ブルックナーの交響曲第7番を聴く
前編
ブルックナー
交響曲第7番ホ長調
ギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィル
録音:1999年11月19,20,21日
BMG(国内盤 BVCC-34030)国内先行発売によるヴァントのブルックナー。既に大規模なプロモーションが行われているので、この録音を実際に聴かれた方も多いだろう。ヴァントの人気はこのところ鰻登りで、ベルリンフィルの指揮台に登れば、ライブ録音がたちまちCD化されるようになった。私は極力高くて音質の悪い国内盤は買わない主義なので、輸入盤が出るまで通常はじっと我慢して待つのだが、ヴァントのCD、しかもブルックナーとなると、発売された当日に買いに行ってしまう。
演奏内容については既にあちらこちらで詳細に報告されているので、以下では簡単に私なりの感想を述べてみたい。この演奏は、スーパーオケ、ベルリンフィルを指揮したものだけあって、オケの機能美をとことん味わえる。特に第3,第4楽章はオケが唸りをあげて躍動しており、その壮麗さには息を呑む。聴いていなければ、ちょっと想像できないレベルの壮麗さである。一体このブルックナーは何なのだ? ブルックナーがこの磨き上げられたベルリンフィルのサウンドを聴けば、舞台に駆け上がってくるのではないだろうか。後半2楽章だけを聴くためにこのCDを買っても十分元が取れるし、おつりが来る。騙されたと思って買っていただいても、損はしない。
ベルリンフィルのCDはほぼ無数にあるといってよく、名だたる指揮者がさまざまな曲を録音している。が、ヴァントの指揮で聴くと、オケの音がまるで違って聞こえる。「他の演奏はベルリンフィルではなかったのか?」と思わずにはいられない。本当にすごい統率力だ。リハーサルは4日かけてじっくり行われたというが、細部にいたるまで徹底的にヴァントの指示が行き届いているようで、通常聴かれるブルックナーとは一線を画した輝くばかりのブルックナーができあがっている。ライブ録音だというのに、音質も極めて良く、会場のノイズはほとんど聴き取れない。拍手もカットされている。が、終楽章が終わってから盛大な拍手になり、会場が総立ちになったというのはよく頷ける。
一方、前半2楽章は、丁寧に丁寧に音楽を作り上げていく様が面白い。北ドイツ放送響との旧盤でもそうだったが、ヴァントは巨匠然とした構えた音楽作りをしない。相手がベルリンフィルであっても、スタイルは変わらず、ただただ音楽を丹念に練り上げていくのである。最強オケがその指揮に完全に応えているため、音楽には虚飾のかけらもなく、ブルックナーが書き残したスコアだけが浮かび上がってくるようだ。ブルックナーが書いたスコアには「何も足さない、何も引かない」という感じである。このスタイルだけでヴァントは楽壇で最も尊敬される指揮者の一人になったわけだから、大変価値があることだ。
したがって、総合点が極めて高いCDである。ブルックナーの音楽をこれから聴こうという人、オーケストラの持つ表現力を知りたい人にはお薦めの1枚である。
しかし、あえて書くが、これは私の好きなブルックナーではない。なぜか。ここから先は大変なご批判を受けそうだが、以下の理由による。
心ある音楽ファンからは「こいつ、馬鹿か」といわれそうだが、この演奏ではオーストリア・アルプスの風景が見えてこないのである。私にとって、第7番の第1楽章は、ブルックナーの交響曲の中でも特にアルプスの山々を感じさせる曲だ。緑に茂る山々の稜線が幾重にも折り重なり、雲がその間を縫うようにして通り過ぎる。音楽はアルプスの山々を巡りながら流れ、遠く遥かな頂点に向かってヒタヒタと進んでいく。そんな風景が私にとってのブルックナーの第7番なのである。
しかし、当然のことながら、反論があるだろう。すなわち、「ブルックナーは標題音楽を作ったのではない」と。全くそのとおりだ。ブルックナーは作曲するにあたって、極めて抽象的な交響曲というジャンルを選択したのであって、交響詩を作ったのではない。おそらくスコアには「アルプスの山を彷彿とするように...」などという表記があろうはずもないのだ。アルプスを思い描くのは私の勝手である。だから、ヴァントのアプローチは非の打ち所がないのである。逆に、ヴァントの演奏をこの理由によって貶すのは、それすなわち自分の聴き方の邪道さをさらけ出すことになるので、できない。よって、私のように「アルプス的でなければ」などという奇妙なブル7観をお持ちでさえなければ、ヴァント盤は極めて優れたCDだと言える。
上でヴァントのブルックナー演奏を「アルプス的でない」などと書いてしまったが、「アルプス的な」ブル7はあるのだろうか。結構あるはずだ。最近出たCDの中ではイッセルシュテットの名盤がある。が、これは輸入盤だし、地方では一般的に入手しにくいだろう。国内盤の中で選ぶとすれば、こんなものがすぐ思い浮かぶ(シュターツカペレ・ドレスデンのCDを除く)。
なお、以下の2録音では第2楽章で打楽器が華々しく入る。ハース版では、第2楽章で打楽器が入らないが、ヴァントが有名なハース版信奉者であることを考慮すると、少し皮肉な話である。
ブルックナー
交響曲第7番ホ長調
マタチッチ指揮チェコフィル
録音:1967年?
DENON(国内盤 COCO-7373)これは雄大なブルックナーだ。アルプス的という言葉がこれほどぴったりくる演奏は私のCD棚には他にない。マタチッチはスケール雄大な音楽を構築するが、別に重量感を出して演奏しているわけではなく、意外に軽やかさも見せる。それはアルプスの山々だけでなく、ブルックナーの野人的な面までも表現しているのかもしれない。この演奏を聴いていると、気宇壮大な気分と、ワクワクするような楽しさに包まれるのである。ヒタヒタと頂点に迫る音楽設計はブルックナー指揮者としてのマタチッチの本領発揮というべきだろう。古い録音だが、音質的にも問題はなく、豊穣なサウンドに酔いしれることができる。この演奏を聴いてブルックナーを好きになれない人がいるかどうか、私は知りたいと思っているほどだ。
ただし、大変な熱演であるが、オケの機能美という点では今ひとつなのが惜しまれる。第1楽章の6分過ぎのところで、金管楽器(トロンボーンか?)の音がややずり下がって聞こえたりする。もっとも、音楽の充実は目を見張るものがある。木を見て森を見ないような聴き方を私はしたくないので、このCDを一押しすることに何のためらいも感じない。
マタチッチ盤とはやや趣を異にするが、意外にもアルプス的なのがカラヤン盤である。主観の問題だから、「何でカラヤンがアルプス的なんだ?ふざけるな」というお叱りを受けそうだが、何卒ご容赦を。
ブルックナー
交響曲第7番ホ長調
カラヤン指揮ベルリンフィル
録音:1975年4月
DG(国内盤 F35G 50386)カラヤンは71年にベルリンフィルを指揮したCDがあるし(EMI)、最晩年の89年にウィーンフィルを指揮した新盤(DG)もある。が、75年盤が音楽の輪郭が最も明瞭で、ブルックナーの音楽が持つ激しさ、厳しさが際立っている。速めのテンポを取っているように見えながらもスケールは巨大で、マタチッチ盤の描くアルプスよりさらに標高が高い山々を逍遙するようだ。
カラヤンのブルックナーには虚飾がないわけではない。第5番などを聴くと、巨匠然とした音楽作りが見え見えで、決して自然体のブルックナーにはなっていない。それでもなお、カラヤンのブルックナーは魅力的で、どうしても逃れられない。イメージ上、最もアルプス的でなさそうな指揮者なのだが、アルプス的スケールを感じてしまうのである。しかもベルリンフィルが演奏しているから、技術的に全く問題がない。カラヤン全盛時の録音であることも相俟ってその美音には身震いするほどである。これを聴けば、ベルリンフィルとのブルックナー録音を全部聴きたくなる人が現れてもおかしくないだろう(実は私がそうだった)。
2000年4月5日、An die MusikクラシックCD試聴記