管弦楽名曲集の世界
文:青木さん
オーケストラ向けのポピュラーな小品、アンコール・ピースを集めた「名曲集」のディスク。複数のアルバムから編集された狭義のオムニバス盤を別に措くと、新録音がほとんどなくなってしまった分野です。とはいえCDで小曲ばかり1時間以上も聴きつづけるのは正直つらいので、通して聴くには40分前後のLPサイズがジャスト。今回は、コンピレーション状態になっているCDを使用しますが、オリジナル・フォーマットを再現するという形で聴いていくことによって、LPレコードの時代にご招待してまいりたいと存じます。
■ カラヤンの『フィルハーモニア・プロムナード・コンサート』
CD LP [1]ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ
[2]ヨハン・シュトラウスU:トリッチ・トラッチ・ポルカ
[3]ヨハン・シュトラウスT:ラデツキー行進曲
[4]シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
[5]シャブリエ:楽しい行進曲
[6]ヨハン・シュトラウスU:ポルカ「雷鳴と電光」
[7]スッペ:「軽騎兵」序曲
[8]ワインベルガー:「バグパイプ吹きシュワンダ」〜ポルカ
[9]オッフェンバック:「天国と地獄」序曲ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年9月21,23日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
プロデューサー:ウォルター・レッグ
エンジニア:ダグラス・ラーター
EMI(海外盤CD:7243 4 76900 2 0)
※上記海外盤CDはベルリオーズ「ローマの謝肉祭」序曲、レオンカヴァルロ「道化師」間奏曲、ボロディン「イーゴリ公」だったん人の踊り を追加まずは超有名なこのアルバム、1953〜54年にモノラル録音された旧盤をリメイクしたものだそうです。わずか6年のインターバルで新盤が制作された理由は、もちろんステレオ・サウンドに対するニーズが大きかったのでしょう。でもどうせなら少し違った内容に・・・とはならずに、両者は選曲も曲順もアルバム・タイトルもまったく同じ。オーケストラ、プロデューサー、エンジニアまで同じ。ここまで徹底した「再現」となったのは、この九曲による構成に絶対の自信と愛着があったからではないでしょうか。
であるならば再発売に際してもその意図は十分に尊重されるべきだと思うのですが、実際に新旧両盤ともCD化に際しては末尾に追加がなされた程度で、オリジナル・フォーマットがおおむね維持されてきたようです。上記CDのフィル・アップは同時期に録音された『オペラ間奏曲集』『オペラ・バレエ音楽集』等の音源で、それらのアルバムもまた1954年録音のモノラル盤をほぼそのままリメイクしたものだといいます。
というわけでまずはアルバムとしての構成の妙を味わうべきなのでしょうが、実際に聴いて強く感じるのは演奏のすばらしさ。総体的にはオーソドックスで過不足のない表現を基調としつつも、颯爽とした節回し、いきいきとした躍動感、強弱の表情づけや旋律美のアピールなど、それぞれにふさわしい場面で絶妙にワザが決まっているという印象です。全九曲とけっこうボリュームがあるものの、飽きることなく一気に楽しめます。これはやはり緩急とメリハリを意識した曲配列の効果も大きいのでしょう。
いきなりにぎやかに始まらず、優雅な序奏部を持つ「スケーターズ・ワルツ」でスタート。幕開けにふさわしく、粋です。短いポルカとマーチで景気をつけて、ちょっとエキゾチックなシャブリエ二連発でムードを変えてA面終了。B面は逆に威勢よく「雷鳴と電光」で始まり、変化に富んだ曲調の「軽騎兵」序曲でいったんクライマックスを築きます。短く素朴なポルカで変化をつけ、最後にもっとも規模の大きい「天国と地獄」序曲でフィナーレ。このB面の流れは、寄席の中入り後の「カブリ→シバリ→モタレ→トリ」という番組構成と完璧に一致するのです。洋の東西に共通するこの黄金則?に沿って展開されていく、ツボを心得たスタイリッシュな名演奏・・・まったくもって極めつけの名盤というほかありません。EMIもまだこの当時はシンプルなマイク・セッティングだったためか、サウンドのクオリティが高いのもナイス。これはやはり立体音響で楽しみたいと思います。
■ ショルティの『ベニス』
CD LP [1]ヴェルディ:「椿姫」〜第1幕への前奏曲
[2]ロッシーニ:「アルジェのイタリア女」序曲
[3]ヴェルディ:「椿姫」〜第3幕への前奏曲
[4]オッフェンバック:「ホフマン物語」〜ホフマンの舟歌
[5]ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲
[6]ポンキエルリ:「ジョコンダ」〜時の踊りゲオルグ・ショルティ指揮 コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
録音:1958年6月18-21日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
プロデューサー:ジェームズ・ウォーカー
エンジニア:ケネス・ウィルキンソン
RCA→デッカ(国内盤CD:ポリドール POCL2914)
※上記国内盤CDは[5][2][1][3][6][4]+グノー「ファウスト」バレエ音楽続いてはあまり知られていないアルバム。上記の国内盤CDは1992年に「オペラ名管弦楽曲集」として出たもので、レコ芸によると国内では1965年にビクターから出て以来の再発売だったそうです。キングでなくビクターというのは、デッカではなくRCAレーベルだったからでしょうか。当盤はデッカとRCAの提携の産物なのです。そのRCAリビングステレオ時代のアルバム・タイトルは“VENICE”。イタリアの作曲家による作品が並んでいることと、その例外であるオッフェンバックの「ホフマン物語」の舞台にちなんでのタイトルなのでしょうか。ちなみに権利移動後の70年代に入ってデッカから出たLPのタイトルは“SOLTI AT THE OPERA”。そして上記の国内盤CDは「オペラ名管弦楽曲集」となっていますが、内容は別のアルバムの音源をフィルアップしているだけでなく曲順も変えられているので、LPの配列に戻して聴いてみました。
静かに始まる短い[1]は、アルバム全体の序曲的な雰囲気。続く[2]から本篇という感じなので、B面が同じロッシーニの[5]で始まることと通じあいます。そしてA面後半の[3][4]とB面後半の[6]は、ロッシーニと比較すれば落ち着いた曲調という共通点があり、両面の構成を統一しているように感じられるのです。しかし[6]のラストはぐっとにぎやかになるのでフィナーレ感にも不足なく、アルバム全体の締めにふさわしい。いい構成です。
以上は深読みかもしれませんが、実際にそういった印象を受けるのは、演奏そのものと関連があるように思います。50年代末のショルティといえば、ウィーン・フィルとのスッペ序曲集、ベルリン・フィルとのロシア名曲集、ロンドン響とのラフマニノフ(ジュリアス・カッチェンのバック)など、とんでもなく超ハイ・テンションの異常演奏を録音していた時期。でもここではそんな志向をほぼ封印し、意外なほどのデリカシーと歌心を前景化させたジェントリーな演奏を展開しています。ショルティらしくないともいえますが、そういうアプローチがアルバム全体の起伏にピタリとはまっているように感じられるのです。その意味で、曲順を作曲家ごとにたばね直している国内盤CDは、聴感上の流れを無視した無神経な構成といわざるを得ません。
音質については、基本的には好ましいデッカ・サウンドであるものの、最強音が割れてしまっているのがちょっと残念。LPとの比較をしていないので元の録音の問題かどうかは不明ですが、写真で見る限り凝った特殊ジャケットらしいリビングステレオ盤LPをぜひ手に入れてみたいところです。
■ ライナーのオーケストラ名曲集
CD@ CDA CDB CDC LP [1]チャイコフスキー:序曲「1812年」
[2]メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟
[3]リスト:メフィスト・ワルツ
[4]ブラームス:悲劇的序曲
[5]ワインベルガー:「バグパイプ吹きシュワンダ」〜ポルカとフーガ
[6]スメタナ:「売られた花嫁」序曲
[7]ドヴォルザーク:「謝肉祭」序曲フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
録音:1955年12月10日[3],12日[6],1956年1月7日[1][2][5][7],1957年12月14日[4] シカゴ、オーケストラ・ホール
プロデューサー:リチャード・モア
エンジニア:ルイス・レイトン
RCA(CD番号割愛)前記ショルティ盤をデッカに制作させたRCAは、当時アーサー・フィードラーとボストン・ポップスを擁していたので、ポピュラー名曲集は彼らが一手に引き受けていたように思いがちです。でも実際にはそうでもなく、小品集などに縁のなさそうなライナーとシカゴ響でさえ何枚も録音していました。シュトラウスやウェーバーなどの“VIENNA”(LSC2112)、ファリャやアルベニスなどの“SPAIN”(LSC2230)、ロシア物を集めた“FESTIVAL”(LSC2423)、そして今回採りあげる「1812年」をフィーチャーした一枚。大砲ジャケットのこのアルバムは、なぜかモノラル盤とステレオ盤とで異なる選曲だったようです。前者は[1][3][5][6][7](LM1999)、後者は[1][2][3][4](LSC2241)という内容で、リビングステレオのこういう例は珍しいと思います。
各曲のCDは複数バージョンがありますが、“LIVING STEREO”ロゴ入りのシリーズでいえば、[1][3]はチャイコフスキー「悲愴」(@)、[5][6][7]はドヴォルザーク「新世界」(A)の余白に収録。[2]はそれより前の“Fritz Reiner Cillection”シリーズのブラームス交響曲第3番+シューベルト交響曲第5番(B)にフィル・アップ。[4]はIMGの“Great Conductors Of The 20th Century”シリーズ(C)に収録、というバラバラぶり。といっても手持ちのCDがそうなっているだけなので、昨年出たライナーとシカゴ響の全RCA録音を集成した63枚組“The Complete RCA Album Collection”を買えばすっきりするわけです。ちなみにそのセットでは、収録曲のダブリ覚悟でLM1999とLSC2241の両方を再現(Disc13とDisc32)しているらしいものの、前者がステレオかどうかはわかりません。買ってないので。JVCでXRCD化されたのはLM1999のほうで、これはステレオ・テイクを採用している模様。
さてこれらの曲だけを聴いていくと、交響曲のついでに聴いたときとはかなり違う印象で、驚きました。ポピュラー名曲に求められがちな愉しさや洒脱な雰囲気がまるでなく、きわめてシリアスなアプローチで全力投球されていることに改めて気づきます。一点一画もゆるがせにせず入念な彫琢を凝らした造形美。固く引き締まったリズムとゴツゴツした低音。シカゴ響がタイトかつソリッドな音色で完璧に合奏し、ルイス・レイトンのエンジニアリングがそれを生々しく捉えている。なんというハードボイルドな名曲集なのでしょうか。「悲劇的序曲」の異様な緊迫感、「メフィスト・ワルツ」や「売られた花嫁」序曲の強烈で正確なリズム、後半で天候大荒れの「フィンガルの洞窟」など、もうすべてが凄まじい。「1812年」に大きなカットがあることやジャケットに相違して大砲が登場しないことなど、もはやどうでもよくなるほどです。
こういう表現を達成するには指揮者一人が張り切ったところでどうにもならず、その意図を音に変換するオーケストラの性能があってこそでしょう。それができる手兵にようやく巡り合えたライナーが、新しく手に入れたガジェットを嬉々としていじくりまわすがごとく、シカゴ響を限界まで攻めたてた結果がこの演奏なのではないか。そのように妄想すると、コワモテの表情の裏に別の一面が透けて見えるようで、ますます愛着が高まってきます。こんなことを考えていると63枚組ボックス・セットを買ってしまいそうで、危険です。
■ 『パレーの花束』
CD@ CDA LP [1]ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲
[2]サン=サーンス:死の舞踏
[3]ウェーバー:舞踏への勧誘
[4]リスト:メフィスト・ワルツポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団
録音:1959年1月16日 デトロイト、フォード・オーディトリアム
プロデューサー:ウィルマ・コザート
エンジニア:C.ロバート・ファイン
マーキュリー(国内盤CD:マーキュリー・ミュージック・エンタテインメント PHCP20399@、PHCP10254A)マイナーレーベルだったマーキュリーにおいては、メイン指揮者だったアンタル・ドラティ、ポール・パレー、フレデリック・フェネルらが小品集にも起用されていました。このうちパレーは、交響曲ではベートーヴェンやシューマンをはじめとしてドヴォルザーク、シベリウス、ラフマニノフ等いろいろ録音していたものの、管弦楽曲となるとワーグナー以外はほとんどがフランス系のレパートリー。これは小品集も同様で、“OUVERTURES FRANCAISES”(SR10191)、“VIVE LA MARCHE!”(SR10211)、“FRENCH OVERTURES”(SR10247)、“BALLET HIGHLIGHTS FROM FRENCH OPERA”(SR90318)などがそうなっています。そんな中、“BOUQUET DE PARAY”(SR10203)と題された一枚だけはフランス系に偏らない選曲なので、今回これを採りあげました。
CDでは[1]が“MARCHES & OVERTURES A LA FRANCAISE”(@)、他は“PARAY CONDUCTS DANCES OF DEATH”(A)に収録。それらを上記のLPの順序に直して聴きましたが、これに関してはアルバム構成面の感想は特にありません。AB各面二曲ずつで計四曲、しかし冒頭の「ウィリアム・テル」が超明快な四部形式なので、形式感が薄い他の曲との差異感が先に立ってしまいます。もし最後の曲が同じリストでも四部形式の「レ・プレリュード」だったらアルバム全体がシンメトリカルな入れ子構造になっておもしろかったのに・・・とつまらぬ無いものねだりをしてしまう始末。
それはともかく、演奏とサウンドはすばらしいものです。ボンヤリしたムーディーなところが皆無の楷書風表現は意外にもライナーに通じるものがありますが、硬質感や重量感はあまりなく、勢いがあり颯爽とした風情。そっけないほど直截的なのにメリハリが効いており、ちょっとラフな部分も残しながら全体としては粋な格調があって、たった四曲でも十分に満足。リヴィング・プレゼンスの鮮烈な音響はいわずもがな、です。
■ マリナーの『ノスタルジック・コンサート』
[1]ウォルトン:「ファサード」第2組曲〜ポピュラー・ソング
[2]ヴィラ=ロボス:「ブラジル風バッハ」第5番〜アリア
[3]ファリャ:「恋は魔術師」〜火祭りの踊り
[4]サティ(ドビュッシー編):ジムノペディ第1番
[5]ディーリアス:春初めてのカッコウを聞いて
[6]ラフマニノフ:ヴォカリーズ
[7]ヴォーン・ウィリアムズ(グリーウズ編):グリーンスリーヴズによる幻想曲
[8]カントルーブ:「オーベルニュの歌」〜バイレロ
[9]ウォルトン:「ファサード」第1組曲〜ポルカ
[10]バーバー:弦楽のためのアダージョ
[11]ブリテン:「シンプル・シンフォニー」〜おどけたピッツィカート
[12]サティ(ドビュッシー編):ジムノペディ第3番ソプラノ:カリタ・マッティラ[2][8]
ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
録音:1986年4月24-26日 ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール
フィリップス(国内盤CD:日本フォノグラム 32CD647)ここまで採りあげたアルバムは、ワタシが生まれる前のステレオ初期に制作された「往年の名盤」ばかり。一枚くらいはリアルタイムで接したものを、と考えてこれを選びました。
このディスクの国内盤は、1987年12月にCD(3200円)とLP(2000円)で同時発売されています。つまりLPからCDへの過渡期というか移行期の作品で、トータル55分というのも両フォーマットに「帯に短し襷に長し」状態の、しかし聴く上ではちょうどいいサイズ。二十世紀の近現代曲を集めた選曲がとても洒落ていて、三浦敦史氏の名解説を読みながら繰り返し愛聴してきたのですが、そのうちにこの曲順が必然のものに感じられてきました。二曲ずつある「ファサード」と「ジムノペディ」がそれぞれわざわざ離して置かれているのはどういうわけかと考えると、アルバム全体が三部構成に見えてきます。[5]〜[8]の中央ブロック四曲が、タイトル通りにノスタルジーをかきたてられるような情緒的ナンバー。その前後のブロックはそれぞれ「ファサード」と「ジムノペディ」に挟まれて「急−緩−舞曲−緩」という変則的交響曲みたいな構成。全十二曲もあるのでなかなか意識できないものの、ちゃんとストーリーを考えた配列になっているようです。
中身については、演奏もサウンドもすっきりクールに統一されており、一部だけを取り出して聴くと淡泊すぎてもの足りないかもしれません。でもそれが全体の流れに即しているので、近現代曲集トータルとしてちょうどいい塩梅になっています。これはもはや「コンセプト・アルバム」として賞味すべき逸品といえるでしょう。そのコンセプトに即しているかのようなジャケット・デザインも、実に美しいもの。さらに、二曲で歌うマッティラのややほの暗い声が実によく内容にマッチしていると感じます。他の歌手による「オーベルニュの歌」をいくつか聴きましたが、明るすぎる「バイレロ」に違和感を持ってしまう結果となり、これはマイナスの副作用でしょうか。
『ノスタルジック・コンサート』というのは、海外盤にオビと解説を付けた国内盤に付けられた邦題で、アルバム原題はありません。1994年に再発された海外盤は、ジャケットが“SOLO”シリーズの統一的デザインに差し替えられて“LOLLIPOPS”なるタイトルが付いていました。一方、国内盤はほぼ元の体裁で1993年に再発されたきりのようです。その後、ウォルトンとファリャとブリテンを抜き他のアルバムから二曲を追加して「アダージョ・マリナー」風に仕立て直したCDはありますが、これは似て非なる完全な別物。いまデッカ・レーベルで出ているのはそれなので、要注意です。
■ おわりに
昭和35年ごろ、LPレコードは二千円前後だったそうです。今の貨幣価値だと一〜二万円くらいの感覚でしょう。近年の格安ボックス・セットの一枚当たり価格とは桁が二つも違う贅沢品だったアナログ・ディスク。それが10分程度の小品を四〜五曲収録しただけの名曲集だったとして、リスナーはいったいどのような聴き方をしたのでしょうか。単価数百円のCDで、しかも複数アルバムがごちゃ混ぜにされた編集盤やメインの大曲の余白に追加収録されたものをついでに聴くときの感覚と、同じだったとは思えません。でも当時の制作者や演奏家たちは、半世紀後にそんなイージーな聴き方をされるとは夢にも思っていなかったはずです。LP最末期に間に合った世代として、過去の音楽遺産にできるだけ真剣かつていねいに接したいという思い(というより自分に対する戒め)から、こういうテーマといたしました。
2014年4月3日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記