-16日(大地の歌)、1952年5月20日(リュッケルト)、ウィーン、ムジークフェラインザール
DECCA(国内盤 UCCD-4417)

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マーラー
『大地の歌』
メゾ=ソプラノ:ミルドレッド・ミラー
テノール:エルンスト・ヘフリガー
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年4月18,25日、ニューヨーク、マンハッタンセンター
SONY(国内盤 28DC 5055)

ワルターはマーラーの愛弟子であるばかりではなく『大地の歌』の初演者でもあることから、ワルターの『大地の歌』録音は音楽ファンの中で決定盤的な位置づけにありました。

1952年のウィーン・フィル盤は、モノラル録音でありながらDECCAの優れた録音技術によってステレオ録音と比べても殆ど遜色がない音が収録されています。極彩色の大音響で開始される第1楽章からして驚異的であります。それを演奏するウィーン・フィルがこれまた立派です。合奏部分はもちろんのこと、この曲に登場する木管楽器のソロが極めつけの音を聴かせます。そして歌手です。ソロを努めるカスリーン・フェリアーとユリウス・パツァークには長い間厚い賛辞が寄せられてきました。これほど完成度の高い録音が60年以上も前に行われたことに驚きを禁じ得ませんし、ワルターの遺産としてこの録音を聴くことができる我々は幸福であると思います。

それに比べると、1960年のニューヨーク・フィル盤はやや日陰者扱いのような気がします。「マーラー=ワルター=ウィーン・フィル」という三位一体のようなブランドがニューヨーク・フィルには求められないからでしょう。第6楽章の「告別」を歌うミルドレッド・ミラーもカスリーン・フェリアーほどの賛辞を受けていないように思えます。しかし、私はこのニューヨーク・フィル盤はウィーン・フィル盤と比べて何ら劣るものではないと思っています。わずか2日間でこの曲を録音したワルターですが、マーラーの世紀末的な音響や情緒纏綿とした響きを聴くと、ニューヨーク・フィルをワルターがウィーン・フィルと同様に完全に掌中にしていることが窺えます。おそらく録音とは別に実演のための綿密なリハーサルがあったのではないかと私は推測しております(検証しておりませんので、想像の域を出ません)。

私はいずれの録音も優れていると思いますし、それぞれから大きな感銘を受けます。ただし、一長一短はあると感じています。1952年盤は『大地の歌』の歴史の一部となるような重みを聴き手に感じさせます。それゆえに説得力があるのです。しかし、どうしてもモノラル録音であることの制約はあるのです。DECCAの類い稀な録音技術があっても、肝心の第6楽章で私は物足りなさを感じます。それはオーケストラによる長い間奏部分でオーケストラの強奏による重い響きが聴き手を押しつぶす場面です。ここばかりは1960年ステレオ録音に叶わないのです。1960年盤を聴くと、この肺腑をえぐるような響きに圧倒されるのです。身体で感じるその響きのすごさは認めなければなりません。とはいえ、どちらもワルター畢生の遺産です。ありがたく拝聴するに限ります。

ここからは余談です。

曲目を記述する際には、国内盤の表記をそのまま転記しました。1952年盤は 交響曲 『大地の歌』と記載してあります。一方、1960年盤は 交響曲 とはどこにも記載がありません。逆に交響曲とは明記しなかった1960年盤の解説書ではアルマ=マーラーの言葉を引用し、交響曲だと説明しています。これに対し、曲目に交響曲と記載した1952年盤では「マーラーはこの『大地の歌』を交響曲として扱った」というマイケル・ケネディの出典不明の言葉が掲載されていますが、アルマ=マーラーの言葉は引用されていません。そして、CDのジャケットでは、両盤ともに「Symphony」という表記はありません。こうなると何が何だか分かりません。以前から気になっていたのですが、『大地の歌』は、交響曲と強弁しなければ何か問題があるのでしょうか? 『大地の歌』は『大地の歌』であり、別に交響曲でなくとも私は構いません。どうしてもアルマ=マーラーの言葉を引き合いに出したりして交響曲だと主張するのは、奇妙な気がします。歌曲集では格好良くないということなのでしょうか? いや、もしかすると、交響曲こそが最高の音楽形態であって、それ以外は格が下がるのだとでもいいたいのでしょうか? 我らのマーラーが作った曲なのだから最高の音楽形態である交響曲でなければ気が済まないとする音楽関係者がいるのでしょうか。まさかね。

(2015年8月9日)

ワルター指揮の『大地の歌』」への2件のフィードバック

  1. ど真ん中の返球でなく、いつもずれた投稿で申し訳ありません。
    ワルター&マーラーつながりということで・・・・・・
    ワルターの戦前の録音でしたら、以前紹介したユングさんのページにアップされていますよ。(http://www.yung.jp/)
    私は、あまり熱心にワルターを聴いてこなかったので、持っているワルターのマーラーは9番の輸入盤のLPぐらいです。高校生の時に、秋葉原に買いに行った思い出があります。
    私はワルターの演奏は特別な使い方をしていまして、オーディオチェックに使っています。使うのは「田園」です。機材を換えた時には必ずこれで音出しをします。で、何を聴くかというと、演奏のうねりと音楽が自然に聞こえるかということです。これで、感動的な音が出なかったら、それはダメだと判断します。それくらい、重要な音源です。

    私にとってのマーラー指揮者はバーンスタインでした。若い頃は、絶対的な存在でした。でも、年をとったのか、あの脂っこい演奏についていけないようになり、最近よく聴いているのはハイティンクとヘボウのマーラーです。1970年代前半の全集です。特に10番が好きで、「田園」に合格したら、次はこの10番の演奏が待っています。
    でも、この全集には「大地の歌」は含まれていません。そこで、「大地の歌」だけ別に購入しました。
    2種類あるのですが、1つは9番の交響曲とセットになったもの、もう1つは歌曲とセットになったものです。奇しくも伊東さんの仲間分けと同じように、メーカーも交響曲と歌曲の両方に属するもののような仕分けをしているみたいです。
    これが、1970年代後半の録音なので、音はそれまでのものより一層良いのです。ヘボウの金管は「黄金のラッパ」と言われますが、本当にそんな音が聞こえてきます。
    私にとって、カペレとヘボウはどちらもかけがえのない演奏団体です。

  2. ワルターの「田園」は私が引っ越し前に処分しなかった数少ないCDのひとつです。SACDで持っています。そういえば、私が新居でスピーカーのセッティングをする際に使ったのはワルターの「プラハ」でした。長く聴いて演奏も音も覚えていないと使えませんよね。最新録音の出番はありませんでした。

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