An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」
シューベルト篇
ボールトによる二つの「グレート」の演奏を聴く
文:ゆきのじょうさん
この企画において、シューベルトの「グレート」については、私はルドルフ・ ケンペが指揮したシュターツカペレ・ドレスデンと、ミュンヘン・フィルの演奏をこのサイトで掲載させていただいております。特にミュンヘン・フィルとのディスクは個人的に名演と信じているので、これを凌駕する演奏にはなかなか出会えません。かと言って再度ケンペ盤を採り上げるのも変な話です。
では、お前は他の演奏はまったく駄目だというのかと言われればそうでもないのです。ケンペと並んで私が愛聴しているのが、今回採り上げるボールト盤です。ボールト盤には2種類があり、一つは83歳の時のロンドン・フィルとのセッション録音、もう一つは遡ること80歳でBBC交響楽団を振ったライブ録音です。
サー・エイドリアン・ボールトという指揮者は余り採り上げられることが少ないと思います。1889年生まれ、41歳にしてBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、ロンドン・フィルの首席指揮者にも60歳代で務めていますから、今回の二枚とも自分がかつてシェフであったオーケストラを振っていることになります。非常に長い指揮棒を持って、ムスタッシュを蓄えたその風貌は「長老」という言葉がこれほど当てはまる人もいないと思います。ホルストの「惑星」の初演者でもあり、この曲を5回も録音したことで知られていますが、私はヴォーン=ウィリアムスを指揮したディスクもさることながら、ブラームス/交響曲全集が素晴らしい演奏だと思っています。
シューベルト
交響曲第9番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」
サー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィル
録音:1972年5月28-30日、キングズウェイ・ホール、ロンドン
EMI(輸入盤 7243 5 62792)第一楽章冒頭は、浪々として深いホルンの音色で始まります。全体は滑らかに演奏されますが、ただのレガートではなく、広がりをもちながらも決して停滞しない音楽の流れがあります。弦楽パートはヴァイオリン両翼配置になっています。主部に入るときに猛然と加速しますが、一旦主部になるとそのまま転がっていくことはなく、どっしりとした歩みになります。楽想によってテンポは細かく動かされていますが、その全てが堂に入っています。ドイツ系の演奏からイメージされるようながっちりとした堅牢さよりは、柔らかく積み上げられたような、懐の深さを感じさせる演奏です。第一楽章の最後になると適度な加速と、高揚感が感じられて、末尾は速度を緩めて木霊を呼ぶように完結します。
第二楽章は木管楽器が人なつっこく、語りかけるように演奏します。この楽章では弦楽パートは単調な刻みが多く、そのためスタジオ録音であってもなおざりに弾いているのが分かるディスクも少なくないのですが、ボールト指揮でのロンドン・フィルの弦楽パートは、ちょっとした弓の返し具合などを聴いていても、極めて真剣にボールトの指揮を見ながら、弾いているのが伝わります。
第三楽章は速くもなく遅くもないテンポです。ここだけを聴けば、何と中庸で、際だって目立つところもない平均的な演奏なんだろう、と思う方がいても不思議ではないと思います。特にティンパニののんびりとした叩き方は、その思いを助長させます。トリオになってもテンポは緩まず、ひたすら進んでいくあたりまで聴いてくると、何となくボールトがこの楽章をどう考えているかが分かるような気がしてきます。この楽章を一つの大きな塊と捉えて其処に煉瓦を一つずつ積み上げて囲むように考え、テンポ、ソロパートなどに遊びを許さずに四角四面さを強調しているように思いました。ボールトは「若い指揮者は細部にこだわりすぎて全体的な構成をないがしろにしている」と語ったと伝えられています。細かいこだわりを捨てて行き着いた解釈なのかもしれません。
第四楽章は一転して颯爽とした演奏です。音楽にも起伏やうねりが与えられて、とても劇的です。これも第三楽章との対比があればこそなのかもしれません。ティンパニも前の楽章でののんびりさは消えて、たたきつけるように轟かせています。多くの演奏なら強く盛り上げるようなところも、やや弱く上品に響かせることで、奥行きをもたらしているところも感心しました。最後はテンポをぐっと落として大見得を切って終わります。
サー・エイドリアン・ボールト指揮BBC交響楽団
録音:1969年8月11日、ロイヤル・アルバート・ホール、ロンドン
英BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL4072)基本的な解釈はロンドン・フィル盤とさほど変わらず、弦楽パートは通常配置であることを除けば、冒頭のホルンの朗々たる吹きっぷりなどでのオーケストラの音色も大きな差がありません。主部に入ってからの弦による第1主題は強奏のまま弾ききるのではなく、柔らかくディミヌエンドとなります。これはロンドン・フィル盤では顕著ではありませんでしたが、スケールが小さくなるどころか、逆に深さを感じさせてくれます。
第二楽章になりますと、オケもホールも十分鳴り響くようになっており、速めの演奏ながら実に上品で感興が高まっています。金管パートが思いの外強調されているようなのは、マイクセッティングのためかもしれません。中程での弦楽パートの掛け合いなどは、虚仮威しさは微塵もなく、淡々としながらも自然に音楽が高まっていくのが感じられます。第三楽章の演奏時間は、ロンドン・フィル盤とほとんど変わらないものの、ライブならではの勢いの良さがあります。終楽章になれば、さすがのボールトも熱くなっているのが伝わってきます。「スタジオ録音でも演奏会でも自分の姿勢は全く変わらない」と断言していたというボールトですが、やはり燃えることがあるようです。
それにしても、これが80歳の演奏とは思えません。テンポが遅くないというだけではなく、音楽の流れが硬直せず、しなやかに躍動しているからです。最後の1音が終わりきらないうちに沸き立つ拍手に包まれます。「ザ・グレート」の最後にふさわしく、音楽的に実に同調している拍手と歓声です。ボールトの作る音楽が、聴衆にも染み渡った証拠だと感じ入りました。
ボールトは1977年、88歳に最後の演奏会指揮を行い、翌年、最後の「惑星」をロンドン・フィルとレコーディングします。90歳近くまで自分が目指す音楽を貫き通した、古武士のような指揮者だったのだと思います。
(2007年12月13日、An die MusikクラシックCD試聴記)