■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に

メータ指揮イスラエル・フィルのマーラー《悲劇的》を聴く

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ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニック管弦楽団

2003年12月17日 午後8時〜
ニューヨーク州ニューヨーク、カーネギー・ホール

シューベルト:交響曲第6番ハ長調 D.589
マーラー:交響曲第6番イ長調「悲劇的」

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」、この曲を聴く時、私は一人の親友のことを思い出さずにはいられません。彼は大学時代の友人で私をより深くクラシックの道へと導いてくれた恩人でもあります。彼は学生時代、大学のオーケストラに所属し、チェロを弾いていました。なかなか、クラシック音楽について話す相手がいないなか、彼だけがその熱心な話し相手でした。オーケストラが定期演奏会を開くたびに、チケットを譲ってくれました。たいていの演奏会のことは忘れてしまいましたが、一つだけ忘れられない演奏があります。それがマーラーの「悲劇的」です。今から考えると、大学のオケでこの曲をやるなんて、とても無茶だなとは思うのですが、当時私はマーラーの交響曲は第1番と、第5番しか知らず、その音楽の巨大さ、激しさ、そして美しさに圧倒され、興奮して聴き終えたのでした。大学卒業後、私と彼はそれぞれ別の仕事に就いたのですが、一年ほど経って本当に突然に彼の訃報を聞くことになります。まさに青天の霹靂でした。その事件から10年近くたち、日常の中で彼を思い出すことは少なくなりましたが、このマーラーの「悲劇的」を聴く時だけは別で、彼のことが走馬燈のように思い出されるのです。

上記のように思い入れがある曲でCDもいろいろ聴きましたが、生で聴くのは学生時代に初めて聴いて以来となりました(2003年3月ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルの演奏を聴く予定でしたが、戦争勃発のためロッテルダム・フィルが来米せず、代わりに演奏したキーロフ管とのコンサートは別の曲が演奏されました。残念!!)。指揮はメータさんで、最近、大味との噂は聞いていますが、得意としているマーラーですし、オケも密接な関係にあるイスラエル・フィルなので期待して行って参りました。

最初の曲は、シューベルトの交響曲第6番です。演奏は角を取ったようなおっとりした演奏。前回ラトル指揮ベルリン・フィルで聴いた「グレイト」とは正反対といってもいいスタイルです。それだけに刺激的なところはまったくなく安心して音楽を聴けるのですが、正直ちょっと退屈な演奏でした。あくまで前座の曲といった印象を持ったと言ったら言いすぎでしょうか。

後半はいよいよメインのマーラーの「悲劇的」。演奏はかなり速いテンポで始まりました。前のめりといってもいいようなテンポで、前へ、前へと行く推進力が漲っています。オーケストラも前半のシューベルトの時とは力の入り方が違うらしく、よく鳴っているようです。この前のめりのテンポ、すべてがうまくかみ合っていると言うわけではなかったのですが(例えば小太鼓のリズム感や音色)、そういったことを犠牲にしても、結果が分かっている終結(死)への止めることの出来ない行進を感じさせるものでした。また展開部の途中、いきなり目の前に視界が開け、天から光が差し込むように神秘的に曲調が変化するところがあります。私の好きな部分の一つですが、今日の演奏はそこまで感じさせてくれるような変化に乏しかったです。

ところで今回の演奏。第二楽章アンダンテ、第三楽章スケルツォで演奏されました。何でも最新の国際マーラー協会の全集に従って演奏しているとのこと。その作成にはマーラーの「復活」しか指揮しないことで有名で、あのウィーン・フィルまでも振ってしまったキャプラン氏も加わっているそうです。私の個人的な好みを言ってしまうと、あの壮大かつ悲壮な内容を持つ第四楽章の前にはアンダンテ楽章の天国的、彼岸の雰囲気が好ましい、つまり第二楽章スケルツォ、第三楽章アンダンテの順です。しかし天才マーラーの考えることですから、私なんぞの思いも及ばない深い思慮があるのでしょう。皆さんはどちらの順序で演奏されるのがお好みでしょうか?

という訳で、第二楽章アンダンテが始まったわけですが、ここは私には燃焼不足に感じられました。天国的な響きと、身を切るような哀切な響きが重なり連続するこの楽章ですが、そのどちらも、もうひとつの壁を乗り越えられないもどかしさを感じました。私はこのアンダンテが好きで単独でもよくCDを聴き、たいていどの演奏を聴いても迸るような激情を感じグッときます。しかし残念ながらそれがありませんでした。また、私はこの楽章で活躍するカウベルの音が好きなのですが、それが今一歩生かされていなかったような気がします。第一楽章では遠くから聴こえるかのように舞台裏からカウベルを鳴らしていました。第二楽章ではその落差を生かすためにも舞台に出てきてもっと激しく鳴らすのかと思っていましたが、第一楽章と同じように舞台裏から鳴らしていました。

第三楽章スケルツォはやや粘着質でありながらもリズムが効き、またシニカルな面も良く出ていたのではないでしょうか。しかし、トータルで見て(聴いて)この楽章順に違和感は残りました。

この曲でよく話題になるのが第四楽章でのハンマーですが、舞台の左手奥に準備されていました。マーラーはその音もさることながら視覚的効果も期待していたとのことです。そのハンマーの振り落とし方は芝居気なく、あまり大きな身振りはなかったのですが、確かに驚かされるものがありました。3回目はなく合計2回叩きましたが、2回目はほんのちょっと振り上げる程度でした。第一楽章と同様、早めのテンポで最後の闘争を一気呵成に表現しているようでしたが、やはり私には厳しさの欠ける演奏に感じられました。しかし、たどり着いた終結部、やはりそこは救いようのない最期を感じさせました。うごめくような不気味な管の動きが静かにおさまると、最後のとどめ一撃が加わりました。分っていてもやはり恐ろしい音楽です。

最後の響きの後、余韻に浸る間もなく、すかさず、数名が拍手を始めました。メータさんは指揮棒を下ろしません。拍手が広がってゆきます。それでもメータさんは指揮棒を下ろしません。10秒ほどたってからでしょうか、拍手が止みました。メータさんが指揮棒を上げたままの姿勢でしばらく時が流れました。そして静かに指揮棒を下ろしたのでした。音楽の余韻を大事にしたいというだけでなく、こんな時節柄、何らかのメッセージをこめたかったのではないでしょうか。私はそう感じました。

この曲、大好きな曲だけに感想も厳しくなってしまいました。正直不満はいっぱいありました。しかし最後は激しい闘争の結果救いなくすべてが静かに終わる。この結末に心動かされない演奏はありません。それは最後に巧くまとめ上げたメータさんの手腕と言うよりも曲自体の持つ力だと思います。

《私のお気に入りのCD》

マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
PONY CANYON (国内盤POCL-00304)

この曲、思い入れのある曲だけにいろいろ聴きました。バーンスタイン、テンシュテット、バルビローリ、ベルティーニ、ハイティンク、MTT等どれもそれぞれ優れた演奏であると思います。しかし、どれか一つだけと言われた時、私は迷うことなくこのノイマン盤をとります。この演奏は私の持っているこの曲の最美の演奏と言ってもよく、特に第三楽章アンダンテを聴く時、その天国の中で戯れるような、それでいて哀切な響きは他の演奏にない物です。ノイマンさんの辞世の歌となったこの演奏、私にとっては若くして亡くなった親友へのレクイエムでもあります。

R.シュトラウス:メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)
マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
サー・ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管
EMI (輸入盤 0777 7 67816 2 4)

好きな曲だけに原則を破り、もうひとつあげます。以前掲示板でも話題になったバルビローリさんの演奏です。この演奏、私には怖すぎます。特に第四楽章の最後、管だけで静かに演奏された後、「ジッャーン!!」と来ますが、この演奏ほどこの場面が怖い演奏を知りません。このCDを一緒に聴いていた妻はこれは英雄の死ではなくて世界の破滅を表しているに違いないと鳥肌をたてていました。『悲劇』ではなく『破滅』を感じさせる演奏です。なお私の持っているCDは第二楽章スケルツォ、第三楽章アンダンテの順です。


(2004年1月13日、岩崎さん)