■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に

2002-2003 シーズンを振り返って
首席客演指揮者ハイティンクさんボストン響に登場

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ベルナルド・ハイティンク指揮ボストン交響楽団

2003年3月1日 午後8時〜
マサチューセッツ州ボストン、シンフォニー・ホール

モーツァルト

マーラー

昨日ウィーン・フィルを聴いて、今日はボストン響です。我ながら贅沢ですね。さて今回のコンサート、指揮はボストン響の首席客演指揮者のハイティンクさんです。昨年(2002)の1月、私たちにとって初めてのボストン響のコンサートをこの人の指揮で聴きました。その時のメインプログラムはブルックナーの交響曲第7番でしたが、それは大変感動的な演奏で、今も忘れられない思い出のひとつです。今日はメインがマーラーの交響曲第4番と、まったく曲の性質が異なりますが、あのときの再現を期待したいです。

前半のプログラム一曲目はモーツァルトの交響曲第35番。なかなか聴きやすく耳になじむ曲ではありますが、モーツァルトの後期の交響曲のような深みにはまだ乏しい気がします。演奏もそれを超えるものではありませんでした。二曲目はモーツァルトの作った歌曲ですが、これはモーツァルトとしてはちょっと曲調が暗いです。まあ、歌詞の内容が暗いので仕方ないかもしれませんが、ソプラノ独唱もどこか陰のある声でしっとりと歌っていました。

後半はマーラーの交響曲第4番です。メルヘンチックなメロディーがふんだんに出てくる傑作だと思います。マーラーのテーマは『死』であるということがよく言われます。しかしこの曲ではそういった暗い影が乏しく、マーラーの明るい楽しい響きが味わえます。第一楽章、最初の鈴の音を伴ったメロディーからその世界に引き込まれます。今日は弦楽器、管楽器群ともに調子が良いようです。第三楽章はマーラーの何かを求めてやまない憧れが感じられる楽章です。ハイティンクは一見淡々と演奏するように見せて、この思いを精一杯表現していました。第四楽章はソプラノ・ソロが登場します。ここでも彼女はモーツァルトのときと同様にやや陰のある声で歌っていました。それはハイティンクさんの指示かもしれませんが、この曲はもう少し明るい声で歌ったほうが似合うように思いました。少し単調になったきらいがあります。そういうわけで前回のブルックナーのときの感動の再現とはいきませんでしたが、昨日のウィーン・フィルに負けないような音色の美しい響きをボストン響から出していたのは、やはりハイティンクさんの実力によるところが大きいのではないかと思います。今日はボストン響が調子よかったというのもあるかもしれませんが、本当に贔屓目ではなくあまり差を感じませんでした。また、ボストン響の響きは今まで聴いた他のアメリカのオーケストラと比較すると、よりウィーン・フィルの響きに近いようにあらためて感じました。シカゴ響や、ニューヨーク・フィルはガンガンと金管が鳴っていかにもアメリカのオケという趣ですから・・・。ボストン響とウィーン・フィルの違いをあげると、管楽器群の音色が違っていたと思います。これはどちらが良いと言うわけではなくウィーン・フィルのほうがどこか(悪い意味ではなく)鄙びた感じのする音色でした。ボストン響の方はもっとストレートな感じがしました。

終演後、恒例となってきた(!?)指揮者詣でをしました。指揮者のハイティンクさんは気のいいおじさんといった感じで気楽にCD、プログラムにサインをしてくれました。音楽監督は小澤さんからレヴァインさんに替わりますが、ハイティンクさんは首席客演指揮者としてこれからも引き続きボストン響を振ってくれることを願いたいです。

《私のお気に入りCD》

CDジャケットマーラー
交響曲第6番「悲劇的」
ベルナルド・ハイティンク指揮フランス国立管弦楽団
NAIVE V 4937 (輸入盤)

そのハイティンクさんにサインしてもらったのが上記のCDです(笑)。このCDにおいてもハイティンクさんは自然体で曲に接しているようです。特にマーラーだから、といった過剰な意識は感じることは出来ません。部分的にどうこう言うのは難しい演奏ですが、全体を通して聴いた時に受ける感銘は大変大きいです。それはきっと、曲の持つ魅力とオーケストラの力を何の無理もせず、あるがままに引き出せるハイティンクさんだからこそなのでしょうね。


(2003年7月9日、岩崎さん)