コダーイを聴く
PART 1 オーケストラル・ワークス

文:青木さん

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 今回はコダーイ・ゾルターンの特集です。1882年生-1967年没。別に今年がアニバーサリーというわけではありません。たまたま『ハンガリー音楽の魅力 リスト・バルトーク・コダーイ』(横井雅子著,東洋書店ユーラシア選書,2006)という本を読み関連するCDを聴いたことで、この作曲家についていろいろと認識を改めましたので、そのコダーイの世界にみなさんもご招待を・・・という次第です。

 コダーイといえば「ハーリ・ヤーノシュ」組曲が飛びぬけて有名で、かつてはその曲とプロコフィエフの「キージェ中尉」を組み合わせたLPの方が「コダーイ作品集」よりも多く出ていたせいもあって、「ハーリ・ヤーノシュ」だけの一発屋なのか・・・というのが第一印象でした。しかも同曲はきわめて親しみやすい内容で、名盤ランキングの某ムックでは曲紹介の冒頭に「これは耳で聴くマンガである」などと書かれてしまうほど。そういったわけで、コダーイに対しては「ローカル・カラーあふれる、軽い通俗作品の作者」というイメージを持ってしまいました。面目ないことです。

 次にライナーノートや書籍などでより詳しい情報に接すると、意外に感じたのはバルトークとの関係。同世代である彼らは、民謡の収集・研究やリスト音楽院(旧ハンガリー王立音楽院)での教職などで同じ道を歩んでいた盟友同士だったというのです。しかし作曲家としての評価や作品のポピュラリティは、少なくとも日本においては相当に開きがある。それには作風や後半生の相違もあるのでしょうが、よく対比される作曲家カップル(たとえばラヴェルとドビュッシー、ボロディンとリムスキー=コルサコフ、ベルクとウェーベルンなど)に見られる対等的な関係にはなっておらず、どうもコダーイはバルトークよりかなり格下に見えてしまう・・・とまあ、以上はワタシ個人の話ですけど、世間一般のコダーイ観もこれと大差ないように思えてなりません。

 しかしコダーイには、バルトークとはまた違った別の魅力や業績があるわけです。バルトーク研究の一環として手に取った『ハンガリー音楽の魅力』でしたが、ついでに軽い気持ちでコダーイの章を読んでみたことで、ようやくそのことを認識しました。ある分野でコダーイが大きな支持を得ていることなど、まったく知りませんでしたし。

 以下では同書の記述にも少し触れつつ、3つの側面からコダーイの世界を紹介したいと思います。

 

PART 1 オーケストラル・ワークス 

CDジャケット

コダーイ

[1] ガランタ舞曲
[2] マロシュセーク舞曲
[3] 管弦楽のための協奏曲
[4] 劇場序曲
[5] 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
[6] 厳格なミヌエット
[7] 交響曲ハ長調 「アルトゥーロ・トスカニーニの思い出に」
[8] ハンガリー民謡「孔雀」の主題による変奏曲
[9] バレエ音楽
[10] 夏の夕べ
[11] ハンガリー風ロンド

アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカ
ツィンバロン:ジョン・リーチ[5]
録音:1973年9月〜12月 マール

プロデューサー:ジェイムズ・マリンソン
エンジニア:コリン・ムアフット

デッカ (国内盤:ポリドール F75L20341-3)

 

■ 作 品   

 

 このディスクはかつてドラティ・コレクションの一環として買ったに過ぎず、一回だけ漫然と聴いて、そのまま放置していたものです。このたび聴き返し、前回とはうってかわって充実した3時間弱を過ごすことができました。

 長くなりますがいちおう各曲のご紹介を。他のディスクもそこそこ出ている[1][2][8]は、さすがにそれだけのことはあると思わせる、内容の濃い緻密な作品。「ガランタ」とはコダーイが幼少時代を過ごした地名で、同じく地名の「マロシュセーク」ともども同地の民俗舞曲を素材にしているとのこと。どちらの曲も4つのパートに分かれていて、このCDはそれに対応したトラック設定になっているので構成の把握が容易。また[8]はそのタイトル通りこれも民謡主題を元にした変奏曲で、やはり各変奏ごとにトラックが分けられている。これらの曲は1トラック扱いされることも多いので、これはメリットといえるでしょう。

 [3]はいわゆるオケコンですが、いろいろなパターンで各種独奏楽器がフューチュアされていくバルトークの同名曲と違ってさほど凝った構成にはなっておらず、バロック時代の合奏協奏曲をハンガリー風味で現代化したという印象。オーケストレーションはすばらしいし印象的な旋律も多いものの、いかんせんその展開と構成がやや弱く、あとひと工夫ほしかった。作曲時期はバルトークのオケコンの3年前で、委嘱元のアメリカにスコアを運んでいったのはそのバルトークだったという話もあるらしく、もしやバルトークはこの曲から発想を得たのでは? その彼の突然変異的大傑作と比較さえしなければ、このコダーイのオケコンもじゅうぶんに魅力的な作品です。またこの曲はシカゴ交響楽団の、そして前述の[8]はコンセルトヘボウ管弦楽団の、それぞれ創立50周年記念作品だという点が、個人的には超重要ポイント。メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管による[8]の初演の録音はNMクラシックスのメンゲルベルク・ボックスやAudiophileの” Concertgebouw Series”などでCD化されていました。このオケコンの日本初演は2010年3月、つまりつい最近のことだったというのもすごい話。

 [7]は1961年に初演された曲で、初演者フリッチャイによるその少し後の放送録音がDGから出ています。当セットの11曲中で最後期となる晩年の作品、しかも標題性のない交響曲ということもあってか、古典形式を導入し集大成的な観もある、重厚でドラマティックな大曲です。逆に最も早く着想されたという[10]は、小編成のオーケストラによる牧歌調の作品。似たようなタイトルの「夏風の中で」も、ウェーベルンの最初期作品だったことが思い出されます。

 超有名な[5]の前に置かれた[4]は、もとはその「ハーリ・ヤーリシュ」の序曲(第1場導入曲)として書かれたそうです。「フィデリオ」序曲に対する「レオノーレ」序曲みたいなものかも。組曲に出てくるメロディーは使われていないので、「ハーリ・ヤーリシュ」との関係は聴いただけだとわかりません。14分というサイズは、トラック(楽章)単位でいえば[10]に次ぐ長さ。[9]もまた歌劇「ハーリ・ヤーリシュ」から独立させたという曲で、バレエとはいえ優雅さはなくきまぐれでユーモラスな行進曲風。[6]は別の舞台作品からの独立曲、ノスタルジックな[11]はチェロとピアノに書かれた曲の編曲作品。以上11曲、程度の差はあるものの楽しめて聴くことのできる作品ばかりでした。

 

■ 民 謡 

 

 上記は主にCDブックレット掲載のラースロー・エーセという人による詳しい解説(訳は三浦淳史氏)を参考にしましたが、その中ではほぼすべての曲で民謡からの引用について言及されています。エーセはこれらの作品の特徴として「ハンガリー民俗音楽」と「ヨーロッパ芸術音楽」の二元性を挙げ、旋律・和声・構成の面で新と旧、東と西、民俗音楽と芸術音楽などを合成、というより統合しようとしたことがコダーイの芸術である、としているのです。

 『ハンガリー音楽の魅力』によると、このように民謡をベースとし親しみやすく格調もあるコダーイの作品は、本国ハンガリーにおいてはバルトークよりずっと人気があるらしい。実演において「青ひげ公の城」よりはるかに集客力を持つという歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」は、民謡や兵士の歌などの多彩な伝統音楽がほぼ原型のままちりばめられ、その素材の歴史や歌詞がそのままストーリー中で意味を持つような絶妙の扱いをしているとのこと。単に雰囲気としての郷土色を添えるに留まらない高度なレベルのこの引用法は、外国人にはなかなか理解できないでしょう。

 そしてこのハンガリー民俗音楽には、東洋的なものを感じさせるなにかがあります。なにしろハンガリー人はアジア系民族であり、姓→名や市→町→村の順の表記、子音が母音を伴って発音される言葉など、欧米ではなくアジアとの共通点が多いというのが通説。そしてコダーイの音楽に関していえば、ジプシー音楽風の要素が強い「ハンガリー舞曲」「ハンガリー狂詩曲」的なものとはまた違う独特の雰囲気があって、五音音階の共通性からか、個人的には伊福部昭のいわゆる「伊福部節」を連想した瞬間が何度もありました。

 

■ 演 奏 

 

 素朴な暖かさを感じさせるオーケストラの音色が、シャープな歯切れよさ(これはおそらくドラティの持ち味)と対比を成し、聴きごたえのある演奏。中でもティンパニがカナメの役割を果たし、そのすばらしいサウンドは存在感に溢れているだけでなく、楽曲の雰囲気にもよくマッチしていて、じつにいい按配です。これに限らず、演奏全体としてバランス感に配慮されているという印象。ドラティという人は、よく知られた標準的名曲で思いもかけないほどエッジの立ったテンション過剰の強烈演奏を展開することもあったのですが、ここではよりスタンダードな「定本」を残そうとしたのでしょう。といっても安全運転の事務的演奏などではもちろんなく、曲想に沿った活力、生命力といったものが表現されているところも大きな魅力です。

 リスト音楽院で4年間みっちりコダーイに学んだというドラティ。同音楽院出身者を中心としたハンガリーのミュージシャンが1956年の動乱の際に多数亡命し、その彼らが旧西独で設立したというフィルハーモニア・フンガリカ。こういう音楽家が演奏するコダーイだからもちろん名演奏に決まっている、という単純な話でないことはわかっています。しかし民俗的な音楽、特に舞曲を演奏する上で、それが生来のものとして血肉になっている地元民には独特の語法が身についているという説には、ウィンナ・ワルツだのフラメンコだのの例を持ちだすまでもなく、やはり真実が含まれるのだと思います。

 ショルティやヤルヴィらが指揮したシカゴ響の、あるいはベイヌムやハイティンクやジンマンらが指揮したコンセルトヘボウ管の録音とくらべると、フィルハーモニア・フンガリカはアンサンブルも音のブレンド感もやや粗く、テクニカルな面では聴き劣りもします。しかし、あたかも自信に満ちてプレイしているかのようなキッパリした節回しと熱気は、そして管楽器の独奏などに感じられるなんともいえないニュアンスは、「本場ものの強み」としかいえない何かであるように思われてなりません。民謡旋律やリズムなどの民俗的要素を抽象化したバルトークよりも、より生に近い形で取り入れたコダーイのほうが、そういった傾向が強くなるのは当然かも。漫然と聴いていた時は感じなかったことですけど、いまはとにかく聴いていてシックリくるのです。

 

■ ディスク 

 

 このセットに収録された11曲のほかに管弦楽作品が存在しないのかどうか、まだ完全には確認できていません。しかし、コダーイを恩師と仰ぐドラティによって集中的に録音された(すなわち最初からセットとして企画された)作品集でもあるので、ジャケット記載のとおり「全集」だと認識していいのではないでしょうか。事実に反して全集と銘打たれていたシャイーのヴァレーズ集も、同じレコード会社だったんですけど。

 何度か再発売されているこの三枚組CDがオリジナルLPの形態で、国内盤は1975年にいきなりそのセットで出て、その後に分売されたようです。2007年に「20世紀の巨匠」シリーズで再発された廉価CD(UCCD3890-2)はブックレットがかなり簡略化されていて、それ以前には掲載されていたドラティ自筆のコダーイ回想記、大木正興先生の解説、図版等が割愛されているので要注意。どうせなら、1989年にドラティ追悼盤として出た上記CDか1993年の再発盤(POCL3146-8)を探すべきでしょう。より手軽なものとしては、この中から[6][9][11]を外した二枚組や、[1][2][5][8]だけの一枚ものもありました。輸入盤ではつい最近、デッカ・DGの”Collector Edition”シリーズで全曲が復活。これはケルテス指揮ロンドン響ほかによる「ハンガリー詩篇」と歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」全曲等を含む廉価四枚組。お買い得です。

 なおドラティとフィルハーモニア・フンガリカによる当録音は、あの大偉業ハイドン交響曲全集を完成させた翌年ということになりますが、彼らは[1][2]を1950年代にもマーキュリーへ録音していました。またドラティのマーキュリー録音といえば、シカゴ響との[8](モノラル)とミネアポリス響との[5]があります。さらに[5]は、当録音のなぜか翌年にオランダ放送フィルとデッカ(フェイズ4)へ録音。すべて聴いてみましたが、音質面やオーケストラの個性を別にすると特筆すべき演奏ではないので、一般にはこの三枚組があれば十分だと思います。[8]などにはフンガロトン録音もあるそうですが、デッカではデトロイト響との再録音はしなかったようで、やはりこの全集を「決定版」と捉えていたように思われます。

 

2010年5月25日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記