■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に■
マールボロ音楽祭について
わたしがこの名前を最初に聞いたのは確か高校生の頃だったと思います。FMラジオから流れてくるゴツゴツしているけれどとても暖かな人間愛が感じられる演奏。その演奏はわたしの耳をとらえて放しませんでした。演奏後ラジオのアナウンサーの声が入ります。「ただいまの演奏はカザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団によるものでした。カザルス90歳の時の演奏です。」わたしは耳を疑いました。そして、すぐ聞き違えたのだと思いました。90歳の老人がこんなに熱い、生き生きとした演奏が出来るはずはないと思ったからです。その当時わたしはカザルスという名前さえ初耳だったのです。その後、カザルス指揮のベートーベンやモーツァルト、シューマンの交響曲のCDを手に入れ、わたしは愕然とします。カザルスが実は20世紀を代表する大音楽家ですごいチェリストであったこと、指揮活動にも情熱を燃やし、これらの演奏当時90歳前後だったこと、多くの演奏家達が彼を慕いマールボロに集い、一緒に音楽を楽しんだこと等を知りました。カザルス指揮する彼らの演奏は洗練と言う言葉からは最も遠い演奏ですが、どこか手作りの暖かさを感じる他の演奏団体にはない良さを感じました。特に彼らの演奏するシューマンの交響曲第2番を初めて聴いたとき、その冒頭の人懐っこいような、人恋しいような、それでいて熱い血潮を感じさせる響きに不覚にも涙してしまった思い出があります。しかし、あれから10年以上の歳月が流れ、しだいにそのCDを手にする機会も少なくなり、マールボロの名前も滅多なことでは思い出さなくなっていました。
註:カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団の演奏については、皆さんよくご存知の《斉諧生音盤志》に驚くべき詳細なページが存在しています。
アメリカに来て初めての夏、昨年の夏のことです。あるとき、わたしの友達の知人であるアメリカ人が、私がクラシック音楽が好きでよくタングルウッドに行っているというのを耳にしたらしいのです。そうしたところその初老のアメリカ人の方も大変なクラシック音楽好きだったそうで、こう助言してくれたのだそうです。
「タングルウッドも悪くないけど、本当に音楽を聴きに行くのだったらマールボロを僕は薦めるな。」
それを伝え聞いた私は鮮やかにあのCDの印象が蘇ってきました。あのマールボロが近くにあるのか!? 早速インターネットを使い検索してみました。すぐに見つけることが出来ました。なんとわたしの住んでいる町から車で一時間ぐらいのところです。これはもう絶対に行くしかありません。
タングルウッドもかなりの田舎にありますが、マールボロはそれ以上でした。森の中を走る道を抜けていくと会場は突然現れます。係員が立っていなければ見過ごしてしまいそうなところです。コンサート・ホールは日本に昔よくあった木製の体育館といった感じです。日本の大きなコンサート・ホールを見慣れた方にはとても質素で小さく感じるかもしれません(写真ご参照)。ここに世界有数の音楽家達が集い、数々の名演がなされてきたとは信じがたいほどです。聴衆は比較的年配の方が多く、またタングルウッドでは多く見られた子供づれのファミリーはあまり見かけません。
この音楽祭はルドルフ・ゼルキンが提唱し、カザルスが参加したことで有名ですが、今現在の音楽監督を誰がつとめているかを知っている日本人の方は多くはないんじゃないのでしょうか。現在音楽監督はピアニストのリチャード・グードさんと内田光子さんのお二人が務めています。二人で務めているのには訳がありまして内田光子さんはあるインタビューの中でこう話しています。
「マールボロで多くの若い奏者達と過ごす7週間は素晴らしい時間です。しかし一年のうち毎年7週間を捻出することはとても難しいことです。そこでリチャードと責任を持つ年を一年ごとに交代しています。どういうことかというと偶数年は私が責任を持ち、奇数年はリチャードが責任を持っています。偶数年は私が7週間滞在しますが、奇数年は3週間程度です。リチャードはその逆になります。今このシステムは実に有効に機能しています。」
またこの音楽祭には世界的に有名な経験豊富な演奏者の他、様々な国から若手の演奏家達が参加しています。私はグードさんや内田さんのような経験豊富な演奏者達が先生のような役割を果たしているのかと思っていたのですが、それについて内田さんはインタビューの中できっぱり否定してらっしゃいます。
「特定の誰かに勉強するためにこの音楽祭に来ている者はいません。かつてはカザルスの棒の下、オーケストラを結成して演奏していた時代もありました。しかし、マールボロの基本的な原理は、他の奏者と共に音楽を創り上げていくことを通して、より音楽を感じ、音楽を理解し、音楽を学ぶことなのです。私はここでは教師ではありませんし、他のピアニストを指導してはいません。マールボロでは私も他の奏者達と同様にいろいろな室内楽グループに属しています。もちろん私は20代の若い演奏家より経験を持っているでしょうし、多く発言することはあります。しかしわたしは私自身、学ぶためにここにいるのです。他の若い奏者から多くを学ぶこともあるのです。」
マールボロ音楽祭は基本的に室内楽を中心とした音楽祭で、最初に参加者から演奏希望作品を出してもらうのだそうです。それから適当にグループ分けがなされ練習が始まるのだそうです。期間は7週間で、3週間目からコンサートが始まります。しかし目標は決してコンサートではなく、内田さんの言葉にもあるように、その音楽を創り上げる過程の中にあるようです。よってすべての取り組んだ曲目がコンサートに上がるわけではありません。コンサートの曲目も一週間前にならないと発表されません。この音楽祭に参加した演奏者たちは皆きっと、音楽を創り上げていく苦労、喜びを体験してきたのでしょうね(写真はマールボロ・ミュージック・スクール)。
この音楽祭に過去参加した音楽家の中には今世界で活躍するイツァーク・パールマンさんや、ヨー・ヨー・マさん等がいますし、日本からも五嶋みどりさんや、諏訪内晶子さんをはじめ大勢の方がいます。諏訪内さんは自著『ヴァイオリンと翔る』の中でもマールボロに触れています。また今人気沸騰中のヒラリー・ハーンさんも数年前に参加していたとのことです。昨年、今年と、私が聴いた中にもひょっとして未来のすごい大物がいるかもしれませんね。きっとマールボロに集う聴衆はこんな楽しみも持って聴いているのだと感じました。
ヴァーモントにちなんだ脱線話1 話はちょっとそれますが、このマールボロ音楽祭が行われているヴァーモント州は、私の住んでいるニューハンプシャー州のお隣ということになります。ところで日本でヴァーモント(バーモント)と言えば、りんごと蜂蜜のカレーですね(笑)。わたしもそう考えていました。しかし驚いたことにヴァーモントに住む友人達は誰もそんなこと知らないといいます。確かにりんごと蜂蜜(蜂蜜よりどちらかというとメープルシロップのほうが有名)は採れますが、カレーを食べる人は聞いたことがありません。日本ではメジャーなカレーライスですがアメリカではそれほどでもないようです(インドカリー、タイカリーのレストランはあります)。不思議です。
ヴァーモントにちなんだ脱線話2 もうひとつ話を脱線すると、映画史に残る名作中の名作『サウンド・オブ・ミュージック』は映画好き、音楽好きでなくても見たことのある映画のひとつではないかと思います。この映画のラストシーン、トラップ・ファミリーが手と手を取り合ってナチスの魔の手から逃れて山を越えてゆきます。この後、彼らはどこへ行ったのでしょうか。無事、平穏に暮らせたのでしょうか(一応言っておきますがこの映画は実話を元に製作されており、トラップ・ファミリーも実在します)。トラップ・ファミリーはさまざまな苦難を乗りこえ、なんと海を越えアメリカ合衆国に渡り、しかもこのヴァーモント州にあるストウという地を生涯の安住の地と定めていたのでした。ストウと言う地を選んだわけは、故郷オーストリア・チロル地方の風景に似ていたからだといいます。今ではマリア・フォン・トラップの10番目の息子さんが経営するトラップ・ファミリー・ロッジが建てられ、年中観光客が絶えることはないようです(写真はロッジの看板)。夏には野外音楽会が催され、「サウンド・オブ・ミュージック」のミュージカルも地元の音楽家が中心となって行われているようです。何はともあれ、トラップ・ファミリーがその後幸せに暮らしたと聞いてわたしは嬉しくなりました。
(2003年8月9日、岩崎さん)