ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2001年6月

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CD6月30日:似てる?似てない?

私が好きな曲にシューマンのピアノ五重奏曲とピアノ四重奏曲があります。アナクロかもしれませんが、50年近く前に録音されたバリリ四重奏団とイェルク・デームスによる演奏は、すぐに取り出せる場所に必ず置いています。

CDジャケットシューマン
ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44
ピアノ四重奏曲 変ホ長調作品47
バリリ四重奏団
ピアノ演奏:イェルク・デームス
録音:1956年
Westminster(国内盤 MVCW-19027)

名盤中の名盤として知られるこの録音について語ると、オールドファンの方々から「お前は何にも分かっちゃいない」とお叱りを受けそうなので、今回は別の視点から書いてみます。シューマンのとびきりの名作であるこの2曲は、同じ調性で書かれていながら、聴いた感じはかなり違います。ピアノ五重奏曲が外向的でとても華やかであるのに対し、ピアノ四重奏曲はやや内向的で渋さを併せ持っています。初めて耳にすると、ピアノ五重奏曲に強く惹かれるのですが、やがてピアノ四重奏曲のロマンチックな作風に心奪われるものです。

ところで、私はずっと疑問に思っていたのですが、シューマンの交響曲の中で最も地味な、しかし味わいのある第2番と、同じく渋さを内包するピアノ四重奏曲は何となく似通った点があります。交響曲第2番(ハ長調作品61、1846年作曲、於ドレスデン)とピアノ四重奏曲(1842年作曲、於ライプツィヒ)の構成は少し似ています。特に、第2楽章にスケルツォがありますが、楽想までそっくり。さらに第3楽章がアダージョ(交響曲第2番)、アンダンテ(四重奏曲)となっていますが、やるせないような旋律は時として聞き間違えるほどです。こんなことを感じるのは私だけかもしれませんが、類似点を少しでも発見すると、何だか作曲家のことが少しだけでも理解できたような気がしてしまいますね。これが素人くさいところではありますが...。皆さんも、こんなことを感じたことはありませんか?


CD6月27日:面白い演奏

24日の更新では、ヴァンスカ指揮ラハティ響によるシベリウス演奏を取りあげました。大変心のこもった演奏です。このコンビにはもちろん名曲「フィンランディア」の録音もあります。が、わが女房は、ラハティ響の演奏にはさほど関心を示してはくれませんでした。では、どんな演奏に聞き耳を立てたかと言いますと、これがトスカニーニ指揮NBC響の演奏なんですね。

CDジャケットArturo Toscanini
Orchestral Showpieces

収録曲
ムソルグスキー=ラヴェル編曲
「展覧会の絵」
R.シュトラウス
交響詩「死と変容」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
ブラームス
ハイドンの主題による変奏曲作品56a ハンガリー舞曲第1,17、20,21
チャイコフスキー
組曲「くるみ割り人形」
シベリウス
交響詩「フィンランディア」(録音:1952年8月5日)

スメタナ
交響詩「モルダウ」
トスカニーニ指揮NBC響
BMG(輸入盤 74321 59484 2)

この2枚組CDは、「Orchestral Showpieces」と銘打ってあるだけに、驚くほど雑多な曲が並んでいますが、中でも「フィンランディア」は抜群の出来映えです。録音されたのは8月の5日。日本の感覚で考えますと非常に暑い時期に収録されたわけですが、トスカニーニの演奏は暑いなんてものではありません。全く辟易するほどの暑っ苦しさです。重厚さでは天下一品で、かのカラヤンによるナチスドイツ重戦車進軍演奏を遙かに上回っています。信じられないかもしれませんが、すごいですよ。重々しいテンポ、どーんと迫る弦楽セクションの迫力、つんざくブラス、地響きのするティンパニ。「どうだ、まいったか!」といわんばかりです。一体どうしてこんなに重厚な演奏になってしまったのか不思議ですが、面白いです。私は学者ではないので、こうしたサービス精神たっぷりの演奏は大歓迎であります。私は浅学なものでトスカニーニがシベリウス後期の交響曲をどう演奏したのか知らないのですが、やはり猛烈にドンパチやりまくる演奏だったのでしょうか? とても気になるところです。ご存知の方、いらっしゃいますか?

なお、このCD、古い録音ですが音質はすばらしいです。「フィンランディア」だって、軽量級の演奏による録音ではとても太刀打ちできないほどのクオリティです。ご立派、というほかありませんね。


CD6月24日:CD試聴記を久しぶりに更新。「音楽に対する深い愛情」という題で、ある演奏について書いてみました。もっと詳しく書きたいのですが...。どうしましょうね。続編もやりたいし。ううう。


CD6月23日:小さな事件

先頃、久しぶりにYahoo!オークションで音盤を入手しました。全部で4枚。うち、1枚は廃盤となっていたホロヴィッツのCDでした(Horowitz at Home,DG 427 772-2、録音1986-89年)。新譜として登場した際に買わなかったためにその後入手できず、探し回っていたものでした。オークションに出ているのを見逃さず、入札&落札しました。

今回はホロヴィッツ盤とは別に3枚の音盤を落札しています。わざわざ「音盤」と書いていますが、理由があります。これ、今日届いてみたら、なんとLPだったんです。いやあ、びっくりしました。LPと気がつかずに入札したわけです。確かに、画面を見直すと「レコード」となっています。うーむ。その表記は全くもって正しいですね。私の不注意としか言いようがありません。

しかし、この3枚は私にとって貴重盤でした。コンドラシンがアムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮したライブ盤だったのです(ブラームスの交響曲などの一連の録音です)。これらはもしかしたら一時CD化されていたのかもしれませんが、私はその録音そのものを所有しておりませんでした。「え?これを持っている人がいたんだ」と思って思わず入札したわけですが、私は当然CDであると思い込んでいたんですね。恥ずかしいことです。

しかし、このLPを手に取ってみますと、まことに立派であります。普段私がCDを購入することに極めて批判的な女房さんでさえ、「LPはやはりいいなあ、立派だなあ」と言い出す始末です。もちろん、私もそう思います(^^ゞ。思わず飾っておきたくなりますよ。ただし、演奏を聴けないのでは如何ともしようがありません。何とか聴いてみたいのですが、我が家にはLPプレーヤーがありません。どうしたらよいものか、夫婦で思案に暮れています。3枚のLPを聴くためにこの際LPプレーヤーを買うべきでしょうか? 何となく、この件についてだけは女房さんも「ダメ」とは言わないような気がします。置き場所さえ工面できれば...。どうしましょう。


CD6月20日:奇妙な体験

今日は池袋の東京芸術劇場にジャン・フルネ指揮東京都交響楽団(以下、都響)のコンサートを聴いてきました。プログラムはブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ演奏は伊藤恵さん)と、やはりブラームスの交響曲第3番です。渋いプログラムですね。長大で演奏効果を上げにくく、聴衆を眠らせがちなピアノ協奏曲第2番に、最強音で終わってくれない?交響曲第3番です。こうしたプログラムをわざわざ選ぶのですから、主催者側には並々ならぬ意気込みがあったのでしょう。

それはともかく、このコンサートで私は実に奇妙な体験をしました。ピアノ協奏曲第2番は、案の定少なからぬ数の聴衆を眠りに誘っていましたが、終演後、後方からはブラボーの嵐が。複数の男性からのようでした(そういえば、女性のブラボーは日本ではまだ聞いたことがないぞ!)。眠りこけていた聴衆とは別に、真剣に聴いていた一部の聴衆がいたんですね。それもフルネ&都響はブラボーを連呼させるほど熱狂させています。

さらに、後半の交響曲第3番が終了すると、またもすさまじいブラボーが。???? 私の周囲の聴衆は私を含め、ほとんど儀礼的な拍手しかしていません。拍手すらしていない人もかなりいました。でも、2階あるいは3階後方からは猛烈なブラボーが飛んできます。

これは一体どういうことなのでしょうか? 私もコンサートに何度も足を運んでいますから、儀礼的な拍手と熱狂的な拍手の違いは分かります。周囲の人々は儀礼的な拍手しかしていないのに、嵐のようなブラボーが飛び交うというのは何とも奇妙です。もしかしたら、このページの読者にも今晩都響の公演を聴いた方がおられるかもしれませんが、いかがでしたか? 私の感覚の方が大幅にずれているのでしょうか? コンサート通いをしていてこれほど呆気にとられたことは今までありませんでした。全くの謎であります。

ところで、私にとって東京芸術劇場は久しぶりでした。気のせいかもしれませんが、前に聴いたときよりずっと音響がよくなっているように感じられました。というより、残響成分が随分多く感じられました。前はもっと乾いた音だったと思うのですが? 今回私は2階の左寄りにいたので、5メートルほど左側の木の壁が私に間接音をたっぷり聴かせていたのかもしれませんね。お陰で都響のブラームスがとてもしっとりしたものに感じられました。なお、都響はいいオケですね。昨年私はシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団を聴いて、「これが仮にも日本を代表するオケか」と落胆したものでしたが、今晩の都響を聴いて安心しました。根強い都響ファンがいるのも頷けるというものです。


CD6月18日:復刻盤

最近PHILIPSから立て続けに過去の名録音が復刻されていますね。ずっと店頭から消えたことのないクナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管による「パルジファル」なども含まれていますが、「これはもう復刻されないのでは?」と思っていたCDも出てきて思わず購入してしまいました。もちろん、女房さんには内緒です(^^ゞ。この間山野楽器で見かけたのは以下のCDでした。

CDジャケット オリジナルホルスト
組曲「惑星」作品32
エルガー
行進曲「威風堂々」
第1番ニ長調
第2番イ短調
第4番ト長調
マリナー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1977年6月、コンセルトヘボウ
PHILIPS(国内盤 UCCP-9079)

ホルストの「惑星」はいわゆる優秀録音と呼ばれるものが次から次へと現れます。一時期騒がれてもいつの間にか市場から姿を消してしまいます。このマリナーによる「惑星」もその一つでした。私が高校生の頃に発売されました。高校生の私には高価な新譜を買う余裕がなく、お店でジャケットだけを眺めて過ごしていたのをよく覚えています。小編成の曲をずっと手掛けてきたマリナーがいよいよ大編成の音楽に取り組むことになったと大々的に宣伝されていたと思います。PHILIPSは今回の再発に際し、「惑星」に「威風堂々」を追加しています。どうせならオリジナルカップリングにして、「威風堂々」にはエルガーの「謎」をつけてほしかったですねえ。

まあカップリングは2の次です。私はこのCDを聴いてアムステルダム・コンセルトヘボウ管の響きに酔いしれることができたのでした。これは、「コンセルトヘボウ管のページ」で高名な青木さんも推薦し、ベスト録音にリストアップしているほどの名録音なのです。いやあ、本当にすばらしい。

CDジャケットなお、オリジナルジャケットになっただけで購入意欲が湧くのはオールドファンの証拠なのでしょうか? 少し気になります(^^ゞ。例えば、ついこの間までマリナーの「惑星」といえば、左のCDしか手に入らなかったのではないでしょうか? これはGloriaシリーズの紙ジャケット・国内盤です。別にGloriaシリーズを貶しているわけではありませんが、やはり商品としては今回の新譜の方が格段にいい仕上がりですよね。え? お前はPHILIPSの回し者かって? いえ、いえ、そんな....。


CD6月16日:脱マニア宣言

4月2日をもってAn die Musikの更新を中止しておりましたが、本日から再開することにしました。再開するといいましても、以前のように毎日更新はできそうにありません。多分かなり不定期にしか更新できないと思います。それでもよろしければ、またのんびりおつき合い下さい。3月上旬以来、日々の業務が激化しておりましたので、とても趣味のページを続けられないと判断していましたが、忙しさも*少しだけ*落ち着いてきました。ホームページを作り、公開する理由を見失っていたのは事実でしたが、ここ3ヶ月間An die Musikを訪れる読者の方々に対して申し訳ないという気持も強く持っております。

ところで、更新再開にあたり、私のページのスタンスをはっきりさせておきたいと思います。すなわち、An die Musikは、一リスナーの感想文ページであり続ける、ということです。それ以上のものには今後ともなりえません。端からはどのように見えるか分かりませんが、私は今後ともマニアにはならないつもりです。ご存知のとおり、私は音楽の専門知識も何もないただのリスナーです。音楽評論家では決してありません。クレンペラーやシュターツカペレ・ドレスデンのページを作っていますが、それとて私のレベルの低い感想文が並べてあるだけで、特に資料的価値があるわけでもありません。私がCD試聴記を書いているのは、自分の備忘録にしておきたいのと、試聴記を書くことによりそのCDを完全に消化したい、という以外に目的がありません。あくまでも自分のためです。

私も音楽をもっと詳しく知りたいと思います。しかし、音楽の知識が増せば、音楽を楽しめるわけでもないのです。クラシック音楽の何たるかをよく知らなかった中学生の頃、ベートーヴェンの「運命」を聴いて興奮していた私は、今よりも遙かにクラシック音楽を楽しんでいたはずです。音楽を楽しむのに知識は不要です。マニアの蘊蓄などなおさら必要ありません。私は音楽を何の予備知識もなく、ありのままに楽しみたいと思います。その意味で、私は「脱マニア宣言」を行います。「アンチ・マニア宣言」と換言してもいいでしょう。音楽を純粋に楽しむ、それだけが私の願いです


(An die MusikクラシックCD試聴記)