コダーイを聴く
PART 2 ダークサイド・オブ・コダーイ

文:青木さん

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 ダークサイドと書きましたがいかにも極端、せいぜい「シリアスサイド」程度かもしれませんがそれはともかく、コダーイといえばバルトークとは対照的なイメージがあります。ハンガリーから遠く離れたアメリカで貧困のなか病魔に冒されて不幸な死を遂げたというバルトーク。それに対して母国を離れることなく国民の敬愛を受けながら長寿を全うしたコダーイは、その保守寄りの作風とあいまって、穏やかで幸せな一生だったと錯覚してしまいがち。しかし両大戦での敗北や動乱を潜り抜けてきたわけで、けっしてそんなことはなかったようです。そのあたりが反映された曲を聴きました。

 

■ チェロ・ソナタ 〜 シュタルケルのオハコ   

CDジャケット

コダーイ
無伴奏チェロ・ソナタ 作品8
チェロ:ヤーノシュ・シュタルケル
録音:1957年10月4日、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ(mono)
EMI(国内盤:Cento Classics CAPO3015)

 これはたいへんな曲です。ハンガリーの民俗音楽をある程度ストレートに用いたオーケストラ作品と違って、ここではそれらの素材を解体した上で、その語法や音色や生命力をチェロの超絶技巧に盛り込んでまとめあげている。保守的・伝統主義的といわれるコダーイですが、この曲ではそれこそバルトークを思わせるプログレッシヴなオリジナリティを発揮しています。民俗音階の和音を出すため低いほうの二本の弦を半音下げる調弦がなされるとのことで、重音奏法による和音が全編に吹き荒れ、めまいがしそうなほど。「孤高の厳しさ」とでもいいたくなるこの凄まじいチェロ・ソナタの作曲は1915年・・・第一次大戦の暗い世相が影を落としていることはまちがいないでしょう。未来に対する不安や閉塞感が、民俗音楽研究の集大成的な作品として結実したのかもしれません。

 このCDで聴かれる力強いヴァイタリティは、楽曲それ自体の特徴に加え、独奏者シュタルケルによるところも大きいと思います。連続する高速パッセージをゴリゴリとドライヴし、熱気と自信とを感じさせる演奏。彼もまたハンガリーの音楽家であり、コダーイとも親交があったそうです。1939年の演奏会でこのソナタを弾いてプロ・デビューをしたというシュタルケルは、後に自宅の屋内プールを「コダーイのプール」と名づけたほどこの曲に恩恵を受けたと自伝に記述。そのくらい得意としているわけで、特に二度目の録音となる1950年盤はたいへんな歴史的名盤とされています。上記のCDはその7年後の再々録音盤で、モノラルとはいえ異様に鮮烈な音質。シュタルケルには四度目となる1970年の日本録音もあり、現時点では四種すべての音源がCDで手に入ります。その中から、シカゴ響首席奏者時代のレコーディングというだけの理由でこのCDを選びましたが、十分に満足できました。バッハの無伴奏チェロ組曲第4番及び第6番のステレオ録音との組み合わせ。

 

■ ハンガリー詩篇 〜 ショルティ望郷の歌   

CDジャケット

コダーイ
ハンガリー詩篇 作品13

  • テノール:タマーシュ・ダローツィ
  • 合唱:ハンガリー放送合唱団、ハンガリー放送少年合唱団、ブダペスト・スコラ・カントールム

サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ブダペスト祝祭管弦楽団
録音:1997年6月23-26日、ブダペスト、イタリア協会

プロデューサー:クリス・ヘイズル
エンジニア:ジェイムズ・ロック

デッカ(国内盤:ポリグラム POCL1807)

 ブダペスト統合50周年の記念行事用に政府から委嘱されたこの曲で、コダーイは16世紀の詩人ヴェーグの詩に曲をつけたのですが、トルコの圧政に苦しんでいたハンガリーの苦難を歌ったというその古い詩をコダーイが採りあげた裏の理由は、当時のホルティ独裁政権への抗議だったのであろう・・・ということがショルティ盤の解説に書いてあります。『ハンガリー音楽の魅力』ではさらに踏みこみ、そこに込められたであろうコダーイの個人的な想いに言及しています。ヴェーグの詩の元となった旧約聖書の詩篇第55編は、信頼していた人々に裏切られて苦しむ人が神に救いを求める心情を歌った部分であり、コダーイ自身も第一次大戦後の不安定な政局下で音楽院の同僚に告発されて副校長の地位を追われるという裏切りを経験したので、その苦難の気持ちを象徴した作品だと理解されている、というのです。

 実際に聴いてみると、コダーイのどの管弦楽曲よりもハードでテンションに満ちた、驚くほど厳しく激しい音楽。編成もかなり大きいようで、ダイナミックに盛り上がる部分と静かに緊張を高める部分との対比も鮮やか。聴きごたえ充分です。こんな曲は記念祭典にはふさわしくなさそうに思えるほど。この記念行事にはバルトークでさえ「舞踏組曲」という、実はこれにもイデオロギーが込められていることが後に解明されたものの、表面的には記念行事にふさわしく思える作品を提出しているのですから。コダーイにはこういう一面もあるわけで、意外でした。

 ご紹介するCDはこれまたハンガリーの演奏家によるもので、以前から所有していた一枚です。最晩年になってようやく祖国ハンガリーを訪れるようになったショルティが初めてハンガリーのオーケストラを指揮した録音であり、これが彼の最後のスタジオ録音にもなったという、特別なディスク。『ショルティ自伝』(木村博江訳,草思社,1998)で彼はこの録音についてこう記しています。「私の人生はひとめぐりした。最近私は一週間ハンガリーに戻り、私の三人の師に感謝を捧げる意味で、バルトークの<カンタータ・プロファーナ>、コダーイの<ハンガリー詩篇>、ヴェイネルの<セレナード>を録音した」(*1)。ショルティもまた、ライナー・フリッチャイ・ドラティ・オーマンディ・ケルテスらと同様、コダーイの門下生だったのです。

 自伝の最初のほうでは、リスト音楽院で作曲を学んでいた頃のコダーイのそっけない態度と、指揮者になってから再会したときの心温まるエピソードについても書かれています。録音上ではモノラル時代に採りあげたきりだったコダーイの作品を、80才を超えてから「ハーリ・ヤーノシュ」「孔雀変奏曲」と録音してきたショルティですが、やはりこのラスト・レコーディングの「ハンガリー詩篇」がもっとも感動的。さきほど引用した自伝の一部には、そのレコーディングの合間に彼の父の生まれ故郷を訪問する場面が続きます(*2)。先祖の墓を前にして、60年ぶりで家族のもとにいる自分を感じたというショルティ。主観的な感情を表に出さず一歩引いたスタンスの演奏を録音し続けてきたショルティでしたが、この感動の要因は作品の持つドラマティックな力であるとともに、祖国や自己の人生に対する彼のエモーションの反映であるように思われるのです。

(*1,2:上記CD初回特典「ショルティ写真集」にも自伝のこれらの箇所が掲載されています)

 

2010年5月26日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記