■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に■
違和感を拭えなかったラトル指揮ベルリン・フィルの初体験
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル
2003年11月14日 午後8時〜
ニューヨーク州ニューヨーク カーネギー・ホールガッペルズ:From a Diary(アメリカ初演)
シベリウス:交響曲第7番ハ長調 作品105
シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944「グレイト」以前書きましたように、今季アメリカ・ツアーを行うベルリン・フィルですが、ボストンの街にはやってきません。しかしどうしても生で、その世界一と謳われる響きを聴いてみたい。その思いは消しがたく、妻を説得して、ニューヨークのカーネギー・ホールまで聴きに行くことにしたのでした。指揮は昨シーズンよりベルリン・フィルのシェフとなったサイモン・ラトルさん、プログラムもシベリウスの交響曲第7番、シューベルトの交響曲第9番「グレイト」ですから片道5時間の苦労も忘れ、とても楽しみにこのコンサートに臨んだのでした。
カーネギー・ホールでは私が聴いた上記の最終日の演奏会を含め3公演が行われたわけですが、他の日の曲目も列記しておきますと、
11月12日
- バルトーク:弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽
- リゲティ:バイオリン協奏曲
- ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
11月13日
- ハイドン:交響曲第88番
- ドビュッシー:交響詩「海」
- デュティユー:Correspondances(アメリカ初演)
- ハイドン:交響曲第90番
となっています。私たちが聴いた公演も含め直前のベルリンでの定期公演でラトルさんの指揮で演奏された曲目ばかりです。決してツアー用のプログラムではないことが分かります。それにしても古典曲から現代曲まで本当に幅広くプログラムに取り入れています。音楽監督就任後、初のアメリカ・ツアー。海外のオーケストラには冷たいアメリカにしては珍しく会場は満員。アメリカ国内の注目度も高いようで、ラトルさんも相当に気合いが入っているのではないでしょうか。
コンサートはアメリカ初演となるガッペルズ(Goebbels)の曲から始まりました。ドイツの現代作曲家の作品で、弦楽器はコントラバスだけという一風変わった編成のオーケストラで演奏されました。シンセサイザーによる脈拍音を模写したような音の上に不安定な響きが重なるような曲でつかみ所が難しいです。曲の後半、物々しいメロディーがコントラバスによって演奏され、徐々に他の楽器も加わっていくところは、まるで、デスラー総統(註:アニメ「宇宙戦艦ヤマト」に出てくる敵役。古くてごめんなさい)でも登場するかの様なかっこよさで、ここだけは気に入りました。
二曲目はシベリウスの交響曲第7番。私はこの曲はベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの演奏で長年慣れ親しんできました。その私にとってはラトルさん指揮するベルリン・フィルの演奏はまったく違う物でした。最初こそ結構素朴に始まったのですが、だんだんと表情過多となり、後半の盛り上がるところは情念が渦巻くような高まりを見せたのでした。私にとっては違和感アリアリだったのですが、その盛り上がりの量的迫力にグッと来そうになったのも事実なのです。
休憩を挟んでのシューベルトの交響曲第9番「グレイト」はさらに違和感だらけの演奏でした。ラトルさんの演奏はもしかすると革新的と評価されるのかもしれません。しかし私には実験的と感じざる得ませんでした。ちょっとしたフレーズにも加えられる違和感ある強弱、違和感のある間、違和感のあるリズム、違和感のある楽器のバランス、度々のギアチェンジ。「こんなことも、あんなことも出来るんですよ」とすべてやった結果、ツギハギだらけのグロテスクな「グレイト」になってしまったのではないでしょうか。こんなことを書くとお前は何も分っちゃいないと言われるかもしれませんが、私はこう感じてしまったのです。楽界の頂点に立つといわれるベルリン・フィルだからこそ、このオーケストラから聴衆はこんな音楽を聴きたいのかなと考え込んでしまったしだいです。
私的に唯一楽しめたのは第二楽章の前半。颯爽としたリズムの中にも一筋縄ではいかない人を食ったような間があるのですが、それがまたラトルさんのフェイントをかけるような指揮姿とも重なり、コミカルな面白さがありました。途中の妙に長い間(少なくとも5秒はありました)以降はまるで聴いたこともないような音楽作りに徹し、ラトルさんにしか創りえないであろう世界を聴かせてくれましたが、私は付いていけなかったです。
それから今回初めて生で聞いたベルリン・フィルですが、私が期待していたよりはずっと大人しかったです。安定感があるのは言うのも失礼なほど当たり前なのかもしれませんが、もっと、弦がゴリゴリ、管がバリバリ鳴るのかと思っていました。薄い響きだなと感じられるほどでした。よほど、シカゴ響や、ニューヨーク・フィルの方が分厚く鳴ります。もちろん「グレイト」は中編成のオーケストラで演奏されましたから単純に比較は出来ないと思いますが、CDで聴く輝かしくよく鳴るベルリン・フィルとはずいぶん印象が異なりました。でもこれがラトルさんの目指す響きなのでしょうね。
と言うわけで私たちの初めてのラトル&ベルリン・フィル体験は終わったわけですが、ちょっと複雑な心境です。クラシックの演奏にも流行があり、ラトルさんはきっとその最先端なのでしょう。そうであれば私の意見などは流行おくれで、勘違いも甚だしいのかもしれません。「グレイト」の演奏終了後、首を傾げる私の横で、多くの「ブラボー」がおこり、スタンディングオベーションとなりました。多くの聴衆はこの演奏に感動し、共感したのでしょうか。私には分かりません。私はその光景にもどこか違和感を覚えてしまいました。
《私のお気に入りのCD》
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ウラディーミル・フェドセーエフ指揮)
シューベルト:交響曲第9番「グレイト」(ホルスト・シュタイン指揮)
マーラー:交響曲第5番(ハンス・スワロフスキー指揮)
ウィーン交響楽団
BERLIN Classics(ドイツ盤 0017102BC)このCDは先日手に入れたばっかりのものですが、予想外(失礼!!)にもいい演奏だったので紹介します。ウィーン響の100周年記念で発売されているCDらしく、ウィーン響に馴染みのある三人の指揮者による演奏がCD3枚組みで収録されています。その中で二枚目に収録されているホルスト・シュタイン指揮の「グレイト」が白眉の出来です。今回のコンサート後、もう一度聴いてみましたが、特別なことをしなくてもこんなにすばらしい演奏になるという好例ではないでしょうか。
(2003年11月19日、岩崎さん)