An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

シューベルト篇

文:伊東

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 シューベルトの交響曲第9番「グレート」を聴いて眠ってしまった経験をお持ちの方は少なくないと思います。シューマンは「天国的な長さ」と評しましたが、単純に長いだけで、退屈きわまりない演奏がいくらでもあります。私も名曲であると心の底からは思えない時期がありました。途中で飽きてしまうのですね。多くの指揮者・オーケストラがこの長大な曲に取り組んできましたが、ベートーヴェンの「第九」と違ってそのすべてに意味があるとは私も言いにくいです。

 さて、まず聴き手を退屈させることがないと思われる演奏をひとつ。

CDジャケット

シューベルト
交響曲第9番ハ長調 D.944「ザ・グレート」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル
録音:1942年12月8日、ベルリン、フィルハーモニー
DG(国内盤 UCCG-3684)
カップリングはウェーバーの「魔弾の射手」序曲(1944年3月21日録音)

 退屈という言葉からこれほど縁遠い演奏は珍しいです。「天国的」とも言えないかもしれません。フルトヴェングラーは激烈な指揮ぶりで、まるでシューベルトではなくブルックナーの交響曲第9番を聴いているような気にさせられます。バイロイトにおけるベートーヴェン「第九」の終結部分を思い出して頂きたいのですが、あの熱狂がこの演奏にもあるのです。指揮者による極度の感情移入が行われたのか、あちこちでテンポが加速していますし、ここぞというところでブラスが強奏されています。オーケストラも一心不乱に演奏したのでしょう。鬼気迫るものを感じます。60年以上前の録音でありながら鑑賞には充分堪える音質ですし、荒れ狂う演奏の迫力のお陰で、聴き始めたら途中で止めることなく最後まで聴き通すことでしょう。フルトヴェングラーとベルリンフィルだからこそあり得た凄絶な演奏です。

 ただし、このような破天荒な演奏をフルトヴェングラー以外がしているのを私は寡聞にして知りません。演奏の背景には、1942年という時代があるのでしょうが、私が知るこの曲の様式からは大きく逸脱していると感じられてなりません。

 ところが、この偉大な指揮者が戦後スタジオ録音した「グレート」は荒れ狂ってはいませんが、これまた別の意味で破天荒です。

CDジャケット

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル
録音:1951年11月、12月、ベルリン、イエスキリスト教会
DG(国内盤 POCG-3619)
カップリングはハイドン作曲交響曲第88番「V字」(1951年12月録音)

 1942年には激烈な演奏をしていたフルトヴェングラーは、ここではシューベルトを「天国的」に演奏しています。様式的な違和感は全くありません。極端なアッチェランドはすっかり影を潜めています。テンポは悠然とし、速すぎることもなく、遅すぎることもなく、実に自然です。そのテンポの中でシューベルトの歌が聞こえてくるのですが、これが魅惑的としか言いようがありません。しかもシンフォニックな響きと歌謡性が両立しています。

 私が最も好きな箇所は、第2楽章で、ホルンと弦楽器がppで掛け合いをするところで(147小節〜159小節)、ベルリンフィルの妙技が指揮者の棒に応えています。短い経過句ですが、ここはまるで遠い日の夢を見せてくれているようにしか私には聞こえません。絶妙の間を維持しながら音楽がゆっくり、静かに進行します。掛け合いが終わって第1主題がオーボエで入ってくるとはっと夢から冷めたような気持ちになります。同じ曲の楽譜を用い、様々な指揮者・オーケストラが音符を音にしていますが、現実にこのような音にできたのは奇跡的です。

 音質的にも全く問題がありません。1951年録音ですから当然モノラルですが、これを聴いて不満を感じたことは過去に一度もありません。ステレオならもっと良かったのに、と思ったこともありません。21世紀にもなって録音された下手なCDの音より、ずっと音楽を聴かせてくれるからです。

 私は過去にAn die Musik内でフルトヴェングラーをほとんど取りあげてきませんでした。理由は簡単で、考古学の世界に足を突っ込みたくなかったからです。フルトヴェングラーについてはディープなサイトがいくつもあることでしょうし、熱烈なファンが今もフルトヴェングラーの音源を巡って喧々囂々の議論を繰り広げていることと思われます。私が言及する必要など微塵もないと考えています。また、できるならば良質なステレオ録音盤を聴いていたいですし、それを紹介していくのが21世紀のWebマスターの務めだと考えています。

 しかし、シューベルトの交響曲第9番の場合、フルトヴェングラーの1951年盤が傑出しすぎていてとても除外できません。この曲の場合、フルトヴェングラーに対抗しうる、そしてそれを凌駕する録音がいつ現れるのかが私の関心事であります。

 

(2007年11月2日、An die MusikクラシックCD試聴記)