An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

ベートーヴェン篇

文:青木さん

ホームページ WHAT'S NEW? 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」インデックス


 
 

 ベートーヴェンの交響曲宇宙における第9番は、たしかに〔最後にひときわ高くそびえ立つ巨峰〕なのですが、同時に異質というか異端というか、次のステップに進化したというよりは突然変異的な存在であるようにも感じます。何度も聴いた実演ではかならず終楽章で大感動。ところが家でCDを聴くときには逆に気恥かしくてうっとうしくさえあり、第3楽章までにとどめておくこともしばしば。ワタシにとって第1〜3楽章と第4楽章とはほとんど別の曲で、全曲の構成が破綻した畸形的傑作、というのが正直な印象であります。そういうわけなので、CDの選択もおのずと2パターンに。

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」

イーゴル・マルケヴィチ指揮ラムルー管弦楽団
カールスルーエ・オラトリオ合唱団(合唱指揮:エーリッヒ・ヴェルナー)
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ),アーフェ・ヘイニス(アルト),フリッツ・ウール(テノール),ハインツ・レーフュス(バス)
録音:1961年1月 パリ
フィリップス(国内盤:ユニバーサル UHCP20411)

 マルケヴィチ盤は第1〜3楽章を聴くときのCD。一年前の第8番のときも彼のベートーヴェンを採りあげましたが、そこで書いたことがだいたい当てはまります。基本としてはシャキシャキした表現でぐいぐいと推進する辛口の演奏ながら、中低音や対旋律の強調、シャープなティンパニの打ち込みなどによって切迫感や充実感が与えられ、管弦楽の明るめのサウンドとも微妙に調和して、とにかく聴きごたえ満点。独特の世界観が達成されている、すばらしい名演です。

 ところが第4楽章の主部に入ると急に失速してしまうんですね。独唱、合唱ともども、声楽が明らかに非力なのが主な原因。録音もせいもあってサウンドが混濁気味になるのもいただけません。ここだけ聴けばそんなにひどくないんでしょうけど、どうしてもそこへ至るまでの過程と対比させてしまうので、「なんだいこりゃ」となってしまうのでした。作曲家でもあったマルさん、もしかして終楽章には興味なかったのかも。彼自身が改訂したという版でも聴いてみたかったものです。

CDジャケット

サー・ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団
シカゴ交響合唱団(合唱指揮:マーガレット・ヒリス)
ピラール・ローレンガー(ソプラノ),イヴォンヌ・ミントン(メゾソプラノ),スチュアート・バロウズ(テノール),マルッティ・タルヴェラ(バス)
録音:1972年5月 クラナート・センター、イリノイ大学
デッカ(輸入盤:430 792-2(交響曲全集))

 終楽章だけを聴くなら、ショルティの旧盤がよいですね。ショルティは自伝の中でこの曲の解説(演奏上の留意点など)に2ページ以上を費やしておりまして、そこに書いてある通りの演奏になっているのがおもしろいのですが、剛毅で力感みなぎる威風堂々たる演奏がじっくり時間をかけて進むので、第3楽章が終わるころには聴いているほうが消耗してしまう始末。そこで終楽章だけをべつの機会に改めて聴く、と。〔別の曲〕という認識なので、平気でそういうことができるワケですね。

 管弦楽と合唱がダイナミックにからみ合い、猛烈な迫力です。実演の興奮がよみがえってくるようですが、演奏そのものはエキサイティングなタイプではなく、むしろ淡々と進みます。でもオケもコーラスも音がデカくて押し出しが強い。また、レコーディング場所の音響特性によるものか、メディナ・テンプルやオーケストラ・ホールでの録音と違って残響が多め。これらがあいまって、ものすごいスケール感が創出されるのです。ショルティとシカゴのベートーヴェンと聞いて思わず拒絶反応を示したそこのあなた、とにかく試してみてください。少し前に国内盤が1200円で分売されてます。

 

(2007年12月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)